濱口桂一郎のレビュー一覧
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日本の労働者は守られすぎ、という言説について考えるために読み始めた。
ワーキングプアや年越し派遣村が問題となった15年以上前の本だが、問題意識はいまだに通底する。
同一労働同一賃金や残業規制については一定前進がみられるものの、労働法制の改革は進んでいないということか...?
日本型雇用システムの最も重要な特徴である①長期雇用制度、②年功賃金制度、③企業別組合が、ジョブ型ではないメンバーシップ型の労働契約の性質に起因するというのはとても面白い発見だった。
自分がやりたい仕事じゃなくて、所属したい企業を軸に考えるのって何なんでしょう。忠臣は二君に仕えずとか忠孝みたいな東アジア的なところからきているのかしら。
労働者保護の程度という冒頭の問いに対して、整理解雇の要件は厳しいけど、それ以外の解雇の要件は緩やかという指摘は目から鱗だった。整理解雇を厳しくしてしまっているからこそ、平時に長時間労働や広範な配転を行わざるを得なくなっているという主張も面白い。
労働者法制については、目の前の具体的な権利にフォーカスしすぎることなく、制度の根本からもう一回考え直したほうが良いように思う。整理解雇も長時間労働もダメというのは企業にとって無理筋であり、めぐりめぐって労働者に対しても不利益になりかねない。変動が著しい環境における最適な制度というのを、雇用システムだけでなく教育なども含めてもう一度考えるべきなんだろう。 -
Posted by ブクログ
本書は、日本の外国人労働政策がなぜ長期にわたり混迷したのかを、主に1980年代後半以降の政策形成過程から分析するものである。著者は、その根本原因を単なる移民政策の是非ではなく、日本型雇用システムと官庁間の政策対立に求めている。
1980年代後半、バブル期の労働力不足と不法就労の増加を背景に外国人労働問題が顕在化した。当初、法務省は在留期間や家族帯同を制限した形での単純労働者受け入れ、すなわち正面からの受け入れ(フロントドア)を検討していた。一方、労働省は外国人労働者個人ではなく雇用主に許可を与える「雇用許可制」を提案し、単純労働者の受け入れには慎重な姿勢を示した。この制度設計をめぐり、入国管理権限を握る法務省と雇用政策を所管する労働省との間で激しい対立が生じた。さらに、外国人雇用規制が在日韓国・朝鮮人の雇用に影響を与えるとの批判も加わり、労働省案は撤回されることになる。
その結果、ブルーカラー外国人労働者の正規受け入れ制度は整備されないまま、日本は「フロントドア」を持たない状態に入る。代わりに、日系人の受け入れ、研修制度、技能実習制度、留学生のアルバイトなど、労働者受け入れを直接の目的としない「サイドドア」的制度が拡大し、外国人労働力は事実上これらの枠組みを通じて供給されるようになった。このような迂回的制度は、労働者保護の不十分さや制度の目的と実態の乖離など、多くの問題を抱えることとなる。
著者は、この政策の歪みの背景に、日本型雇用システムの影響を指摘する。終身雇用や企業内育成を前提とする日本型雇用では、外部から単純労働者を柔軟に受け入れる制度が制度的に想定されておらず、そのため外国人労働政策も一貫した労働市場政策として設計されなかったとされる。こうした構造的要因により、日本ではブルーカラー外国人労働者の正面受け入れが約30年にわたり回避され続けた。
2018年の入管法改正により「特定技能」制度が創設され、日本はようやく限定的ながらブルーカラー外国人労働者のフロントドアを制度化した。しかし著者は、依然として労働市場テストや受け入れ上限の明確な枠組み、外国人労働者を包括的に規定する法制度などが十分に整備されていないと指摘する。したがって、日本の外国人労働政策は依然として過渡期にあり、今後は労働市場政策と一体となった包括的な外国人労働者法制の構築が求められると結論づけている。
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本書を通じて、日本の外国人労働政策は単純な受け入れ是非の問題ではなく、日本型雇用システムや官庁間の権限争いなど複雑な要因の中で形成されてきたことが理解できた。特に1980年代の政策検討段階では、法務省と労働省の制度設計の違いが強く対立し、その結果として正面からの受け入れ制度が整備されないまま、技能実習などの迂回的な制度が長く続いたという指摘は印象的である。一方で、雇用許可制など当時検討された制度には企業側の権限が強くなりすぎる懸念も感じた。また2018年の制度改革によって一定の前進はあったものの、依然として包括的な外国人労働法制が十分とは言えないという著者の問題提起には考えさせられる部分が多かった。 -
