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なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書)
by 齋藤孝
では、なぜ学ばなくなったのか。それに対する私の端的な回答は、「リスペクト」という心の習慣を失ったからだ、ということです。
繰り返しますが、仏教を敬っていた奈良・平安時代から、日本はずっと「リスペクト社会」を貫いてきました
...続きを読む。学びや教養を一段高いものと見なす風潮が、社会に充満していたのです。 ところが、ある時期を境にして、日本には「バカでもいいじゃないか」という空気が漂いはじめました。ある種の「開き直り社会」ないしは「バカ肯定社会」へと、世の中が一気に変質してしまったのです。
しかし今は、自分という核を持たないまま、ひたすら水平的に「何かいいものはないか」「おもしろいものはないか」と探し回っているだけ。最近の世の中はこれを「自分探し」と称していますが、こういう風潮が始まったのは一九八〇年代ごろからです。
そして、この傾向を爆発的に浸透させたのが、インターネットの普及です。ネット自体は、良くも悪くもありません。ただ、人間の持っている一つの傾向を極端に見せる「増幅器」、あるいは「拡大鏡」であることは間違いありません。 たとえばネガティブな思考を持つ人が 集えば、一気に集団自殺にまで及んでしまう。あるいは向学心に 溢れた人が集えば、架空の学校のようなものが出来て、有益な知識や情報の交換が行われることもあるでしょう。
その意味では、向上心の有無によって、インターネット社会では格差がより助長されるといえます。学びたい人はとことん効率よく学べる一方、向上心のない人は、互いに傷をなめ合うように現状肯定的になるか、あるいは互いの存在を否定するような関係に落ち込んでしまう。その最たる例が、学校のいわゆる「裏サイト」です。先生への悪口や、特定の生徒をいじめるような書き込みが殺到するというネガティブな面が、日々極大化されています。
かつてなら、情報を生み出したり、苦労して調べたことを発表したりすることは、それ自体が尊敬される対象になりました。たとえば読書にしても、そこで展開されるのは著者と読者の一対一の〝にわか師弟関係〟だと思います。読書の時間とは、著者が自分一人に語ってくれる静かな時間であり、それによって自分を掘り下げる時間である。少なくとも私は、そのつもりで本を読んできたし、書いてきました。
でも今や状況は一変し、「情報はタダ」という認識が一般化しています。どれだけタダで出して知名度を高めるか、あるいは好感度を持たれるかといったことが、情報発信側の勝負どころになっている。それを助長しているのが、検索機能によってタダの情報を自由にセレクトできるインターネットです。言い方を換えるなら、情報の発信者ではなく、ネット利用者のほうが立場的に強者になっているわけです。
本でいえば、何人も並んでいる著者の中から、読者が誰かを指名するという感じです。そしてさっと読み流し、「だいたいわかった」「次はあなた」となる。つまり著者は情報提供者、著書は商品として並列的に存在しているだけで、それをセレクトする読者(消費者) のほうが圧倒的に強いわけです。 ネット上では、この傾向がもっと顕著です。 碩学 と呼ばれる学問の大家が心血を注いで書いた言葉も、アイドルの言葉も、一般の人による〝街の声〟も、あるいはショップや商品の宣伝文句も、すべて並列的に同じ情報として扱われています。特定のキーワードによって一律的に検索の網にかかるという意味で、同等のポジションにいるわけです。世の中全体が水平化、フラット化した社会になりつつあるといえるでしょう。
重要なのは情報そのものではありません。ある対象をリスペクトする、その深浅が、自分にとっての情報や言葉の意味・価値を決めていくのです。同じ一つの言葉でも、ネット上でたまたま見かけた言葉と、自分がリスペクトという精神のコストをかけて獲得して出会った言葉では、自分にとっての重みがまったく違うのです。
同じく社会のフラット化を助長し、象徴しているのがテレビです。 バラエティ番組では、いかに教養がないか、バカであるかを競い合うようなものが放映されています。視聴者はそれを見て楽しんだり安心したり。いわば知性のないこと、あるいはそれを逆手にとって開き直る姿が〝強さ〟として映るような時代になっているわけです。
私も出演を依頼されることがありますが、民放のバラエティ番組の場合、引きずり下ろされる危惧をしばしば抱きます。私は大学の教員なので、知性や教養を職業的に磨いている者として出ます。そういう人間をいかにふつうの人間のように引きずり下ろして見せるか、という意図を制作者側に感じることがあります。たとえば、成功した場合と失敗した場合があるとしますと、編集で残されるのは、たいてい後者です。コメントでも知的なものはよくカットされ、感情的な要素の強いコメントや表情が放映されます。要するに、大学で教えているような人間が失敗する姿を見たい、という意識が視聴者の側にあるわけです。
つまり、テレビはあらゆるものをフラット化して見せることにカタルシスを見出している。これは昨今の日本全体を覆う空気のような気がしてなりません。
しかし現在、状況は変わり、先生の威厳は急速に消えつつあります。尊敬の対象というより、サービス業の一つとして 捉えられる傾向が強まってきています。何でもわが子中心で考え、先生にクレームをつけまくる「モンスター・ペアレンツ」、医者に対する「モンスター・ペイシェント」の出現は、その象徴的な現象です。 この要因の一つは、知性・教養に対する尊敬やあこがれのなさです。子どもも親も、また先生自身も、知性・教養にあこがれを持たなくなった。等しく平らになり、皆で勉強しないままでいいじゃないか、という傾向が強まってきているのです。
