荒木飛呂彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレなんだなんだ、露伴先生可愛い服装だな!とか顔も丸みが出て可愛くなったな、とか思いつつ読んでいたが、エピソード11が手塚治虫風の入り方というか、これは引き込まれるし…読者を取り込む時に横殴りで入ってくるやり方もあるのだが、こういう風に礼儀正しく入ってくるとそれは泣いてしまう。
ぶっちゃけ現在の温暖化状況どうにもならんという事実もあり、なんというか…
ラスト京香が本当に愛らしい。しかし編集者としての京香と人間としての京香でこう動く京香の肝っ玉よ。
ブルスケッタ。これも露伴先生若くなったなと思いつつ見ていたのだが、話が怖い怖い。途中からなんだろう、エピソード11に古い映画の作法(ダイナミックな切り繋ぎというか)が見られるのも感じたが、こちらもヒッチコックか何か的なダイナミックさが怖い。
単純に、怖い目に遭いたく無いという気持ちというか。
それが顔に丸みが出て人間味が出て柔らかくなった印象の露伴先生が子供を心配するという偉業を成し遂げていて、心動かされて結局泣いてしまうのだが、怖いのか感動なのか自分でもあやふやだ。
結局、京香も露伴先生も人間として器が広くなって成長したんだろうなあというのを感じるというか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレなんだなんだ、露伴先生可愛い服装だな!とか顔も丸みが出て可愛くなったな、とか思いつつ読んでいたが、エピソード11が手塚治虫風の入り方というか、これは引き込まれるし…読者を取り込む時に横殴りで入ってくるやり方もあるのだが、こういう風に礼儀正しく入ってくるとそれは泣いてしまう。
ぶっちゃけ現在の温暖化状況どうにもならんという事実もあり、なんというか…
ラスト京香が本当に愛らしい。しかし編集者としての京香と人間としての京香でこう動く京香の肝っ玉よ。
ブルスケッタ。これも露伴先生若くなったなと思いつつ見ていたのだが、話が怖い怖い。途中からなんだろう、エピソード11に古い映画の作法(ダイナミックな切り繋ぎというか)が見られるのも感じたが、こちらもヒッチコックか何か的なダイナミックさが怖い。
単純に、怖い目に遭いたく無いという気持ちというか。
それが顔に丸みが出て人間味が出て柔らかくなった印象の露伴先生が子供を心配するという偉業を成し遂げていて、心動かされて結局泣いてしまうのだが、怖いのか感動なのか自分でもあやふやだ。
結局、京香も露伴先生も人間として器が広くなって成長したんだろうなあというのを感じるというか。 -
ネタバレ 購入済み
序盤から更に盛り上がる
序盤の少し緩い展開から盛り上がる7巻。砂漠に埋まる謎の遺体の正体はまだ謎だが、手に入れた時の強力な力は、それぞれのキャラクターにとってとても魅力的で、誰もが手に入たがる素晴らしい力。遺体の一部の右目を手にしたジャイロの鉄球がさらなる力を宿したシーンは、テンション上がる。荒木先生の絵も超絶うまく、静止画ではなく、アニメーションを見ているかのよう。次巻が、早く読みたい。
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Posted by ブクログ
ネタバレ『武装ポーカー』から『第三部』まではまあまあ熱心なフォロアーだったので、本書の内容にも幾つか隙を見いだせる。
1つ目は身上調査書。本書は氏の業績の集大成ではあろうから、若き日のことをつついても仕方がないとはいえ、その頃のファンであれば、シーザー・ツェペリは誰の孫ってことになったんでしたっけ?という思いを抱くことは禁じ得ないであろう。
2つ目は達人画。本書ではそれは達筆の一種とされ、見るものを置き去りにして書いたものが悦に入っているようなよくない絵と定義されている。
今ではジョジョ立ちとして知られる荒木飛呂彦氏のモードはファッション業界から獲得したものだとされているが、本当でござるかというのが積年の思いで、端的に言うと天野喜孝の影響を受けたのではないかと睨んでいる。
手首を妙な角度にした、韻に乏しい立ち絵やバストアップというのは天野喜孝の手抜き仕事の代名詞みたいなもので、この手の量産品のせいで80年代中頃には氏の絵に熱狂していたのに80年代終盤には嫌いになっていた。FFの頃にはもう嫌い。天野喜孝の手抜き画バストアップのようなものを、ジョジョ第二部の頃、コミックの余白によく見かけた。ここでいう達人画というのはそれを指すのではないかと解釈している。
3つ目は空から降ってくる魔法の剣。「デウス・エクス・マキナ」はよくありませんよという意味の言葉だが、承太郎がDIOに勝利できた理由を明確に語れない時点で語るに落ちている。
不遜にも、アオキホノオのホノオモユルが高橋留美子やあだち充に抱いた「かわいそう」感のようなものを、荒木飛呂彦に抱いたことがある。みんな好きじゃないかもしれないけど、ボクは好きだというやつだ。創作好きなら一度や二度は密かに思い抱くものであろう。
そんな思いを抱いた相手であるがゆえに、ツッコミはしたもののいまさら減点をつけたりだとか、正解を求めるという類のものではない。長い付き合いのあったものを愛で楽しむという類のものだ。