あらすじ
我々ホモ・サピエンスの出現以前、地球には実に多様な「人類」がいた。教科書に載っているジャワ原人や北京原人だけではない。身長わずか110cmのフローレス原人、台湾の海底で見つかった澎湖人など、とくにアジアの「人類模様」は、目もくらむほどだった。しかし彼らはすべて滅び去り、いま人類は「我々」しかいない。なぜ我々は我々だけなのか? 答えを追い続けた著者が人類進化学の第一人者に導かれて出会った衝撃の仮説!
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
川端裕人さんの読みやすい文と、海部陽介さんの新知見を盛り込んだ内容が面白くて、一日で一気読みした。
文句なしの星5つ。
序盤の化石についての概説は、退屈かもしれないが後半の理解には必要な情報であり、川端氏の『現地』描写を交えた筆致は決して飽きさせない。
そして怒涛の後半、第四の原人や、デニソワ人についての新たな提案。
この時、整理された理解の生じる快感、そこが面白い。
分からないことは、何が分かってないからなのか。
どこまでなら、コンセンサスがある話なのか。
この整理が、理科や歴史でざっくり
「アウストラロピテクス」とか「北京原人」なら知ってた
レベルの一般人にも伝わってくる。
小難しい数式とか一か所しか出てこないし、それもちゃんと図で示されてるから、根っからの文系でも問題なし。
そして、サイエンス系の本にはつきものの、『執筆時点では』という注釈。
それは、新たな化石の発見や詳細な研究によって、また仮説が更新される可能性があるということ。
本書を読んだ者は、その新たな仮説に対し、既存の議論を踏まえた解像度で食いつける、ということ。
知的興奮に動悸が高まるのを感じる。
かつて評論社から抄訳版が、後に集英社ホーム社から完訳版のでた、ジーン・アウルの『始原への旅立ち』シリーズは、素晴らしい小説だった。しかし、科学的知見としては当時の限界もあり、生活描写に関してはネイティブアメリカンやイヌイットの文化で大きく補綴された、ネアンデルタールとクロマニヨンズの物語であった。
しかし、本書にあるようなアジア原人、ひいては旧人と現生人類の研究が進めば、科学的知見でよりしっかり裏打ちされた、『東アジアの物語』がつづられる可能性もでてくる。
なんと胸躍ることだろう。
ぜひ手に取ってご一読あれ。
Posted by ブクログ
すごくおもしろかった。
アジアの原人の最新研究が、生き生きと読みやすく展開されていく。
アジアには多様な種族が存在していたことがわかるが、タイトルの意味は、それなのになぜ今はホモ・サピエンスだけなのか。
読書メモ:
人類 700万年 五段階 初期の猿人、猿人、原人、旧人、新人
300-200万年前 原人 ホモ・ハビリス
100-60万年前 旧人現る ネアンデルタール人
新人=ホモ・サピエンス アフリカ単一起源説
ジャワ原人 ピテカントロプス・エレクトス →その後ホモ・エレクトスに デュボア @トリニール
ソロ川流域 サンギラン、サンブンマチャン
玉ねぎ地層
ジャワ原人
停滞していたと思われていたが、咀嚼器官の縮小や脳容量の増大と進化していた。
しかし旧人や新人と違う特徴もあり祖先ではない。
フローレス原人
島嶼効果 大型動物は矮小化、小型動物は大型化
ソア盆地での発見 初期のジャワ原人→ソア盆地の人類→リャン・ブア洞窟のフローレス原人
アジア第4の原人
澎湖人(ポンフー) 海底から底引き網の漁であごの半分→コレクターへ
和県人
アジアは多様なホモ属がいたのに、なぜ今はホモ・サピエンスだけの均質になったのか?