お互いに足を引っ張り合い、フラット化していくままでは、本章冒頭のPISAの結果を見るまでもなく、国際的に没落していくだけでしょう。
リスペクトとは心の習慣です。何かに対して「これはすごい」「 頭 を垂れて学びたい」という思いを持てないとすれば、世の中のあらゆるものが平板な情報でしかないことになります。つまり、あらゆる情報・言葉がフラット化してしまっているわけです。そのことが、精神を 雑駁 なものにしてしまっている感は否めません。
言い方を換えるなら、人間の心の潤いというものは、尊敬やあこがれの対象を持てるかどうかで変わってくる。その対象は具体的な人である場合もあるし、教養のようなものである場合もある。いずれにせよ、そこから学ぶこと自体に対する尊敬があって初めて、自己形成の意欲の尽きない泉が 湧いてくるのです。
ただ、経済についてはこうして数字がはっきり出るため、人々の話題にものぼります。一方で尊敬やあこがれの精神が失われたことによる莫大な損失については、統計データがない分、気づきにくいかもしれません。しかし、努力しなくなったのも、勉強しなくなったのも、あるいは社会の各所がさまざまな形で崩れつつあるのも、根本原因は知性教養や人格に対する敬意のなさにあります。 もともと人間の心には、リスペクトしたいという願望がかならずあります。成長とともに尊敬の対象を変え、自己形成していくのが本来の姿です。
この二十年、私は大学生と関わり続けています。定点観測のように十八歳から二十二歳程度の若者と付き合っていると、彼らの気質の変化を肌で感じることができます。その第一は、濃い交わりが苦手になってきているということです。
地方出身者が東京という都市に初めて出会ってショックを受け、東京なんかに負けるもんか、東京のバカ野郎、という気概を持つ。それが明治以来、ずっと日本の活力になっていたわけです。そんな「上京力」とでもいうべき、上京へのあこがれ、プレッシャー、孤独感、負けん気、誇りと意地といったものが混ざり合って、緊張感のある向上心を生み出していたのです。
しかし今は自宅から通う学生が多く、大学生活が必ずしも一人暮らしを意味しなくなりました。アルバイトをする高校生も珍しくありませんし、高校生でセックス等を経験する人も多いですから、大学生になったときのライフスタイルの劇的な変化というものが、あまり見られなくなってきています。高校と同じ感覚で大学でも授業を受け、アルバイトをして自宅に帰る。家ではミクシィで時間を 潰し、自分の生活空間を侵されない範囲で浅いコミュニケーションをとって寝る。高校の延長線上に大学があるかのようです。
私が勤める明治大学でも、最近は飲み会を企画してもなかなか人が集まりません。明治大学はよかれ悪しかれ飲んで語り合う、あるいは必要以上に飲むことが伝統的に継承されてきた大学です。十数年前の学生たちであれば、大学付近の非常に安い居酒屋を見つけては、毎週のように大人数で騒ぎ続けていたものです。
言い方を換えるなら、今の学生にとって飲み会は、快適なプライベートな時間ではなくなったということです。ゼミや授業で知り合った仲間と飲むことは、プライベートというより、一種の社会的なつき合いなのです。彼らが好むプライベートとは、わずか二~三人程度の、たとえば高校時代の同級生と連絡を取るといったことなのです。 だからゼミなどで十~二十人単位になると、それはもはや「社会」になる。おかげで、一体感を持った集団になるまで、きわめて時間がかかるようになりました。人間関係上の体温の低さというものを感じざるを得ません。
昨今の学生は、一対一のコミュニケーション能力についても未熟な感じがします。たとえば知らない人との世間話は、明らかに苦手になってきています。他人とゆるやかな関係をつくったり、その場を雰囲気よく過ごす 術 を知りません。
自分と関係のある人、仲のいい人とは会話ができるのに、新しい場所で友人をつくることは苦手です。同じ学年・学科の学生同士でも、相互にあまり交わらない。結局、顔は知っているがお互いに話さないまま、ということも珍しくありません。 濃い交わりを避ける傾向は、自分一人の快適なプライベート時間を維持したいという意思の裏返しです。もっと本質的にいえば、自分というものを守りたいという意識がきわめて強いということです。
一見自信があるように思える学生でも、他者の目を過剰に意識していたりします。自分自身で自分を支えているというより、他者の承認によって自分自身を支えている。幼稚化していると感じることが多いのは、そのためでしょう。
大学生でも、「先生、オレの名前覚えてますか?」と言ってくる学生もいます。存在承認欲求の強さを身に 沁みて感じます。 今の大人の中で、中・高・大学時代にそのような感覚を持っていた人は少ないでしょう。まして叱ってもらいたい一心で悪さをしたという人はほとんどいないと思います。つまり、ひと昔前の中・高校生は、そこまで他者に存在の承認を求めなくてもいい状況だったということです。
現在は、他者の前で自分の実力があからさまになることは避けたいと思う一方で、他者による承認も得たいのです。競争には参加せず、自分の実力を高める努力は避けつつ、一方で「君はユニークだ」「唯一無二だ」「資質があるよ」と褒めてもらいたい。そういう都合のいい欲求が目立つようになっています。
昨今の大学は、いわばホテルのようにサービスを手厚くして評判を高めることに必死です。「大学改革」という名の下に行われている多くの改革は、経営難の大学に学生を呼び込むにはどうしたらよいか、という観点がベースになっています。
