海部陽介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
海部陽介(1969年~)氏は、東大理学部生物学科卒、東大大学院理学系研究科博士課程中退の人類進化学者。東大大学院理学系研究科准教授、国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長等を経て、東大総合研究博物館教授。
2016~19年に国立科学博物館が主催した日台共同プロジェクト「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の代表を務め、3万年前に我々の祖先が行ったと想像される、手漕ぎの丸太舟で台湾から与那国島へ渡る実験航海を行い、成功した。
本書は、ホモ・サピエンスがアフリカから日本に如何なるルートで辿り着いたのかを、遺跡調査の最新のデータを踏まえて明らかにしたもので、2016年に単行本が出版された。そして、上述の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」の経過を加え、2019年2月に文庫化された。(航海が最終的に成功したのは2019年7月である)
本書の内容は概ね以下である。
◆ホモ・サピエンスは、4.8万年前頃にヒマラヤ山脈を隔てて南北に分かれて拡散・東進して行った。その約1万年後に、東アジアのどこかで双方の集団は再び出会ったと思われる。
◆日本では、原人・旧人が存在したかは判明していないが、3.8万年前に突如人類遺跡が爆発的に現れることから、その時期にホモ・サピエンスが大陸から日本に渡ってきたと考えられる。そのルートは、①朝鮮半島から対馬を経て北部九州に至るルート、②台湾から琉球列島に沿って北上するルート、③大陸からサハリンを通って北海道に南下するルート(当時は海面が低く、地続き)があったが、3.8~3.7万年前の遺跡は古本州島(当時は本州・四国・九州は地続き)に集中していることから、①が最も早かったと考えられる。
◆上記①、②のルートはいずれも海を渡る必要があるが、これは、4.7万年前頃に東南アジアからオーストラリア・ニューギニアに移住した際の渡海に次いで古い、人類の海洋進出の記録である。また、後者の渡海は、(当時は現在の島の多くが地続きで)標高が高く大きな島が密に散らばり、それらを目視しながらできるのに対し、②の台湾から与那国島への渡海は、当時でも100km以上あり、近くまで寄らないと舟から目視もできず、かつ、その間には、世界最大規模の海流である黒潮(幅100km、流速は毎秒2m)が横断しており、極めて難易度の高い渡海であった。
◆①の集団は、基本的にその後の縄文人に連続していった可能性が高いが、2.5千年前に始まる弥生時代には、大陸から集団が渡来し、その後、縄文人の系譜を受け継ぐ在来系の人々と、大陸からの渡来系の人々が様々に混血して、歴史時代の日本人が形成された(渡来系集団の遺伝的影響は本州~九州で強いと考えられる)。
そして、最終章の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」については、人類・考古・民俗学の専門家、海流・地形・植生の研究者、古代舟作製と漕ぎ舟航海のエキスパートらが参加し、3万年前に存在したであろう材料・作製技術・航海技術のみで、草束舟、竹筏舟、丸木舟を作り、実験航海を行った経過がまとめられている。
前半の歴史の部分については今や類書も多い中、本書の白眉はやはり、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」に関するところであろう。最後の航海成功までを含めた「完全版」を望みたい。
(2021年10月了) -
Posted by ブクログ
日本人のルーツの一つに、南方系のルートがあると考えられていますが、そのルートが成り立ち得るのかどうか、実際にやってみよう、というプロジェクトの全体を紹介した本です。
とはいえ、南方系のヒトが初めて日本に渡ってきたのは3万年以上前のことなので、想像するしかない部分は多々ありますし、3万年前と今では、海の状態も陸の状態も違うので、完全再現は難しいですが、それでも、人力だけで南方系のルートは可能と考えて差し支えないレベルの成果が得られたことは、非常に意味があると思います。
それにしても、このプロジェクトに関わった皆さんの情熱には、圧倒されます。
南方系のヒトが日本に渡ったときにも、きっと同じような、あるいは、この本に出てくる皆さん以上の情熱があったのでしょうね。 -
Posted by ブクログ
草舟(草束舟)で台湾から与那国島へ渡る。
このプロジェクトはテレビのドキュメンタリーでもやっていた。
旧石器時代の道具で材料を加工し、コンパスなど文明の航海器具は使わない。
そのプロジェクトについて書かれるのは、最終章の11章。
