松木武彦のレビュー一覧

  • 古墳時代の歴史

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    私の尊敬する考古学者三大巨頭の最後の1人だった松木武彦さんの「絶筆」である。今まで、何冊も古墳時代解説本を書いていて、読まなくても良いかな、と去年は思っていたけど、とんでもない間違いだった。audibleで聴き始め、聴き終わった今、必ず本書を購入し、大切に何度も熟読することを誓いたい(audible登録が何故か出来ないので仕方なくこの本で登録。恨めしい)。

    古墳時代がどの様に始まったのか。文献史学者とは一味違う編年体著述の古墳時代史ではあるが、それのみが本書の真価ではない。古墳時代と言いながら、弥生時代後期の解説が多いのが松木古墳解説の特徴である。しかもその割には「卑弥呼」という言葉はあまり出てこない。

    改めて、私の弥生時代妄想は、ほぼ妄想ではなくて根拠があることがわかった。というよりも、松木教授の教えをもとに妄想しているので、基本そうなってしまう。

    改めて去年の旅は、我ながらちゃんとピンポイント押さえている。鳥取の青谷上寺地遺跡、北陸の小松市八日市遺跡(埋蔵文化財センターのみ)、濃尾平野の朝日遺跡を訪れたのは、意義のあることだった。また、2週間前に思いついて行った吉備東部の浦間茶臼山古墳についても、字数を割いて松木教授は解説してくれていて嬉しかった。

    松木教授も言っているように、3世紀初めの(卑弥呼による)倭国統一は、戦争で成ったわけではなくて、話し合いだったのである。

    何故奈良盆地が、統一した倭国の中心的な土地として選ばれたのか。
    交通の要所としての「物流センター」としての役割を、各地の氏族たちが認めた(認めさせた)というストーリーを松木さんは持ったようだ。これは物凄く新鮮な視点だった。厳密な材料こそ出してはいないが、(明確に自らの死を意識しながら)明瞭な意識で斬新な視点を提示したのだと思う。氏の遺言だ。私たちがこれを引き継がなくてはならない。同時に、(西国の弥生遺跡ばかり訪ねていたが)大和以東の日本の弥生遺跡の重要性が初めてわかった。今年末、偶然にも愛知以東に行くことが決まった。東海、関東の弥生・古墳時代を見てきたいと思う。

    その他、少し論理の飛躍はあるかもしれないが、空白の4世紀などモロともせず次々と「新説」を提示しながら、2-6世紀の日本を編年体で説明し尽くした。考古学なので、全て物理的に根拠のある新説なのである。

    この前見た岡山市教育委員会の造山古墳時代の「二頭政治」説とは、次元の違う日本列島像であり、あの説を信じかけた自分を恥じた。そもそも、大和王は西日本を統べる王でもなかった。

    また、「四半世紀を岡山で過ごしたから」と言って吉備の古墳時代を詳説してくれたのは、望外の嬉しさだった。これからキチンと検討したい。

    論理の構成上、古墳時代後期は簡単な説明で終わった。この後に読む「継体天皇」が、偶然にもその時代を詳説しているはずで楽しみである。

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    2026年08月30日
  • 古墳時代の歴史

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    考古資料を元に古墳時代の歴史を編年体で叙述した内容。世界史の一部という視点も欠かさず、科学的分析も含めた古墳や出土資料の丹念な検討によって復元される歴史像が非常に興味深かった。

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    2026年05月15日
  • 古墳時代の歴史

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    ネタバレ

    近年の放射性炭素年代法と年輪年代法、及び土器、副葬品等の順番付け、火山灰層、更には年がわかる魏志倭人伝等や鉄剣から10~20年程度で割り出した編年の古墳時代の歴史を描く試み。
    ・3世紀前半 古墳は、古墳群として氏族にシンボルとして東日本で発生。
    ・250年前後 箸墓古墳
    ・3世紀後半 ヤマトに門閥氏族
    ・4世紀前半 ヤマトの門閥氏族が2つに分かれる。ツクシを除く各地の有力氏族とよしみ。金官伽耶と外交関係
    ・370年前後 百済と外交関係
    ・375~400年 武装の革新、騎馬
    ・391~404 高句麗と衝突
    ・400頃 カワチの2つの門閥氏族(古市・百舌鳥)が強大化。
    ・375~425 西日本各地更には東日本でも各地の氏族が男系大氏族に再編。
    ・425頃 半島での敗戦により軍事連合政権の「応神新体制」
    ・450~475 カワチの2大氏族が抗争の末挫滅。
    ・475~500 応神新体制の解体
    ・500~575 「大王」の成立

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    2026年10月01日
  • はじめての考古学

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    考古学の入門書として類書の中でもとりわけ初学者の方によい本だと思います。なぜ日本の古墳は世界の墳墓と比べて巨大なのか、縄文土器はなぜ派手な紋様をしているのか、という個別のトピックで興味を引きながらも、考古学という分野自体の歩みと危うさ、光と影もバランスよく扱っていてスッキリした構成となっています。