気になるのは、学生の学問に対する熱意のなさです。私はかなり厳しい授業をしますが、そうするとどうしても、しっかりついてくる学生と最初から避ける学生に分かれてしまいます。
そもそも学ぶとは、野生動物のように自ら知識を狩りに出かけ、 貪欲 に吸収することです。こうして知を得ることは、友人に伝えずにはいられなくなるような興奮を伴うものです。しかし今の学生に、そういう積極性は希薄です。だから、知との出会いが生まれることは少ない。
自分自身で知識を積極的に得ようとしていないので、これは当然かもしれません。その学問に興味を持ち、狩りをする意識で学んでいるのではなく、受動的な学び方をしているのです。もちろん教える側の責任でもありますが、結局、学問の奥深くまで入り込まずに学生時代を過ごし、三年生の半ばになると本格的な就職活動を始めることになります。
私は毎年四月の段階で、一年生と二年生に最近読んだ本のリストを提出してもらうことにしています。しかしそこに挙がるのは、軽い読み物ばかりです。小説ともいえない通俗小説や、内容の薄いエッセイ、あるいはマンガなどがほとんどです。さほど難解ではないはずの新書レベルの本でさえ、読んでいる学生は非常に少なくなっています。
その原因は何でしょうか。学生たちは、さほど厳しくはないにせよ、高校時代に受験勉強はしています。しかし当時から本は読んでいないので、大学生になっても一般教養をぜひ身につけたいという強い意欲が湧きにくい。そのまま、勉強らしい勉強をすることなく、専門書どころか新書すら読むこともなく、大学時代を通り過ぎていくわけです。
以前、セブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文さんにお会いした際、採用したいと思う学生について、「大学で何をしてきたかという質問に対して、サークル活動、たとえばダンスを頑張ってきましたと答えるような学生は採用したくない」と仰しゃっていました(『ビジネス革新の極意』鈴木敏文・齋藤孝/マガジンハウス)。
大学で学んだことを語れなければ、大学を出た意味がない、ダンスのうまい人を採用したいなら、最初からダンスの専門学校の卒業生を採ったほうがいい、ということです。
基本的な向学心というものは、読書量に表れます。本を読まない学生を見ていると、向学心の衰退を認めざるを得ません。彼らが真面目に授業に出る現象の裏では、こういう事態が進行しているわけです。かつて一九六〇~七〇年代の学生たちは、授業はサボってもある程度の本は読んでいました。当時と今とでは、対照的な様相を呈しているといえるでしょう。
ただ、ステップアップのための転職であれば、まだ合理的で理解しやすいでしょう。問題は、次の仕事も決まっていないうちに辞めてしまうケースです。 こういう人は、たいていアルバイトで 凌いでいきます。それぐらいの仕事ならいくらでもあるという現実も、彼らの身軽で短絡的な身の振り方を後押ししています。だいたい月々十万~十五万円程度は稼げてしまうので、会社などいつ辞めても怖くないという感覚になれるのです。
こうしたケースを多く見ていると、今は「心の安定」を失いやすい時代なのではないかという気がしてきます。自分はここに骨を埋めるとか、自分のアイデンティティはここにあるといった対象になるもの、あるいは人間関係も含めた信頼関係を見つけにくいのではないでしょうか。それに、「きっと報われるはず」と信じて努力する心のあり方も崩れているようです。
たとえば、会社で懸命に働くことで、会社は一生自分の生活を支え続けてくれるという、相互に安心できる関係性を「心の良い状態」だとすれば、会社が自分を信用せず、自分も会社を信用できない関係性が「心の不良債権」の状態です。後者は常に不安を抱え、「今はここにいるが本当はここにいるべき人間ではない」とか、「組織の一員として位置づけられるのはイヤだ」といった思考に支配されています。リストラも当たり前という殺伐とした社会のあり方が共有され、心にまで影響を与えているわけです。
たとえば、ローンで建てた自宅から会社まで一時間半かけて数十年間通い続け、係長になり課長になり、部長の手前で終わるというサラリーマン人生を歩む人が、かつては少なくありませんでした。骨を埋めるつもりで就職し、家庭をつくり、子どもを学校に通わせるのが、ある種の王道だったと思います。
それに、会社員としての行動習慣に耐えられないという人も現れています。朝八時までに出社し、夜八時まで働き、その後は同僚と遅くまで飲み、翌朝また早く家を出るというパターンが従来は一般的でした。これは日本のサラリーマンが当たり前にこなしてきた昭和を代表する生活形態です。一種のホモセクシュアリズムではないかと思われるほど、会社の人間と四六時中一緒に行動し、しかも会社の話をする。よほど愛社精神に満ちていなければとれない行動です。
逆にいえば、自分はそこまで会社が好きではないと思ったとしたら、こういう行動はできないでしょう。〝会社漬け〟状態を想定すると、むしろ自分が会社に乗っ取られるような気がするはずです。 会社はかならずしも、人間性を大事にしてくれるわけではありません。自分はもっと人間性を大事にしたいとか、あるいは企業自体が社会的に見れば悪なのではないかという思考に 囚われれば、反動的に「やさしさ」に価値を求めるという選択はあり得ます。
アジア各国に行くと、本屋に座り込み、読み耽って知識をむさぼっている若い人がどこにでもいます。ドキュメンタリー番組では、しばしば、中国の貧しい農村にある学校が取材されますが、小学校の授業料すら払えない家の子どもたちが、口々に「もっと勉強したい」「もっと社会に貢献したい」と語る姿が印象的です。これは、急速に発展する国特有の〝熱さ〟なのかもしれません。
