あらすじ
太平洋戦争中、南方戦線で負傷した一等兵の私は、激戦の島に建つ臨時第三野戦病院に収容された。最前線に開いた空白のような日々。私は、現地民から不足する食料の調達を試み、病死した戦友眞田の指の骨を形見に預かる。そのうち攻勢に転じた敵軍は軍事拠点を次々奪還し、私も病院からの退避を余儀なくされる。「野火」から六十余年、忘れられた戦場の狂気と哀しみを再び呼びさます衝撃作。
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内容についてはケチのつけようがない、慄然とするほどに惹きつけられる。恐くなって読みたくないような気さえするが読むことをやめられない、臨場感が凄まじいからか。実体験なしにこれを書けたことは超人的だ。
そして何よりそのシリアスな内容を支える文体、文章力、豊富な語彙、身体感覚や精神の動きを書く表現力、風景、情景を浮かび上がらせる描写力、これが何よりも素晴らしいし、凄い。この作者はこれからも読んでいこうと思えた。
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大岡昇平や水木しげるの著した記録と似通うところは、後方での活動や逃避行の描写が圧倒的に多いところである。事実、戦争体験において戦闘行為は一瞬であり、時の多くを後方で過ごしているのだから。
一方で大岡らの著したものと大きく異なるところは、主人公が生還しえないところである。生還したものの手記は、事実として生還したことを前提として、また意識的にか無意識的にか戦後の生活を価値判断として織り込んでいる。そこを出来うる限り排除した場合の思考実験として本書はあるように思う。
戦場体験者の記録を、想像としての死で還元したときに見える感覚。この追求こそが作品全体を通してリアル感を出している。
それと、死者に哀悼を捧げるかのような文庫の表紙が素敵。
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高橋弘希『指の骨』新潮文庫。
新潮新人賞受賞作の戦争文学である。戦争の悲惨さと常に死と隣り合わせの日常が創り出す狂気とが見事な筆致で描かれる。
それにしても、何とも凄い新人作家が出て来たものだ。 最初は何故この平和な世の中で本格的な戦争文学をと思うのだが、大岡昇平の傑作『野火』や『俘虜記』にも全くひけをとらない作品に非常に驚かされた。
太平洋戦争の最中、南方で腕を負傷した『私』を主人公に収容された臨時野戦病院での死と隣り合わせの日常……食糧不足と相次ぐ戦友の死は『私』を狂気の世界に誘う……
現代の若者たちよ、これが戦争だ。
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自分とほぼ同年代にもかかわらず、まるで戦争に行き、飢えにくるしみ、死にかけたことがあるかのような乾いた文章に身ぶるいがした。
といってももちろん、読者も誰一人、そんな経験をもってはいないので、お互いに想像でしかないのだけれども。
リアリティというと陳腐だが、みずからが死んですべてが喪われたような、読後感。
ひたすら戦争文学を古処誠二はなかなか直木賞をとれなくて残念なんだけど、この人は近いうち芥川賞とりそうな気がする。
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時間軸としては、
ラバウルあたりで、藤木も古谷も生きていた頃。
藤木は死んだが古谷は一緒、田辺分隊長の命令で、タコ壷での戦い。気を失って。
夜戦病院で比較的のんびり。槇田と清水と軍医。
病気、無為な行軍、自殺などで、次々死ぬ。
黄色い道をただ歩いている、現在。
現在回想するという小説の開始だが、わざと時間軸はバラバラにされている。
死が近いからこそ、子供の遊びにも近いやりとりがほほえましく、リリカルに輝く。
絵を描いたり、棒で地図を描いたり、誕生日の祝いに絵をあげたり。
具体的で詳細な描写や小物がきらきら輝いて見える。
語り手の生死はあえて曖昧にされている。
あとがき、なんてあるので、結局は助かったのだろうか。
この作為は読み手によっては鼻白むものかもしれないが。
