吉岡忍のレビュー一覧
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2018年に高志の国文学館(富山)で開催された「堀田善衛特別展」に際してのインタビュー、5つを収める。以下は気になった4つ。
「堀田善衛が旅したアジア」――ジャーナリスト、吉岡忍から見た堀田。堀田はアメリカを描かなかった。それがなぜかを論じている。(余計なひと言も書いてある。「あの司馬遼太郎さんだってアメリカ紀行があります」。)
「「中心なき収斂」の作家、堀田善衛」――なぜゴヤやモンテーニュに憑りつかれてしまったのか。仏文学を専攻したこととの関係を、同種族の鹿島茂が語っている。
「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤」――20歳の頃からの熱狂的ファンの宮崎駿が『方丈記私記』について熱く語っている。これだけ講演録。
「堀田善衛のスペイン時代」――スペイン美術史の大髙保二郎、同行することが何度かあった。その時の堀田夫人の立ち振る舞いのことを書いている。しかもサルバドール・ダリの奥さんと比べている。うーん、ガラかよ。 -
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日光123便墜落、事故については以前から大変興味を持っており、青山さんの本は全て読み、その他いろいろな人の多くの解説を読んできたが、今回の吉岡さんの墜落の夏はちょっと視点を変えた、事故直後の様々な問題を、冷静に、多くの人々に取材をし、丁寧に記述されていた。
以前から感じていた、相模湾に沈んでいると思われる垂直尾翼は、100数十メートルの深さであり、なぜ引き上げ作業が行われず、そこを飛ばしてボーイングのシュリミスと言う政府発表を事細かに解説している点については、やや物足りない気もしたが、事故の翌年の出版であり、わからないことばかりの中でどこまで、自衛隊、米軍の訓練機による事故と探偵する事はできなかったのだろうと思う。 -
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吉岡忍『墜落の夏 日航123便事故全記録』中公文庫。
1989年刊行の新潮文庫『墜落の夏──日航123便事故全記録』に『四十年後の補論──実感と言葉をめぐる危機の時代』を増補した上で、神里達博による解説を追加し、復刊。
青山透子の日航123便墜落事故をめぐる疑惑についてまとめられた一連の著作を読み、この事故に大いなる興味を抱いたのだが、1989年に新潮文庫から刊行された本作の親本は未読であったことから読んでみることにした。
墜落事故の発生から、墜落事故現場の発見、轢断され、黒焦げになった遺体の検視と身元の特定、遺族への補償問題、事故原因と綿密な取材により非常に詳しくまとめられたノンフィクションであり、読み応えがあった。
本作の著者も事故原因については疑問を呈しており、米軍や自衛隊の演習の過程で標的や模擬ミサイルなどがぶつかり垂直尾翼を破壊した、或いは隕石やUFOなどの外部圧力による垂直尾翼の破壊を疑っている。
日本国内最大の惨事となった航空事故は1985年8月12日の夕方に発生した。羽田から大阪へ向かう日航ジャンボ機が消息を絶つ。その後、ジャンボ機は32分間の迷走の果て、御巣鷹の急峻な山中に墜落し、乗員乗客520名の生命を奪ったのだ。
生存者は僅か4名でいずれも女性であった。その中でも、プライベートで搭乗していた日航のスチュワーデス、落合由美さんの証言は事故原因を解明する上でも大変貴重なものだった。
事故原因は、7年前に同機が起こしたしりもち事故によって破損した後部圧力隔壁の下半分の交換修理が不適切で、飛行を繰り返したことで金属疲労を起こし、その部分が飛行中の与圧により損壊、客室側から吹き出した空気が機体の尾部と垂直尾翼を吹き飛ばし、同時に4系統あった油圧パイプが断裂したことで、操縦不能に陥り、墜落したというものだ。
これは、物的証拠が無いのにも関わらず、ボーイング社が認めたという推測の一つに過ぎないのだ。相模湾に沈んだとされる垂直尾翼を引き揚げれば証拠が掴めるかも知れないのだが、近年、某テレビ局がその垂直尾翼を発見したにも関わらず、日航側も運輸省も引き揚げようとしないのは何故なのだろうか。
