パトリシア・ハイスミスのレビュー一覧
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ネタバレ最後まで読んでよかった。
途中まで睡眠を疎かにするほど夢中になって読み進めていたけど、テレーズとキャロルの距離が離れてから読むのが苦痛で仕方がなくて、この本との距離も離れてしまった。
今は晴れやかな気分で感想を書いている。この本はテレーズがモラトリアムを脱するまでを描いているのかな。そう思えば、テレーズの感受性豊かなところ、惚れっぽいところも納得できた。ただの恋愛小説ではなかった。翻訳が素晴らしく読みやすかったし、何よりどちらかと言うと地味で淡々としたストーリーなのに、読ませる力が凄い。情景が、温度や湿度が、感情が、全身に染み渡ってくるような文章だった。
言葉にできない感想が沢山ある。言葉にしないままでいたい。こんな本に人生であと何度出会えるだろうか。
これからあらすじを読むのが楽しみ。 -
Posted by ブクログ
『太陽がいっぱい』
初めまして (*・∀・*)ノ ハーィ
パトリシア・ハイスミス さん♪
こちらの本は…
イタリアに行ったまま帰らない 息子 ディッキーを連れ戻してほしいと富豪に頼まれ、トム・リプリーは旅立つ。その地でディッキーは、絵を描きながら女友達マージとともに自由な生活をおくっていた。ディッキーに心惹かれたトムは、そのすべてを手に入れることを求め、殺人を犯す………… って内容です(≖ᴗ≖ )ニヤリ
1960年には…
アラン・ドロン主演で映画化になっている名作♪
そして1999年には マット・デイモン主演
「リプリー」で映画化されています♥
映像も素晴らしいのですが…
本も素晴らしかった・:*+.(( °ω° ))/.:+
トム・リプリーの頭の回転の速さ
トム・リプリーの運の強さ
トム・リプリーの"ずるがしこさ"
もう…ゾクゾクする心理描写なんです
物語の中でも……
彼には物への執着心があった。たくさんの物が欲しいわけではなく、数は少なくても、極上のものを持っているのが好きだった。それらはけっして手放さなかった。物を持つと、自尊心が生まれる。所有とは、虚飾ではなく、質であり、質を大事にする愛情なのだ。
こういう一文があるのですが……
痺れちゃうでしょ(*´艸`)フフフッ♡
読んでいても…共感しちゃうところもあるのね
1955年の作品とは思えない作品
そして…この作品はシリーズ化されています!
〇 太陽がいっぱい
〇 贋作
〇 アメリカの友人
〇 リプリーをまねた少年
〇 死者と踊るリプリー
ゆっくりね!
ゆっくり読んでいこうと思います!
ただ、しょうがないんだけど…
ひとつだけ言いたい!
登場人物ひとりに対して 呼び名?
3つも4つもあるのね!
あれには困っちゃうの( ・᷄-・᷅ )
誰っ?てなっちゃう(-^艸^-)ヘヘヘ
ふかわりょうさん の
【世の中と足並みがそろわない】でも言ってたもん
今回だって…リチャード がディッキーに
なっちゃうんだから(*´艸`)フフフッ♡
なんで?なんで? どうして? でしょ?
文句言っちゃったけど
それでも 素敵な名作でした✨️ -
Posted by ブクログ
クリスマスのとある本の交換会で送った本。送ったら再読したくなった。
クリスマス前のデパート。おもちゃ売り場で働くテレーズは一際輝きを放つ女性キャロルと出会う。この出会いが素敵なんだ!人混みのなかでも一瞬でバチっと合う感じ。
そこからお家に遊びに行ったり、車で旅に出かけたりと親しくなっていく。
キャロルの夫とのすったもんだもあり、一度は縁を切った2人だったが…。
終わり方もいいんだよな。余韻に浸りまくってる。あと数日浸れる。テレーズの成熟しきっていない精神面は30代になった自分でも共感できる部分がある。
作品中の「古典とは時代を超越した、人間の業を描くものだと思います」を噛み締めた。
テレーズの内面を細かく書いているのも、キャロルとのやり取りのセリフも翻訳がいいんだろうな。古典の雰囲気を感じられるし、読みやすい。 -
Posted by ブクログ
リプリーシリーズの5作目であり、最終作。
2作目『贋作』の続編にあたるため、3、4作目をすっ飛ばして、つい読んでしまった。
「ディッキー・グリーンリーフだ。おぼえてる?」リプリーが若き日に殺したディッキーを名乗る者から電話がかかってきた。一体誰が?なぜ…?