    入門書としてよいと思ったのはまさに考古学のオーソドックスな解説をしながら考古学自体の意義を胡座をかかずに再考しているところで、ナチスと考古学の悪しき結びつきなどに警鐘を鳴らしつつも、そうした社会との関係を問う考古学を「パブリック考古学」と今は呼ぶとして学問への関心を持続させる書き方になっているのが誠実だったと思います。

    また、縄文土器をめぐり当時の人々の主観的、心理的世界を探求していくアプローチを「認知考古学」と呼び最先端の学際的な領域を紹介しようとしているのも読み物としての娯楽性に富み楽しいものでした。

    総じて入門書としてその学問の楽しさ、美味しい部分をスッと出す娯楽性と、学問的な誠実性が両立していた本と言えます。

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    2026年02月01日
  • シリーズ 地域の古代日本 東アジアと日本

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    日本列島の文明化と国家形成を、中国を中心とする東アジア(漢字、仏教、儒教、律令)の相互作用として捉え直す試み。本書の特色は、前方後円墳や聖徳太子といった「定説」を、東アジア全体の激動のなかで最新データを用いてアップデートする点にある。

    まず刺激的なのは、巨大前方後円墳を直ちに「大王墓」とするテーゼを執筆者自らが「撤回する」と明記している点。前方後円墳は、一義的にはリネージ(出自系統)やクラン(氏族)のランクを表示する葬送舞台であり、王権秩序とは別次元の組織形態を反映していたという整理は、権威の表現が複線的であることを示す。

    都城史では、藤原京から平城京への遷都が、大宝律令への対応だけでなく、疫病による多数の死者の発生が「礼に背く都」とみなされたことや、遣唐使が実見した長安大明宮の情報の反映によるという指摘が興味深い。遷都を「法整備」だけで単線化すると、疫病・礼制・対外情報という同時進行の論点を取り落とす。

    文字文化においては、行政法典や正史には中国式漢文を用いる一方、和歌や宣命には日本語順の和文表記を用い、言語構造の異なる二重の表記体系を保有したことを明示。さらに、百済・新羅の文字表現(誓記体、吏読)が非漢文的な日本語表記の成立に決定的な影響を与えたことを、木簡や刻字土器から実証する。「中国→日本」の直線モデルに回収しない、半島・多方向の媒介を前提にする視点が重要。

    仏教受容は信仰のみならず、測量・金属加工・造瓦・医薬といった先進技術者集団と一体で波及し、地方社会への浸透も評家(郡家)と寺院がセットで整備された。宗教と技術の「セット受容」として描く視点は、単なる信仰導入ではない複合的な国家形成を理解する鍵になる。

    家族史・ジェンダーの観点からは、奈良時代以前は家父長制が未成立であり、キサキは「天皇の妻」ではなく「皇子女の養育者」として自立した経営主体であったという論考が刺激的。婚姻は一夫一婦制が固まらず、対偶婚のように結びつきが弱い形態が想定され、后妃は天皇と同居せず独立した宮で皇子女を育てる、というモデルを提示する。後世の「正妻・家父長」モデルをそのまま遡らせない注意が必要。

    天智期関連では、白村江敗戦後の亡命百済人流入が技術・官制・記録能力を押し上げ、国防と制度整備が同時に進む局面として描ける。斉明追善の川原寺建立、天皇号使用の端緒可能性(野中寺弥勒菩薩像銘「中宮天皇」)など、宗教・称号・建設が政治と結びつく。ただし、近江令は体系的な法典としての実在は疑問視されており、単行法令の集成であった可能性が高い。

    また、古代社会の流動性として、多産多死社会であり、都城への人口集中が病原体との接触機会を増やし、天然痘などの疫病拡散を律令制システムが加速させた点も重要。制度=進歩として描き切ると、疫病・災害という負の帰結が見えなくなる。

    角川選書であり、最新説を平易な言葉で解説している初学者向け。女性の自立した邸宅経営、当時の過酷な災害・飢饉の実態など、リアリティのある描写に不可欠な知識が揃う。文字を持たなかった人々がどのようにして日本語を書き始めたのか、女性たちがどのように家を切り盛りしていたのかといった、生活実感に近い歴史像が得られる一冊。

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    2025年12月23日
  • 古墳時代の歴史

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    面白かった。
    古墳時代が時系列に沿って記述されている。それが新鮮で分かりやすい。
    あとがきの冒頭に「本書は考古学の先端的な研究成果を広く関心を持つ人に伝えることを大切にしていた松本武彦が最後に書いたものである」(松本直子氏)とある。その通りで、最新の知見に満ちていながら、素人にも分かりやすい。古墳時代の日本列島の人々の動きが、頭の中に入ってくる。
    日本列島の白地図を何枚も用意して、それをノートがわりにしなが再読しようと考えている。

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    2025年12月17日
  • 古墳時代の歴史

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    弥生時代から古墳時代のどの本よりも詳しい考古学的解説書。
    松木武彦氏の研究の集大成。
    弥生時代からの各地域圏での氏族の始まりから、大王、ヤマト政権へ至る流れ。
    ヤマト政権の確立とともに徐々に畿内は古墳の縮小、消滅へとむかう。

