東直子のレビュー一覧
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一般公募した短歌を、3人の歌人がテーマ別に批評していく一冊。対談形式で書かれているから読みやすい。詩や短歌の面白さがわからなかったが、多少なりとも触れてみることで、制限があることではじめて得られる視点があると気づけた。
<第二の教訓は、限定や限界の必要ということです。いいえ、別に難しい話ではありません。相撲の技術は、狭い土俵というものが あるから生まれたのだということです。もし直径100mというような土俵であったら、相撲は、到底、あの美しい緊張の瞬間を生み出すことは出来ないでしょう。大自然を写すためにキャンパスを無限に大きくして行ったら、迫力のある絵を描けるでしょうか。そう考えると、何を書いてもよい、どんな言葉を使っても構わないという言論の完全な自由というのは、実は、少し始末の悪いものなのです。>
<なにも、戦争中の厳格な言論統制のほうがよいなどと言っているのではありません。しかし、どこかに土俵のようなもの、額縁のようなものがあった方が、本当に重要な事柄が鮮明に浮かび上がり、文章に緊張が生まれるのだと思います。今日では、面倒な話ですが、そういう限定や額縁を自分で作り出して、これを自分に課するよりほかはないでしょう。>
『私の文章作法』(潮新書75 潮出版社)清水 幾太郎著 第六章より引用 -
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ネタバレこんな絵画教室が近所にあったら良かった、としみじみ思う。
蔦のからまる古い一軒家に開かれた絵画教室"アトリエ・キーチ"。
近所に住む小学生から大人までが集まり、一緒になって絵を描く。感性の赴くまま、無になって集中して。
自分の内面に眠っているものを、目の前にある真っ白な画用紙の上に、思い思いに表現する。
見えている色や形は人によってそれぞれ違う。
空の青さも葉っぱの色も、果物の形も羽の質感も。
自分が受け止めている色や形を、絵に表現することにより相手に伝える。互いの内側にあるものを周囲の人達と共感し合う。それはなんて素晴らしいことだろう。
自分の頭の中で生まれた世界、言葉ではなかなか表現できないものが、絵になって外の世界へ広がっていく。こういう自分の気持ちを言葉や形に変えることは大人でも難しい。子供なら尚更そうだろう。
言葉数の少ない子供の気持ちも、絵を描くことで周囲の大人がもっと受け止められるといいのに。
そのためには大人も想像力を鍛えないといけない、と自戒を込めて思った。 -
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子どもを二人生んだ山崎由美という女性の視点から描かれる物語。
由美は二人子どもを産み、一人は亡くし、もう一人を捨てて、この町にやってきた。
何かに耐えられなくなったからだが、それが何かは読者にはわからない。
店と家事の仕事をする代わりに、彼女は平山タバサを店主とする薬局に身を寄せる。
薬屋として代々町の人々の生と死の現場尾立ち会ってきたという平山家。
いったい彼は何者なのか。
彼の処方する薬はどういうものなのか。
そして、この町は、異界なのか。
異界、とすれば、これは「高野聖」の男女反転ヴァージョンか?
あるいは「砂の女」の?
ただ、母性の問題が底に感じられるところは、そういった先行作品とは違っている。
平山家に嫁いだ女性たちは、みないつの間にか、どこかからやってきた人ばかり。
おまけに短命だ。
由美もまたタバサの息子を産み、こういう平山家の女に列するのだが…。
少年になった息子が彼女につきつける「約束」とは何か。
ずっと平山家にいたという老女のマサヤさんも謎の存在のままだ。
物語の序盤に、由美にかけた「ころんでしまうよ」という言葉は、果たして助言か、呪いか。
何の構えもなく読んで、横っ面をひっぱたかれた。
ホラーといってくれれば、そう思って読んだのに。 -
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絵を習うのって楽しそうだな。
水墨画の小説を読んだ時も思ったが、「絵が描けたなら。思いのすべてをキャンパスに乗せ」られたら、
なんて楽しい時間なんだろう。
そして、辛い時寂しい時も、絵を描くことで、心が救われることがあるのだろう。
物語を読んでいる間には、まるで自分が絵を描けるかのように、頭のキャンパスに次々にカラフルでステキな絵が描かれていく。楽しい時間です。
あー、本当に絵が描けたなら♪
・・・ピアノは少し弾けます。少しです。
一人は寂しい。
二人でも家族だった人がいなくなるのは寂しい。
家族を作れなかった自分は歯がゆい。
東日本大震災の時もそうだったが、コロナの今も、一人は寂しい、と感じている人は多い。
けれども、色々な事情から、一人で生活している人は多い。
そんな時に、実弥子のような人がいてくれたら、どんなに救われることか。
現実世界では、なかなか、会ったばかりの他人同士がこんな風には難しいだろうが、、いや他人だからこそできることもあるのかな、、、
そんな家の1階がアトリエで週に2回の絵画教室に子供や大人が集まる空間だったら、本当に素敵。
ルイが、これからも母親や実弥子、登美子や真由子に見守られながら、ずっと絵が好きでいて、それが強みになって、楽しい人生を歩めることを祈っている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何か『かもめ食堂』のような自分探し人情ほっこり話となぜか思って、すぐぼんやりとさぼる由実にいらつき、タバサと寝たところからえ?結局恋愛系なの?と評価が★2の勢いになったが、だんだんオカルトじみてきてラストで結構良い意味で置いて行かれました。
ネット検索してみたけれどラストの解釈をされているものが見当たらなかったので、シミズ的解釈↓
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【前提】
・由実は過去2人子供を産んでおり、1人は死亡、もう1人を残して逃げた
・逃げた先は行方不明者がよる町と呼ばれるところの薬屋
・この町は外に出なくても生活できる
・マサヤという老女だけど年齢不詳な幻のような女性はかつて薬屋に勤めていた
・薬屋の主人は代々身元不詳の女性と結婚して生まれた長男が薬屋を継ぐ
・タバサの薬を飲むと予定が立てられる(飲んだ当人も周囲の人も不安がなくなる)
【以上を踏まえてラストを解釈】
・この町は運命共同体で『タバサ』他各々の立ち位置担当のものは常にいる
→担当者自体は代替わりする
→あくまで担当が同じなだけで同じ人ではない
・また代々やってくる身元不詳の女に類するものも常にいる
→役目が終わると代替わりする(由実がマサヤの立ち位置になる)
→そう考えるとマサヤがタバサの母とも言えるがそれはルリなので
マサヤは先代タバサの後妻(ルリ死亡により代替わり)
(※現タバサの先妻かもですが幼タバサと遊んだことを踏まえて)
→池を埋めたのは由実が子を産む前にルリのように死ぬと
また代替わり要員をまたないといけないため
・タバサの薬でスムーズに代替わりする
・日吉サイクル担当は息子がいるのでOK
・3人の老女(脇田・原田・山田)担当は、
マサヤを追い出そうとした母親の娘2人(母親本人は町の外に引っ越す)と
助産院で生まれた子供(母親は出産後逃亡)に代替わりすると推測
→町の住民はそれを知っている(ので葬式をしない)
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てな感じでどうかしら。
作者の方はそこまで考えてないと思いますが、自分的にまあまあ納得できる解釈となります。