本体価格1,100円
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日本にも、こんな村があったんだと思わせてくれた1冊。同じ集中豪雨で同じ災害が起こらないように「改良復旧」させること、補助金制度を活用するための地道な努力やポイント、村役場の人たちの留学制度、これから中山間地域で取り組むべきモデルをやってみての経験知がたくさん詰まっている本だと思う。なぜ、先進的な取り組みをしている地域が国内にも外を見ればあるのに、困っている地域が出てきてしまうんだろう。もっと多くの人に知られていい地域だと思うし、奥多摩でも活かせそうなアイデアもありそうだと思いました。すでに村はなくなり胎内市となっているとのことだけど、一度、訪ねてみようかな。
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乱世の世をいかに生ききるか。
平成の世、堀田善衛(ほったよしえ)はあまり読まれなかった。けれども一周回って、今こそ読まれるべき時代になっているのではないだろうか。
池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、宮崎駿という現代の知識人が、如何に堀田善衛に惚れ影響を受けてきたか語り尽くした新書である。これは、富山県の高志の国文学館の特別展の図録になっている。絶妙の堀田善衛入門にもなっていた。
堀田善衛の青春時代に親交があったのは、池澤夏樹の父親たちマチネ・ポエティックという詩人グループであり、その関係からその前半生を語っている。昭和の初めから戦後間も無い頃の文学を語る上で、堀田は幅広い親交があり、かつそれを意味つけるだけの思想を持っていたという。その意味で『若き日の詩人たちの肖像』『時間』は重要らしい。
70年代ベ平連に参加していた頃の証言として吉岡忍の以下の言葉は貴重です。
「人間の徹底した激烈さが噴出し、世の中がぐらりと変わる、その歴史の舞台が乱世です。(略)(ゴヤやモンテニュー)を書いた時も、堀田さんにはヨーロッパを書いたというつもりなど全然なくて、人は乱世をどのように生き得るか、ただそれだけを考えて書いたんだと思いますね」。
『定家明月記私抄』はいつか読みたい。
鹿島茂は堀田善衛の文学を「あらゆる可能性を列挙したうえで、収斂はするけれども中心は求めない」「わかりにくい「非決定」あるいは「未決定」こそが、人間の叡智だと言いたかったんでしょう」と述べる。
実は堀田善衛は「ゴヤ」を書いていた時に日本にいたし、「定家明月記私抄」を書いていた時にはスペインにいた。「外側」にいるからこそ、見えるものがあったのだろう。ゴヤの資料収集でスペイン旅を手伝った若き日の研究者大高保次郎は、堀田の眼差しには二種あって、一つは庶民の側から権力を見る、一つは日本を外側から見つめること。だと言っている。私もそうありたい。
宮崎駿に対して堀田善衛から「『方丈記私記』を映画化しないか」という提案があったらしい。これは初めて知った。宮崎駿は躊躇したらしい。これは2008年の講演をもとにしているので、その後作られた「風立ちぬ」(2013)を、私は「天上大風」の額が出てきただけでなく、最初の大地震の場面だけでなく、これは「方丈記」だと思った直感は、正しく当たっていたということが判明した。
現代は乱世だろうか。
かつてない性格の大統領が次々に誕生し、昔ではありえない戦争が起き、昔の経済原則は通用しなくなり、そして大災害が迫っている。乱世から大乱に移る前夜のようだ。この本が出た2018年よりは確実に乱世のアベレージは高くなっていると思える。いよいよ堀田善衛を読まなくてはならない。
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ネタバレ
第二章 堀田善衛が旅したアジア 吉岡忍
p52
これはもう本当に堀田さんの『橋上幻像』の世界です。次々に国家から逃れて、どこに自分の居場所があるんだと探しているうちに、通過してきた言葉どれも自分のものではなくなっている。
第五章 堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤 宮崎駿