    ・1-2世紀
    北部九州:外交と交易の先進地帯、甕棺墓がなくなる、原の辻貿易。
    山陰:日本海交易の拠点、四隅突出型墳丘墓。
    北近畿:貿易技術立国。
    瀬戸内:内海航路と農業生産。
    近畿中央部:農業社会の伝統と変革。
    東海:肥沃な三日月地帯の要衝。
    北陸:倭国乱の焦点。
    関東:弥生の新開地。関東と東海にわたりアヅマの醸成。
    ・3世紀
    古墳は氏族のシンボル、東日本で発生した。個人の墳丘墓。遠距離交易と水田開発を主導した新興氏族のシンボル。
    ヤマト:イガやイセをへて東海・関東大地方圏へ、アワウミをへて日本海大地方圏へ、カワチをへて瀬戸内大地方圏につながる地理的条件。3世紀前半。
    西方へも古墳がひろがり、古墳を築く氏族が各地に発生する。
    共同体の伝統社会が東から伝わった氏族主導の社会へ入れ替わる。
    250年ごろ、箸墓古墳。長さ280m、高さ30m、3段の後円部、イズモの葺石、キビの円筒埴輪。長大な割竹形木棺を竪穴式石室で包む厳重なこしらえ。
    天にそびえる頂上に主人公の遺骸を祀り上げる。
    共同体に変わり新しく社会の主役にたった氏族の儀礼と権威誇示の場。政治的な性格。
    同じ頃、東アジア全体に有力者の墳墓をモニュメント化する動き「東アジア墳墓文化」(日本以外は遺体は地下に埋葬される、埋葬後に盛土)
    3世紀後半から纏向に門閥氏族が。纏向、萱生、柳本。全面3段の前方後円墳。
    ヤマト周辺にも広がる。
    ・4世紀
    ヤマト盆地南部の本家と北部の分家に。北部の門閥氏族が儀礼を上書き。各地の有力氏族とよしみを築く。
    ヤマトが日本海、九州南部、太平洋への影響を強める。
    金官伽耶との外交関係を樹立。
    ・5世紀
    370年前後、倭と百済との通交。七支刀。
    渋谷向山陵(景行天皇?)か五社神陵(神功皇后?)か津堂城山古墳。
    375-400、カワチの門閥氏族が武装の革新をすすめた。
    391-404、伽耶から百済へ兵力を出し高句麗と衝突。
    400、カワチの2つの門閥氏族が巨大化(古市と百舌鳥)
    375ごろ、各地の氏族が大氏族へと再編され始める
    375-425、西日本で男系大氏族への統合が進む
    425、東日本にも男系大氏族への統合
    425、応神新体制が確立。国際的緊張を背景にした軍事連合政権。
    425-475、軍事連合政権としてのありさまが古墳として表現される
    ・古墳時代の地域・社会・暮らし
    地方におけるムラ・マチ・古墳のありかた。キビ地域社会のようす。
    気候や環境や疫病などの大変動が4世紀の中頃から後半にかけて起こった。
    4世紀前半から中頃と推定される崇神天皇5年の疫病による半数が死亡という記事、12年の寒暑が乱れ疫病が多発という記事。
    ミマキイリヒコ(崇神天皇)、山辺道勾岡上陵、柳本行燈山古墳。
    社会不安の増大により、古墳の被疑の変化、アイテムの種類や量の増強、氏族の守護を期待。
    造山古墳、減って分散した人口を再び集約し地域社会の復興と再生を行うためのモニュメントとして築かれた。キビの諸氏族の長あるいはカワチ門閥氏族の分派により、弱体化した諸氏族を一つの強力な男系大氏族へと統合。
    ・古墳時代はこうして終わった
    450-475、古市と百舌鳥の2つの門閥氏族が挫滅していく=ワカタケル(雄略天皇)による抗争で、実力を持った後継者がいなくなる
    475-500、応神新体制が解体。4世紀以来、1世代に数百両もつくられて埋納された鉄製甲冑の生産が一斉に停止。国際関係としての軍事政権への意向がうすれ、冊封体制に入ろうという意思が弱まる。競争を象徴化した古墳の大型化も変化。
    500-575、大王と大王家が確立。6世紀の歴代の大王、それを支えた「大伴氏」「物部氏」などの氏族。
    律令制の前段階のマエツキミ制に。鉄やその他資源の朝鮮半島からの輸入をやめ、列島内各地の資源開発や大和への集約を進め、古墳とは関係のない経済・社会へと変化。
    ヲホド王(継体天皇)531年没、大阪府高槻市今城塚古墳。
    その庶子墓の勾大兄(安閑天皇)536年没、大阪府羽曳野市高屋築山古墳。
    同母弟墓の檜隈高田(宣化天皇)539年没、奈良県橿原市鳥屋ミサンザイ古墳。
    継体天皇嫡子の天国排開広庭天皇(欽明天皇)571年没、奈良県橿原市五条野丸山古墳(墳丘長300m超、堅塩媛を合葬)。