今まで殺人を犯しても罪悪感ゼロで過ごしてきたリプリーが、最終作では嫌がらせを受ける立場になる。
じわじわと追い詰められるリプリーを見ていると、最初は嫌いだった彼が可哀想に思えてきた。
シリーズを追うごとに、リプリーへの感情が「嫌悪」から「共感」へ、最終作では「応援」へと変化していったのは、自分でも驚きだった。
家政婦マダム・アネットの作る料理がとても美味しそう。今日のメニューは何だろう?と毎食ごとに楽しみになっていた。
朝食には庭で摘んだパセリと高級バターを入れたコドルドエッグ(半熟卵)、マダムが毎朝買いに行く焼きたてのクロワッサン。
庭に咲くダリアを一輪挿しにして食卓に飾ったり、庭の新鮮な花を友人宅へ贈ったり。
その日のメニューに合わせてワインを選んだり、フランスでの友人に囲まれた丁寧な暮らしが描かれている。
はじめはディッキーの真似から入ったけれど、いつしかリプリーらしい自分なりの優雅さを楽しんでいるように見えた。
リプリーは自分の邪魔をする相手には容赦ないけど、大切に思う人にはとても優しい。
はじめは損得感情で動いているように見えたけど、最終作では心から仲間を大事にしているように感じられた。その気持ちは家族や友人たちにも伝わり、リプリーが周りからも好かれている姿が印象的だった。
かつては誰も信じられなかった孤独なリプリーが、いまは妻のそばで安心して気を休め、家政婦マダム・アネットの献身的な働きぶりに癒され、友人たちに助けられながら、心から仲間を信じられるようになった。
その変化こそ、このシリーズの最大の魅力なんじゃないかと自分は感じた。(とはいえ、利己的な犯罪者であることに変わりはないけれど…)
これだけ悪事を積み重ねてきたリプリーを最後にハイスミスはどうするのか…それがずっと気になっていた。
この作品を書いた4年後にハイスミスは亡くなっている。
もし、もっと長生きしていれば続編が生まれたのかはわからないけど、自分としては、ハイスミスがこれを最終話として意識して書いたような気もする。
36年間もリプリーの人生を描き続けた、リプリーの“生みの母親”でもあるハイスミスにとって、(ネタバレになるので詳細は控えるけど)この結末は愛情あるかたちに思えた。
だからこそ、私はこの終わり方で良かったと思う。
ハイスミスにとってリプリーは、寄り添い続けてきた愛する息子のような存在だったんだろうな。
ちなみに、もう1つのハイスミスの代表作『キャロル』は、異性・同性にかかわらず、私は恋愛小説がどうも苦手で、途中で断念しました。 -
Posted by ブクログ
映画『リプリー』が大好きなので、原作をずっと読んでみたいと思っていた。
イタリアに行ったまま帰らない息子ディッキーを連れ戻して欲しいと、富豪に頼まれたリプリーだったが…
読んでいると、マット・デイモンとジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウの映像が自然と脳内再生される。
倒叙が大好きなので、「バレる!バレる!もうダメだ!」と何度も叫びたくなるような、ハラハラどころではない緊張感がたまらない。
肩が凝るほどの張りつめた空気に、「早くバレて、楽にしてくれ」と何度も願ってしまった。
イタリアの明るくて美しい景色と、リプリーの内面に渦巻く劣等感や不安が対照的。
リプリーは、あれほどの知性と鋭い観察力を持っていながら、なぜそれを良い方向に活かせなかったのか…悔やまれる。
自分は嘘をつくのが苦手なので、リプリーのように平然と次々に嘘を重ねていくのは、どういう心理状態なのか、興味が湧いてしまった。
この主人公リプリーから「リプリー症候群」と呼ばれる心理用語まで生まれたのは、実際にこういう人が現実にも存在するからなのだろう。
【リプリー症候群】
自ら作り出した嘘を現実のものと信じ込み、現実と虚構の区別がつかなくなる状態のこと。
「絶対にバレない」という恐ろしいほどの自信も、本人がそれを「真実だ」と信じているのなら納得がいく。
