南木佳士のレビュー一覧
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私が南木さんを読み始めるきっかけとなった作品。SNS「やっぱり本を読む人々」の100冊文庫企画に推薦するために再読しました。
特筆すべきは96歳の老婆・おうめが小百合に答える言葉の数々でしょう。それを語らせるために、この物語は書かれたのではないかと思います。
『目先のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリなど、次から次へと苗を植え、水をやり、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に96歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかも知れません。』
そして、最後の写真。
全体に暗く重い南木作品の中で、これほど一点突き抜けた明るさ、野放図な力強さを感じさせるシーンも有りません。これがこの作品の力の元なのだと思います。
======前回(05-006 2005/01/12 ☆☆☆☆☆)=======
なんか見た題だなと思っていたら、映画化されてたんですね。
孝夫と美智子。そして村の先祖の菩提を弔う阿弥陀堂の老婆・おうめ、難病を抱えた娘・小百合。皆、キャラクターが立っています。おうめの訥々とした言葉も染み込みます。欠点といえば、全体に「出来すぎている」という感じがすることでしょうか。
そしてラスト。明るく大らかで、なんとも美しい一枚の絵。
別の見方ではちょっと不思議な作品でもあります。主人公が売れない作家という設定のせいもあって、「xxxでなければならない」といった小説論が所々に出てきます。そして、それを守るかのようにこの小説は書かれています。ちょっと変わった構成だと思います。 -
Posted by ブクログ
●感想
第100回芥川賞受賞作
看護師の男性が、周りの人の死を何度か経験し、父の松吉と、病院で同室だったマイクの交流と、その最期。生は散っても、ダイヤモンドのように煌めき、残された者はその記憶と共に静かに寄り添い生きていく。消えゆく一瞬に、その存在の確かさが見える。
●本概要
火の山を望む高原の病院。そこで看護士の和夫は、様々な過去を背負う人々の死に立ち会ってゆく。病癒えず逝く者と見送る者、双方がほほえみの陰に最期の思いの丈を交わすとき、時間は結晶し、キラキラと輝き出す…。絶賛された芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、短篇三本、また巻末に加賀乙彦氏との対談を収録。
南木氏はこれまで、医師の立場から死んでゆく末期癌の患者の日常を緻密に描くことで人間の生と死の意味を問いつづけてきたが、今回の「ダイヤモンドダスト」では、医師をベテラン看護士に変えて視野をひろげ、変貌する別荘地の病院を中心にそこの自然と住人たちの生活を、リズミカルでしっとりと落ち着いた文章で厚み豊かに描き出すことに成功している。登場人物のうちでも、以前は火山の裾をめぐる軽便鉄道の運転手だった主人公の父親と、かつてはベトナムでファントム戦闘機に乗っていたが今は重い肺癌で入院している四十五歳の米人宣教師が、とりわけよく描けていた。百回記念の芥川賞にふさわしい出色の作品だと思う。(三浦哲郎「芥川賞選評」より) -
Posted by ブクログ
ネタバレ南木佳士の小説は好きで何作品か読んでいるのだが、代名詞というべき芥川賞受賞作である本作はなぜかまだ読んでいなかったので、今回ようやく読んでみた。著者は医師として働きながら小説を発表していることで知られているが、本作に収録されている4篇もいずれも医療関係者を主人公とした小説であり、多分に著者の実体験が反映されていると思われる。全体的に悪くはないのだが、個人的には『エチオピアからの手紙』に収録されているどの短篇にも及ばない印象である。また、著者も従事した経験がある東南アジアでの難民医療団にかんするエピソードが登場するが、時代柄仕方がないとはいえ、登場人物たちがあきらかに差別的な視線を向け、いまならセクシュアル・ハラスメントで即問題となるような下ネタを平気で語り、挙句タイで買春をした人物まで現れるという、今日的な感覚からは読んでいてどうにも堪えがたいものであった。そういった難民医療団にかんするエピソードが収録作中唯一登場しない表題作がやはりもっともよかったが、いっぽうで綺麗にまとまりすぎている印象も受けた。おそらくあえてそのように描いているのであろうが、「死」も淡淡としすぎているきらいがある。それはそれでひとつのリアルだと思うが、個人的にはもっと登場人物が取り乱して嗚咽を漏らすような感じでもよかったのではないかと思う。作中では「水車」が効果的に用いられているが、水車が自然の摂理に従ってひたすら動き続けるように、登場人物もただ部品のひとつとして廻りつづけている感じがする。『エチオピアからの手紙』に出てくる人物のほうが血が通っていると思う。