じつは、親自身も競争社会に対して 脅えを持っています。いよいよ富の分配の不平等が現実に起きている以上、「勝ち組」に入らなければ苦労するという、追い立てられるような恐怖感がある。だから、教育にも早く手をつけなければいけないという意識に駆られているわけです。幼児期からの英語教育など、その典型でしょう。 しかし、一生を全うするための心身の基本を培う幼児期に学ぶべきこととして、英語教育は有効なのでしょうか。私はむしろ、この時期は身体と日本語の基礎をつくるほうが重要だという確信を持っています。
学校に対する考え方も、その延長線上にあります。授業料を払っているのだからきちんとサービスしてほしい、という論理を通すようになってきました。特に最近は、親の間でこの傾向が顕著です。いわゆる「モンスター・ペアレンツ」の台頭です。 たとえば、自分の子どもが悪いことをして教師に叱られたとき、逆ギレして学校に文句を言う。子どもが学校に行きたくないと言えば、無条件に休ませる。場合によっては中途退学も 厭わない。あるいは学校に対して、常軌を逸した注文をつける。教師を頭からバカにして、ホテルのドアマンや百貨店の店員に対するように威圧的な態度をとる。こういう勘違いした親が、現在の中学校・高校で日常茶飯事的に増えているのです。
こういう親には、もしかして自分の子どもが悪いのではないか、という謙虚な自己反省意識は働きません。うちの子にかぎってそんなことはしない、うちの子はそんなことを言っていないなど、教師の言うことより子どもの言うことを信用する。子どもを注意するより、子どもと一体化してしまうわけです。
私の教え子である現役の中学・高校教師によれば、最近の子どもと親の関係は、垂直的に厳しく 躾 ける「親子」というより、水平的に楽しみを共有する「友人」に近い。大人としての役割を担いきれていない人が親になっているということです。
ではなぜ、こういう親らしからぬ親が登場するようになったのか。そのルーツをたどれば、戦後のアメリカ化された若者が親になった時代に行き着きます。これについては、第二章で詳述します。
中学受験をする子どもは、小学四年生の時点から本格的な塾に行くのが当たり前になっています。彼らが通う塾のレベルはきわめて高く、高校受験を上回る場合も少なくありません。特に算数などは、一般の大人が見ても、おそらく手も足も出ないでしょう。 国語で読む文章も、高校入試に使われる文章と 遜色 ありません。つまり、そういう塾で勉強した小学生は、勉強しない中学生よりむしろ知識水準が高くなるわけです。この傾向は、すでにかなり一般的になっています。
一方、テレビのバラエティ番組などを見ていると、たまに信じられないほど知識のないタレントが登場します。「バカドル」などと呼ばれ、小学生レベルの問題すら解けないことをむしろ〝売り物〟にしているようです。しかし見方を換えれば、こういう小学生程度の国語力も知識もない状態でも、中学校や高校を卒業できたということです。
これは恐るべきことです。タレントはいいとしても、公立小学校に預けているだけの家庭、あるいは塾に通わせたくても経済的理由で不可能な家庭の子どもは、その時点で将来に響く差をつけられてしまう。
しかも中高一貫校では、中学のうちに高校レベルの学習をすすめています。公立中学ではあくまでも中学レベルに限定されるため、まったく不公平な条件で大学受験に向かうことになる。 こうした条件の差を是正するにはどうすればいいか。それは、公立小・中学校のカリキュラムの質を高めるしかありません。ところが、そうすると落ちこぼれが出てくるとの理由で、逆に教科書の水準はどんどん落とされてきた。それがこの二、三十年の状況です。
小学校高学年の時点で学習の環境に差がついてしまうことは、たんに進路が有名私立と公立に分かれてしまうだけではありません。もっと重要なのは、学ぶ習慣がつくかどうかという、生涯にわたる差になってしまうということです。 勉強を 厭わない人と苦になってしまう人。わからない問題に当たったとき、考えることのできる人と投げ出してしまう人。こういう差が生じてしまうことが、もっとも深刻な問題なのです。 学ぶということは、たんに知識を獲得するだけの行為ではありません。そのトレーニングを通じ、わからないことや大量の問題に立ち向かっていく心の強さを培っていくことが、もっと大事なのです。
そのためには、質の高いカリキュラムを用意し、内容の濃い教科書で学ばせる必要があります。しかもそれは、とりわけ小学校から始めたほうがいい。なぜなら、中学生以降になると自主性が尊重されるため、生徒が素直に受け入れない可能性があるからです。 小学生の素直なときに学ぶ習慣を身につけなければ、中学校に進んでも努力や勉強から逃げてしまいます。そしてその後も、永久に立ち向かうことはないかもしれません。これは、国家的な損失です。
アメリカの若者文化はカウンターカルチャー(対抗文化) でした。ボクシングのカウンターパンチと同様、自分が無から建設するというより、現在あるものに対立する、ないしは否定する形で成り立っていた文化運動だったわけです。 対抗の対象は、一言でいえば「伝統的な知」、つまりヨーロッパの古典主義です。たとえばギリシャ・ローマの伝統であるギリシャ哲学や、シェイクスピアやゲーテといった全世界的な人類の知的遺産と考えられている権威あるものを指します。それらに対して、アメリカの若者文化は「ノー」を表明したのです。
政治制度にしても、民主主義を超えて社会主義的リベラルを目指す「ニューレフト」という運動が起きていました。この新左翼的な運動を積極的に担っていたのが若者たちでした。 彼らが共有していた意識は、否定と破壊、つまり現状に「ノー」と言い続けることでした。たとえば、明らかに政策的に行き詰まっていたベトナム戦争に対して「ノー」と言うのが正義でした。あるいは公民権運動に賛同し、黒人の権利を妨げるものに対して「ノー」と言うことにも、社会的な正義が保障されていました。