ホモサピエンスは創造的な能力で地球上のどこにも行けたから均質になった。原人は行けなかった。
多様/均質、どこにでも行ける/閉じ込められている
宇宙への拡散
デニソワ人はネアンデルタール人と地元原人との混血の可能性
ジャワ原人とサピエンスの混血 アボリジニがジャワ原人と似た特徴を持つことを説明できる
Posted by ブクログ
なぜ、ホモサピエンスだけが残って他の原人たちがいなくなってしまったのか。著者の川端さんの本はわかりやすく何冊か読んでいるし、監修の海部さんの『日本人はどこから来たのか』も面白かったので、鉄板かなと書評をみて購入。やぱりおもしろかった。研究室の中のことばかりでなく、実際の発掘現場に行ったりしてリアリティがある。良書。
Posted by ブクログ
数年前,「生命大躍進」という大変興味深い展示会を観ました。
そのとき,私が学校で学んだときから,かなり人類の進化に対する研究が非常に進んだことを知り,かなり驚きました。
本書は,その最新の知見について分かりやすく説明したもので,大変面白く読みました。
アジアには同時代に多様な人類の種類が存在した可能性があり,また旧人と我々人類は交雑したこともあるにもかかわらず,なぜ我々は我々だけなのか,この問いに対する答えが出るには気の遠くなるような研究の積み重ねが必要ですが,これほど興味の尽きないテーマもありません。
同じテーマを取り扱った本も読んでみようと思います。
Posted by ブクログ
アジアの人類としての古代史が、こんなにも興奮に溢れる場だとは知らなかった!
ジャワ原人、フローレス原人、北京原人、名前は知ってるけど、はるか昔の曾祖父くらいのイメージしかなかった。
しかし実際は生物種としての適応と繁栄と消滅といったダイナミズムをもつ存在だった。
そして現在では我々は我々の種しかいないけど、それは昔からそうではなかった。多様な種が、祖先から綿々と旅をし、環境に適応し、進化し、そして(多分静かに)消えて行った、という壮大な物語の一端を味わえて大満足。
これからの研究の進展にも期待したい。
それにしても我々しかいないのは、拡散の速度が速すぎて均一化してしまった、というのは、宇宙はなぜこんなにも均一なのかというインフレーション宇宙論にも通じるものがあるなあと思ったりして、これもまたおもしろい
Posted by ブクログ
初期の猿人から猿人、原人、旧人、そして現生人類へ。
昔々、学校でも、アウストラロピテクスが現れ、その後ジャワ原人、北京原人が現れ、ネアンデルタール人が出てきた、なんて勉強したような。
しかし、なかなかそれに興味を持つというところまではいかなかった。
それが、近年、大きな発見があったりして、ずいぶんと分かってきたことがあるらしい。
新聞報道などもあり、特に人類学に興味がなくても聞こえてくる、ホットな分野であるようだ。
そして、監修者である海部陽介さんも、テレビで何度も見る機会もあった。
本書は、しかし、海部さんが書いているのではない。
サイエンスライターで作家の川端さんが、海部さんを取材して研究を紹介していく構成となっている。
聞きなれない専門用語は、すかさず解説が添えられる。
図示により理解を助けてくれる。
おかげで、あまり予備知識がない自分にも最後まで読み切ることができた。
前半はジャワ原人の研究の歴史。
植民地時代から続く発掘は、すでに長い歴史を持つ。
第二次世界大戦期は、出土した化石の保管にとっても困難な時代であったことも知った。
咀嚼器官の縮小は、人類の進化の指標なのだそうで、原人の歯、下顎などを3Dスキャンなど、新しい技術を取り入れながら、細かくデータ化し、比較していく。
その過程では、現代人500人の歯型を収集したりもする。
後半は新たな発見に関わる話。
ホビットのあだ名を持つ小柄なフローレス人、そして台湾の海から漁師の網にかかって見つかった澎湖人。
一つ一つの話が自分にとっては新しい。
そういえば、表紙になっているのは科博(ということは海部さんたち)が作成したフローレス人の復元模型の顔の部分。
何かとても賢そうに見える。
ちなみに、本書の中には他の研究者(エリザベット・デネスさん)による復元像もあり、かなり印象が違うのが面白い。
当たり前のことかもしれないが、復元模型には研究者の想定や見解が含まれていて、同じ化石から復元したとしても同じ像になるとは限らない。
そんなことも面白く感じた。
フローレス人の研究では、これが他の原人の子どもや、身長が伸びない病気にかかったホモサピエンスではないことをいかに立証するかが焦点だったとのことだ。
子どもでないことは、歯の数などの違いでわかる。