自分の手がすでに死人の手だと思われる極限を経ては、人は前のようには生きていない。
この極限を見せてくれただけでも十分の価値がある。
新潮新人賞発表時にすでに読んでおり、その後のいくつかも読んでいる。
その上で思うのだが、大岡昇平やら水木しげるやら(堀辰雄やら)を連想することもあるが、無理につなげる必要はない。
この作者は戦後70年を狙って戦争を描いたのではない。
むしろ死に近いところで輝く描写こそが、この作者の持ち味だ。
たまたま戦争という題材が侵入してきたのだと思いたい。
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あの「野火」に匹敵する…の帯にそんなわけがないだろう!と高を括っていたのだが読み終えて思ったのはこれは戦争など知る由もない30代の青年に旧日本軍の兵士が憑依したのではないのかと。
その想像の世界の戦争はありがちなエンタテインメントに走ることもなく飢餓と病により死を目前にした人間の内面を淡々と描くものであるがそれは遠く離れた南の島で戦病死した何十万人の兵士の生々しい声。
忘れてはいけない、語り継ぐなどの大義はさておきスタバのコーヒー1杯分の値段で読めるわずか70年前に起こった歴史の事実を感じ取れるこの文庫本の価値は高い
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細やかな描写が戦争の酷さ、惨めさを鮮烈に描き出している。まるで見てきたかのような、人が腐り落ちる描写は読む者を酩酊させるよう。
野戦病院という安全地帯で、マラリヤなどで周囲の人間が死んでいくというのに、どこか長閑ささえ感じさせる前半。
そしてひとたび物語が爛熟し腐り始めれば、急転直下のように死と腐臭の凄惨さが広がっていく。
戦争の最小単位である一人の兵士に焦点を当て、そこに渦巻く悲壮さがリアルに表現されている。もし戦争が起こればこうした無価値な死に包まれ、尊厳なく消滅していくのだと思うと、憤りや恐れ以上に悲しみを感じてならない。
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太平洋戦争中、南方の島で傷兵になった
一等兵のお話し。物語は主人公の語りで進む。
その日の暮し、仲間の話し、
時おり負傷した戦闘の話し。たんたんと描写されているようで、文章がとても力強い。
リアルな戦闘のシーンも無く、家族との別れのような描写も無い
それなのにとても深く悲しいし、恐ろしい。
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2019/05/25-6/1
戦争文学というジャンルの存在を気づかせてくれた。生死の分かれ目を幾度も体験していく。どんな時でもヒトは夢を見る。
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初めて読んだ戦争小説から、青春譚のようなものを感じた。
ラストに近くにつれて自分を包む世界の皮が薄れ、現実に戻るような感覚に陥る。
戦争とは一体何なのか。虚構にも見聞録にも収められない作風が神経を揺さぶる気がした。
うだる暑さに霞む町を高台から眺め、白い壁の正面で読みたい。
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圧倒的なリアリティとか読んだ人みんなが言っているのだがホントにそうで、見た人しか書けないような、圧倒的な生々しさが全編に漂っている。まるで太平洋戦争のその時その島のその場所の臭いまで感じるような内容。野火を読んだ時と同じような感覚も覚える。イメージのような戦いのない戦わない戦場があり、それ故の悲惨さが重くのしかかる。戦争だけはしたくないとつくづく思うし、自分の子どもが戦争に行き戦うと言うなら何も考えずに止めたい。戦場で戦おうが戦わなかろうが、死がそこにある状況、個人の意思に反した死を迎えざるを得ない場面を絶対的強者が作るべきではないと思う。戦わざるを得なかったというのは思考の停止であり、そうせざるを得ない状況ならばそれを踏まえた上でどうするかを考えることが、任された人の責任であると思う。同調圧力にクッしない大切さ。