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    2025年11月22日
  • 古墳時代の歴史

    購入済み

    丁寧な解説

    年代と出来事の関係を明らかにしてゆく資料は少ない中で、この本は実に丁寧に追いかけられているために、因果関係の追跡の手がかりとして、大変参考になりました。 

    #共感する #深い

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    2025年11月10日
  • はじめての考古学

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    本書は児童書の棚にあった。編集者は少なくとも中学生あたりを読者に想定しているのだろう。けれども内容はとっても高次なことを語っている。元の原稿は駒澤大学の学部生向けの「日本考古学概説」である。コロナ禍の下、配信のみになったのが残念で書籍化したらしい。目次全文が手に入ったので、本レビュー最後尾にコピペした。よくぞ新書体裁にここまで詰め込んだ、というぐらいに日本認知考古学のパイオニアとしての矜持を持った概説書になっていることが、この目次を眺めるだけで判ると思う。栞だけで頁が倍くらい膨らんだ。全部メモすると大変なことになるので、どうしてもという部分のみメモしてゆきたい。
    以下少し専門的になるので、(いつものことですが)興味ある方のみお読みください。

    【追記】レビューを書いている途中、ふとwikiで松木武彦さんを検索したら、「9月21日死亡」の文字が!!
    冗談かと思った。非常にショックです。現役の考古学者で最も尊敬する方でした。
    戦争と平和の問題を考古学から解明する学者として、佐原真さんを継ぐ方と期待して疑わなかったのに…。また、認知考古学もこれからという段階だったのに…。考古学界にとって、大変な損失です。言葉になりません。