p152
ですから僕が漫画を書いたり、何かを書く時にも、これはどういった意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にどういう意味があるのか、それが自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか。
p157158
今もありありと覚えているのですが、『方丈記』をめぐって、企画検討会というのをジブリで開いた時に、「今はまだ、僕らは貴族の館の築地塀の中にいる。『どうもこの頃、給料の布をもらって売りに行っても、たいした粟が買えない』と、ぶつぶつ言っていたとしても、しょせん安全な築地塀の中にいる」と。「でも、そのうちだんだん築地塀が壊れるぞ。そうしたら舎人も持ち逃げするし、夜盗も入ってくる」などと話していたのです。
池澤夏樹さんと宮崎駿さんの章に興味を持ち、読みました。宮崎駿さんのは2008年の講演の一部を文字にしたものみたいです。
堀田善衛さんの著書は読んだことがありませんでしたが、『ゴヤ』は名前は知っていたくらい。ベトナム戦争中のベ平連の活動も今では想像もつかないくらい危険なものだったのかなと。
戦争を目の当たりにしてきた作家と現代の作家には大きな隔たりがあるようにも感じています。もちろんそれは平和が長く続いている証拠で恵まれたことでもあります。
昔、親戚の年配者の方と話しているときに「今の人間が戦争映画を作っても嘘っぽい。昔の戦争映画(戦争映画以外もですが)は全員が戦争なり空襲なり、飢えや貧しさを体験していた。だから目に宿っている光が違う。今の役者にあんな目はできない」と話していました。そのときはよくわからなかったけれど、今なら少しわかる気がします。
国内の小説をあまり読まなくなっているのは、現代の物語が偽物とまでは行かないまでも、私小説的な閉じた方向にあるからなのかなと思ったりもします。それがつまらないわけではありません。ただ、広く深い世界に触れたときの、言葉にできないような気づきが宿っている作品は確かに存在します。宮崎駿さんの言うところのハッとさせられる。救われるような感覚。各識者が敬意を持って語っている本でした。
内容はとても面白いのですが、2018年刊行のわりに、年代が年代なのか、対象のせいなのか、ホモソーシャルが過ぎる気もしました。 -
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新潟県にあった黒川村のお話。
黒川村は2005年に中条町と合併して現在は胎内市となっている。
黒川村には31歳で当選して以来、12期48年間村長を勤めた伊藤孝二郎という男がいた。
高度経済成長期、都市化が進み農村が衰退していく中で、伊藤村長は、国から補助金を引っ張り、村に仕事を作り、観光客を呼び寄せ、村を守り抜いた。時代を知り、人情の機微に通じ、本質を見抜き、夢を描き、実行するその経営手腕は、簡単には真似できない卓越した能力である。
しかし、その能力はおそらく天性のものではない。伊藤村長は、3時まで勉強して6時に起きるような、馬力の持ち主でもあった。
かつては、中条町で天然ガスが発見されて大企業が進出し、潤っていくのを、羨望の眼差しで眺めていた。
黒川村には雪しかない。では、スキー場を作ろう。全ては村役場職員の手作りのスキー場から始まった。
時代も良かった。高度経済成長期で、観光客が集まった。補助金も引っ張れた。
しかし、それを可能にしたのは、村長を筆頭にした試行錯誤の努力であった。なぜなら、同じ条件で同じようなことができずに衰退した村がたくさんあるからだ。
したがって、本書は一人のカリスマ的村長がいれば、ここまでできるという成功例である。
では、いまの時代はどうか。時代が違う。人々が求めているものが違う。その通りだが、伊藤村長が示したのは、どんな波も引き受けて、知恵を絞り、ビジョンを描き、実行することの大切さではなかったか。本気になって阿修羅のように戦えば、どんな状況でも活路が見出せる。その人間の可能性ではなかったか。 -
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養老孟司、池田清彦、吉岡忍が、読書について、テーマ毎に語った内容を記した本。