これらの面だけを取り上げれば、彼らの活動は民主化に貢献した若者の政治運動であり、新しい価値観への転換であると評価することもできます。しかし、現実への影響としては、若者の知的な面での後退を招いた感も否めませ
フランスの政治学者トクヴィルは、もともとアメリカ人は書物を有する国民ではなかったと指摘しています。それに、互いの権利を承認するための訓練は不要、哲学も不要、国民性に見出されるあらゆる違いも 捨象 でき、アメリカ人には一日でなることができる、と述べています。 ではフランス人に一日でなれるかというと、それは無理です。デカルト、パスカル、モンテスキュー、ラブレー、ラシーヌ、ルソーといったものに対する教養がなければ、フランス人とはいえない。そういう敷居の高さが、一員になろうとするときのヨーロッパにはあるわけです。
つまり、音楽は麻薬に似ているというわけです。音楽を聴くのには努力も才能も徳も不要。要するに努力しなくてもエクスタシーを味わうことができる、ということです。 エクスタシーとは、かつては地道な努力の果ての達成感から得られると考えられていました。ちょうど登山のようなものといえるでしょう。単純に一歩一歩進んでいくことによって、最後にパノラマ的風景を味わうことができる。こういう感覚が共有されていたのが、後述する書生文化や教養文化です。
簡単に快楽が手に入るのであれば、苦労して山登りをする必要はない。むしろ音楽で感性を解放することのほうが、古くさい権威に頼るよりよほど大事なのではないか──こういう一見もっともらしい主張が、若者文化の台頭によって是認されてしまったわけです。
セックスに関しては、それまでよりも気軽に行ってよいとする「セックス革命」がアメリカで起こりました。これにより、性的関係がずいぶん変化しました。いわゆる「性の解放」です。 六〇年代初頭から性表現の制約が少しずつ見直され、ゆるくなっていきました。以前は若い男女の同棲を親や教師はとがめましたが、やがてそれも自由になりました。女子学生たちも、セックスに興味があるとか、すでに体験済みだということが周囲に知られても恥じなくなりました。彼らは、若くてもセックスをする権利を獲得したわけです。
今の親世代には、自分の親の世代に比べ、子どもの世界を邪魔してはいけないという自己規制に近い意識が大きく働いています。「性の解放」の潮流が正当性を持って社会に是認されたため、親自身も禁止することを「古くさい」「リベラルではない」と思うようになっている。そこで子どもに自由を与えることを優先させ、厳しく制約をつけるしつけを軽視する子育てを実践したのです。つまり、親の権威というもの自体が、対抗文化の隆盛とともに著しく減退したわけです。
「親の言うことはきかない」という態度も、アメリカにおける若者文化の一つの特徴ですが、これも日本に流入しました。肯定的に見れば、親からの独立心が強いということもできます。しかし否定的に見ると、親の代まで受け継がれてきた、ある種伝統的な知識や経験知、常識といったものが、次の世代に伝達される回路を失ったということも意味しています。
この変化には、まだ、権威づけられた古典的教養を否定しようとする「意志」が働いていました。しかし、やがてその意志も消えます。ポスト全共闘世代においては、否定するという意識もないまま、あるいは何を学び、何を学ばないかという意思決定もないまま、ただ本を読まなくなったのです。 この傾向はその後、急速に加速しました。現在の学生においては、授業には真面目に出席する一方で、自己形成にかかわる一般教養を読書によって培っていくという生活習慣はほとんど根づいていない傾向を感じます。
こうしてカリフォルニアは、旧来の抑圧された自己を解放する象徴的な存在となっていきました。十九世紀から二十世紀半ばまでの知の伝統は、人間を抑圧する悪であり、それから逃れて自らのエネルギーをすべて解放することが善である、という非常に単純化された図式が公認されていました。「本なんか読まなくていいじゃないか」という世代が生まれてくるのも、避けられない事態だったのです。
また、こうして向上心を持っている人こそすばらしい、という価値観が男性どうしの間で共有されていたし、女性から見た評価も同様でした。結婚するときも、見合いがほとんどだったため、見た目のよさはそれほど問題にならなかったのです。
前出の『アメリカン・マインドの終焉』でも、「セックス革命」で得をしたのは老人より若者であり、醜いより美しい者だった、と指摘しています。フリーになったからといって、平等になったわけではないのです。
六〇年代のアメリカ文化は白人の若者がリードしていましたが、最近はむしろ黒人文化の影響力のほうが強まりつつあるようです。街で見られるストリートダンスのリズムのルーツは、黒人のダンスにあります。メロディーよりリズム中心の動きであり、カーペンターズやサイモン&ガーファンクル的なメロディーラインの美しいポップスより、ラップが主流になりつつあります。 言葉をちぎって投げつけるようなラップの歌い方は、黒人のスラングがベースになっています。お金と教養に乏しく、ふだんから俗語を使うような階層の人たちが、対抗手段や自己表現、社会批判の一つの手段として始めた面があります。そのスタイルが、黒人以外にも共感を得て広がりはじめたわけです。
