リプリーシリーズの5作目であり、最終作。
2作目『贋作』の続編にあたるため、3、4作目をすっ飛ばして、つい読んでしまった。
「ディッキー・グリーンリーフだ。おぼえてる?」リプリーが若き日に殺したディッキーを名乗る者から電話がかかってきた。一体誰が?なぜ…?
今まで殺人を犯しても罪悪感ゼロで過ごしてきたリプリーが、最終作では嫌がらせを受ける立場になる。
じわじわと追い詰められるリプリーを見ていると、最初は嫌いだった彼が可哀想に思えてきた。
シリーズを追うごとに、リプリーへの感情が「嫌悪」から「共感」へ、最終作では「応援」へと変化していったのは、自分でも驚きだった。
家政婦マダム・アネットの作る料理がとても美味しそう。今日のメニューは何だろう?と毎食ごとに楽しみになっていた。
朝食には庭で摘んだパセリと高級バターを入れたコドルドエッグ(半熟卵)、マダムが毎朝買いに行く焼きたてのクロワッサン。
庭に咲くダリアを一輪挿しにして食卓に飾ったり、庭の新鮮な花を友人宅へ贈ったり。
その日のメニューに合わせてワインを選んだり、フランスでの友人に囲まれた丁寧な暮らしが描かれている。
はじめはディッキーの真似から入ったけれど、いつしかリプリーらしい自分なりの優雅さを楽しんでいるように見えた。
リプリーは自分の邪魔をする相手には容赦ないけど、大切に思う人にはとても優しい。
はじめは損得感情で動いているように見えたけど、最終作では心から仲間を大事にしているように感じられた。その気持ちは家族や友人たちにも伝わり、リプリーが周りからも好かれている姿が印象的だった。
かつては誰も信じられなかった孤独なリプリーが、いまは妻のそばで安心して気を休め、家政婦マダム・アネットの献身的な働きぶりに癒され、友人たちに助けられながら、心から仲間を信じられるようになった。
その変化こそ、このシリーズの最大の魅力なんじゃないかと自分は感じた。(とはいえ、利己的な犯罪者であることに変わりはないけれど…)
これだけ悪事を積み重ねてきたリプリーを最後にハイスミスはどうするのか…それがずっと気になっていた。
この作品を書いた4年後にハイスミスは亡くなっている。
もし、もっと長生きしていれば続編が生まれたのかはわからないけど、自分としては、ハイスミスがこれを最終話として意識して書いたような気もする。
36年間もリプリーの人生を描き続けた、リプリーの“生みの母親”でもあるハイスミスにとって、(ネタバレになるので詳細は控えるけど)この結末は愛情あるかたちに思えた。
だからこそ、私はこの終わり方で良かったと思う。
ハイスミスにとってリプリーは、寄り添い続けてきた愛する息子のような存在だったんだろうな。
ちなみに、もう1つのハイスミスの代表作『キャロル』は、異性・同性にかかわらず、私は恋愛小説がどうも苦手で、途中で断念しました。