養老孟司の本の読み方は、作者の意図や想いを行間から読み取りながら読む。なぜ、この部分が書いていないのかとか、逆に無いものからその意図を読み取る。非常に難しいが。
読み聞かせについて。子供に本を読み聞かせる効果は、読んだ内容は全く意味がないとバッサリ。ただ、お母さんが笑顔で、愛を持って読み聞かせることで、子供は愛されていることをカラダで感じる。インプット、変換、アウトプット。その流れのなかで、そのインプットの多様性がまずは大事であると。
中盤からは、読書についての放談会。「温泉教授の日本百名湯」が寝床で読む本だったりとか、マンガはジョジョだったりと、おじさん達のセンスが光る。黄砂その謎を追うを2人が押していたり、読んだことの無い本も。また、森鴎外や坂口安吾などの名作家については、その人物そのものと作品との繋がりを深く感じながら読まれているのが特徴的。古典として残っている名作は、その作品がうまれる理由にも意味がある。たくさんの本を読んで来たけど、何を残して、何を伝えるのか、そろそろアウトプットを意識していく頃なんだろうと思いつつ。 -
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ネタバレ『奇跡を起こした村の話』
この本では、黒川村という新潟県の北東部、山形県と接する山間に位置する村の、復旧から復興、発展、そしてゆるやかな衰退を示唆する物語について描かれている。この本から受け取った強いメッセージは「希望を捨てずに頑張ろう」だった。
黒川村は毎年豪雪に見舞われ、土地に雇用が無く、町のところどころのインフラも壊れ、税金滞納者が続出し、農業ができなくなる冬には都市部に男が出稼ぎに行かなくては家族が食っていけなくなるような、経済的にも環境的にも厳しい状況が続く村であった。1955年、朝鮮特需によって国の貿易高が潤う中、黒川村の村長が病死し、伊藤孝二郎という農業専門高等学在学中に中国出兵を経験した男性が、31歳という若さで村長になることが決まった。ここからこの村の奇跡は始まる。
まず村長は"共同、協同、協働"を理念に規模の大きな田園を村内に開発し、村の若者の雇用を生み出そうとする。そのころ畑は各農家が所有し、そこを継ぐのは長男が主であった。そのため長男以外の男児の雇用確保が大きな問題となっていたからだ。またその頃、農家が共同で一つの村で農業を行う、というスタイルも新しかった。さらに村長は1950年代に設立された農林省の外郭団体の研修制度を積極的に使用し、村の農業者を積極的に海外に派遣し、そこで学ばせ、村に戻ってきてから村の職員に起用し働かせるという手法を積極的に使用した。農業者を海外に派遣する目的は「知識の取得」よりもどちらかというと「精神的な成長」であった。そのほかにも農耕だけではなく牧畜を始めたり、山の木を切り倒し、簡易なリフトを役場の職員が作り小さなスキー場を開始したりと、村の中に様々なものが生まれ、村が少しずつ活気付いていく。
そんな中、悲劇が村を襲う。四一水害と四二水害である。この2つの水害によって村は壊滅的なダメージを被る。村の数十人の人が亡くなったこの被害から、村は「前の村より良い状態」を目指し、復旧・復興に取り組む。この水害から物語りは加速する。その後も村長を中心に村の中に様々なものが創られていく。ニジマスの池や宿泊施設、レストラン、チーズやハムの製造所、手打ちそば処、ヨーグルト工場、ドイツの本格ビール園など。減反政策や海外からの輸入品、工業化による集団就職という名の若者の都市部への強奪が村を襲うが、村はそれらに対抗し様々な政策を実現していく。これらの政策は全て国の補助金や制度、全国規模のイベント誘致を村の職員が巧みに利用して資金を調達する。調達した資金は政策の実現に当てられるのだが、その担い手は村長によって海外に派遣され精神的に鍛えられた職員に無茶振りされる。職員は暗中模索で進めていく。政策は一つ一つが村にとって初めてなものばかりで、それぞれの政策で多くのトラブルが発生するが、任された職員は一つ一つ解決しながら、笑いながら前に進んでいく。
