南木佳士のレビュー一覧
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行き詰まりを感じている作家、孝夫。その妻、美智子は医師。妻が心の病を得たことで、故郷の信州に戻ることにした二人。そこで出会う「阿弥陀堂」に暮らす、おうめ婆さん。難病とたたかっている、小百合ちゃん。
4人の人物それぞれに、目の前に迫ってくるようでした。心に染み渡る文章そのものの魅力とあいまって、忘れがたい作品になりました。(感動する部分が多く、付箋多し!)私たちは、生きているというよりも、生かされているのだという、背筋が伸びるような、そんな気持ちになりました。
作者は医師ですが、医療従事者でなければここまでの描写はできないだろうと感じました。真っ直ぐに医療と向き合っている、嘘偽りなく生きてい -
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孝夫が育った街にある阿弥陀堂で生活するのは、身寄りのないおうめ婆さん。中学に上がるは春に家を出た父からの連絡を受けて自らも東京に出て行き、そこで将来の妻となる美智子と出会う。医師になった美智子は授かった子どもを胎児で失ったことをきっかけに、それまでの東京でのハードな仕事もたたってか、精神を崩してしまう。孝夫が移住した谷中村にっ戻り、そこでおうめ婆さんや村の診療所、そしておうめ婆さんの話を聞き取って「阿弥陀だより」を書く小百合ちゃんらと出会い、少しずつ彼女の気持ちも回復に向かっていく。
立脚点―この小説を読んで、そんな言葉を思い出した。自分はどこに立っているのだろうか。都会での生活は、自分がど -
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表題作のダイヤモンドダストについて。
主人公の和夫と今この文章を書いてい僕とでは、「死」との距離感がずいぶん違っているよなと思う。僕にとって「死」はまだ遠い存在で、祖父母を除けば自分とごく近しい人の「死」というものを経験したことがない。母方の祖母は「死」というものを理解できていないような時に亡くなってしまったし、2人の祖父の死はあまりにあっけなく、見送りもあまりに静かで、この世で長年生きたとしても最期は結局こんなものかという虚しさだけが残った。「生」の一番端っこにある「死」が虚しいのだとしたら、いったい「生」に何の意味があるというのか。「死」そのものよりも、「死」の前に流れる「生」の時間がか -
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ネタバレ「映画は小説とは全く別のものですから」
南木さんはそれだけ言い、小泉監督に映画化を快く了承したそう。
両方好きな僕には言い方が引っかかる。
寺尾聰を追いかけて、映画→原作と進んだ10数年前とは逆に、今回は、原作→映画と進んでみた。
たしかに、南木さんの言い方もわかる。
でもそれは、映画(映像)と文字(連想)の表現方法の違いかも。
この映画がすごいのは、原作そのままの描写•セリフを点と点にして、その間を、原作を損なわないギリギリの演出で繋ぐ。
原作の延長線上に、キャラクターを創出していたりもする。
これは原作に惚れ込んだ人(監督)にしか成し得ない業。
原作も映画も極上。
でも -
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ネタバレ面白いのが、なんといっても阿弥陀堂に住むおうめ婆さんの存在。
主人公はおうめ婆さんのことを社会からあぶれた生活保護受給者のように見ていて、弱い者、守ってやるべきものとして捉えているふしがあるんだけど、阿弥陀堂に通うにつれ、おうめ婆さんにホトケのような神々しさが見えるようになってくる。
「方丈記」や「歎異抄」が作中に出てくるけど、このおうめ婆さんこそが、鴨長明であり、親鸞なのだ。
1年間の山里生活を経て主人公は、その地にどっしりと根をはり今を淡々と生きる人の強さを理解し、心の礎のようなものを得る。
踵を地につけることの「確かさ」を実感できる本でした。 -
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ネタバレ第100回芥川賞受賞作。
「冬への順応」は浪人時代のぼくと千絵子の関係を描く。浪人時代から医学生時代、そして現在と、ぼくと千絵子の関係性が移ろうが、死期が迫ったからこその関係性が美しく描かれていた。死を目前にぼくに再開した千絵子は「生きてた」と思える最期を果たして送れたのだろうか。
「長い影」はカンボジア難民医療団時代のメンバーであった、ぼくとフランス語を話す看護婦(原文ママ)の女の物語。「役人」的な治療をしたぼくと、周りからたしなめられるほど難民に肩入れをしていた女とでは、人道的には女の方が善であるように見える。しかし、それらの出来事は事実として地の文に淡々と描き、善悪の視点は女のセリフに感 -
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芥川賞受賞作映画で、私のベスト10に入る「阿弥陀堂だより」を書いた人。
映画の中の美しい風景と、暖かい物語が何時までも忘れられない。br />
それなのに、随分前に話題になったこの本を読んでなかった。
100回記念の時の芥川賞受賞作。。
メモが長くなってしまった。
1989年の著者の近影があった、ひげを取ったら私の主治医の先生に良く似ていて驚いた。うちの先生も佐久の総合病院で研修生時代を過ごしたそうだ。今頃になって同じ病院かどうか聞けないけれど。そのうち切っ掛けを見つけてと思っている。
日常勤務している信州の病院が舞台で、4つの短編に別れている。短編といってもただのショートストーリ -
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新人賞だけは取れたがそれ以降鳴かず飛ばずの作家。将来を嘱望される女医。2人はいろいろありながらも寄り添い夫婦として生きて来た。40歳を超え、妻が心を病んだ事をきっかけに生まれ故郷の長野の寒村に移住を決めた。
自分ではどうしようも出来ない心の病と対峙するのではなく、心休まる風景や人々の中で自分を取り戻していく妻の姿にこちらも次第に心の奥がほぐれてきます。実際とっても心が広くて優しくていい女です。緑の山に囲まれていきいきとして来る姿がとってもチャーミングです。
阿弥陀堂のおうめ婆ちゃんが可愛らしく、一度も村を出た事が無く、数十年阿弥陀堂の周辺だけで生きているのに、毎日の生活を大事に生きている姿に