映画『リプリー』は、原作を忠実に再現していると思いながら読んでいたけど、結末が違っていた。
まさかの結末で驚いたけど、この結末にしたハイスミスがますます好きになった。
読後もリプリーのその後を想像してしまうような、心に残る余韻が良かった。
映画『リプリー』も、この原作もどちらも同じくらい好き。
じわじわと狂気に変わっていくハイスミスならではの心理描写は、以前に読んだ『見知らぬ乗客』にも共通していた。
ハイスミスの違う作品をまた読みたい。
最近いろんなことがあって、本を前ほど楽しめなくなっていたけど、この作品は久しぶりに没頭できた。ハイスミス、ありがとう。
こういう倒叙が何よりも好きなので、迷いなく★10でした。 -
Posted by ブクログ
素晴らしい…
なぜも、こんなに、惹き込まれるのか。
まるで動く絵画を観ているかのような小説。
しかし、二度と叶わない望みとしては、、
映画を観る前に原作を読みたかった。
私は『リプリー』→『太陽がいっぱい』→『原作本』の順だったのだけど、
リプリーの印象があまりにも強烈すぎて……
終始マットデイモンとジュードロウ、ホフマン、パルトロウの姿で物語が進行していく笑笑笑
かなり不思議な感覚だったなあ
もしかしたら、このイマジネーションは映画を観た故のものだったのか……
ガチ記憶喪失でもしない限り、映画の影響ゼロで読むことは叶わないというもどかしさ。
しかし逆に言えば、だからこその楽しみ方ができたんだもの、ポジティブに考えよう。笑
実際、読んでいると「リプリーですら全然原作と違うー!太陽がいっぱいなんて、ほぼ全部違うー!」となってその意味でも驚きだった。
そして私、映画『リプリー』が大好きなのだが、事実の部分ではわりと原作と異なるものの、その奥にあるマインド的な部分をかなり原作に近い形で表現していて、アンソニーミンゲラすげえ…!ってなった。
そう思うとやっぱり、例え映画を先に観ていなくても、本書を読んだら同じような印象を受けたのだろう。
もしかすると、映画の『太陽がいっぱい』ファンの人にはあまりこの原作は刺さらないのかも?(知らんけど)
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ネタバレ世界的に有名なサスペンス小説家パトリシア・ハイスミスの作品。具体的な、もしくは小手先のテクニックではなく、すべての物語りを作る人に向けて書かれた指南書だった。
ハイスミス自身はサスペンス小説家という枠に捉われることなく、自身の心にある世界をただ描き続けていただけだったようだ。
第1章 アイディアの目
第2章 主に経験を用いることについて
第3章 サスペンス短編小説
第4章 発展させること
第5章 プロットを立てる
第6章 第一稿
第7章 行き詰まり
第8章 第二稿
第9章 改稿
第10章 長編小説の事例『ガラスの独房』
第11章 サスペンスについての一般的な事柄
本書を読むとパトリシア・ハイスミスの作品を読んでみたくなる。不思議だ。
事細かに書くのも違うと思うので、私が好きだった文章をいくつか引用しておこうと思う。
ーーカタツムリやシーラカンスや、不変の形態を持つ他の有機生命体と同じように、政府が夢想されるよりはるか以前から、芸術家は存在し、生き残り続けているということだ。
ーー才能はもちろん魔法のようなものだが、物語ることそのものが同じだけ魔法なのである。 -
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ネタバレ面白いミステリー書かれるだけあって、話の展開がとても秀逸。特にニョーヨークで2人が再会した場面からラストにかけて。
幸せの絶頂から一気に地に落ちて、神様のような存在だったキャロルは自分と変わらないただの人間だと気付いて…
そうしたテレーズの変化を察しながらも一緒にいたいと願うキャロルの純粋な思いに胸が締め付けられるほど切なくなった。