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勤め先の会社でジョブディスクリプションが整備されました。これが「ジョブ型」か、とやんわりとした認識しかありませんでしたが、社内で異動先を公募する際の参考資料としてしか活用されておらず、何だか早くも死蔵となりそうです。そんな経緯から、ジョブ型って何なんだ?という素朴な疑問を持つに至り、書店でズバリのタイトルが目に入りこの本を手に取ったのですが、おかげでかなりスッキリしました。やっぱり大きな認識相違があったんだとわかりました。
本の後半ほとんどは、日本で流布されているジョブ型が得たいの知れない某かになってしまっていると思われる歴史的経緯について、労働法制を中心に解説されています。その中で、米国と欧州と日本の違いもザックリと掴むことができます。これだけの内容をよく1冊にまとめたものだと感じるのは、私に前提知識が皆無だったからだと思うわけですが、似た状況の方にはお薦めです。
考えたこととしては、日本はやっぱりここでもガラパゴスだということと、しかしそれは優劣ではなく特色だということです。むしろ誇らしくもあると感じるくらいです。長らく元気・自信のない日本ですが、賃上げが叫ばれる昨今、雇用という観点からも自らの立ち位置を見定める価値があり、その上でどうやって未来を切り開いて行くべきか我が事として考えて行くべきだと思いました。良い本でした。
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『働く女子の運命』 濱口圭一郎
2022年10月―12月期 グロービス参考図書
本書でも『若者と労働』と同様に、雇用保障と引き換えの職務・労働時間・勤務場所が無限定の労働義務を負う正社員と非正規雇用の二極化する日本的雇用慣行をベースに論を進めている。
女性はその中で、育児やその他の女性の身体的特徴からなる活動と上記の無限定的な正社員像の狭間で退職し、育児の見通しが立つと非正規雇用での復帰とならざるを得ない状況となる。
濱口氏がかねてより主張するジョブ型雇用やジョブ型正社員像であれば、こうした女性も給与は正社員として、業務はジョブに限定されるため、これまでの日本の少数精鋭的な無限定型の正社員と一線を画し、活躍することが可能である。
本書で興味深かったのは、日本の戦前からある生活給という思想について歴史的に紐解いている点である。20世紀初頭まで日本は年功的な賃金制度はなく、基本的に技能評価に基づく欧米的な職種別賃金であったが、1922年の呉海軍の『年功賃金の歩みと未来』という書物を端緒に、対共産主義的な施策として、生活給と言う発想が出現する。生活給の発想とは、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化=共産化の原因として批判し、年齢とともに賃金が上昇し、家族を扶養する壮年期には家族を扶養するのに十分な賃金を支払うという発想である。ここでは明言されていないが、技能的な観点ではなく、労働者の生活にフォーカスしているため、若者は基本賃金が低く、ライフサイクルとともに技能に関係なく賃金が上がるという発想である。
こうした発想が、戦時中の皇国勤労観と合流し、労働が国家への奉仕である限り、国家は労働の対価としての賃金で、労働者の生活を保障しなければならないという国家社会主義イデオロギーが形成された。その結果、現在の年功序列賃金、終身雇用という日本的雇用慣行が形成されたのである。戦後、この生活給思想はGHQにより批判され、同一労働同一賃金への是正を求められるが、常に綺麗に論点をすり替え続け、現在まで生き永らえている。
