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火の山を望む高原の病院。そこで看護士の和夫は、様々な過去を背負う人々の死に立ち会ってゆく。病癒えず逝く者と見送る者、双方がほほえみの陰に最期の思いの丈を交わすとき、時間は結晶し、キラキラと輝き出す……。絶賛された第100回芥川賞受賞作「ダイヤモンドダスト」の他、理想の医療に挫折し、タイ・カンボジア難民キャンプ地での特異な体験に活路をもとめる医師と末期癌の患者として彼の前に現れたかつての恋人との日々を描いた「冬への順応」など短篇四本を収録する。
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Posted by ブクログ
表題作のダイヤモンドダストについて。 主人公の和夫と今この文章を書いてい僕とでは、「死」との距離感がずいぶん違っているよなと思う。僕にとって「死」はまだ遠い存在で、祖父母を除けば自分とごく近しい人の「死」というものを経験したことがない。母方の祖母は「死」というものを理解できていないような時に亡くな...続きを読むってしまったし、2人の祖父の死はあまりにあっけなく、見送りもあまりに静かで、この世で長年生きたとしても最期は結局こんなものかという虚しさだけが残った。「生」の一番端っこにある「死」が虚しいのだとしたら、いったい「生」に何の意味があるというのか。「死」そのものよりも、「死」の前に流れる「生」の時間がかえって虚しく感じられてしまう。 和夫の「死」の経験値は僕と根本的に異なっている。幼い頃に母が死に、結婚して間もない妻が死に、そして看護師という仕事柄も多くの死と接してきただろうし、アメリカ人宣教師のマイクの死と向き合い、脳卒中で倒れながらも危機を脱してきた父の松吉も、最後は自ら作った水車が壊れると共に逝ってしまう。 和夫は僕と、「死」の経験値があまりにも違う。にもかかわらず、僕は和夫を遠くには感じない。あえて一つ共通点を探るとしたら、悲しみとか苦しみとかそういう感情は抜きにして、「死」というものを心理的にそんなに遠くに感じていないところだろうか。和夫は「死」の経験から、僕は生きることの虚しさから。 この物語で出てくる「死」はなにも人間に限ったことだけではない。松吉が運転士を務めていた田舎の小さな鉄道が廃線となる。皆で一緒に作った立派な水車も死を迎える。いろんな形の「死」がある。そしてすべてのものが「死」を迎える。どうしたって、人は死と向き合わざるを得ない。 この物語では、「死」というものがセンセーショナルに描かれているわけではない。日常の中で、当たり前のように「死」が存在している。そしてそれぞれの「死」が、松吉の死に向き合うときにダイヤモンドダストによってあたりが輝くように、悲しみはあるが、否定的に描かれない。大きな日常の中に「生」と「死」が同居していて、それぞれの「生」や「死」が否定されることなく、確かな存在感をもっているから、だから読後に安心感のようなものを得られるのだと思う。
芥川賞とった頃に読んでいたと思っていたが、初めて読んだようだ。北軽井沢あたりを設定した病院のやもめの看護士の眼線で人の死をみつめた非常に静謐な冬の高原での人の見送りを書いています。四歳くらい南木先生の文章は丁寧で惹かれます。
4編の短編からなる短編集。ダイヤモンドダストは芥川賞受賞作。 前半の3編は、タイでのカンボジア難民の医療支援に関連した物語。最後の1編は、脳卒中で倒れた父との晩年の物語。 死ぬまで運転士だった松吉と、ベトナム戦争にパイロットとして従軍したマイクの同じ病室での繋がりが印象的だった。
医師でもある筆者の目を通して描かれる医療の現場の状況はとても迫力があると感じました。 いろんな立場の人のいろんな視点での見方があり、正解がどれかを自分自身考えさせられるようなところもありました。 また、難民医療について、現場は機器も揃わないような過酷な環境であり、そうした生々しさというか綺麗事ではな...続きを読むい部分も丁寧に描写されていました。 一気に読んじゃいました。