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医療・青春小説。
新しく設立された秋田大学医学部を舞台に、四人の医学生たちの苦悩と成長が描かれていた。
著者は、実際に医師として活動。
その体験をもとにこの作品を執筆されている。
この物語では、医療現場で直面するさまざまな難題や、命の重みが心に響く。
挫折や不安を抱えながら秋田大学医学部に集まった和丸、京子、雄二、修三の四人の学生が、解剖実習や外来実習などを通じて成長し、自分の生き方を見つけていく姿が描かれている。
彼らは医者を目指しながら、失恋や妊娠、患者の死といった様々な経験に向き合い、友情を深めていく…
物語の後半では、彼らが15年後にどのように成長しているのかも描かれている。
医療現場のリアルな日常や、それぞれの人生の選択にスポットが当てられていた。
医学生としての日々の中で感じる不安や孤独、そして自己の成長が描かれたストーリーは、わたしたち読み手に感動を与え、医師という職業の真の意味を考えさせてくれる。
この作品を読むことで、医者への尊敬の気持ちが一層強まった。
医師免許を取得するまでの苦労や努力、さらにその先にある医療の現実を理解することで、医者という職業の重みを改めて認識した。
また、病気の治癒には医者だけでなく、患者自身の力も大切だということも学んだ。
著者の自伝的な要素が含まれたこの作品には、彼自身の人生への向き合い方や、医師としての葛藤が色濃く反映されている。
医者になることの厳しさや、その裏に隠れた人間的なストーリーを知ることで、より深い理解が得られると思う…
医療用語は本当に難しいですよね!
あの難解な言葉を覚えている医療従事者の方々は、本当にすごいと思います!
私には到底無理だ…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ売れない作家の孝夫は、心の病に罹った妻の美智子の療養も兼ねて、故郷の信州に戻ることにした。
不器用ながら田舎暮らしをしていくうちに、挫折を知らないエリート医師だった妻の、病以降の屈託がほどけてゆく。
集落のはずれで村人の霊を祀るおうめ婆さん。
山の上にある小さな阿弥陀堂に住み、ほぼ自給自足で暮らしている。
役場の若い事務員、小百合がおうめ婆さんに取材しまとめたものが、村の広報誌の中のコラム『阿弥陀堂だより』だ。
おうめ婆さんから、余分な力を抜いて自然体で生きることを教わる孝夫と美智子。
病気の再発で再び死と向かい合う小百合。
小百合の治療をすることで、医師としての自信と責任を取り戻す美智子。
そんな彼女たちの姿を見て、衒うことなく文章を綴りはじめる孝夫。
抱えているものはそれぞれに重いのだが、おうめ婆さんの飄々とした語り口がそれを軽やかにしてくれる。
おうめ婆さんが出てくるだけで、読んでいても顔がにこにこしてくるのがわかる。
こういう年の取り方をしたいと思う。
もう少し物欲を捨てて。 -
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マニュアルに若干の経験を加えて診断、治療をする。治る者は治り、治らない者は治らない。よほど鈍感な医者でない限り、自分が神でないことを知るのは早い。その後、神に近づこうとする医者と、神という言葉で表現される大いなる自然の摂理に自分を含めた人間の予後をゆだねてしまう医者とに分かれる。
……2020/8 再読。20年以上前、医学部受験勉強のモチベーションを支えてくれた小説である。主人公の4人の医学生たちの専門教育過程から卒業までのエピソードを綴り、卒後15年の後日譚で締め括られる本作を、実際卒後15年の自分が、今また読み返すのも、また感慨ひとしおであった。 -
Posted by ブクログ
小説家として結果を出せず苦しむ夫。優秀な医師として多忙な妻。都会で支え合いながら生活する中、妻は心を病んでいく。夫の故郷信州の山村に戻る決意をする。そこは、母を亡くし父が家を出た後、祖母と二人、自然と共に暮らした懐かしい場所だった。
都会で傷を負った二人に自然は懐が深い。妻は、以前の笑顔を取り戻していく。
タイトルの「阿弥陀堂だより」は、地元の病気で声を失った女性が“阿弥陀堂守”のおうめお婆さんに、インタビューし、その言葉を広報誌に連載している小エッセイからきている。お婆さんの飾らない、自然に同化した言葉は、人を導く力がある。
夫婦はこの山村で人生を過ごす土台を作る。生きていく為の足るを知る。
読後感が心地良い。最後に、この女性たちを写真に撮るのだけれど、あらゆる年代が揃って生活できるというのが望まれる社会なんだろうなぁと思う。