病気でないということを確かめるために、海部さんは国立成育医療センターの医師の協力を仰ぐ。
発見されたLB1という標本の頭骨の変形は変形性斜頭症という、比較的よくみられるもので、成長を阻害するものではないと結論づけたという。
他の所でも感じたが、マイクロCTや3Dデータづくりなど、人類学って、多くの研究者の協力で進む大プロジェクトなんだな、と知る。
さて、「我々はなぜ我々だけなのか」というタイトルになる問いについては、終章で扱われる。
どの種族がどれくらい他のものと時期的に重なって生存していたのかはまだわからないことも多いとはいえ、特にアジアにはたくさんの原人たちがいたという。
それがいつ「我々」=ホモ・サピエンスに置き換わったのかはまだわからないそうだ。
ただ、現生人類との間の接触や混血の可能性があり、「我々」は「我々」だけなのだけれど、「我々」の内部には「彼ら」がいるかもしれない、と結ばれていた。
たしかに、この先、どんなことが分かっていくのか楽しみになってくる。
Posted by ブクログ
「人類学系の読み物として最高の一冊」
第2章の中盤からは次のページをめくる指が止まらない。それくらいに私たちの祖先への興味が1ページ毎にかき立てられる一冊。他のブルーバックスのように「専門を学ぶ入門書」というものよりは、「専門を旅する読み物」といった感覚の1冊。
私たちを私たちたらしめているのはテクノロジーであって、テクノロジーの進化によって種としての進化を代替している訳でもある。そしてそのテクノロジーは、世界をひとつにし、世界からガラパゴスをなくし、均質なものとすることで、種としての進化のストッパーにもなっている。
著者も問題提起していた現代の我々の大きな命題である「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」。果たして我々は「生物」として、この命題に取り組む必要はあるのだろうか?もしかすると1万年後、我々は全員が同じ感覚を持つ種となっているかも知れない。
Posted by ブクログ
人類の祖先にまつわるロマンと知的興奮にあふれた一冊!これは良い!なぜ、他の動物たちはあれほど多様な形態を残しているのに、われわれ人類は今のホモ・サピエンスだけなのか?今まで考えたこともなかった謎に迫る様子はめちゃくちゃ興奮。正にセンスオブワンダー!昔、ホビットのような小柄な人類がいた、と思うだけでワクワクしてくる!
Posted by ブクログ
爽快な読後感だった。最後に紹介されている論文を振り返るときの、良い映画を見た後にエンドロールを見、作中の音楽を聞いている時のような感覚を味わった。
描き手と研究者の誠実で丁寧な仕事によって練られた、味わい深さがあった。
Posted by ブクログ
これまでの人類史はアフリカを中心に語られてきたが、アジアには昔から北京原人やジャワ原人がおり、最近にはフローレス原人や台湾でも原人の化石が見つかっている。
猿人、原人、旧人という大きな流れの中で、最終的にアフリカ原人が人類の祖先となるわけだが、それまでには複数の猿人や原人が世界中に散らばっており、時には交配も行われていたと考えると、今の均質化された人類種が異様に思われてきた。
この分野はまだまだ発展途上の分野であり、これからも多くの発見が期待できるので、今後の動きにも注視していきたい。
Posted by ブクログ
遡上はついに人類のはじまりに到達。自然人類学の最新の発見を、ジャーナリスト川端裕人が自ら見聞して臨場感あふれるレポートすることで、アジアにおける知られざる原人の存在や交雑の可能性を明らかにしています。
それにしても、先に読んだ『世界神話学入門』でも名前が出てきた海部陽介さんは、21世紀の知の巨人のような気がするだけに、今後も注目です。
Posted by ブクログ
かつてアジア地域に生息していた原人・旧人たち - 北京原人やジャワ原人という名前で知られている - についての解説本。アフリカやヨーロッパではかなり研究が進んでいるが、アジア地域ではかなり遅れていたため、最近になってフローレス原人や台湾沖での澎湖人など新しい発見が21世紀に入っても出ている状況である。その道の第一人者である国立科学博物館の海部陽介グループ長に導かれる形で著者がまとめたものである。自らの起源に関わる話であり、思い入れのある著者の筆にも熱がこもっている。
なお、我々の起源と書いたが、フローレス原人も澎湖人も北京原人もジャワ原人も我々の祖先ではないことがほぼ確認されている。タイトルにあるようにアジアからは消えてしまったのだ。アフリカから先に出て個別に進化した原人ではあるが、後に出アフリカを果たして後からたどり着いた現生人類に他の地域におけるネアンデルタール人やデニソワ人と同じようにその立場を奪われた形になったのだ。
