ついに、大台に乗った。(1)を読んだ時点で、伸びしろのある面白さに気付いていたので、驚くほどではなく、むしろ、喜びの方が強い。これは、漫画読み特有の感覚だろう
ともあれ、雨隠先生、ありがとうございます。これからも、美味しく食べさせていただきますので、末永くよろしく
あくまで、私個人の印象だけど、(10)まで出たっつーか、(10)まで私らが応援でき、雨隠先生がそれに応えてくれたのは、ストーリーが良かったからだ、と思う
失礼な言い方かもしれないけど、雨隠先生の絵は、小川悦司先生や西条真二先生、佐伯俊先生と比較すると、上手くない気がする。いや、絵そのものは上手いのだが、出来上がった料理の描写が例に挙げた先生の作品と比べると、リアリティに欠けるっつーか、ズガァァンと来るインパクトに欠ける?
まぁ、この三人の作品はアイディアが光る、とんでもない料理が売りの漫画だから、比較対象にするのが間違っているのかも知れない
それに、雨隠先生の絵柄で表現される料理は、優しくて温かくて、何より、美味しそうだ
そんな、読み手の心をグッと掴むのではなく、フワァと包み込むような絵柄が、ストーリーの良さを根っこで支えているな、と私より目と舌が肥えている漫画読みなら、とっくに気付いているだろう
(10)って節目もあってか、その特徴が実に顕著だ
青春、友情、家族、成長、葛藤、恋愛、自己嫌悪、他者肯定、切磋琢磨、喜怒哀楽と言った材料を大鍋にぶち込み、丁寧にコトコト煮て、味を繊細に整えているからこそ、この垂涎必至の人間ドラマが出来ている
ホームコメディとしても、ラブコメとしても、十分に楽しめるからこそ、読み手は最新刊を待ち遠しく思えるんだ
この『甘々と稲妻』を読むと、しみじみ、子供は可愛いもんだ、と感じる
もちろん、下劣な意味は微塵もなく、つむぎや小鳥らが、成長過程でぶつかる壁を懸命に越えようとしたり、違う道はないかなと探したり、力技で穴を開けようとしている様は、見ていて実に微笑ましい
まぁ、そんな気持ちになるのは、私が年を取り始めている証拠かもしれない。学生時代に、この『甘々と稲妻』を読んでいたら、もしかすると、違った印象を受け、下手すれば、途中で飽きていたかも知れない。それを思うと、少し、ゾッとする
また、この『甘々と稲妻』は、そんな頑張る子供らを心配そうに見つめ、けど、必要以上に手を出すのは我慢している親たちの姿にも、胸が温かくなるのも魅力だ
つむぎに近い年齢の子、小鳥に近い年齢の子がいる、マンガ好きの親の中には、この『甘々と稲妻』を読んで、自身が直面しているトラブルを解決する糸口を見出した者もいるんじゃないだろうか。いたら、雨隠先生や担当さんと同じくらいに嬉しい。何で、お前が、と言ってはいけない
これまでの巻と同じく、いや、もしかすると、今まで以上の高さ、厚さ、エグい角度の付いた壁に、つむぎと小鳥は対峙した。そして、逃げずに立ち向った。きっと、それは彼女達が成長したから
お金の持つ力を知ったり、自転車に乗る事に挑戦したりする反面、誰かに対して嫌な気持ちになる汚い自分に気付いて、ショックを受けるつむぎ
復縁問題で自分の気持ちを掻き乱す父母に本音をぶつけた一方で、進路が決定した事で自分が、これから、どうしたいのか、犬塚父娘に対して抱いている気持ちが「特別」だ、と自覚した小鳥
ほんと、エールを送りたくなる
次の巻では、子供らがどんな壁にぶつかり、周囲の大人が攻略法が見つからず、参ってしまっている子供に、どのようなアドバイスやサポートをするのか、楽しみだ
もちろん、料理も楽しみである。この『甘々と稲妻』から料理の要素を外したら、魅力が半減するのは間違いない
個人的に、この(10)で食欲を刺激されたのは、その47「お祝いのすき焼き」だ。日本人特有の感覚なのかもしれない、すき焼きが特別な日の食べ物ってのは。焼肉やステーキも好き、だけど、すき焼きは別格で、晴れの日に食べたい物って思っている日本人は地味に多そう
この台詞を引用に選んだのは、綺麗事だなぁ、と思ったので。もちろん、誉めている。まず、不可能だが、世界の人間が、こんな風に考えて、他者に接する事が出来れば、戦争も犯罪もなくなるだろうに。人間、嫌な事も、嫌な奴もいる、それは当然だ。けど、嫌いな奴に意地悪するのが許されるって訳じゃない。嫌だ、と感じた事には、ハッキリと「NO」を言い、それ以上の事をしなければいい。自分で言ってもダメなら、誰かの力を借りたっていい。そんで、自分を嫌な事から助けてくれた人を、今度は自分が助けてあげればいい。そうすれば、天国に行ける訳じゃないけど、少なくとも、自分の心が汚くなっていくのだけは避けられる・・・かも知れない。そう思いたい