海外に派遣された職員の一人に伊藤和彦という男性がいる。彼はこう述べる。「27歳なんて、ほかの自治他や企業では、また一人前に扱われていないじゃないですか。悪く言えば、ヒヨッコ扱いでしょ。だけど、この村では六億円、七億円を、ポンッとその27歳の2人に全部あずけて、『さぁ、あとはちゃんとやれよ』と任せちゃう。任されたほうも、何とか頑張って、やっちゃうんですよ。このへんが黒川村の強みなのかな、という気がする。」こういうところに小さな自治体の魅力はあると思う。このように村長が絵を描き、若い職員が大きな政策を任されていく。政策が形になるたびに雇用が生まれていく。そうやって伊藤村政は48年間続く。戦後最長の地方自治体政権である。
この頃、他の自治体はどうなっていたか。『自治体クライシス』によれば、1980-1990は国がリゾート法を制定し、リゾート開発の補助金を自治体にばら撒き始めた。日本の経済成長を支えるための国の政策であった。各自治体は民間企業との合弁組織である第3セクターを用いてリゾート開発を進めたが、結局国の経済状況の悪化やリゾートの乱立、それに加え自治体という"破産"することができない組織という性質や損失補償契約という借金の一括返済が求められる金融機関との契約等により、各自治体の借金はどんどん大きくなっていっていた。北海道の夕張市や青森県の大鰐町などがその例だ。そのような中、黒川村は2002年になっても十分な観光客を確保していた。2003年ごろになると、日本全体の経済が冷え込み、観光客が1990年代の他の自治体と同じように、急激に減り始めたが、観光客が減少しても地産地消による町内の循環により他の自治体のように急激な衰退はしなかったようだ。この点も黒川村のすごいところだと感じた。
しかし伊藤村長が亡くなった後、日本の経済状況の悪化はさらに激しくなり、若者の雇用形態も変化した。農業が衰退していく中で、ついに2005年、黒川村は他の村と合併し、胎内市になる。
この本には自然災害や高度経済成長、経済状況の悪化、国内の雇用形態の変化の中を村役場の職員が二人三脚で必死に乗り切ろうとした生き様が記されていた。いくら頑張ってもできないことはあるが、諦めなければなんとか苦しい状況は乗り越えられる。そのようなことをこの本から教えてもらった。最後に伊藤村長の印象に残ったフレーズを載せる。
"上に立つ者は、それにふさわしい義務を果たさなければならない。人よりも先に憂え、人よりも後で楽しむ者であるべきだ。"-伊藤孝二郎 -
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豪雪、大水害、過疎という苦境を乗り越え、農業と観光が
一体化した元気な姿に生まれ変わった黒川村。小さな町や村
が生き残るための知恵を教えてくれる一冊。
かつて新潟県に黒川村という村があった。現在は、合併によ
り消滅してしまったが、連続12期48年村長を勤めた、
伊藤孝二郎の剛腕により、産業を起こし活性化したという。
国や県から補助金を得て施設を作るということは、何処でも
やっている。伊藤が違うのは、徹底的に本物にこだわったと
ころである。
ホテル、スキー場、農産物加工施設等は全て村営。役場職員
を1年間、ヨーロッパに派遣し研修させる。人材育成に費用
を惜しまない。
本場に学んだ、ソーセージやヨーグルト、チーズ、ビールを
作る。地元の農産物を使い地産地消する。余剰を村外に売る
という考え方なので、需要が安定している。
施設を相互にリンクさせることで相乗効果を高めるという。
県内でも、とある村では、名物村長が、農林業で活性化させ
るとして、指導力を発揮し、補助金を使い村の主要産業とし
ていた。懐具合はわからないが、傍目には効果をあげている
ようにみえる。
となり村でも、補助金を使い施設を整備していたが、あまり
効果を上げていないようにみえる。
首長の力量が如実に表れるのが、怖いところである。
本書は、公務員必読の一冊であろう。特に役場職員に読んで
欲しい。
本書を読んで、黒川村に行ってみたくなりました。 -
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[ 内容 ]
豪雪、大水害、過疎という苦境を乗り越え、農業と観光が一体化した元気な姿に生まれ変わった黒川村。
小さな町や村が生き残るための知恵を教えてくれる一冊。
[ 目次 ]
1 山あいの村の宿命
2 村が流された!