やっぱり、その部分が一番面白い。
そこまでは、予備知識や関心の度合いにより、ちょっと辛い部分もあるかも。
ホモサピエンスは、アフリカで生まれ、世界中に伝播した。
部分的には旧人とも混血しながら。
こういうところは、近年の遺伝子解析技術でわかってきたことだという。
海岸だけではなく、内陸も含めたルートで。
日本へは、主に三つのルートで入ってくる。
旧石器時代の人々が途絶えた証拠はないらしく、縄文人やのちの渡来人などとも混じって現在に至るらしい。
縄文人も単一的な集団ではないという指摘は面白かった。
これから、どういうことが新たに分かってくるのだろう。
この先が少し、楽しみになる。 -
Posted by ブクログ
「人類学系の読み物として最高の一冊」
第2章の中盤からは次のページをめくる指が止まらない。それくらいに私たちの祖先への興味が1ページ毎にかき立てられる一冊。他のブルーバックスのように「専門を学ぶ入門書」というものよりは、「専門を旅する読み物」といった感覚の1冊。
私たちを私たちたらしめているのはテクノロジーであって、テクノロジーの進化によって種としての進化を代替している訳でもある。そしてそのテクノロジーは、世界をひとつにし、世界からガラパゴスをなくし、均質なものとすることで、種としての進化のストッパーにもなっている。
著者も問題提起していた現代の我々の大きな命題である「ダイバーシティ・アンド・インクルージョン」。果たして我々は「生物」として、この命題に取り組む必要はあるのだろうか?もしかすると1万年後、我々は全員が同じ感覚を持つ種となっているかも知れない。 -
Posted by ブクログ
日本人とは何か。
それを人類学上から明らかにしようとするプロジェクトが進行中だ。
まず、日本に最初にホモサピエンスが到達したのはいつ、どのようなルートだったのかを考察するためには、世界を俯瞰する必要がある。
アフリカを出発したホモサピエンスが日本に到達したのは3万年以上前の旧石器時代のこと。
従来はアジア南岸沿いに進行したと考えられていたが、ほかにもヒマラヤを迂回する南北ルートの陸路で東進が行われていた。
3万年前、今より海面が低く、海岸線が広かった陸地からホモサピエンスが日本に入ったルートは、旧石器時代の遺跡から3つ考えられる。
・対馬海峡ルート
・陸路で繋がっていたサハリンからの南下ルート
・沖縄ルート
それぞれ、ホモサピエンスはどのようにして日本に足を踏み入れたのか。
最終章では、当時の技術のみを使用して考えられるやり方で沖縄ルートの再現に挑む。 -
Posted by ブクログ
かつてアジア地域に生息していた原人・旧人たち - 北京原人やジャワ原人という名前で知られている - についての解説本。アフリカやヨーロッパではかなり研究が進んでいるが、アジア地域ではかなり遅れていたため、最近になってフローレス原人や台湾沖での澎湖人など新しい発見が21世紀に入っても出ている状況である。その道の第一人者である国立科学博物館の海部陽介グループ長に導かれる形で著者がまとめたものである。自らの起源に関わる話であり、思い入れのある著者の筆にも熱がこもっている。
なお、我々の起源と書いたが、フローレス原人も澎湖人も北京原人もジャワ原人も我々の祖先ではないことがほぼ確認されている。タイトルにあるようにアジアからは消えてしまったのだ。アフリカから先に出て個別に進化した原人ではあるが、後に出アフリカを果たして後からたどり着いた現生人類に他の地域におけるネアンデルタール人やデニソワ人と同じようにその立場を奪われた形になったのだ。
DNAの研究により、ネアンデルタール人と現生人類が混血していることが示されたが、アジアの原人と現生人類が接触し、さらに混血したのかについてはまだ明らかになっていない。海部さん含めて現状のアジアの原人の研究は化石からの形態分析が元となっており、DNA分析が使えないのが現状なのである。
「我々はなぜ我々だけなのか」という問いに対しては、我々の移動速度があまりに速かったからだと結論づけられている。進化の速度よりも圧倒的に速く移動を果たすことができたため、現生人類はこれほどまでに一様なのだという。現生人類の特徴をその移動の速さに結び付けてもよいのかもしれない。
しかし、「我々はなぜ我々だけなのか」という問い - かつては確実にいた旧人や原人は世界のどこにも残っていないのはなぜか - についての答えはない。アジアの地でも人類と旧人は接触したのか。我々が駆逐をしたのか。それは我々の持つ本質がゆえなのか。なぜ我々だけがここにいるのか。彼我の差はどこにあったのか。
海部さんは、日本にどうやって人類が渡ってきたのかを実証するために古代の方法で船を作って海を渡るプロジェクトをクラウドファンディングで資金を募って実現するなどアグレッシブに活動されている。これからもまだいろいろとわかるのかもしれない。