芥川賞受賞作映画で、私のベスト10に入る「阿弥陀堂だより」を書いた人。 映画の中の美しい風景と、暖かい物語が何時までも忘れられない。br /> それなのに、随分前に話題になったこの本を読んでなかった。 100回記念の時の芥川賞受賞作。。 メモが長くなってしまった。 1989年の著者の近影があ...続きを読むった、ひげを取ったら私の主治医の先生に良く似ていて驚いた。うちの先生も佐久の総合病院で研修生時代を過ごしたそうだ。今頃になって同じ病院かどうか聞けないけれど。そのうち切っ掛けを見つけてと思っている。 日常勤務している信州の病院が舞台で、4つの短編に別れている。短編といってもただのショートストーリーではなく読み応えがある。 冬への順応 タイ・カンボジアの国境近くで医療活動に参加して帰った僕は、日本の気候に慣れないでいる。命まで乾いたような難民キャンプの暮らしと、帰国してからの、電話の鳴り止まない病院。命の現場の違いに慣れないで、休日は鮎つりにのめりこんでいた。そこに予備校時代に東京で再会した女性が、転院してくる。末期の肺がんだった。 以前同じチームだった同僚が主治医だったが、手の施しようがないという。 彼女も静かにそれを受け入れていたが、時々病室を覗いて昔話をしたりした。恵まれた育ちで憧れだった人はもうわずかに残る命の灯の前で無力だった。山の診療所で働きたいと話したことがあったが、ちょうど、空いた診療所があり、そこに通うことになった。 そして暫くして彼女が亡くなった。ぼくは、厚く張った氷を割ってワカサギを釣っていて、疲れてコタツに入っていたとき電話で彼女の死の知らせを聞いた。 長い影 カンボジア医療団の忘年会が開かれた。風呂に入っていたところに痩せた女が入ってきて、洗い場で烈しく嘔吐した。僕は汚れを洗い流し、身体にタオルをかけて寝かしておいた。 女は看護婦で参加していた。献身的に働き、妻を亡くした若い男の乳児の世話をしていた。 帰国前に男と乳児を連れて帰りたいと大使館に申請したが却下された。 帰国する日、彼女は淡々と引き継ぎをして、バスに乗った。男と赤ん坊は身を反らせて泣いていた。 ----申し送り終えた女に、タケオさんは思い切って聞いてみた。なぜそんなに意地を張ってきたのか、と。女は下を向いたまま、ひとそれぞれに性格がちがうように、責任のとり方にもちがいがある、という意味のことを、きつい東北なまりで切れ切れにつぶやきながら、ジープに乗り込んでいった。 タケオさんのまわりに集まって手を振っている、若いクメール人の医療助手の一人が、彼女ほど病棟の仕事をきちんとやった看護婦はいなかった。と怒ったように言った。それにつられて他の一人が涙声で言った。難民に対する同情をおさえることと、なにもしないことが、おなじことだと錯覚していた日本の医者や看護婦たちに、なぜひと一倍多くのことをしてくれた彼女を責める権利があるのだ、と。--------- 忘年会が明けた翌日、彼女はさばさばと東京駅から新幹線に乗って帰っていった。 ワカサギを釣る 種村はカンボジアで知り合ったミンがきたので、ワカサギを釣りに行った。ミンは厚い氷の上を恐る恐る歩いて氷に穴を開けた。 ワカサギは大漁だったがミンは初めての寒さを経験した。 ミンは戦前のプノンペンでは良家の息子だった、しかし、新生の政府は家族を連れ去り、彼は収容された。仲間と逃亡をはかりミンは生き延びた。彼の難民用の家に招かれた種村は信州の話をした。 帰国してミンが妻子とともに大阪の看護士学校にいることを知った。 ミンは釣ったワカサギを湖の氷とともに袋に入れて帰っていった。 ダイアモンドダスト 看護士の和夫は帰り道で、幼馴染の悦子がテニスのコーチをしているのに気づく。彼女はカリフォルニアに住んでいた。 和夫の父は小さな電車を運転していた。 別荘地から山の下を回って、温泉街までゆっくりゆっくり走る電車だった。 廃線になり父は仕事をやめたが、持っていた山が別荘の開発業者に売れ、生活の心配はなかった。 母は早く死に、妻もなくなって一人息子と男ばかりの三人家族だった。 家事は器用な父がした。 和夫は医者になるつもりだったが父が頭を打ち、倒れたので看護士になった。 半身が不自由になってはいたが父はまだ家のことができた。だがまた倒れ入院する。 そこになぜか悦子が家事を手伝いに来てくれた。 病院にマイク・チャンドラーという宣教師らしくない宣教師が入院してくる。彼はベトナムでファントムに乗っていたという。元気があるときはそのプラモデルを作っていた。患者が増え父と同室になった。彼は不思議に父と気があった。 父が退院して、水車を作ると言い出した、身体は動かないが頭の中に設計図が出来ていて、悦子を含め、和夫も馬鹿にしていた水車作りに興味がわいた。 低い河から水をくみ上げ庭に水を張る、そんな水車が完成した。 しかし、水車がきしみながら回り続ける頃、庭で父は死んだ。 マイクから遭いたいと電話が来て、エンジントラブルで海に向かって脱出したときの話をした。 -----「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。今、星を見ていて、あのときの安らかな気持ちを想い出したかったのです。誰かに話すことで想い出したかったのです」---------- 「検査の技術が進歩して、癌患者の予後が正確にわかるのに、治療が追いついていない。このアンバランスはきっと、星のアレンジをしている人が、自分勝手に死さえも制御できると思い上がった人間に課している試練なのだと思います、今、とても素直な気持ちでそう思う・・・・・思いたいのです」---------- この4編。作者はあとがきで、硬する文体しか持たない男の自己検証の作業、といっている。 硬すぎる文体、かえってそれが私には読みやすく、きちんと整ったこの小説に感動できた。 叙情に傾かない言葉で語った作品には力があり、人の生と死について、医療の現場からの真摯なレポートのようだった。 静かで落ち着いた文体の中に重い現実と、必ず訪れる死に対する作者の思いが深くにじんでいる。 ミステリを推理しながら読むことも楽しいが、文学作品はすっぽり浸ってしまえるよさがある。 南木さんの「草すべり」「医学生」「家族」をこれから読んでみる。
味わいがあって読みやすい。芥川賞なので勿論ドラマチックではありません。ただ、しっとりと文学の趣を噛み締めることが出来る良い作品です。大人とはこう言うことだろうと思う。わからぬように食いしばって生きてるんです。飄々とね笑。だからダイヤモンドダストが染みるんです。
芥川賞作品ということで読んだが、面白いという感じの小説ではない。 でもつい最後まで読んでしまった。面白いという感じではないが、面白くないというわけでもない。芥川賞作品ということで、そうなのかよくわからないが、最後まで読んでしまった。どこか実体験に基づいた小説なのだろうと思う。芥川賞全集14に収録され...続きを読むていた。少し心惹かれるような、感動はあった。
タイ・カンボジアで難民キャンプでの医療ボランティアに3ヶ月従事し、病院へ戻った"ぼく"は、信州の病院に戻っても、調子の出ない日々が続いた。そんな中、終末期の患者として、千絵子が転院してくる。がんが転移し、弱った千絵子とは、高校のときに出会っていたのだった…。『冬への順応』 小説...続きを読むという形では有るが、おそらく医師であろう作者が経験した体験をもとに書かれている話が4篇。最後の表題作は、主人公は看護師であるが、医療と私生活という点では共通点が有る。 患者を上手くさばけず、山奥の診療所に移動して、元恋人の死に立ち会えない医師。難民ボランティアで、患者を助けきれず、そのわだかまりを持ったまま戻ってくる看護婦など、バランスの良い不満と挫折が散りばめられた作品群である。 個人的には最初の『冬への順応』の青さ、甘酸っぱさと渇れてしまった現実への絶望というあたりが好きである。そういう現実の退廃具合と、カンボジアでのひりひりするような体験のコントラストもよい。 ただ、ちょっとカンボジアの体験が前のめりになりすぎていたかなと言うところもあり、もう少し会話などで薄めてくれたほうが読みやすかっただろう。 最後の表題作は、登場人物を4人に絞ってしまって、死をイメージするような話で、芥川賞受賞作。こちらも熱さと渇れた部分のコントラストがよく読みやすい作品だ。 その中で戦闘機のプラモデルにしろ、水車のディテイルにしろ、少し余計な描写が挟まれていることで、登場人物像が豊かになっている部分などは良かった。賞を取るために肩肘ばって書かれていないということだろう。 芸術というものでも、とてつもないドラマがあるものでもない。ただ、なんか好きだなこれ。
母が骨折で入院中に南木佳士さんは心の拠り所、と言っていた事からこの作家を知り、芥川賞受賞作である題名の話を含む短編集というこの作品に触れる。カンボジア難民キャンプでの医療団であったと言う作者の経験がものを言う医療現場の実情を知る事が出来た事は、今まで漠然としていた難民や医療の問題に少しでも触れる事が...続きを読むできた気がして良かった。今後医療や生と死に関する出来事や問題にぶっかった時、これまでとは違う受け止め方となるのではないかと思った。
東南アジアに難民医療のため一時派遣されたときの経験・出会った人についての短編が三つ。最後の一編はベトナム戦争で空軍パイロットだった牧師が死の床について語る言葉、「乗り物は早くなるほど罪深くなる」が印象的。
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