南木佳士のレビュー一覧
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タイ・カンボジアで難民キャンプでの医療ボランティアに3ヶ月従事し、病院へ戻った"ぼく"は、信州の病院に戻っても、調子の出ない日々が続いた。そんな中、終末期の患者として、千絵子が転院してくる。がんが転移し、弱った千絵子とは、高校のときに出会っていたのだった…。『冬への順応』
小説という形では有るが、おそらく医師であろう作者が経験した体験をもとに書かれている話が4篇。最後の表題作は、主人公は看護師であるが、医療と私生活という点では共通点が有る。
患者を上手くさばけず、山奥の診療所に移動して、元恋人の死に立ち会えない医師。難民ボランティアで、患者を助けきれず、そのわだかまりを持ったまま戻ってくる看護婦など、バランスの良い不満と挫折が散りばめられた作品群である。
個人的には最初の『冬への順応』の青さ、甘酸っぱさと渇れてしまった現実への絶望というあたりが好きである。そういう現実の退廃具合と、カンボジアでのひりひりするような体験のコントラストもよい。
ただ、ちょっとカンボジアの体験が前のめりになりすぎていたかなと言うところもあり、もう少し会話などで薄めてくれたほうが読みやすかっただろう。
最後の表題作は、登場人物を4人に絞ってしまって、死をイメージするような話で、芥川賞受賞作。こちらも熱さと渇れた部分のコントラストがよく読みやすい作品だ。
その中で戦闘機のプラモデルにしろ、水車のディテイルにしろ、少し余計な描写が挟まれていることで、登場人物像が豊かになっている部分などは良かった。賞を取るために肩肘ばって書かれていないということだろう。
芸術というものでも、とてつもないドラマがあるものでもない。ただ、なんか好きだなこれ。 -
Posted by ブクログ
医学生が地方の大学の医学部で解剖学や試験などに取り組む姿を描いている。作者の自伝的な小説というだけあって、内容は非常にリアルだし、一昔前が舞台のようだが今の医学部もあまり大きくは変わっていないのだと思う、そんなに違和感なく、内容にいちいち納得しながら読むことができた。そんなにドラマチックな展開があるわけではなくて淡々とした医学生の姿が描かれていくだけなのだが、それでもなかなか面白かった。同じ時期に読んだ「泣くな研修医」もリアルという意味では似ているはずだが、この「医学生」の方がだいぶ面白かった。無理にドラマチックにしようとしていないからだろうか。
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Posted by ブクログ
どう感じたんだろう…と振り返っても、どこか他人事に、面白かった〜としか言えないんだけど、でもなんだかすごく好きな小説だった。
好きの理由を少しだけ掘り下げてみると…
・色々な設定にリアリティがある※自伝的だから
・キラキラしてない普通の登場人物達に親近感
・世の中って、働くって、ほんとそうだよね、という共感
・医学部ってこんな感じなのかと知ることができた
→医者の友達が多い割に、医学部のこと、なんとなくしか分かってなかったんだなぁ。
読書好きだなー、小説っていいなー、って思わせてくれた小説だった。
そりゃそうか。芥川賞受賞作家の小説なんだから。
ざっと4時間くらい、子育て中だが睡眠時間を削って夜中に読んだ。寝不足だけど、読書の世界に浸る時間が持てたことのほうが嬉しくて、寝不足なはずなのにむしろわたしは元気で過ごせる。 -
Posted by ブクログ
裏表紙に曰く"軽やかに爽やかに綴る永遠の青春小説"と。
ナヌー!!南木佳士が"軽やかで爽やか"だと!!!というわけで、興味津々、読んでみました。
確かに"軽やかで爽やか"ですね。ええ、あくまで南木作品としては、ですが。普通の人なら普通の作風くらいでしょうね。
"意識して大衆小説にした"と作者自身が言ってる様に、普通の南木作品とは大きく違います。自己の経験を下敷きにしては居ますが、主人公も"自分"では無いようです。しかし、別の言い方をすれば"らしさ"が消えて、平凡な作品になってしまったと言えるかも知れません。
しかしさすがにまとまりは良く、また終わり方はポジティブで綺麗でした。
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Posted by ブクログ
ネタバレ映画化もされた名作。わたしはこの作家の作品を読むのは3回目であるが、やはりこの静謐な世界は非常に好みである。作家である主人公とパニック障碍を患って田舎の診療所に赴任してきた女性医師の夫婦をメインに描いていて、これは完全なフィクションかとも思ったのだが、一部は実体験を取り入れた、半私小説なのかもしれない。著者が病気になったということは知っていたのだが(そのため後年登山に傾倒するようになり、近年の山岳小説につながる)、Wikipediaによれば著者の年齢はちょうど学園紛争激しい頃に受験を控えていたという作中の設定と合致するし、なにより著者の本名は「霜田(しもだ)」らしいので、まったく無関係に上田姓を登場させるわけもあるまい。作家としてスランプだった時期の経験を夫に、医師として多忙を極め身体に異常を来した経験を妻にそれぞれ仮託して書き上げたものと推察される。さて、そういった背景はともかくとして、作品自体も非常にすばらしいと思う。谷中村は都会に生まれ育ち、パソコンやスマートフォンをバリバリに使いこなすわたしからしたらとんでもない田舎でしかないが、それでもそんな田舎でさえも嫌悪感を覚えさせず、むしろ憧憬すら抱いてしまうのはやはりこの筆致のなせる業であろう。阿弥陀堂に住まうおうめ婆さんの設定がまたすばらしく、たとえば美智子は病を患っており、ほんらいであれば暗いムードが物語を支配してもおかしくないところ、それを中和させるような不思議な雰囲気を放っている。一言一句にも含蓄があり、無学で貧困なのであろうが、人生の手本にしたいようなすてきな老婆である。時代劇によくべらんめえ口調でなにごともガハハと笑い飛ばして片づけてしまうようなキャラクターが登場するが、おうめ婆さんも性質は違えど役割的にはおなじような感じであろう。このような魅力的なキャラクターを造形する筆者には頭が上がらない思いである。小百合ちゃんもおなじく魅力的である。ただ、単純にハッピー・エンドで良いのかという疑問はある。執筆当時になかった言葉を使えば、この作品の舞台は「限界集落」である。もちろん戦時中でも一般家庭には時として笑顔があったように、限界集落でも毎日の通常の営みがあり、そこには喜怒哀楽さまざまな表情があるであろう。しかし、長期スパンでみれば絶対に「暗い未来」が待っているような場所であって、そういったところでもひたすらニコニコ、というのはリアルであろうか。わたしは、あえて小百合ちゃんか、おうめ婆さんか、誰かが亡くなっても作品としては良かったのではないかと思う。最後に妊娠までされてしまうと、読者としてはこのあと元気な子供が産まれ、ついでに主人公もとうとう作品を書き上げて雑誌に掲載され、というような絵に描いたような平和な明るい未来しか想像できなくなってしまうが、『阿弥陀堂だより』という小説をずっと書いてきて、伝えたかったメッセージははたしてほんとうにこれで良いのであろうかという疑問は拭えない。