七〇年代の日本の若者は今よりもっと貧乏でしたが、貧困性は表面化していませんでした。アメリカの文化が反体制・反伝統から、貧困を背景にした社会批判的なアピールの形へと展開したのに合わせて、日本の若者もアメリカの下層部分からの影響を強く受けるようになったのです。 ついでにいえば、これらが幅広く導入されたもう一つの理由は、バスケットボールの流行だと思います。マンガ『スラムダンク』(井上雄彦/集英社) の大ヒットで子どもたちにバスケット文化が浸透しました。バスケット競技自体は黒人のものではありませんが、マジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンなど、アメリカのプロリーグ・NBAで活躍した中心選手の多くは黒人です。 こうして、しだいに黒人のヒーローが増えたこともあり、日本の若者はあこがれの対象を白人の若者文化から黒人の若者文化へと移していきました。これも、アメリカ化の一過程であるといえます。
「教養? そんなものが何になるんだ。自分たちの文化はそういったものとは別なんだ。俺たちのダンスを見てくれ、ヨォ」といった感じでしょうか。あの「何々してくれ、ヨォ」と言って手首を独特な形にくねらせるのを見ていると、あまり本などは読まないだろうな、ということが容易に推測されます。 頭の良し悪しはさまざまな文脈で判断されるので、一概に言うことはできません。あるいは努力の有無を問うにしても、働いているのなら何らかの形で日々努力をしていることにはなります。しかし、黒人をモデルにしょっちゅう踊っている若者たちが、世界共通の教養といわれる本を読んでいるかといえば、その期待は薄いでしょう。もちろん、黒人文化に教養がないなどと言おうとしているわけではありません。あくまで日本の若者の話です。
では、日本の若者はアメリカ文化のすべてを忠実に取り入れたのかといえば、そうではありません。むしろ非常に中途半端な採用だったと言わざるを得ません。 アメリカという国の基本にあるのは、フロンティアスピリット(開拓者精神)、インデペンデントな気概(独立心) です。彼らは希望を胸に西海岸へ進出し、旺盛に次々と開拓地を突き進んだ結果、最後には月まで行ってしまったわけです。 それに加えて、インディビジュアリズム(個人主義) も発達しています。これ以上冒すことのできない個というものの力を信じ、その努力によって自分というものを自立させる。そういう個の集まりが、結果の平等ではなく機会の平等からスタートする。その結果、富を得るものは得るが、敗れるものは敗れる。競争はあるがフェアプレーであるというのが基本です。
しかし、このアメリカ的な「どこまでも行くぞ」というフロンティアスピリット、チャレンジを続ける強い気持ち、恐れのなさ、勇気、あるいは民主主義に対する強い意志などは、日本の若者文化には根づいていません。そのかわり、大人社会に反抗しつつ、結局大きな制度にはぶら下がるという生き方を選択した。つまり、日本的な「甘え」が消えない中での若者文化だったわけです。アメリカ文化の導入は、この点できわめて中途半端だったといえるでしょう。
その結果、自分たちはどうすれば自我を確立できるのかというモデルが、日本人自身もわからなくなってしまいました。すべてアメリカ人を真似れば話は簡単だったのですが、本当にアメリカ人のメンタリティを持った日本人は、そうはいません。アメリカはそれなりに…
逆説的になりますが、アメリカには、たとえば「USA! USA!」と叫びさえすればお互いに自立心や共感を実感できる、という幸せな単純さがあります。野球のメジャーリーグの試合では、七回になると必ず愛国歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」が球場内に響き渡ります。そのときには、松井秀喜やイチローのような日本人選手も、…
なぜ、こんな面倒な〝しきたり〟があるのか。アメリカでは、愛国心を持つことがほとんど百パーセントの善とされています。逆にいえば、それによって連帯感を持たせなければ、バラバラになる危険性がある。それほど、さまざまな地域からさまざまな人々が集まった国であるということです。 もっとも、アメリカの若者たちは、いろいろと自国の文化を批判して従来の伝統を否定する一方で、新しい価値をつくり上げていきました。これはまさにアメリカという国の大きな存在理由であり、特徴…
司馬遼太郎は、「自分は生涯一書生でいたい」という意味のことを書き残しています。それも若いころではなく、日本の歴史というものを捉え直した大功績ある作家として認められた後のことです。 なぜ司馬ほどの大作家が書生にあこがれたのか。それは、 驕らず高ぶらず、常に学ぶ精神を持ち続けたいと願ったからだと思います。自分は未熟である、だから勉強という修行を積むのだということでしょう。これは単に自分自身を戒める言葉ではなく、書生であることこそ喜びであるという意思表示です。
一方、受け入れる先生の側は、ともに学ぶといえば聞こえはいいものの、寝る場所を与え、ご飯も食べさせながら教えなければならない。これはそう簡単なことではありません。それでも、実力のある先生ほど書生を受け入れていました。
たとえば日本を代表する民俗学者である折口信夫 は、自身がホモセクシュアルだったこともあり、多くの書生や弟子を同居させたり抱え込んだりしていました。弟子だった加藤守雄さんの著書『わが師折口信夫』(朝日新聞社) によると、いろいろ感情が絡んで難しいこともあったようです。家庭にまで深く入り込むような師弟関係だからこそ、もっとも濃い人間関係がつくられるわけです。
高齢の経営者には、読書家が少なくありません。経営者は本を読まなければダメ、と言う人もいます。しかし、世代が若くなるにしたがって、そういう人が減っているような気がします。