特に、マルクス経済学に立脚する労働組合からもこうした思想が受け入れられているのは興味深い。マルクスは、労働力はそれ自身の価値=賃金よりも大きな価値を作り出すが、その超過分=剰余価値は資本家のポケットに入り、賃金として還元されない点を看破し、資本家と労働者の対立構造を論じた。では、剰余価値を除いた分の賃金はどこにベンチマークされると言えば、労働力の再生産=労働者の生活に必要な最低限度となる。この発想から敷衍された先に、労働力の再生産と言う観点では「個体としての生存のみならず、種族としての存続、再生産」が必須であり、種族としての再生産とはまさに妻や子供を養うことである。かつて更迭された某厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」発言もびっくりの、まさに資本主義が人間の生殖にまで掌握しているという理論であろう。こうした観点から、マルクス経済学でも、生活給思想は奇妙な形で合流し、現在まで残っている。
勿論、子供がいる壮年社員を単に労働生産性が低いからと言って、解雇することが良いことではないと理解はしているものの、結局のところ生活給という発想がある限りにおいて、労働者の技術力や労働生産性に自ずと目が行かなくなるのも理解ができる。労働生産性が上がらなくともなぜか上り調子の景気状況であれば、こうした発想も許容されていたが、現代では、許容されなくなっているのが現状であろう。
日本的雇用慣行に紐づく生活給という発想は、ある種奇妙であり、個人としてはやはり報酬は成果やその人物の労働生産性に基づいて評価され、その上で、家族がある人間には会社としてスケールメリットを効かせた形で提供できるベネフィットを享受してもらうという発想が極めて合理的と考える。
個人的には、生活給という発想が、マルクス経済学にも調和しており、ある種資本主義というメカニズムの中で生殖が正とされている点に、一瞬何等かの示唆があるのではないかと考えたが(つまり、生活給発想があれば、若者も生産性を上げるより早く子供を作る方が賃金が上がると考え、子供をつくることに躊躇がなくなるのではないか)、日本の低出生率を見る限り、この仮説は誤っていた。
やはり、生活給発想において、男性に焦点をあて、企業も賃金を多く与え、そうした状況に乗っかる形で社会保障の原資を源泉徴収で賄っていたモデルはとうの昔に限界を迎え、社会保障で言えば、宮本太郎氏も訴えているが、支え手への保障、そして全世代型社会保障という発想に転換してきている。
本書のテーマにも戻るが、生活給発想では、やはり女性は周縁化され続ける。やはり、同一労働に対しては同一賃金を支払うという至極当たり前のことがスタンダードになっていくことが、日本の今後の女性の労働環境の良化につながると考えている。現在の若者や女性がコンサル業界やIT業界を志望するのは、自分自身のスキルの獲得が労働市場で生きていく上で不可欠と感じているからでなかろうか。 -
Posted by ブクログ
以前から人事制度や労政に興味があり、ジョブ型雇用の概念も正しく理解しているのだが、最近やたらこのワードを聞くようになって「またどこかの人事コンサルと近視眼的経営者が結託して良からぬたくらみをしているな」と感じていたところ、濱口氏の新作が出るというので迷わず購入。本書で日本の特殊な雇用制度が成立した背景や論点を改めて整理することができた。前作同様平易な語り口で素人にも理解しやすい良書。
人事制度に限らず、世の中の大抵のシステムは無数の個別の施策が協調して成立しているのであって、その中の一つの部品だけ評判の良い(とされる)ものに取り換えてもバランスが崩れて上手くいかないことが多い。昨今のいわゆる「ジョブ型」も、採用・処遇制度はもちろんの事、教育から年金制度まで社会のありようすべてをジョブ型にハーモナイズさせなければ、結局どこかに歪を生じさせるだけで終わる。投資に対しては非常に抑制的で慎重なのに、なぜか組織や人事制度の改変にはやたら冒険的な経営者が多いが、下手をすると屋台骨を揺るがす重大なリスクがあることを肝に銘じるべきである。そもそも人事・雇用制度のような社員の人生を直接左右する領域で安易に冒険をすることは許されるものではない。 -
Posted by ブクログ
◯労働分野の勉強はほとんどしていない自分にとっては、面白いように新しい知見を得られる一冊であった。
◯特に印象的だったのは、日本の若者の就職の実態と、労働法制がずれているという点が面白い。なんのための法令だか分からなくなる。これではブラック企業や過労がなくならないのもなんとなく頷ける。(この辺りは経済界と政界の折り合いがもたらした悲劇なのかもしれないが)
◯また、日本の就活が、採用基準の意味不明な人間性を見ているのは何故かということにも、一定の納得が得られた。確かに、現在の日本の大学では就職のためのスキルを得られない文系大学や講義が多すぎる気がする。