    ・考古学の対象はヒトが出現した700万年前から第二次世界大戦前後まで。
    ・椿井大塚山古墳(京都府木津川市)や黒塚古墳(大和)に葬られた人物は、鏡の製作と配布に携わった絶大な有力者ですが王ではない。王は同時期、遥かに巨大な箸墓古墳(大和)があるから。
    ・アクセサリーや絵画は、心理的機能の産物であり、こんなモノをたくさん生み出してみんなで共有する様になったヒトは、ホモ・サピエンスだけです。そんなモノの白眉は、実際には存在しないものを頭の中に作り出す脳の力、すなわち「想像」の産物です。ドイツ・シュヴァーベン・アルプ「ライオン人間」は3万2000年前のマンモス象の牙から彫り出した作品。もしかしたら「神」として崇めていたのかもしれない。神がヒトを造ったのではなく、ヒトが神を作ったのです。
    ・ホモ・サピエンスは2回目の「出アフリカ」をした。その時、世界中に拡散した。その原動力は、想像力でもって先のことを予測する能力、個人ではできないことをみんなで行う社会の力だった。更には好奇心や冒険心もそれを後押ししただろう。
    ・1万6500年前に日本列島に土器が出現した(青森・大平山元I遺跡)。最古は中国湖南省玉蟾岩(ぎょくせんがん)洞窟の1万8000年前。問題は、未だ寒冷期で木の実は十分に採れなかった時代だったのに、何故土器を発明したのか。魚介類を茹でるための土器なのか?
    ・縄文土器は実用的ではない。文様のある土器を用いて煮炊きしたり食事したりすることを通じて、文様等、表象の組み合わせや順列を互いの心に共有し、確かめ合うことが、たくさんの人々を大きく複雑な社会にまとめ上げていくための手段として必要だった。未だ権力もリーダーも現れていない社会では、世界観や物語や神話が必要だった。
    ・縄文人も現代人も、一万年では遺伝子レベルでは進化していません。パソコンでいうと全く同じ機種です。国際的にも同じです。嬉しい・悲しい表情は世界共通です←(〇°д°〇)。松本直子氏(松木さんの妻)が、岡大留学生にアンケートしたところ、中期の土偶は「幸せ」「女性的」、後期・晩期の土偶は「怒り」「嫌悪」「男性的」になった。後期は環境の冷涼化が影響したのだろう。
    ・弥生時代(2950年前〜)から「戦争」は始まった。
    ・チンパンジーの集団同士の戦いは戦争ではない。①規模。せいぜい十数人か数十人。組織化も不完全。②戦いの動機は遺伝子を残すことで、戦争とは違う。
    ・考古学から見た「戦争」は、佐原真によると6つの証拠が必要(既レビュー「戦争の考古学」参照)。
    ・「豊かな資源を占有して定住する」生活様式が戦争発生のメカニズムとなりうる。①社会経済要因。人口増加。一転して、災害等で欠乏が生まれると、他集団の資源や財の強奪が生まれる。②社会心理的要因。資源に対する強い防衛意識。メンバーにとって「自分の命をかけてでも守るべきもの」。戦いの正当化、集団の規範。ただ、それは「ムラからクニへ」の征服や統一には直ぐには結びつかない。強いリーダーを仰いで、それに従うことを良しとするヒロイックな集団関係が作り上げられ、約800年間は戦うよりもパワーバランスの上に立った集団関係が進んでいった。
    ・九州北部では、BC2世紀頃から奴国、伊都国でクニになってゆく。BC1世紀頃から、周囲との交渉、外国との外交、金属器の生産のリードなどをする「王」へ成長。
    ・BC2世紀、北九州、吉備、近畿、濃尾で独自の武器が発達して、他地域に一切波及しない。よって、地域同士の戦いは、この頃にはまだない。この頃にの池上曽根遺跡のような大きなムラは、他地域とドングリの背比べで、九州のクニと呼べるようなものはなかった。紀元前までの最大の墓は、大阪市加美遺跡のY-1墳丘墓だが、規模は九州に引けはとらないが、墳丘の中に20基以上の埋葬があり副葬品のないものもある。王はいなかった。九州北部は強国が仕切る「王制」だったのに対し、吉備・近畿・濃尾は小さな「共和制」が並び立つ社会だった。
    ・関東に稲作が伝わったのは、BC3世紀を過ぎてから。農村が近畿、九州並に広がるのは紀元前100年代ごろを待たねばならなかった。その農村も貧富や地位の格差も少ない田舎の農村だった。
    ・東北は青森砂沢遺跡で、BC4世紀に稲作が始まったが、BC1以降縄文の生活に戻る。
    ・紀元前までの日本列島の社会は、日本史上最も地域の多様性が大きかった。しかし、紀元後にこの多様性が一気に小さくなり、広い範囲に同じような文化が広がる古墳時代へと急速に変化してゆく。
    ・AC2世紀頃から、日本海沿岸から北陸にかけて、と吉備に、王が生まれる。そのうち中心になったのは、出雲と吉備。「紀元後1世紀の後半に九州北部から王の姿が消え、紀元後3世紀に大和に強力な王が現れるちょうど中間の2世紀に、出雲や吉備に王たちが現れ、中国との交渉も背景にして、一時的に倭の代表権を握るような段階があった」
    ・この動きの背景。①気候の変動。BC1世紀に、温暖・少雨傾向から湿潤・多雨傾向へと、極めて大きな気候変動があった。日照不足によると連年の不足、水田の埋没、新たな水田や灌漑の開発の必要が生じ、乗り切る新たなリーダーが必要とされ、それを乗り切った「勝ち組」のムラやクニが王となっていった。②
    紀元後に九州北部より東に鉄器が行き渡り始めた。当時はまだ輸入に頼っていた。交易ネットワークが東に波及し、利害をめぐる競争が広域化した。
    ・その結果、AC2世紀中頃、「倭国乱れる」。2つのブロック、北九州の青銅器(銅矛)の祭を盛大に行う「共和制」的クニグニと、近畿・東海の銅鐸を祭るクニグニ。その間に、青銅器祭を廃止して大きな墓に祭られる王を頂点とした吉備・出雲の王制的なクニグニが林立していた。乱の直前か、その初期に青谷上寺地で100体以上を殺戮する事件が起きる。
    ・3世紀前半には、乱の対立は解消され、西日本に王制が始まる。大和がその中心になり、吉備・出雲は地位を奪われた結果になる。出雲は交易ルートが日本海から瀬戸内にシフトしたからか。吉備はその間、「取り込まれた」か。(←私の意見は当然違う)大和が出てきたのは、「もともと広く安定した平地があって、生産力が高く、東西南北の水路や陸路の交点として交易の富も集まった大和が、新しい権力の中枢になるべくしてなったのでしょう」
    ・その後、箸墓古墳の王は「王の中の王」の最初の人物となり、AC250年ごろに死去して葬られたと推測できる。
    ・古墳は絶対的な支配者の墓ではない。大和王権成立後も、地元での支配力を温存した各地の王と、(大和の)大王との関係を表すものとして営まれた。これを前方後円墳体制という。
    ・箸墓古墳の相似墳で典型的な例は、岡山県浦間茶臼山古墳(1/2)。この3世紀後半の吉備の王が、ときの大王と密接な関係をもって大和王権に所属していた可能性は高いでしょう。
    ・当時地域が密接な関係を持っていたわけではない。香川県猫塚古墳は双方中円墳でしかも積石塚で、独特の地域臭を残している。前方後方墳は大和王権成立後に吉備認められる。外様大名みたいな位置付か。
    ・大和王権初期の3世紀後半から4世紀中頃までは、古墳の中心に葬られる王や有力者の男女比は、およそ6対4だった。大和王権は、各地の男女の王や、大王に仕える大和の有力男女が、ほぼ対等の立場で支える王権だった。(←これは初めて知った!とっても重要な指摘!)しかし、古墳時代中期になると、古墳の被葬者は全員男性になる。王墓の形も前方後円墳で統一される。
    ・「国家」は、人類の長い歴史の中では、きわめて「最近」になって生み出されたものです。最も古い国家は、わずか5000年前。大多数はたかだか1000〜2000年前の紀元後になって現れました。日本は、古く考えると1800年前の古墳時代、新しく考えると1300年前の奈良時代になります。国家は、私たちひとりひとりの精神・肉体の両面における生活や生涯・生命に、ものすごく大きな影響を与えます。どの時代のどの国に生まれるかによって、人生は全く違うものになります。←その通り!!
    ・幸い、現代の「日本国」は「民主主義」を標榜し、そこに属するすべての人に対して、国家の運営(政治)に参与できる仕組みが作られています。それを十分に認識し、若い読者の皆さんにはこれからの国家を担っていただきたいと思います。皆さんは国家の付属物ではなく、ときには国家に対峙して、それを良い方向に導いていく意志を持ちうる個人だからです。考古学の学びは、このような意識を持つことにもつながっています。
    ・日本には44万もの遺跡があります。高度成長期に遺跡の破壊が日本史上最高潮になり、80年代に文化財保護法が出来上がる。現在、考古学関係の仕事をしている人は、日本で約6000人。けれども、考古学ファン含めて何らか関わっている人は数万に及びます。とても開かれた学問。

