【読もうと思った理由】
個人的に好きでよく見ている養老孟司氏が、自身のYouTubeチャンネルで語っていた。「僕が日本の古典で一番好きなのは、方丈記である。なぜなら方丈記の中には、人生で直面する災厄が全て語られている。また現代人が忘れかけている、花鳥風月の大切さにも気づかせてくれる」と仰っていた。
日本三大随筆にの一つにも数えられている「方丈記」を恥ずかしながら最後まで読んだことが無かったため、この機会に読もうと思った。
【鴨長明とは?】
下鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継の子として生まれる。歌人として活躍し、後鳥羽院による和歌所設置に伴い、寄人(よりうど)に選ばれる。琵琶の名手でもあった。12...続きを読む 04年(50歳)、和歌所から出奔し出家遁世する(法名は蓮胤)。『新古今和歌集』に10首入集。歌論書に『無名抄』、説話集に『発心集』がある。方丈記の成立は58歳ごろと考えられる。
・禰宜とは…神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
・寄人とは…「和歌所(わかどころ)」の職員。和歌の選定に当たる。
【あらすじ、概略】
鎌倉時代前期の1212年に鴨長明によって書かれた随筆。『枕草子』『徒然草』と並んで三台随筆のひとつと言われている。前半は鴨長明が体験したさまざまな天変地異を記している。冒頭で「人の世は水の泡のようにはかなく変化してやまない」としてあるが、当時は安元の大火、治承の辻風(竜巻)、治承の遷都、養和の飢饉、元暦の地震が連続して起こっており、これらを具体例としてあげている。後半は、世の無常を痛感した鴨長明は、出家し、日野山に「方丈の庵(約3メートル四方)」を建て、そこで残された生涯を送ることを決意する。心をわずらわすこともない静かな生活。しかし、それに徹しきれない自己を発見することになる。
【感想及び気づき】
本書の前半部分で語られている五大災厄とは、1177年(安元三年)の大火、
1180年(治承四年)の竜巻、
同年の福原(現在の神戸市)遷都、
1181年(養和元年)から
1182年(寿永元年)へと続いた飢饉と疫病、
1185年(元暦二年)の大地震である。
こうして西暦年で見ると、10年以内の間に5大災厄全てが起こっている。
現代のここ20〜30年ぐらいとよく似ている。
1995年…阪神・淡路大震災。
2001年…アメリカで同時多発テロ。
2011年…東日本大震災。
2020年…コロナショック。
2022年…ロシアのウクライナ侵攻。
現在も、方丈記が書かれた800年前も、自分一人の力などでは、到底敵わない事ばかりが身の回りに起こっているのがよく分かる。
鴨長明が若い時に体験した災厄、つまり大火、竜巻、遷都、飢饉、地震、それぞれについての記述には、人の住居がいかに脆く、儚いものであるかがさまざまな描写を通して語られている。特にひどかったのが養和元年から2年に渡って続いた飢饉→疫病まで流行したときには、2ヶ月の餓死者を調べたところ43,200名程だったという。
いつ無くなってしまうか分からない住居に、長明はお金や時間は掛けなくなっていく。最終的に行き着いた住居(方丈の庵)について、一辺が一丈(約3m)の四角形の空間しかない。現在で言うところの、段ボールハウスということも言えると思う。そう、究極のミニマリストだ。タイトルにもなっている方丈記とは、自身の住居のことを指している。
また養老孟司氏が大切にするべきと言っていた、花鳥風月についての記述はこう書いてある。
「もし夜静かなら、窓の月を眺めてすでに亡くなった昔の友を思い出し、あたりに響く猿の声を聞いて涙する。そして、草むらの蛍を、遠くの槇の島の篝火と見間違えたり、明け方の雨の音が、木の葉に吹く風だと思ったりもする。山鳥がほろほろと鳴くのを聞いて、あれは父が母かと思ったり、峰の鹿が慣れて近寄ってくることなどもあって、いかに世間から離れた暮らしかを知る。梟の声がすればしみじみと聞き入り、山中の風光をそのときどきで味わう。」とある。
養老氏が度々自然や花鳥風月を、普段の生活の中で感じるようにと言われてから、公園で鳥の囀りを聴くと、かなり心が落ち着いていることに気づけたのは、今回の読書から得た、良い気づきだった。
「世間から遠ざかって山林に分け入る暮らしを選んだのは、仏教修行のためだった」と書かれている。なのに「都に出かけることがあって、そんな時は自分が落ちぶれたと恥じたりしてしまうこともある」と。
迷いがあるところや、葛藤しているところを隠さず、人間臭さを出しているところが、この本が800年も読み続けられている一番の理由だと感じた。