◯この辺りはそれこそ「革命」でも起きない限りは中々変わらないのかもしれないが、知ってこそできることはあるので、ぜひ大学生にこそこの本は読まれるべきだなと思う。 -
Posted by ブクログ
日本の雇用システムの歴史的流れとその中の女性労働者の立ち位置が整理されていてとても読みやすくわかりやすかった。
ワークライフバランスには、労働時間を規定する第一段階と柔軟性をもたせる第二段階があり、日本は第二段階については他国と遜色ないくらい充実してるのに第一段階が空洞化(時間無制限な労働義務)しているから、育児や家事で時間が制限されることが決定的なデメリットとなり、結果育休世代がジレンマに投げ込まれるとの説明は納得感あり。
国民は勤労することで国家に奉仕し、国家は家族含めて勤労者を守るという立て付けが、現在も企業と社員の関係性の中で生きている。
日本がメンバーシップ型からジョブ型に移行するのはまだ相当ステップが必要になるのだろう。 -
Posted by ブクログ
日本人は、所属先を失ったり、不当に扱われたりすると、
簡単に自信を喪失したり、最悪、自殺します。
所属と日本人を考える上で一番参考になるのが、
就職活動です。
ここでいう就職活動は、日本の大学生が3年時から、
行う新卒定期採用制への参加、通称就活を指します。
これがなぜ、一番参考になるかという、
就活に参加するか、しないかが、
学生が、日本で職業人生を
歩む上で極めて重要になるからです。
私は以前から、この就活は、戦前・戦中の、旧日本軍への、
徴兵制と、全く変わらないんじゃないかと思っています。
つまり、自由意志とは関係なく、強制であり、
参加しないものには、
社会からの制裁を社会的経済的に、
受けるものとなっているのではないかという疑問です。
また以前、戦況が悪化する中で、誰かれかまわず、軍へ徴兵させるやり方は、
現在の新卒をめぐる問題を考える上でも、非常に示唆に富んでいます。
つまり、戦争末期、徴兵はしたものの、軍隊教育を行う余裕がなく、
とりあえず戦場に出すというやり方は、現在の少なくない会社が、
新卒に対して求める条件を低くして、使い捨てにするやり方と、
非常に似通っています。
徴兵制が機能している時は、戦況が良い時であるよう(思わせている部分も多いにありますが)に、
新卒定期採用が機能している時は、経済が活況の時です。
しかし、残念ながら、前者は破滅的な結果を生み、
後者も、現在、ボロボロの状態にあります。
それでも、体制を変えようとしないのは、狂っているとしか、
言いようがありません。そうです、現在の日本は、明らかに狂っています。
一億総活躍社会なんて、あまりにグロテスクな社会です。
日本で賢く生きるのは、有名大学に行って、有名企業や公務員になる
ことです。この神話が未だに生きています。しかし実際は、死体です。
企業体も公務員組織も、現在、以前のような所属することへの見返りは、
ありません。有名企業さえも、破産するのは、当たり前になりました。
公務員になったとしても、実は、その実態は、あまり良いとは言えません。
これだけ不祥事が賑わしていますから、統計的に分析してみることをおススメします。
日本は、未だに、私は、これができますという社会にはなっていません。
○○に所属していますから、自分は、凄い人間なんですよとか、
〇〇に所属しているから、自分は、どうしようもない人間なんですよと、
今でも、所属先が、その人の自信と社会的地位を測る、
パロメーターとなっています。
しかし、今は、不安と隣合わせです。
それは、凄い所属先の人はみな内心思っています。
もし、今の所属先を失えば、自分には何があるのだろうかと。
それは、仕事に人が張り付いている欧米のジョブ型なのか、
人に仕事が張り付ている日本独特のメンバーシップ型なのか、
この差は、あらためて大きいと思います。
どちらも、一長一短ありますが、
前者はいつクビになっても、次は、もちろんありますが、だって、仕事があり人がいるわけですから、
その仕事内容ができる人は、できない人は、明確に分けることができます。
後者はクビになったら、つまり、所属先がなくなったら、何者でもありません。
次の所属先を探さなくてはいけませんが、それは、なぜか、多くの不当な理由で、
個人の可能性を狭める状況に追いやられます。
なぜ、こういう個人にとって、あまり良いことがない制度が、