私はよく、大企業のトップの方が集まる朝食会などに講師として招かれることがあります。出席されるのは高齢の方が多いのですが、だいたい朝八時前から始まります。つまり、トップの方は始業時間前に勉強しているわけです。 では、こういう方々はどういう本を読んでいるのか。いろいろ話を伺うと、ヨーロッパの哲学、思想、文学といった教養的なものが好まれているようです。ゲーテやニーチェ、カント、ドストエフスキーに象徴されるような人生を深く考えるもの、人生論と正面から向き合うような類です。「こういう読書を、生きる柱にしてきた」と言われる方もいました。
これは産業革命後に書かれた自己啓発本です。人は勤勉と努力と工夫によってどのように成功するのか、膨大な事例をもとにひたすら説いている本です。もちろん、紹介されているのはイギリスを中心とするヨーロッパの話ばかり。 にもかかわらず、明治初期の日本でよく読まれたというのは、ちょっと不思議な気もします。ついこの間まで 攘夷 運動をしていた人たちが、欧米の成功 譚 をこぞって読んで感動したとはどういうことでしょうか。
フランスやドイツなどヨーロッパの国が持つ思想の深さ、文化の豊かさに触れることのできる人が、当時の日本には数多くいたということです。
たとえば高校二年の冬休みから読む本として、スタンダール『赤と黒』(小林正訳/新潮文庫他)、バルザック『谷間の百合』(石井晴一訳/新潮文庫)、ピエル・ロチ『氷島の漁夫』(吉永清訳/岩波文庫)、マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』(山内義雄訳/白水ブックス)、フローベール『感情教育』(生島遼一訳/岩波文庫他) のそれぞれ原書を挙げています。その一方で、学ぶこととしては、哲学の思想とその把握、数学、イギリスとフランスの近代思想形成史、日本史、西洋史、東洋史を挙げています。 しかも、ただ勉強するぞ、ということではなく、目的を明確に立てている点も特徴的です。たとえば数学は「科学の諸問題を基本的に理解するため」、日本史や西洋史は「日本の現在の具体的な実態認識を目的とする」といった具合です。
私たちは日本をマケドニヤや蒙古のように 了 らせたくない、ギリシャのようにフランスのようにあらせたいのだ。
いずれも、知へのリスペクトと欲求、深い教養が感じられ、彼らが背伸びをして書いているわけではないことは、文面から容易に窺い知れます。およそ今の学生とは比べものにならないほどの切迫感とあこがれを持って勉強していたことがわかるでしょう。
哲学を学び、思考の基本スタイルを作る
たとえば経営者の場合、 強靭 な精神が求められます。一般の人には考えられないほど、心身とも疲れる激務です。途中で休むとか、具合が悪いから誰か交代してと投げ出すわけにはいきません。 そのとき、自分自身がぶれない中心というものを持っている、あるいは判断力の基礎を養っているという自信があれば、それを原動力としてさまざまな障害を乗り越えることができます。教養主義をくぐり抜け、そういう実感を共有している経営者の最後の世代が、現在はもう八十歳代になっています。 彼らは、日本経済がもっとも発展した時代に会社を経営してきた人たちです。その意味では、きわめて大きな実績を残したといえるでしょう。その人たちの基礎に哲学があるということを、現役世代は看過してはいけないと思います。
当時の若者は、哲学以外に、一般教養の勉強にも熱心でした。筒井清忠氏の『日本型「教養」の運命』(岩波書店) によれば、高等教育を受ける人は、世界観を構築するため、まず人文的・古典的教養を身につけるものだとされていました。それをベースに各自の研究テーマに取り組むのが常識だったのです。
たしかに、たとえば経済学部に入った学生なら、哲学や文学や語学などではなく、早く経済を学びたいという欲求があるでしょう。あるいは法学部に入ったら、その時点から司法試験ないし法科大学院に合格するための勉強に忙しくなるかもしれません。 もっと 有り体 に言えば、あまりにも学生が勉強しないので、せめて専門分野くらいは身につけさせてくれ、という企業や社会一般からの要請もあります。さらにいえば、専門分野さえ強ければ就職に役に立つと考える親もいます。要は、教養というものに対するリスペクトが欠落しているということです。
しかし一般教養とは、四年間の大学生活のうちの二年をかけ、人間としての奥深さを培っていくことが本来の目的です。それがなおざりにされ、侵食され、最近は二年生の課程から専門科目が入ってきている大学もあります。
彼らに話を聞くと、教養を重んじていない次の世代に対して、足腰の弱さのようなものを感じているそうです。その弱さゆえに、この先の日本はダメになっていくのではないか、と危惧されている方も少なくありません。
ところで、大正後期の、誰もが知的に 貪欲 であった世界に、マルクス主義が入り込んできました。この流入は非常に鮮烈で、旧制高校内にマルクス主義の研究団体が次々と誕生したほどです。 日本の教養主義者は、西洋の哲学に親しめば親しむほど、当然ながら思索の世界と実生活とのギャップを感じるようになりました。そこにマルクス主義が登場し、イギリスの古典経済学、ドイツの古典哲学、フランスの社会主義を総合したものだと説かれたとき、学生たちは極めてスムースにマルクス主義者になっていったのです。
マルクス主義は、「社会は法則的に動いている」と述べています。階級闘争によって社会はこうなる、未来はこうなっていくと、いわば歴史の絶対的な見方を教える教師として登場したのです。 かつては、ギリシャ・ローマに由来する欧米の古典から学ぶ教養や、西田哲学や禅の教養など、一口に教養といってもバリエーション豊かに存在していました。たとえば西田幾多郎は「絶対矛盾的自己同一」といったややこしい概念を打ち出していますが、これには禅の伝統も関わっています。禅には「 公案」と呼ばれる、「ここにあるようでない、これは何だ」といった一見論理的に解決できない問いを、直観力のようなもので一気に解いて鍛えるという手法があります。西田哲学は、こういう普通の思考を超えたところにある直観力を重視する、インド以来の瞑想の文化を意識していました。絶対的「無」を論理化することで、「有」を原理とするヨーロッパの哲学を超えようとする西田の学問的野心に多くの若者があこがれを感じ、必死に難解な本を読みました。