    「おわりに」で、「私も還暦を迎え、歳もとり、病も経験し、若い皆さんにこの世界を託して去ってゆくのももうそんな遠い先のことではないでしょう」と書いていた。2021年11月の発行ではあるが、もう自分の病のことを知っていたのか?この頃、あんなに精力的にテレビに出ていて、本もこれが絶筆ではなくたくさん書いていたのに……。
    松木武彦以上の考古学者は、現在日本にはいない。信じられない。この本には、思った以上に、私の関心領域に突っ込んだ記述が多く、私の「仮説」に、大いに根拠を与えたものになった。


    「はじめての考古学」目次
    はじめに
    第一章 考古学をはじめよう
    考古学とは何か/人間とは何か/考古学の対象はいつから?/考古学の対象はいつまで?/物を対象とする意味/モノに語らせる技術/はじめの一歩/埴輪の年代/三時期区分法の始まり/型式学の誕生-モノとモノの新古/新古を確定する方法/考古学の両輪/辺境発の考古学/年代を数値で知る/年代が記されたモノ/作られた年代がわかるモノ/年輪で年代を決める/建築年代がわかった建物/化学でモノの年代を決める/絶対年代の充実/理系が変えた日本考古学/三角縁神獣鏡の製作と配布/モノが語る「大和王権」の構造/人びとと暮らしの分布論/民族の考古学/考古学とナショナリズム/コッシナ学説のその後/コッシナをどう評価するか?
    第二章 人類はなぜ拡がっていったのか-ヒトの進化と旧石器時代
    ヒトの出現/道具と脳の共進化/世界を拡げる道具/言葉としての道具/計画する思考/社会を作る道具/生き残った理由/最古の日本列島人/氷期を生き抜く/石器の移り変わり/縄文時代への胎動
    第三章 縄文土器が派手な理由-認知考古学で解く縄文時代
    ヤリから弓矢へ/土器の出現/遊動から定住へ/旧石器時代から縄文時代へ/縄文時代はいつからか/最初の繁栄と滅亡/縄文の暮らし/四季のめぐみ/集落と社会/認知考古学とは何か/縄文土器の認知考古学/造形の秘密/社会を作る土器/命の世界観/強まる祈り、変わる社会
    第四章 ヒト特有の戦うわけ-弥生時代と戦争の考古学
    農耕の始まり/縄文から弥生へ、心の変化/弥生時代の幕あけ/弥生時代と戦争/戦うチンパンジー/オスの戦い/戦争とは何か?/考古学からみた戦争の始まり/戦争発生のメカニズム/日本列島の戦争の始まり/戦争と弥生時代社会/王の登場/東方地域の弥生時代社会/王はいなかった近畿・瀬戸内・東海/秘境だった関東/縄文がのこる東北/列島の北と南/激動の紀元後へ/新勢力の台頭/寒冷化と交易が生み出す権力/倭国乱れる/乱後の倭国/前方後円墳の成立/卑弥呼のいたところ/都市が結ぶ新たな社会
    第五章 古墳は他の墓とどこが違うのか-比較考古学でみる古墳時代
    比較考古学とは何か/世界のなかの古墳/古墳が来た道/古墳の「きょうだい」たち/巨大さと後進性/王を神格化する舞台/古墳を生み出す背景/大和王権と前方後円墳体制/大王墓とその相似墳/前方後円墳を築かない王たち/王の亡骸を飾る品々/ネットワークとしての大和王権/男女が支えた大和王権/大王墓の移動/男性の優位化と武装の革新/倭の五王の政権課題/人びとと古墳/墳丘の縮小と崩れ/新しい思想の古墳/前方後円墳の消滅/飛鳥時代の古墳/飛鳥の考古学/寺院と瓦の考古学
    第六章 過去を知ること、いまを知ること-考古学と現代
    現代と過去/社会が変わるしくみ/国家の起源を探る/国家とは何か/国家形成の研究の拡がり/日本考古学の国家形成論/古墳時代の国家の指標/国家と私たち/社会に向き合う考古学/教育と広報/多様な過去との接し方/遺跡破壊の歴史/破壊と保存のせめぎ合い/遺跡を守る制度/考古学者になるには
    おわりに

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    2024年09月30日
  • 美の考古学―古代人は何に魅せられてきたか―