前半は超然とした、余裕のある大人の女性だったけど、だんだんと人間味が出てきて、臆病なところも垣間見えてくるキャロルのことが読んでいて大好きになってしまった。
別れを経て、華々しい世界に足を踏み入れようとするテレーズは、キャロルとの経験を踏み台にできる若さがあって。
ああそうやってキャロルも思い出にしていくのか、あの燃えるような恋心も若さゆえの一時の感情にすぎなかったのかと虚しくなってしまったんだけど、、
愛のある結末で良かった。 -
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ネタバレディッキー事件のあと、結婚しパリ郊外に住んでいるトムの元にロンドンから「至急来てくれ」と一本の電話が入る。トムの一言からはじまった現代画家の贋作事業が、コレクターの一人に勘付かれたのだ。死んだ画家のダーワットに変装しコレクターのマーチソンと対峙したトムは贋作疑惑を晴らすため画策するが、仲間の一人であるバーナードが罪悪感から思わぬ行動にでてしまう。「太陽がいっぱい」で逃げおおせたトムが新たな詐欺に手をだし、自ら境地に追いこまれていく、トム・リプリーシリーズ第二作。
死ぬまで売れなかった現代画家を、その悲劇によって売りこみ、贋作でビジネスをするというのが皮肉で面白かった。ダーワットが有名になったのは贋作仲間たちがつくりあげたストーリーゆえであり、人びとはその虚構に金を払うのだということをトムは掴んでいて、そこに罪悪感は微塵もない。
しかし、生前ダーワットの友人であり、今は彼の贋作画家になってしまったバーナードが苦しんでいる理由はトムには痛いほどわかるのだ。ディッキーとの日々となりすましの逃亡劇を直接振り返ることはないが、トムはバーナードに過剰な共感を寄せ、己に重ねている。
だが、トムの思いはバーナードには伝わらない。バーナードにとってトムは贋作事業の言いだしっぺであり、己の罪をより大きくした張本人だ。トムは自分を殺そうとしたバーナードを許していると伝えたくて追いかけていくが、その行為がむしろバーナードを追い詰めていく。
トムの悲劇は、自分も誰かを愛することができると信じたいと願っているのに、結局は保身と引き換えに孤独を選んでしまうことにある。演じるのが癖になっていて、自己開示が下手なのだ。なのに相手には過剰に感情移入してしまうから暴走していく。
今作ではそんな〈役者〉トムのことを少ない言葉で理解してくれるキャラクター、妻のエロイーズが登場したのも嬉しかった。表面上は浮ついた感じのする女性だが、トムが本当にケアを必要とするときには思いやり深くなり、鋭い助言もしてくれる魅力的なキャラクター。トムが強く愛したいと衝動を感じるのは男性なのかもしれないけど、一緒に生活するならエロイーズみたいな人がいいよね。ハイスミスは現実的だなぁ。
当の殺人のきっかけはバーナードのためというよりトム自身がいらんこと言ったせいだったり、そもそもディッキー事件で顔が知られている描写がありながら簡単に変装して警察まで騙しおおせるのは都合がよすぎるなど、前作同様、犯罪小説として緻密というわけではない。だがハイスミスの真骨頂はトムの心理描写にあるというのを今回もまざまざと感じられた。読者もトムと一緒にバーナードの行動に翻弄される分、サスペンスとしては前作を上回っている。
緊張感にあふれた死体遺棄の共同作業、地下室に残された身代わりの首吊り人形、殺人未遂とトムの仮死、自殺を見届けて一人で無理やり火葬など、好きな展開が次から次へと続くのでご褒美のような小説だった。終盤はややグダつくが、ザルツブルクでの追走劇は〈幽霊視点の怪奇小説〉のような幻想的な書き方がされていて、ホフマンみたいで好きだった。そのあと森でガンジス川のほとりみたいに雑に死体を焼く。この雑さがほんと最高。
犯罪もののBLが好きな人でまだ読んでない方は、ぜひトム・リプリーシリーズを読んでみてほしい。全然相互Loveにはならないので、〈二人だけの短く甘い記憶〉のパートは全くないけど。 そう思うと『黄昏の彼女たち』と本書は対照的な共犯関係を描いているなぁ。