高橋弘希のレビュー一覧
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本作は、短編5編をまとめた書籍である。書名の「叩く」とは、第1編の主人公が「タタキ」となり金銭を盗む刹那、「タタキ」の紹介者に裏切られて殴打され、意識が戻るところからはじまる。面が割れ、このままでは捕まる。いっそのこと住人を殺害するか逡巡する心の揺れ。社会不適応やギャンブル依存となって生活困窮し、「タタキ」=犯罪に手を染めた自身の自堕落的生活を回想する。生育歴も含めて、自分が直面してる現実と思考のズレに主人公が気づいていない課題を浮かび上がらせる。第2編のアジサイにおいても、体調不良の妻を気遣うつもりで、外食を外ですませて帰ってくる夫。そんな夫に三行半を突きつけた、妻の気持ちが理解出来ない家父長制にどっぷり浸かった夫の認識のズレが際立つ。他編では、開発と環境破壊の問題、東日本震災で父を亡くした女子高生の日常生活と父への思いが溢れる。人間の深層心理をあぶり出し、登場人物は自分かもしれないと感じる作品でもあった。
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大好きな小説。何年ぶりかの再読だけれど、当時と同じ強さで文章から滲み出る痛みを感じた。
癒えない痛みに耐えながら生きなければならないというのは、どういうことなのか。そして、何もできなかった無力感をずっと抱えながら「自死遺者」として残されるというのは、どういうことなのか。
朝の会で、たくさんの言葉を持ち寄って考え続けていけたらいい。
絞り出される言葉は痛みだけれど、それをくりかえして降り積もっていくものは、きっと痛みではないと思うから。
〈帰路、Aに手を引かれて、病院前に広がる春先の庭を歩きながら、ピンの欠けたオルゴールを想像しました。今まで響いていた和音から、少しずつ音が欠けて、一つの楽曲から、音符が差し引かれていきます。音符が差し引かれたまま、オルゴールは廻り続け、旋律とは言えない、音楽とも言えない、奇妙な響きを奏で続けます。人生は少しずつ消費するものではなく、ぽろぽろと欠けていくものかもしれない、白日の下に、そんなことを思いました。〉
〈デプレッションは選択肢の消えていく病であるが、確かに僕の選べる未来は次第に限られていった。僕は幼少期に縁日で見た〝千本引き〟と呼ばれるくじ引きを思い描いた。あの赤い紐の先に景品が付いているくじ引きである。赤い紐の束が少しずつ減っていき、残った数本の紐を引いてみると、そこには〝首吊り〟だの〝飛び降り〟だの〝服毒〟だの記してあるのだった。〉 -
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高橋弘希『送り火』文春文庫。
第159回芥川賞受賞作。標題作に加えて、『あなたのなかの忘れた海』『湯治』の単行本未収録の2篇も収録。
『指の骨』を読み、久し振りに凄い文章力と表現力のある新人作家が現れたものだと感心した。本作の標題作『送り火』でも冒頭から選びに選び抜いたであろう言葉を何度も噛み締めたくなるような淡麗で毅然とした文章でつなぎ、読み始めると目の前にその光景が広がって来るようだ。
『送り火』。芥川賞受賞作。
強烈なインパクトを感じる作品。自分も田舎の町に転校した経験があるが、田舎では暴力や肉体闘争が日常だった。都会では勉強の出来不出来で個人の評価が決まるが、田舎では運動能力や腕力の方が個人評価の尺度となる。本作の暴力描写について賛否両論があるようだが、確かに終盤に描かれる暴力の描写は常軌を逸しており、序盤から中盤にかけての文学小説が終盤一気に残虐ホラー小説へと変貌する。
春休みに東京から青森の山間部の田舎町に引っ越した中学三年生の歩。転校先の翌年に廃校となる中学校は生徒の数も少なく、歩はすぐにクラスの中心人物の晃と仲良くなり、クラスの仲間とも馴染んでいく。しかし、歩は仲間内でゲームのように扱われる『暴力』に違和感を覚える。夏休みに晃から河に火を流す地元の習わしに誘われた歩は……のどかな田舎の全てが偽りだったのか……歩のその後が気になる。
『あなたのなかの忘れた海』。
結局は何も起きないが、人生の儚さを感じるブンガク、ブンガクした短編。最後に『あなたのなかの忘れた海』というタイトルの歌の歌詞が収録されている。この歌に着想を得た短編ということだろうか。
舞台は銚子市の海鹿島海岸。冒頭は鈴音の夫の視点で物語が始まるが、直ぐに鈴音の視点に切り替わり、その後、鈴音の夫は登場しない。9歳の時、鈴音は海鹿島海岸で水死体を発見する。12年後、東京から実家の銚子市に帰省した鈴音はまるで9年前の水死体に取り付かれたかのように水死体のことを調べる。
『湯治』。
大手の商社に勤める34歳の佐藤宏は左足の古傷の疼きを癒すために足柄下郡の民宿へ湯治に訪れる……
湯治の宿で見たことが綴られるだけで、山も谷も無い。
本体価格620円
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日曜日なので、文庫で再読しました。
高橋さんもっともっと読みたいですが、書くのしんどいのかなーと思ってしまいます。