DNAの研究により、ネアンデルタール人と現生人類が混血していることが示されたが、アジアの原人と現生人類が接触し、さらに混血したのかについてはまだ明らかになっていない。海部さん含めて現状のアジアの原人の研究は化石からの形態分析が元となっており、DNA分析が使えないのが現状なのである。
「我々はなぜ我々だけなのか」という問いに対しては、我々の移動速度があまりに速かったからだと結論づけられている。進化の速度よりも圧倒的に速く移動を果たすことができたため、現生人類はこれほどまでに一様なのだという。現生人類の特徴をその移動の速さに結び付けてもよいのかもしれない。
しかし、「我々はなぜ我々だけなのか」という問い - かつては確実にいた旧人や原人は世界のどこにも残っていないのはなぜか - についての答えはない。アジアの地でも人類と旧人は接触したのか。我々が駆逐をしたのか。それは我々の持つ本質がゆえなのか。なぜ我々だけがここにいるのか。彼我の差はどこにあったのか。
海部さんは、日本にどうやって人類が渡ってきたのかを実証するために古代の方法で船を作って海を渡るプロジェクトをクラウドファンディングで資金を募って実現するなどアグレッシブに活動されている。これからもまだいろいろとわかるのかもしれない。
Posted by ブクログ
まず、とにかく読みやすくて面白い!なかなか学者さんが書いたのではこうはいかないだろう。
人類の進化、我々はどこから来たのかといったSFジャンルがあるが、リアルの世界でも随分と新しい発見が続いていることがわかる。
「かつていた多様な原人がなぜ滅びたのか」という謎を解く壮大なSF誰か書いてくれないかな。
Posted by ブクログ
ああ、そうか。
本は明言を避けたというか、根拠ない事を断定はできないのだが、ヒントめいたものは書いている。我々はなぜ我々だけなのか。ホモサピエンスにかつての原人の血が混ざっていたとしても、我々は世界の至る所まで、ホモサピエンスのみだ。これは、別の人類を戦争で淘汰したか否か事実は分からないが、本著が書いたように、移動する能力により、混ざったのだ。閉鎖エリアで多様化した種は、戦争かウイルスや病気、あるいは気候変動か、はたまた平和的な交合か、いずれにせよ、移動する種により、混ざったのだろう。人間以外は、制限されたエリアほど、珍しい種が生存している。
有史以前に何が起きたかは、分からない。分からないからこそロマンがある。ホビットのようなフローレス原人。まだまだ、新たな発見があるかも知れない。
Posted by ブクログ
久しぶりのノンフィクション
「ミッシングリンク」といわれる、ホモ・サピエンス登場の謎を「説く」
人類の進化は、猿人から現代人まで左から右へ歩いて進化している絵のような順番では無いんですね。
「進化」とはある意味で「淘汰」と「混血」なんだなと、感じた本でした。
突然ですが『星を継ぐ者』を思い出しました。
Posted by ブクログ
特に「なぜ我々だけなのか」については書いてなかった。こんなにたくさんの種類の原人旧人がアジアにいましたよーってのを専門家から聞き取って本にしたやつ。そんなに面白くなかった。タイトルが超ミスリード。
Posted by ブクログ
⭐️4つに近い3つ。
大変な知的興奮や価値観の転換を迫るような何かがあるわけではないけれど、よくまとまっていて分かりやすい。人類学に興味のある人の入門書に最適だと思う。
Posted by ブクログ
北京原人やジャワ原人、ネアンデルタール人とか、またはアウストラロピテクスやピテカントロプス、そんな名前は知ってるけど何がどれでいつ頃いたのかは全く知らない。この本ではそのあたりがわかりやすく書かれている。てっきり、全部つながってて時代の違いだけだと思ってたわけだけど全く違った。「別の種類」だった。要は人類は1種類じゃなかったわけでこれには驚いた。今いる人間はすべてホモサピエンス。この種類。あとはいない。絶滅したわけだ。同じ人類だったはずなのに。これはミステリーだなと思う。フローレンス島にしたフローレンス原人はホビットと呼ばれていて身長は1mしかなかったのだとか。これも驚きだな。今でも黒人や白人など人種の違いはあるけど、もっとこう違う生物というかそういう多様な人類が存在したわけだ。もちろん交わったことも遺伝子的に判明しているようなので、我々の中にも数%ネアンデルタール人が混じっていたり、オーストラリアの先住民アボリジニーにはジャワ原人が少し混じっていたりということがあるらしいが。どんな生活をしてどんな進化を遂げていたのか。マジでロマンだなと思う。
