高橋弘希のレビュー一覧
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短編が4つと中編が一つの構成だが、全般的にどんよりとした雰囲気の読後感だった.強盗の助けをしたにもかかわらず相棒に裏切られた佐藤の小心さを示した表題作.妻に逃げられた田村浩一の優柔不断さを表した「アジサイ」.「風力発電所」では難解な下北弁が出てきて現実を経験した小生としてはにやりとした.思い出話に満足した浩一の回想を示した「埋立地」.少し長めの「海がふくれて」が一番楽しめた.琴子と颯汰が暮らす海岸べりの町での淡々とした話だが、合挽場所の灯台、凪読み様の老婆、沖だしに行って帰って来ない父への手紙、フナダマ様を祭る行事、父の頭骨の発見など印象的なエピソードが随所に散りばめられた構成が良かった.
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平凡な日常の中に潜む落とし穴を描く少し風変わりな短編集。
◇
佐藤が意識を取り戻すと、目の前には縛られた老婆が転がっていた。
日当3万円の闇バイトで、雇い主の塚田とともに老婆ひとりの住宅に押し入って金庫を開けさせ札束を拝んだまではよかったが、直後に後頭部を殴られ気を失っていたのだ。
気づくと塚田の姿はなく、佐藤自身はしていたはずのゴーグルやマスクが剥ぎ取られ、むき出しになった顔を老婆と突き合わせている状態だった。
金は塚田が持ち去っていて、高飛びしようにも資金がない。顔は老婆にしっかり見られた。目の前の快楽だけを求めるダラけた生き方をしてきた佐藤が、初めて直面す -
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大好きな高橋弘希さんの新作短編集。
『叩く』
特殊詐欺に加担し、"タタキ"をするため押し入った老婆の家で、仲間に裏切られ取り残されてしまった男の様子が描かれる。高橋弘希さんと特殊詐欺ってすごく相性が良さそうだと思って楽しみにしていたんだけれど、期待通り面白かった。
殺人という一線を超えられるのか否かという葛藤と、変貌していく様子が恐ろしかった。
『アジサイ』
理由もわからず妻に出て行かれてしまった男の、それでも淡々と流れていく日常風景。梅雨どきのアジサイの観察日記のようでもある。
妻の実家へ何度も電話をかけて安否確認したりしつつま、そのうち帰ってくるだろうと待つ姿にはさ -
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ロックだ。音楽に魅入られ、音楽に取り憑かれ、音楽に狂わされていく人間の姿がある。
幼馴染4人グループで始まったThursday Night Music Clubという一つのバンドが、どんどん変貌を遂げていくさまは、さながら音楽のよう。
フィンランドに滞在する場面が思いがけずあったりして嬉しかった。
終盤、彼らバンドメンバーが知らないデビューをめぐる真相と過去が明らかにされるのだが、鳥肌が立った。音楽を愛してしまった人は、その音楽が生まれるためならどのような手段でも講じられるのだろう。
〈 ロックに日常性なんて必要か? 必要なのは衝動と破壊と混沌だよ、俺はそういう気分でいま音楽を作っているん -
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「日曜日の人々」とは自助グループへの参加者が自身を語った原稿をまとめている冊子。主人公の航は従妹が自死をしたことにより、この自助グループの存在を知る。
そこで知り合う人々を通して「死」に向き合っていく。
最後の車内での一連の文章を読んで、自分が死ぬとき自分は何を思うのか、ワクワクしてしまった。
自傷も拒食も不眠も、すべて言葉。
自分に、他人に、伝えたいことがある。死を選ぶときは言葉がなくなった時なのかもしれない。(薬物依存に関しては言葉ではないと個人的には思ったり。)
言葉はいつ何時刃物になるかわからない恐ろしい道具だと思う。
高橋さんが紡ぐ言葉は葉っぱのようだ。気づいたら少し切れていて、 -
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愛犬の死後、スイミングスクールに通うと言い出した娘を持つ母の気持ち。
母となって、思い出される自分の母との記憶と幼少期。
日に日に泳ぎを覚えてくる娘の成長。
母と一緒に録音したカセットテープのこと。
他短編。
自分の不貞のせいで妻と別居している期間に
熱を出しそのまま意識が戻らなくなった幼い娘を見舞う日々。
2つの話も落ちはない。
著者の話は結末がどうとかじゃなくて、繊細で陰影のある文章や雰囲気を楽しむ感じ。
それが心地よい。
スイミングスクールのバスに乗り遅れた娘の悲壮感、
大人になれば大したことのないそんなことだけど、子供の時は確かにそうだった気持ちを思い出させてくれる。 -
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ネタバレ圧倒的なリアリティとか読んだ人みんなが言っているのだがホントにそうで、見た人しか書けないような、圧倒的な生々しさが全編に漂っている。まるで太平洋戦争のその時その島のその場所の臭いまで感じるような内容。野火を読んだ時と同じような感覚も覚える。イメージのような戦いのない戦わない戦場があり、それ故の悲惨さが重くのしかかる。戦争だけはしたくないとつくづく思うし、自分の子どもが戦争に行き戦うと言うなら何も考えずに止めたい。戦場で戦おうが戦わなかろうが、死がそこにある状況、個人の意思に反した死を迎えざるを得ない場面を絶対的強者が作るべきではないと思う。戦わざるを得なかったというのは思考の停止であり、そうせ