3 豊かさの意味
4 「魔物」から村を守る
5 本物をつくりたい!
6 このあとをだれが継ぐのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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娘が地方創生を学ぶことになったのをきっかけに買った本。
小さな村が、地元を愛する強いリーダーの元で、災害からの復興と、復興の枠に収まらない発展を遂げていく物語。
大規模企業誘致には向かない豪雪地帯。
小さな自治体だからこそできる大胆な采配と、あらゆる補助や交付金の制度を駆使して、ホテルもレストランもスキー場も名産品も、すべて村営で経営していく。
村役場の職員が、農業をやり、ホテルマンをやり、シェフをやり、チーズ職人をやり、ビール職人をやる。スキー場に併設したホテルのレストランでビールやチーズを振る舞う。廃棄する野菜その他は発酵させて肥料として再利用する。
それらの技術を学ぶために、ドイツやスイスに1年間の海外赴任もする。
どの自治体でもできる話じゃない。
今の時代には不可能かもしれない。
でも、なんだか輝いて見えるのは確かだ。
一本の映画のような、実話。 -
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ネタバレ実際にフランスに行ってみると、日本とのあまりの違いに反発することもありますが、その一方で素晴らしいところもたくさんあります。自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです。自分の国しか知らないと比較が難しい。例えば、北朝鮮です。今、我々が外側から見て、「民衆はさぞや不幸だろうな」などと思いますが、結構幸せかもしれない。一つしか知らない人間は、かなり幸せなはずです。自分と他を比較するようになると、人間は不幸になります。
しかし、さらに比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる。だから、フランス文学やヨーロッパ文学を学ぶのは、他者を体験することでもあります。
人間をピュリスムでもって、潔癖主義的な形で追い詰めていくことの危険性というものがある。モンテーニュと同時代のジャン・カルヴァンを描くことで、その潔癖主義に日本的なファシズムとの類似性を認めているのでしょう。禁欲という形で追い詰めていくと、自分で勝手に禁欲するならいいけれども、最終的には自分が禁欲できるということを盾に、人にも禁欲を強いていくことになる。こうして共産主義ともファシズムともよく似た、人口抑圧社会が出来上がってしまう。
カルヴァンみたいな超禁欲人間がいるとすると、そういう人たちを偉いと言う人たちが必ず周りにいる。そうすると、禁欲的な規範に合わない人間を切り捨てていく。ところが、誰もが同じ禁欲的な規範に従って生きることは無理なので、そのひずみが、ゆがんだ形で現れてくる。
これは別に、モンテーニュの時代に限ったことではなく、現在のイスラム原理主義などにも当てはまります。キリスト教とイスラム教は違いますが、結局は似たようなことになる。
これまでのファシズム批判は、自分は反ファシズムの側に立って、相手を一方的にやっつけるというものでしたが、ファシズムの権利は、人を引き付ける、ある種の禁欲主義の魅力があるのです。同じように共産主義にも禁欲の魅力がある。若い人は特にそういうのに惹かれる。堀田さん自身も共産主義のかなり近くまでいったこともあるし、そういうのに惹かれた面もあったかもしれない。同時に、危険性も非常によく分かっている。それと似た状況は、戦後の日本で何度も出てきました。それは別に、時代を問わず、過去にもあったものです。堀田さんが『海鳴りの底から』で描いた島原の一揆のように、禁欲を一つの核に据えた原理主義的な宗教運動があった。それを英雄的に描くということではなくて、全体として描くとなるとどうなるかというのが堀田さんの大きな課題だったと思います。
たいていの宗教は地域主教から出発しています。地域的な、かなり土俗的な主教から出発するけれども、その宗教が大きくなってくると、途中からある種の普遍宗教に変わらざるを得なくなる。キリスト教がその典型です。