確立しているのか?そのヒントは、この著作にもありますが、
個人的には、組織体だけを長く存在させるためには、
もっとも合理的な制度だからです。
それは、個人というものが、軽視されていることの現れですが、
もっと言えば、個人が、あまりにこの国では、バカだからです。
また、この問題は、非常に根が深く、
おそらく、日本って、ほんとに、近代国家なのか、民主国家なのか、
ほんとに、士農工商の身分制度ってなくなったの?うんぬんまで、
考えざるを得ない問題です。
今現在で言えば、就活に参加することは、以前のように、当たり前かつ賢い方法になって
いるわけでもなく、多くのリスクを内在しています。そのリスクを考えた者が、
これから「生き残る人」になるかもしれません。
これから日本社会並びに経済は本格的に衰退していきます。
それは戦後40年で生産人口が4000万、当時のイギリスの人口ぐらい増えたとの
対称に、これから40年で3000万減ります。
このインパクトは、移民どうこうや、生産制云々という議論ではもちろん、
ありません。
こういう状況の中で、どういう職業につき、糧を得ていくかというのは、
どこに所属するかの100万倍大事な問いです。
それを考える上でも、この著書は、非常に参考になります。
よく本の知識なんて、役に立たないといわれますが、
それは、目的を持って、知識を獲得しようとしていないからです。
しかし、知っとくだけで、得することはたくさんあります。
この著作は、新書形式ですが、非常にお手軽ですが、
著者の考えは、この生きにくい日本で、どうしたら、若い人が、
より良い職業人生を歩むか、考える上で非常に大切な知識を教えてくれます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレとてもおもしろかったです。
現代の日本の労働状況をときほぐして説明してくれる本でした。
日本の、職業に直結しない教育の度合いというか、
卒業して就職へ臨む若いひとたちの
「これまでの教育が職業に役立つかどうか」の意識というかは、
先進国で最下位だったそうです。
義務教育を受けても、それがその後の就職にはつながらないと
日本人は考えているし、実際そうなのでした。
そんな日本の労働システム。
本書では、メンバーシップ型と読んでいます。
年功序列だとか、新卒一斉就職だとか、
そしてそれらとマッチングした企業内のシステムだとか、特殊なんですね。
欧米に限らず、中国を含むアジアの先進国にも、
日本のようなメンバーシップ労働システムはないそうです。
日本では、仕事のスキルのない新卒者をいっせいに採用して、
社内で少しずつ教育して使いものになる労働者に育てていきます。
一方で、欧米型では、スキルのない若者は採用されません。
欠員がでたときに、その仕事ができる人を公募して、
若者にしろ中年にしろそこは構わず、
持っているスキルで採用の有無を判断するそうです。
その結果、若者たちが就職できないという問題を生みますが、
公的な職業教育制度があったりして、
その問題に対処しているそうです。
もともと「人」を大事にする思想ではじまった
メンバーシップ型労働システムなんだそうだけれど、
法律など建前としては欧米的なジョブ型労働システムを
よしとしているようです。
ハローワークでの職探し、職業訓練、などは
「仕事」に「人」をはりつけるジョブ型の考え。
日本的なのは、「人」に「仕事」をはりつけるメンバーシップ型の考え。
そして、いまや学生たちは就活と職探しを別々に考えているらしい。
職探しは就活より下とみていて、
なんとしても新卒で就職しようと躍起になる。
給料もそんなに違わなくて、
長い時間かけて取り組んだとしてどこがブラックかもわからなくても、
既卒で職探しはしたくないみたいなんですよね。
話は変わりますが、教育について著者は言います。
大学の文科を抜本的に見直すべきと。
あいまいな「人間力」なるもの、
潜在能力なるものを面接官がみて内定をあたえるのを無くすならば、
戦力になる職能の有無をもっているかどうかを見るべきだと。
そういうのが、偏差値を一元的に信奉する価値観を改め、
中学や高校で荒れる生徒までをも減らすのだ、といいます。
本書の後半で語られますが、
「人間力」という潜在能力でひとを判断するメンバーシップ型は、
その潜在能力を信じて、いろいろな仕事を割り振り、異動させたりもして、
社員を成長させていくシステムです。