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以前読んだ大岡昇平『野火』は古い作品であることもあり読み辛さがあったが、こちらは2017年刊行ということで非常に読みやすかった。
『野火』の終始タイヘンな生活とは大きく異なり、尾の小説の描写は長閑で平和な感じ。もちろん周囲は死で溢れているのだが、それも感傷的だったりドラマチックであったりブラックユーモアが交じっていたりと、大人しい文学という感じがした。戦争における日常。戦争が凄惨なものであるという前提に立てば、どこか壊れたけど平和に見える日常(2016年のヒット映画『この世界の片隅に』とか)が描かれていると言えるだろうか。
ただし、その日常が仮初めのものであり、そこにいた人が既に壊されていたことが終盤で明らかになってゆく。壊されていた人の日常?とでもいえばいいのだろうか。そこに描かれるのは、銃弾や大砲の砲弾が飛び交う戦闘シーンでもなければ、じわじわと日常が蝕まれてゆく銃後の人たちでもない。「戦」「争」どちらの字とも結び付かない壮絶な飢餓・病・狂気の世界。「果たしてこれは戦争だろうか。」という主人公の問いは、注目を集めやすい感動的な物語や熱い戦記に慣れ親しんでしまった人間が同じく発するであろう問いであり、その答えはYESなのだろう。
ただ、社会的にこの小説が戦争観を形づくる一助になるとは思わない。作者が当時を生きたわけでもないという事実は感情的な人の心を頑なにさせるし、世界で起こる戦禍の衝撃よりも、我々に迫ってくるのは大昔の手垢塗れの戦争体験。
太平洋戦争を経験した世代がいなくなってから、日本・世界の戦争がどのように小説として物語られてゆくのか、興味が湧く一冊だった。
Posted by ブクログ
数年前に購入して積読されていた一冊
今年はタイミングよくこの時期に手に取ったので読んでみた
戦時下の話ということで
戦火の…と思ってたけど
読んでみるとこの題名の
「指の骨」
の意味が、ものすごく心に刺さる
最後は切なくもどかしく悲しく
何とも言えない感情が残る…
Posted by ブクログ
戦争があり、戦いがあり、病があり、生と死が背中合わせにあった。
情景が淡々と浮かんでは消え、また現れ、消え、の繰り返し。なにかが特別な訳でもない文章が、なぜに心に残るのか。
無声映画をみているような感覚。
Posted by ブクログ
これを戦争を経験していない人が書いたなんて信じられない。まるで自分も一緒に熱帯の戦場を彷徨っている気分になる。人を喰らいそうになるシーンがエグい。この主人公はきっと日本には帰れなかったのだろうなあ。戦友の指の骨と共にこの熱帯で朽ちていくイメージがありありと浮かぶ。
Posted by ブクログ
ニューギニアの野戦病院、行軍の風景。飢餓と病。実体験をもとにした「野火」とはどこか異質の空気を感じる。衝撃的ではあるがどこかオカルトっぽい。2020.11.13
Posted by ブクログ
太平洋戦争中の南方戦線の島は激戦区だった。野戦病院に送られた主人公が得た束の間の休息。だがそこにも死が溢れていた。そして退却。
とてもリアルな描写で情景が目に浮かぶようだった。特に死の描写が恐ろしい程に。顳顬を撃って自決した軍医の逆の耳から出てくる血など。
退却戦でも自決用の手榴弾を魚採りに使ってしまったり、小銃の枝の部分を寒さ鎬の薪に使ってしまったりと人間らしさがあり、そこもリアル。
Posted by ブクログ
前線で死んだ兵士を、いちいち荼毘に付す余裕はないので
小指を切り落とし、その骨を持ち帰るのが陸軍の慣例だったらしい
ニューギニアの戦い
戦闘で負傷し、後方の野戦病院に送られた主人公は
常に死と隣り合わせ、ではあるものの
怠惰で退屈な療養生活のなか
日本の連戦連勝を信じ、永く安心しきっていた
しかしある日
とつぜん訪れた敗残兵の群れに、真実を知らされる
そこから、「転戦」のための行軍に参加するのだけど
飢えと疲労に冒され、だらしなく食物を求める日本兵たちを前に
絶望がわきあがる
現地人から略奪しないことだけは、誉められていいのかもしれない
けれど結局は自堕落に死を待つことしかできない
あるいは
これはひょっとしたら、ある種の現代人の絶望だろうか