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    自分にとって良い本とは、読んだ後にこれまで意識しなかった世界を想起させてくれる本です。美と考古学の観点から古代の世界観をわかりやすく描き出し、近現代を生きる我々との相違を浮き彫りにしたことで、自分の中に人間像に対する新しい疑問が生まれたことが個人的な収穫です。
    古代が好きな人には情報量は物足りないのかもしれませんが、美と考古学というタイトルに沿えば素晴らしいまとまりでした。

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    2023年03月20日
  • 全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記

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    旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代それぞれにおける、人々の思想的な営みがよく理解できた。本書で扱う原始時代という時代は、文献資料がない時代ということで、古代以降の歴史と比べて当時の人々の理性的・人間的な部分を軽視してしまいがちな時代であると思う。しかし、そこには人間の理性の萌芽ともいえる「文明」が存在していたということを本書を通じて実感した。

    原始時代人の理性のどのような部分が、今を生きる現代人と共通しているのかに注目していきたい。

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    2021年05月01日
  • 考古学から学ぶ古墳入門

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    さくっと、考古学的エッセンスを交えながら古墳について学ぶことができる。専門的知見もふまえながら概説してくれるのでありがたい。例えば、須恵器の編年で年代特定していること(稲荷山古墳鉄剣)など今までなんとなくだった知見が更新された思いだ。また、古墳の見つけ方では、最近のGISを用いて古墳を発見した人などが紹介されており、刺激的である。前方後円墳のでき方についても、おそらく諸説あると思われるが、楯築などの張り出しが、周囲から断絶する形で巨大化していったというせつが、やはりなるほどである。

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    2020年05月12日
  • 考古学から学ぶ古墳入門

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    古墳についての基本的な知識を幅広くやさしく与えてくれる好著
    古墳の成り立ち、造り、埋葬者・埋葬物などの情報も親切にかかれている。

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    2019年08月02日
  • 美の考古学―古代人は何に魅せられてきたか―

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    美の考古学、古代人は何に魅せられてきたか ということで、従来の考古学にはないアプローチの仕方、つまり、
    第1章 人類は美とどうかかわってきたか
    第2章 形の美の変遷
    第3章 数と図形の美
    第4章 色と質感の考古学
    という方法をとり、その中身を詳しく述べている。
    その成果を踏まえ、
    第5章 美の人類史と列島史
    で、仮説の理論づけを施した著作である。
    従来の単純な縄文時代、弥生時代、古墳時代・・・
    という直線的な歴史認識では、面白くもなんともないわけで、著者の論法からいけば、ユーラシア大陸の東西で、同時期同じような石斧が作られることも立証できるわけです。
    考古学の世界におけるステレオタイプ的な実証主義、その限界性を打破する色んな考え方に今後もますます出会いたいものです(笑)。

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    2017年02月09日
  • 全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記

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    考古学者である著者が、ヒトの確かな足跡が発見される旧石器時代から、巨大古墳が築かれる5世紀までの4万年の日本列島の歴史を文字の記録に頼らず、物質資料のみで描いた大作。

    何より新鮮だったのが、歴史科学の再生において「認知科学(ヒューマンサイエンス)」をベースにし、人の心の普遍的特質から人の行動を考古学的に説明しようとした点。文字のない「物質」と「人の心」から読み解く考古学の世界は、自分が想像していた以上に惹かれるものであった。

    無文字社会の人、もの、心のあり方とは?そもそも宗教というものはあったのか?日本という国はどうやって形成されていったのか?

    こういった素朴な疑問に対し、なんらかの新しい発見がきっと見つかるはずである。

    架空の存在への信仰、美、芸術に満ちた世界。

    5万年前も今も変わらない、人間の本質というものに気づかされる。

    <以下引用>
    考古学研究者が「画期」「革新」などと呼ぶような変革の多くは、実際には何十年も、何世代もかけて徐々に進んだ小さな変化の積み重ねであることが少なくない。このような小さな変化の積み重ねこそ、歴史が動くメカニズムであり、そこに人類史の本質がある。

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    2017年01月07日
  • 全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記

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    文字による記録がほとんどない5世紀までの日本古代史について書かれた本。

    文字資料がない、つまり物質資料しかない時代における社会のあり方や人々の心を読み解こうというのが、本書の趣旨となる。認知考古学という学問があるというのを初めて知った。読み物として非常に面白い。まさにこんな本を読みたかった。

    たとえば。地球が寒冷化した時期には無個性なツルンとした土器が増える。なぜか?寒くなると食料が得にくくなるため、同じ場所に定住するのが難しくなる。結果、人の移動が増え、文化の交流が生まれる。これが土器の無個性化に繋がった。。。

    面白いけど、推理ゲームの感はある。その説の裏づけとなる証拠を見つけるのは難しそうだ。同じ物的資料からでも、研究者ごとにバラバラな結論が出そうな気がする。

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    2015年02月22日
  • 全集 日本の歴史 第1巻 列島創世記

