あらすじ
太平洋戦争中、南方戦線で負傷した一等兵の私は、激戦の島に建つ臨時第三野戦病院に収容された。最前線に開いた空白のような日々。私は、現地民から不足する食料の調達を試み、病死した戦友眞田の指の骨を形見に預かる。そのうち攻勢に転じた敵軍は軍事拠点を次々奪還し、私も病院からの退避を余儀なくされる。「野火」から六十余年、忘れられた戦場の狂気と哀しみを再び呼びさます衝撃作。
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Posted by ブクログ
圧倒的なリアリティとか読んだ人みんなが言っているのだがホントにそうで、見た人しか書けないような、圧倒的な生々しさが全編に漂っている。まるで太平洋戦争のその時その島のその場所の臭いまで感じるような内容。野火を読んだ時と同じような感覚も覚える。イメージのような戦いのない戦わない戦場があり、それ故の悲惨さが重くのしかかる。戦争だけはしたくないとつくづく思うし、自分の子どもが戦争に行き戦うと言うなら何も考えずに止めたい。戦場で戦おうが戦わなかろうが、死がそこにある状況、個人の意思に反した死を迎えざるを得ない場面を絶対的強者が作るべきではないと思う。戦わざるを得なかったというのは思考の停止であり、そうせざるを得ない状況ならばそれを踏まえた上でどうするかを考えることが、任された人の責任であると思う。同調圧力にクッしない大切さ。
Posted by ブクログ
以前読んだ大岡昇平『野火』は古い作品であることもあり読み辛さがあったが、こちらは2017年刊行ということで非常に読みやすかった。
『野火』の終始タイヘンな生活とは大きく異なり、尾の小説の描写は長閑で平和な感じ。もちろん周囲は死で溢れているのだが、それも感傷的だったりドラマチックであったりブラックユーモアが交じっていたりと、大人しい文学という感じがした。戦争における日常。戦争が凄惨なものであるという前提に立てば、どこか壊れたけど平和に見える日常(2016年のヒット映画『この世界の片隅に』とか)が描かれていると言えるだろうか。
ただし、その日常が仮初めのものであり、そこにいた人が既に壊されていたことが終盤で明らかになってゆく。壊されていた人の日常?とでもいえばいいのだろうか。そこに描かれるのは、銃弾や大砲の砲弾が飛び交う戦闘シーンでもなければ、じわじわと日常が蝕まれてゆく銃後の人たちでもない。「戦」「争」どちらの字とも結び付かない壮絶な飢餓・病・狂気の世界。「果たしてこれは戦争だろうか。」という主人公の問いは、注目を集めやすい感動的な物語や熱い戦記に慣れ親しんでしまった人間が同じく発するであろう問いであり、その答えはYESなのだろう。
ただ、社会的にこの小説が戦争観を形づくる一助になるとは思わない。作者が当時を生きたわけでもないという事実は感情的な人の心を頑なにさせるし、世界で起こる戦禍の衝撃よりも、我々に迫ってくるのは大昔の手垢塗れの戦争体験。
太平洋戦争を経験した世代がいなくなってから、日本・世界の戦争がどのように小説として物語られてゆくのか、興味が湧く一冊だった。