そして彼らが何十万年前に海を渡ったように、今の人類は空を超えて宇宙に飛び出し火星に住もうとしている。人類ってどこまでも行きたいんだね。何十万年後かには我々の今も人類史の1ページとして研究されるんだろうか。ロマンだ・・・
Posted by ブクログ
昨今の興味にマッチした一冊。ツボにハマって楽しく読めた。
『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(森達也著)でも考察してる生命の起源、遠い将来の姿は答の得られない命題だし、宇宙の中で知的生命体は我々の他にいないのかは、まだまだ解明されない謎だ。
一方、我々(ホモ・サピエンス)は、この地球上において我々だけなのか?という本書の問いは、完全な解答は得られていないまでも、どうやら「我々だけではない」という可能性が見出されてきた(「なぜ?」という問いの答としては不十分だが)。
そう思えるだけで、非常に明るい未来の見える楽しい一冊だ。
アジア各地における最新の発掘実績、最新科学的手法を用い、ヒトの進化にまつわる新たに導き出された仮説を、国立科学博物館の海部陽介教授とその関係者へのインタビューを交え科学ライターの著者が熱意を込めてまとめたものだ。
前半のアジアの発掘現場でのフィールドワークも面白く、遺跡、化石にたいする地元民の理解不足から起こった当時のエピソード(報償ほしさに1個の化石を砕いてもちこんだケーニッヒスワルトと現地の人との話。化石1個につき、いくらという契約だったため起こった悲劇・笑)等、微笑ましい話も面白い。
そして後半は現代の新たな発見事例や科博における研究などが紹介される。
発見事例もさることながら、DNAによる検証ってスゴイ!と思わされる。
「混血が何度かあったという証拠は、すでにDNAから得られている。」
ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスによって滅ぼされた等々の説もこれまで見て来たけど、異種格闘による単に勢力争いによる淘汰だけではなかったようだ。
人類の進化にまつわる発見は、過去、空白地域だったアジアで、今、進んでいる。
今後の新たな発掘が、楽しみだ。
Posted by ブクログ
「我々はなぜ我々だけなのか」
我々人類がアフリカに端を発したホモ・サピエンスと言う種であることは知っての通りである。また、ネアンデルタール人は人類と共存した時期もあり、絶滅してしまっているがいろいろと研究が進んでいる。
その一方で、アジアに存在した北京原人やジャワ原人についてはそれほど知られておらず、研究も進んでいないように思える。
しかし近年インドネシアでジャワ原人の化石と石器が見つかっていて、ジャワ原人から進化したのではないかと思われるフローレンス原人の化石の一部も見つかっている。そして、人類が繁栄する前に多様な原人が存在したことがわかりつつある。
本書はジャワ原人を中心としたアジアでの原人の発掘、化石の鑑定を元にした進化についての本である。
タイトルからするとまるで人類がアジアの原人たちを絶滅に追いやった進化史を想像させるが、内容はさにあらず。地道な学問的な内容が主であり、ダイナミックな人類史を描いているのではないので少々がっかりした。
それでも、日本の調査チームが地道に研究、検証を積み重ねている様子は感心する。
著者は専門家ではなくサイエンスライターなので、発掘現場の様子や研究の様子などについての描写が多く、妙に思い入れが強く出て、感動的な描写になっているのが少々気になる。
発掘される化石も少ないのでまだまだわからないことが多く、化石が発掘されないことにはなかなか研究が進まない。それでも、想定される石器を使って船を作り、海を渡ってみるなど冒険的な実証的研究も進んでいる。あの、ハイエルダールのコンチキ号漂流記のような冒険的実験である。いまさらそこまでやるものだろうか思いびっくりした。
フローレンス原人は身長110cmとジャワ原人170cmから小さくなったと考えられている。人類も諸島効果で動物と同じように小さくなり、動物の進化が当てはまると思うと人間だけが特別という考えはおかしいことがよくわかる。
その一方で人類は島の中に閉じ込められるということがなく、地球上の多くの部分に拡散したと言うことが他の原人たちとの本質的な違いのようである。そして、それを可能にしたのはおそらく知性なのだろうが、本書ではそこまで述べられていない。
面白くはあったが、インタビュー的で少々深みに欠けたのが残念だ。