しかし、仕事の能力ではなく「人間力」という抽象性に注目すると、
たとえば不採用になったときなどに、人間性や人格を否定されることになります。
そうやって自分が悪いんだという一種のマインドコントロールに陥ります。
自分の精神面や人格を変革しなければならないという観念を持ってしまい、
だから、「自分探し」などという錯覚にはまってしまったりもするわけですね。
なるほど、と思いながら、
でも、ぼくは、
文科系に進路を取るなら、
自律性を養うカリキュラムをもうけてもらって、
必要ならば学生が自分なりに知識や技術や資格をとっていくように
育てればいいのではないのでしょうか。
文科系をなくせ、という話にはならないとぼくは考えます。
文科系の生き方、そういう自由はあっていい。
また、
労働基準法がどうあれ、
社員というものは基本的に残業をするもので休日出勤を断れないもので、
それらに反すると解雇されて当然だと最高裁の判例があるようです。
この本に、いろいろと判例がちょこっとずつ載っているのだけれど、
法律の建前の部分に反する判決がでていたりします。
表向きはこうだけれど実際はこうだから、
と暗黙の内に了承して声すら上げないことってけっこうありますけども、
たとえば労働システムなんかの現実を踏まえていて、
「しょうがない、そういうもんだ」みたいに飲みこんだりします。
そして、一事が万事みたいにあちこちで
「しょうがないんだ」と適用しちゃう。
それこそが、メンバーシップ型の実際面なのですが、
そこを巧みに利用して、ブラック企業がでてきたわけです。
詳しい部分は本書を読んでください。
それと、へええ、と思ったのが、
同一労働同一賃金の議論は、50年代60年代からに一度あったことですね。
そのときの議論は70年代のオイルショックなんかの影響で負けたらしいです。
日本には基本的に下記の二つしか働き方がありません。
メンバーシップ型と非正規社員です。
本書の終いのほうになると、もうひとつの労働者のタイプを提言してくれます。
これは非常に注目すべきだなと思いました。
日本のメンバーシップ型のいわゆる正社員は、みんなが総合職で、
管理職を目指すというのをよしとしすぎるんです。
転勤も昇進もない一般職を目指すような男は採用されない、という風潮も
根強くあるそうですね。
そこらあたり、欧米各国と比較すると、顕著にわかるらしく、
一般職こそふつうの職のありかただとして、欧米では多くのみんなが働いている。
もしかすると、世間の世知辛さってものを生む大きな原因が、
この総合職でなければ正社員ではないという体質なのかもしれない。
あとがきでは、
労働法について、それが建前としての色が濃いものだとしても、
学ぶべきですよ、と言っていました。
会社に適応することはいいことですが、
同時に抵抗するすべを持つこと、抵抗することそのものも大事だといいます。
そうやって抵抗して解雇される危険性があった
これまでのメンバーシップ型の体質が、
ブラック企業を生んだ原因でもありますから、
しっかり、そこらあたりは改善していかないと、というわけでした。
長くなりましたが、中身の濃い良書です。
善良な経営者に読んでもらって、雇い方に着いて見識を深めてほしいです。
ふつうのいろいろなタイプの労働者のひとたちも
読んで知っておくと、
自分の気もちや態度に自信が持てるようになると思います。
社会よ、少しずつ良いほうへ変わってゆけ。
そのきっかけになる可能性を秘めた本です。 -
Posted by ブクログ
戦後の女性の労使関係史をまとめた新書だが、(戦後の)日本的労働観がその前提としてまとまっている良書。
欧米の仕事内容が規定された労使関係は、もともと女性と男性のジョブを分け賃金格差もあった。1950年ごろを見れば男女差別は日欧米共に歴然としてあった。
現在の欧米では流動性の高い就職状況下で規定されたジョブと賃金が結びつくことによって、女性を賃金の高い職につけるというアファーマティブアクションで分断の壁を少なくすることができている。一方日本は、流動性がなく、会社が従業員の生活給を出す著者の言う会社に従業員の生活が取り込まれるメンバーシップ制を敷いており、ジョブと賃金が結びつかず、無理やり、総合職、一般職という職業コースで賃金の区分けを行った。またこのことでメンバーシップ制度がそのまま温存され、女性を総合職ルートに取り込んでいく際に、ワークライフバランスや子どもや介護対象のいない他の従業員との軋轢が生まれることとなる。