もともとキリスト教は、エルサレムのユダヤ人コミュニティの閉鎖的で小さな地域宗教でした。それが、ギリシャ人の社会に広がりローマに行く。ローマからさらにヨーロッパ各地にどんどん広がっていく。そうすると、さまざまな人たちをその宗教に取り込まなければいけない。それまではユダヤ人コミュニティの小さな地域宗教だったものが、普遍宗教に変わらざるを得ない。「カトリック」とはそもそも「普遍的」という意味の言葉です。
普遍宗教に変わらざるを得ないということは、民族とか肌の色とか、言語とか、そういうものに関係なく、普遍的な価値観を持つということです。そうなると、さまざまな人間を一元的にまとめる必要が出てくる。そのためには、ある種の禁欲というものを核に据えないと、たくさんの人を引き付けることはできない。これは共産主義もファシズムも全部同じです。普遍性を持つには、禁欲性への歩み寄りをしていかないと駄目なんです。
しかし、そうなってくると、普遍的な物差しに合わせて、その物差しに合わない人は切り捨てていいんだということになってきます。だから、普遍性を持つことが逆に党派性を呼び込んでしまう。普遍主義的党派性とでも言ったらいいかもしれない。普遍主義的党派性とは形容矛盾のようですが、これは地域的な党派性とはまた違うものです。
例えば、地域政党なり地域主義は、それは確かに排他的ではあるけれども、普遍的な排他性は持たない。つまり人間と人間でないものとを線引きして、同じ人間なのにこの人たちは人間ではないとするようなことはあまりしないものです。よそ者は排除するけれども、よそで生きる分にはかまわない。その党派性は村や地域あるいは国の枠を超えない。
ところが、これが普遍的なものになると、非常に危険です。堀田さんは戦前のファシズム、それからの戦後の左翼運動に関わっていくうちに、その危険性に気づいたのだと思います。
『漢奸』という小説は、堀田さんの上海での体験を基に書かれたものです。堀田さんは、日本が戦争に負けるということが分かってから上海に行って、何年間か、かなり自覚的に現地にとどまっていました。当時上海は日本の占領地で、そこで日本が管理する中国語の御用新聞を出していたのです。この小説は、その時に文芸欄を担当していた中国人の詩人記者の話です。「漢奸」というのは、要するに裏切り者のことですね。民族を裏切ったものという意味です。その詩人は実に善良で、しかも日本語で訳されたシュールレアリスムを日本語で勉強して、シュールレアリスムの詩を書いていたのです。およそ政治とは関係ない中国の青年なのですが、貧乏で小さな家に家族がいっぱいいるために、棺おけを部屋の中に置いて、その中に横になって詩を書くという人だったのです。
日本が降伏して、その後上海を中国国民党の政府が占領する。同時にそれを中国共産党が包囲する。二重スパイか、三重スパイかわからない人たちがいろいろ暗躍する中で、その善良な詩人は売国奴として懲役刑の判決を下される。歴史の歯車の上に乗っかって生きているというときは、自分が善良であっても、正しいことをやっていても、あるいは好きなことを一生懸命やっていても、それでいいのだということではないのだな、ということを強く感じた作品ですね。
自分がわずかに経験した戦争と戦後の間にも、そういうことがいっぱいあるのだな、と思いました。
ですから僕が漫画を描いたり、何か書く時にも、これはどういう意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にはどういう意味があるのか、それから自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか、そういうことを、ちゃんと考えてやらないと、この詩人記者と同じとんでもない運命になると思っているのです。これは非常に雑な受け止め方だと思うのですが、この二作品『広場の孤独』と『漢奸』という小説から受けた衝撃は、その後自分がアニメーションという職業をやっていく上でも、ずいぶん自分の最後のしんばり棒みたいになった体験でした。
実際には、その後の自分の判断をふり返ると、決定的な瞬間に何度も間違えた選択をしてきました。
イデオロギーというか、自分が空想した主義主張で判断して、自分の眼で見た時の違和感や心のすみに浮いた疑問を軽視したからです。堀田さんの文学は、自分で見、自分で感じたことで、思想を組み立てるものだったのに、まぁ、僕の判断は情けないものですが。