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    旧石器時代から古墳時代までの約4万年が対象。

    当時の気候や土器、墓等の出土品から人々がどのように歩んで行ったかを検証していく。
    なによりこの本が特徴的なのが、上記要素に加えて「心の科学」認知科学を用いて既成の解釈に囚われずに、新たなアプローチでこの時代を検証しているところ。
    文字による記録がないこの時代のことを、日本列島の形や気候、土器の形状等の証拠と、人間の普遍的な行動を説明している認知科学とを用いて、さながら事件のプロファイリングをしていくように、その時々を推理していく過程はかなり分かりやすく、且つ刺激的だった。
    そしてなにより、土器や古墳程度の認識しかなかったのが、本書のおかげで当時を生きていた人々がぐっと人間味が増して身近になった。
    そして今後綿々と続いていく日本の歴史の最初のご先祖様としての認識が深まったように思う。

    今後のこのシリーズを楽しみさせるに十分の要素をもった第1巻です。

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    2009年10月04日
  • 古墳時代の歴史

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    タイトルの通り古墳時代の歴史を通史的に概観するという内容。本書の出版は2025年の10月。なぜこのタイミングでこのシンプルなタイトルの本が成り立つのかといえば、さまざまな遺物の年代特定法が発展してきたことや古代の気候研究の精度が高まってきたことなどにより編年体による古墳時代の歴史記述が可能になってきたから。弥生時代からの変遷、そして古墳時代の最盛期への動きと閉幕はやはり古墳という目立つ遺構があることから前後の時代から浮いているような印象があって気になっていた時代でもあるのでこういう本が読めるようになってきたというのはありがたいですね。

    北九州、瀬戸内、山陰、近畿・東海、東海・関東の各方面の勢力圏の成り立ちや相互作用を古墳自体の形式や副葬品の系統などから分析する視点や、中国・朝鮮半島などのグローバルな環境の変化の影響の考察など興味深く読んだ。大古墳の規模と大王の存在を短絡的に結びつけない方が良いことなどはその通りかと思う。本書では古墳の機能、意義として門閥氏族の威信を示すメディア的な側面が強調されていたけれど、ここに当時の宗教観も含めた贈与経済的な意味合い(神への贈与による負債の解消)などの側面も絡むのだろうな、という感覚は各勢力圏同士の取引ネットワークのあり方の話からも強まった。

    まだまだわかっていないこと、断定できないことも多い魅力的な時代だと感じるので今後の研究の進展も楽しみです。

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    2026年08月25日
  • 考古学から学ぶ古墳入門

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    【「飛鳥・藤原の宮都」
    世界文化遺産登録にコーフン】

    以前、考古検定のサブテキストとして購入した本を再読。
    それ以来、古墳にコーフンして大ハマリ。

    そんな私を見て、家族は「古墳の何がいいわけ?ただのデカいお墓じゃん」と実につれづれしい態度である。改めて「何がそんなにいいのか」と考えてみたが、自分でもよく分からない。強いて言えば、そう、やっぱり「ロマン」なのだ。「何カッコつけてんだよ」と思われるかもしれないが、好きなものはしょうがない。あの無駄に壮大な佇まいとか、怪しげな副葬品の数々を見ていると、なんだかゾクゾクしてしまうのである。
    そして未だ謎多きところが魅力なのだ。

    驚くべきことに、天皇陵の多くは考古学的なデータ(築造年代)と、歴史書に書かれた年代が一致していない。あの世界遺産で有名な大山古墳ですら、仁徳天皇のものとは断定されていない。では一体誰が眠っているんだよ、とツッコミを入れたくなるが、それが分からないのがまたたまらない。

    しかも、昔の人がムチで叩かれながら無理やり造らされていたのかと思いきや、どうやらそれも違うらしいのだ。エジプトのピラミッドと同じで、実は「冬の間のアルバイト(公共事業)」みたいなもので、ちゃんとお給料としてお米をもらっていたという説もある。もちろん、今回読んだ本にそこまでマニアックなことは書かれていないのだが、こうして自分でアレコレ調べるのが、また妙に楽しいのである。

    そういえば、2026年7月に「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産に登録が決まったらしい。構成資産の中には、石舞台古墳や高松塚古墳など、5つの古墳が含まれている。国宝の壁画やら、世にも珍しい八角形のお墓やら、見どころ満載でぜひ現地へ行ってみたいものである。
     
    浅学非才の身ゆえ、もしマニアの方から見て間違いがあったらお許しいただきたい。ただ私は、このコーフンを誰かに伝えたくて仕方がなかったのである。

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    2026年08月07日
  • 古墳時代の歴史

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    巨大古墳を単なる王の墓ではなく、権力や社会の仕組みを映し出す鏡として読み解く。墳丘の大きさや築造技術、人々を動員する力は、当時の政治や共同体の姿を雄弁に物語る。華やかな副葬品の陰には、争いと協調を繰り返しながら国の形を築いた人々の営みが見えてくる。古墳は過去の遺跡ではなく、現代社会の成り立ちを考える手がかりでもある。歴史とは年号の暗記ではなく、人間がどのように力を集め、知恵を重ねて未来を築いてきたかを学ぶ営みである。

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    2026年08月04日