大久保博のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ウォルトディズニーが少年時代に愛読していたと知り、同じように感じで見たくて完訳を読んでみた。
1876年に書かれた、更に外国の児童文学を読むなんて初めてで途中で挫折すると思いきや、最後までワクワクしながら読んでしまった。1989年生まれ。
特に当時の子どもの姿が生き生きしていたのが印象的だった。
おもちゃや公園がなくても小さな虫を眺めたりいじったり。ゴミのガラクタを物々交換したり。私も子ども時代があり、今子育て中なのだが、子どもは何も与えなくても自ら生み出す力があるんだと再認識させてくれた。
またトムの女の子に対する態度やベッキーの乙女心も懐かしい様に思う。彼らのように甘酸っぱい、悔しいような、惨めで恥ずかしいような言葉にするのが難しい気持ちを子ども時代に経験したもんだ。
150年前の人と気持ちは変わらないんだな。この本は当時と今を結んでくれる。またそう感じさせてくれるマークトウェインはやはり素晴らしい!
トムのように好奇心旺盛でなんでもしたくて危険も顧みない。子どもはみなそれが本能だと思うが今はどうだろう?監視社会、過保護。大人でも窮屈だが、子どもはもっと窮屈に感じているんじゃないか?育児にもう少し余白を与えたいと思った。
また昔のアメリカは教会が日本でいう自治会のような存在だと聞いたことがあるが、それがよく分かった。村で何か起きるととりあえず教会集合、毎週日曜日は村人全員が集まってミサ。
村全体で悲しみ、喜び、危険があるとみなで協力する。トムが何度か行方不明になるのたが、警察は出てこなった。村人が自主的に探していた。
よく考えてみれば、集団の一人一人が守る意識をもり、備えていれば警察なんていらないよね。
昔の児童文学をよんでここに書けない子ども考えさせられた。素晴らしい経験。
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Posted by ブクログ
1876年に出版されたアメリカの小説。ミシシッピー川のほとりの小さな町に暮らす少年トム・ソーヤーが仲間たちと共に繰り広げる事件や冒険をユーモアたっぷりに描く。今作の続編である『ハックルベリ・フィンの冒険』と併せて、後のアメリカ文学に大きな影響を与えた。
この本を読んだきっかけは、カート・ヴォネガットが最も影響を受けた作家にトウェインを挙げていたからだ。二人の語り口は、とても良く似ている。しかしさらに調べてみるとアメリカの作家が一様にトウェインの名を挙げていた。
『トム・ソーヤーの冒険』のタイトルは誰でも知っている。児童書で大人が読むものではないように思っていた。しかしこうして読んでみると、大人にこそ読んでほしい。
今から150年近く前に書かれた小説だが、自分の少年時代と重ね合わせても大いに共感できた。子ども頃の感覚、宝物のように大事にしてた石ころや、友だちと飛び降りた川、学校の授業、子どもにとって何が大事で、退屈とどれだけ戦っていたか、痛いほどよく分かる。さらにトムの周りの大人たちの気持ちも。
マーク・トウェインの文章の巧みさ、人間社会の本質を捉える観察力、皮肉を交えながらも温かみのあるユーモアのセンス。世界中で公演を行っていたことからも、とにかく話の面白い人だったのだと思う。子どもに向けて平易な文章で書かれているが、人間の心の動きをしっかりと捉えている。35章全てが短編としてもよく出来ていて面白い。名人上手な落語のようだと思った。
落語と似ている点として引用したいのが、立川談志の言葉「落語とは業の肯定である」。トウェインは決して、偉大な人物になりなさいなどとは言わない。大人たち(もちろん子どもたちも)の狡さをそっと教えてくれて、建前では大義名分を語りながらも、本心は個人の欲求(業)を満たそうとしているのだ。それを「人間らしさ」として優しく肯定してくれる。
マーク・トウェインが発明したのは、誰でも楽しめる物語なのだと思う。それまでの文学のほとんどは知識や素養がある人が読むものだった。『トム・ソーヤーの冒険』を読むのに知識は必要ない。奴隷制度が残る時代であるため、当時の風俗(人種差別的な表現や、体罰、子どもの飲酒、喫煙など)を理解するためには、歴史を少し学ぶ必要はある。しかし物語の本筋は、人生を素晴らしくするものを、真正面から描いている。冒険とは人生の退屈をまんまと出し抜くことなのだと教えてくれる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私は純粋に、冒険小説としてこの物語を楽しみました。各章ごとに続きが早く読みたくなるように物語が展開されており、ハックと同じようにハラハラドキドキしていました。しかし、冒頭で著者のマーク・トゥウェインが述べているように、この本の主題は単なるハックの大冒険ではありません。一連の物語を通して、著者はものすごく深いメッセージを読者に送っていたのです。最近の小説でも、物語を通して何かメッセージを発信することはよくありますが、大抵の場合はメッセージの方が物語よりも意識されすぎているか、メッセージが高度すぎて物語の面白みが欠けるかのどちらかになってしまっているように思います。この本のすごいところは、メッセージと物語のバランスがとてもよく、メッセージを読み取れなくても冒険小説として楽しめるし、メッセージを読み取れればその物語へのメッセージの見事な浸透具合に感動させられるはずです。最近ではあまりみることのできない、著者のメッセージと物語の秀逸な融合を「ハックルベリ・フィンの冒険」で味わえます。