しかし、日本社会全体の中では、すでに一九七二年の連合赤軍事件が決定打となって、日本中が大学闘争やマルクス主義に拒否反応を起こすようになっていました。連赤事件がマルクス主義のあだ花になったといえるでしょう。 ただあの事件は、思想内容そのものが原因というより、閉鎖的な支配関係の中であればいつでも起こり得るリンチ事件でした。その証拠に、一九九〇年代のオウム真理教をめぐっても、同じような事件が起きています。自分の信奉する理論を絶対視し、それ以外の理論を徹底排除する傾向が、マルクス主義は強かったということです。
現実の女性とつきあって 云々 ではなく、内なる女性を理想化し、妄想や幻想をかきたてながら勉強に 邁進 する。そういうねじれた 鬱陶しさが、かつての若者の一般的な心情でした。今日のように、恋愛をするのが若者の特権であり、それこそが若者らしさなのだという考えは、とりあえず旧制高校にはありません。それより男同士の友情のほうが大事でした。ここでいう「友情」とは、ともに高みを目指して歩むこと、つまり一緒に勉強することを指します。このちょっとねじれた男の世界を描いた小説として、森見登美彦氏の『太陽の塔』(新潮文庫) があります。これは比較的最近の作品ですが、登場するのは古くさい学生です。主人公の「私」は、かつて自分を振った女性を「研究」することに明け暮れるのです。
それに比べると、八〇年代以降の空気はガラリと変わりました。たとえばクリスマスともなれば、「クリスマスファシズム」と言ってもいいほどの強迫観念が 蔓延 する。クリスマスを一人または同性と過ごすのは悲惨、だから全情熱を傾けて彼女をつくり、当日は豪華なデートを演出しなければならない、といった具合です。
ところが、今の空気はやや違います。当時は女性とつきあうだけで莫大な出費を必要としましたが、最近は女性自身による激しいダンピングが行われている気がします。今はそれによって恋愛に対する幻想が消え、高揚感ではなく虚無感だけが残っているのかもしれません。
たとえば一時期、インターネットで株を売買するデイトレーダーが巨額の儲けを出した、といった話がよく 喧伝 されました。そんなに簡単に儲けられるのか、と勘違いする人もいるかもしれませんが、実際には損をする人のほうが圧倒的に多いのです。しかし、そういう人には目もくれず、成功した人だけをもてはやすのが昨今の風潮です。
若者の側も、先輩と飲みに行ったり語り合ったりなんかしたくない、仕事が終わればできるだけ自分のプライベートに戻りたい、という気持ちを隠さなくなりました。たしかに年齢の高い人とのコミュニケーションは非常に疲れるものです。感覚も違うし、相手によっては威張る人もいるし、聞きたくもない説教が多くなりがちです。 しかし、かつては説教も含めたコミュニケーションは当たり前でした。若者は、先輩・後輩をはじめとするさまざまな鬱陶しさの中で、多くのことを学んでいったのです。その意味で、先輩をはじめとする大人の経験知にも、ある程度のリスペクトはしていたわけです。我慢して聞いて学んだことを、仕事上の原動力にする。就業時間以外にも、こうして勉強していたわけです。
もちろん、マルクスも指摘したとおり、こういう文化的なことは経済的な基盤がなければできません。下部構造としての経済活動があって初めて文化が生まれるということは、世界史を見ても明らかです。 たとえば、ある程度豊かな宮廷文化というものがなければ、そこに『源氏物語』も生まれ得なかったでしょう。一人残らず明日の食べ物に困っていたら、さしもの紫式部も物語を書く余裕はなかったはずです。
かつて、社会党が瞬間的に政権を取る(自民党・さきがけとの連立) という奇跡のような時期がありました(一九九四年六月~九六年一月)。しかし、その奇跡とともに、同党はすさまじい勢いで自己崩壊していきました。一時はかなりの支持もあったはずですが、今の社民党は極小政党でしかありません。 代わりに民主党が台頭し、二大政党の形にはなっていますが、自民党が二つに割れたようなものです。つまり、政治全体が保守全盛の構造になっているわけです。今さらマルクス主義が思想的なバックボーンになることは、まずあり得ないでしょう。 ということは、思想的にこれだ、といえるようなものはもはや存在しないのかもしれません。政治にもない、現代思想にもないとすれば、どうすればいいか。若い人たちは、思想的なバックボーンなしに生きていけるのでしょうか。
現在も、多くの思想が書籍としては出版されています。しかし今の若者に、それを読みこなすだけの学力がついていません。岩波文庫を積極的に読んでいる大学生はほとんどいなくなってしまいました。
生活の中に生き方の規範があればまだいいのですが、家庭内でそのようなものも伝承されていません。かつて幸田露伴は娘の幸田文 を厳しく鍛え、「 渾身」という生き方の構えを、身から身へと伝えました。幸田文はまた自分の娘(青木玉) を、たとえば書道での姿勢が悪いと言って腰をけとばして鍛えました。こういう家庭はもう少ないでしょう。
しかも、兄弟やいとこ、おじさんおばさんも少なくなり、地域社会の人との関係も希薄化しています。つまり人間関係の経験が極端に少なくなっているわけです。その影響が、最近の中学生・高校生の幼稚さとして現れています。前述したとおり、本来なら家庭で甘えるべきところなのに、学校の教師に対して過度に甘えてくるという現象が起きているのです。