黒岩重吾のレビュー一覧
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ネタバレ7世紀中葉から8世紀前半まで生きた、石上朝臣麻呂の伝記小説です。
爽やかな表現をすれば、一人の男のサクセスストーリーかな。
でもタイトルにも闇とある通り、男にはいつも翳が付き纏う……それが物部連麻呂こと後の石上朝臣麻呂の血に染み付いた宿命だったのかも知れません。
支族とは言え、当時「敗者」「負け組」と言う不名誉な言われ方・扱いをされていた物部氏に生まれた麻呂は、負い目を感じて成長します。
物部氏の祖・邇芸速日命の伝承もあいまいって、たびたび自分の内側の暗い血を意識して苦しみます。
その鬱積は屈折となり、麻呂の性格に影を落としていましたが、積み重なった屈辱は次第に反骨の糧となり、いつか麻呂の -
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ちょこちょこUPしてますが、やっと40冊!
黒岩氏だけでもまだ10冊近くレビュー残ってるし…。
歴史物だけの紹介で1年が過ぎていきそうな予感です。
さて、今日の紹介は黒岩重吾氏の歴史小説の中でも最長の作品、ヤマトタケルの物語です。
本書は「大和の巻」「西戦の巻・上下」「東征の巻・上下」「終焉の巻」全6巻構成となっています。
長い!
でも私は、面白くて一気に読みました!
言うまでもなく、ヤマトタケルは半分想像上の人物と言われています。
大和政権が各地を平定していく過程の、様々な王子や将軍による英雄伝が、ヤマトタケルと言う人物に集約され、ひとつの物語になったと言われてるらしいです。
本書、黒 -
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黒岩重吾氏による古代小説。
壬申の乱を軸に天武帝=大海人皇子の生涯を描いています。
彼の統治以後、日本は「日本」になったと言われていますね。
とにかく面白い。
時代を辿るのはもちろん楽しいですが、登場人物が活きています。
古代日本を舞台にした小説は、なんとなく人物描写が薄くて感情移入しにくいものが多い。
しかし、黒岩氏による登場人物への肉付けは素晴らしいの一言。
生々しいと言っても過言ではないかも。
だから好き嫌いも分かれるかも知れませんね。
・大海人皇子=豪放磊落。日に焼けて頑丈なスポーツマンタイプ。いつも舎人たちと野山を馬で走り回っている。意外としたたかで感情もうまくコントロールできる -
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この作品は黒岩重吾氏が初めて古代史に取り組んだ歴史長篇である。
昭和51年(1976)より連載され、昭和54年(1979)に刊行された。
作品が発表される数年前に奈良県の明日香村で高松塚から壁画が発見され
タブー視され続けていた天皇家及び古代への感心が高まっていた時期であった。
一部の人を除き古代への感心が今一つなのは当時のことが謎に包まれて、
未だに研究者達の間でも論争が続いてはっきりしないことや、
その当時の人々の姿が思い浮かばないからであると思われる。
実際古代史好きのあたしにも、当時はどんな服装だったのか、
どんな住居でどのように暮らしていたのか、想像でしかないので
こういった古代史 -
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この作品は黒岩重吾氏が初めて古代史に取り組んだ歴史長篇である。
昭和51年(1976)より連載され、昭和54年(1979)に刊行された。
作品が発表される数年前に奈良県の明日香村で高松塚から壁画が発見され
タブー視され続けていた天皇家及び古代への感心が高まっていた時期であった。
一部の人を除き古代への感心が今一つなのは当時のことが謎に包まれて、
未だに研究者達の間でも論争が続いてはっきりしないことや、
その当時の人々の姿が思い浮かばないからであると思われる。
実際古代史好きのあたしにも、当時はどんな服装だったのか、
どんな住居でどのように暮らしていたのか、想像でしかないので
こういった古代史 -
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大化の改新よりも何十年か前、
当時の二大勢力蘇我氏(馬子)と軍事を司った物部氏の対立。
蘇我氏の血を引く豊御食炊屋姫(とよみけかしきひめ、後の推古天皇)が
敏達天皇の皇后になった時から少しづつ権力が片寄りだす。
物部氏と蘇我氏が権力争いをする様と物部氏が滅んでいく様を描く。
この前後の物語は多々あり、
そのどれもが蘇我氏の目から見たものだ。
聖徳太子もこの物部との戦いの時の偉業が伝えられていて
それを主軸とした話にするためには物部は悪役だ。
持統天皇の物語も血の根底にある『蘇我』のために
知力を尽くすのだが大元は稲目であり、馬子である。
その後に編纂された日本書紀も蘇我系の天皇が書かせ -
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大化の改新よりも何十年か前、
当時の二大勢力蘇我氏(馬子)と軍事を司った物部氏の対立。
蘇我氏の血を引く豊御食炊屋姫(とよみけかしきひめ、後の推古天皇)が
敏達天皇の皇后になった時から少しづつ権力が片寄りだす。
物部氏と蘇我氏が権力争いをする様と物部氏が滅んでいく様を描く。
この前後の物語は多々あり、
そのどれもが蘇我氏の目から見たものだ。
聖徳太子もこの物部との戦いの時の偉業が伝えられていて
それを主軸とした話にするためには物部は悪役だ。
持統天皇の物語も血の根底にある『蘇我』のために
知力を尽くすのだが大元は稲目であり、馬子である。
その後に編纂された日本書紀も蘇我系の天皇が書かせ -
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大化の改新で蘇我入鹿を倒して一躍歴史上の舞台に踊り出た中臣(藤原)鎌足の子、不比等の話である。
藤原不比等は、父・鎌足に比べると、以外と知ってる人が少ないかもしれない。
大化の改新は645年の出来事だが、不比等が歴史の表舞台に登場するのは、700年前後であり、時代も、天智・天武朝を経て持統天皇の時代である。
鎌足は、天智と天武の仲が悪くなりだした頃に死に、その後兄弟の仲は次の天皇位問題で仲が悪くなり、天武は吉野へ隠遁し、天智の死後、息子の大友皇子が位を次いだが、間もなく天武は挙兵し、壬申の乱が始まる。
物語は、この少し前の時代に遡って、不比等の少年期から始まるのだが、作者は持統朝に急に台頭し、