日曜日の人々は読んでいる方もしんどくて、今も不眠症を患っている身としては吉村の言うことすごくわかる…となります。
「不眠は昼に肉体を蝕み、夜に精神を蝕む」拒食も過食も不眠も自傷の一種です。
言葉にすることですくわれたり、言葉にすることでますます呑み込まれていくのもわかる気がします。わたしはたまたま軽くなる方だっただけ。
「人生は少しずつ消費するものではなく、ぽろぽろ欠けていくものかもしれない」
高橋さんの文章は痛むのですが、痛みを伝えるために表現を徒に過剰にしてなくて好きです。淡々としています。 -
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ネタバレ90年代、ココロ系と呼ばれるウェブサイト群があり、BBSで悩み相談や薬の情報交換をしていた。
当時は確か匿名が当然という感覚は薄く、各々ハンドルネームをつけていた。
おそらくそんなふうな「REM」が、ゼロ年代になってセルフケア手前の集会を開いて……という。
まず押さえておくべきは、少し昔の話だということだ。
決してリアルとは感じなかった。
いちいちモノを書くなんてまだるっこしくて。
また話の運びも結構都合に拠るところがあるし。
しかし、漱石「こころ」(の草稿の分量!)や春樹の持って廻った台詞に、リアルではないと知りつつもリアリティを感じてしまう、感じ方がある。
要は小説内での確かな手ごたえというものがある。
この小説にも、ある。
春樹をつい引き合いに出してしまったが、道具立ては結構似ている。
語り手の流され具合。開幕直前に同年代の女の子を自殺で失くしている(「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」)。無闇に好かれる。
ただし書き方は違うのではないか。
春樹は暗い洞窟を手探りしながら書いていくので、まだるっこしいし停滞している、そこが良くも悪くも特徴。
高橋弘希はおそらく、きちっと全体を見通した上で、描写していく。
だから時に計算っぽくなるが、それもまた個性。
話の筋はまあそういうものとして、細部が好きなのだ。
送られたダイエットシェイクとか、摂食障害者がなぜか買ってきてくれたロースカツ弁当とか、ピザとか、あんぱんとか、なんでもないぬいぐるみとか、熱くなったアスファルトとか、数珠のような葡萄とか、チョコレートパフェとか、海苔に歯痕の窪みができたおにぎりとか、丸っこい小ぶりのおにぎりとか、傷痕に張った薄皮とか。
思い付く限り書いてみたが、うーん結構食べ物が多いな。
ということは、ひなのという女の子が、好きなんだな。
あとはなんでもない遊びをする場面が好き(「指の骨」では地面に絵を描くとか。「送り火」の花札はちと違うか)。
バドミントンとか、フリスビーとか、マイムマイムとか。 -
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大岡昇平や水木しげるの著した記録と似通うところは、後方での活動や逃避行の描写が圧倒的に多いところである。事実、戦争体験において戦闘行為は一瞬であり、時の多くを後方で過ごしているのだから。
一方で大岡らの著したものと大きく異なるところは、主人公が生還しえないところである。生還したものの手記は、事実として生還したことを前提として、また意識的にか無意識的にか戦後の生活を価値判断として織り込んでいる。そこを出来うる限り排除した場合の思考実験として本書はあるように思う。
戦場体験者の記録を、想像としての死で還元したときに見える感覚。この追求こそが作品全体を通してリアル感を出している。
それと、死者に哀悼を捧げるかのような文庫の表紙が素敵。 -
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時間軸としては、
ラバウルあたりで、藤木も古谷も生きていた頃。
藤木は死んだが古谷は一緒、田辺分隊長の命令で、タコ壷での戦い。気を失って。
夜戦病院で比較的のんびり。槇田と清水と軍医。
病気、無為な行軍、自殺などで、次々死ぬ。
黄色い道をただ歩いている、現在。
現在回想するという小説の開始だが、わざと時間軸はバラバラにされている。
死が近いからこそ、子供の遊びにも近いやりとりがほほえましく、リリカルに輝く。
絵を描いたり、棒で地図を描いたり、誕生日の祝いに絵をあげたり。
具体的で詳細な描写や小物がきらきら輝いて見える。
語り手の生死はあえて曖昧にされている。
あとがき、なんてあるので、結局は助かったのだろうか。
この作為は読み手によっては鼻白むものかもしれないが。
自分の手がすでに死人の手だと思われる極限を経ては、人は前のようには生きていない。
この極限を見せてくれただけでも十分の価値がある。
新潮新人賞発表時にすでに読んでおり、その後のいくつかも読んでいる。
その上で思うのだが、大岡昇平やら水木しげるやら(堀辰雄やら)を連想することもあるが、無理につなげる必要はない。
この作者は戦後70年を狙って戦争を描いたのではない。
むしろ死に近いところで輝く描写こそが、この作者の持ち味だ。
たまたま戦争という題材が侵入してきたのだと思いたい。