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ハック・フィンとの冒険が終わってしまった。
これが、この本を読み終わったときの最初の感情だった。
この本は、たくさんのものが詰まっている。
黒人奴隷、キリスト教的道徳観、詐欺、集団リンチ等々。
そういう点は非常に興味深く映る。
ただ、なにより主人公ハック・フィンが魅力的なのだ。
自由を求めて、故郷も財産も捨て冒険に出るハック。ハックは人を助けるときや物を盗むとき、それは善いことなのか、正しいことなのか、いつだって一生懸命悩み、考える。賢いわけでも格好いいわけでもない。だが、たまらなく愛しいのだ。
著者は冒頭にこう記している。
「この物語に主題を見つけようとする者は、告訴されるであろう。教訓を見つけようとする者は、追放されるであろう。…」
この本は、時代背景や倫理観等の描写から多くの評価を受けている。
しかし、この作品で第一に楽しむべきは、ハック・フィンとの冒険そのものなのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ハックの精神的成長を描いた作品。
黒人奴隷ジムの逃亡幇助をめぐる、
人間的かつ道徳的な「健全な判断を下せる心」と
奴隷制度を容認する南部社会が生んだ「歪んだ良心」との葛藤が素晴らしい。
原子力発電の推進を援護する方々に、ハックが持っているような「人間として何が正しいか」という意識を持ってもらいたい。
まあ表向きにはハックの成長がこの小説のテーマみたいになってるけど、(おそらくそれはトウェインが講演旅行の下準備のノートブックでの言葉がそうさせている。すなわちトウェインは、道徳的危機に際して、へたな修練を積んだ良心などというものよりも健全な判断を下せる心が、より安全に人を導いてくれるという考えを持っていて、『ハックルベリーフィンの冒険』でそれを描いたと言っている。)おそらくは「歪んだ良心」だらけの社会で、いかにして「自由」をつかむか、という自由への模索と、文明への懐疑がテーマである。
トウェインは主人公ハックの成長から、孤独という状態から孤高というフェーズがその答えであると見出したように私は考える。 -
Posted by ブクログ
Pipoさん、ありがとうございます!堪能しました。「SFの元祖」(カヴァーより)とか、どーでもいいです。…、ってくらいに、面白かった、です。面白がりながら、ちょっと切なくなったりもしました。例によって引用しますが、「コネチカット生まれのちゃきちゃきヤンキー」「中世円卓の騎士」「アーサー王」「…現代文明を痛烈に批判」、なんて謳い文句を「ほほー、面白い!」と感じる方に、お薦めします。何よりも、マーク・トウェインはジャーナリストだったんだ、ということを、身に凍みて思い知らされました。もちろんパロディではあるけれど、単に「オモシロオカシイ」だけのパロじゃ、ない(これこそ、ホンモノのパロディの真髄です)。「批判」は、現代(刊行1889年?当時)とともに、円卓の騎士の時代に対しても、つまり「なべて人間社会」への、大いに痛烈なる批判となります。面白かったから、詳細は省きます。だって、細かい描写がいちいち可笑しいし、「あー、そう言われればそーだよね!」の連続ですから。多数の挿画(ダニエル・カーター・ビアドによる)が、また魅力的。ちょっと分厚い「大人向け文庫本」ではありますが、第四十四章まで分けられていて、それぞれタイトルが附されています、児童書としてもじゅうぶん。やっぱり、トムとハックと、そして「不思議な少年」のトウェインだ!最後に「しまった!」を一言。「トウェインの、こんな面白いのを見つけたよ!」って、自分の手柄のようにして報告した(Pipoさん、ごめんなさい)のに、わが父からは、「あぁ、あれね、挿し絵がたくさんあっていいだろ?」と一蹴されたこと。お父さん、いつこんな本読んでたの?まずもって、「A Yankee at the Court of King Arthur (A Connecticut Yankee in King Arthur's Court)」ってだけでも、タイトル賞!
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Posted by ブクログ
人間は外部からの影響でしか何かを生み出すことができないという刺激的かつ挑戦的な論が展開され、非常に興味深かった。
特に、善行の話は凄く面白かった。人が善行するとき、その人は外からの目線や、自分の良心に耐えられないなど結局は自分自身を第一に考えているというのは凄く納得してしまった。
人間は機械だとするこの論は一見酷いものだと思うかもしれないが、勇気づけられる人もいるのではないかと思った。とある選択をずっと後悔して悩んでいる人や、自分の勇気の無さに嘆いている人などには救いとなるような気がする。ともかく、これが良い悪いではなく、一つの考えとして吸収できて良かった。