井伏鱒二のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
戦後81年。井伏鱒二『黒い雨』を読もうと思い立つ。
本棚登録、記念すべき800冊目。
原爆投下後の広島。即死は免れながらも、放射性物質を含む『黒い雨』を浴びたがために差別に苦しみ、縁談がまとまらない姪・矢須子。重松は、矢須子が健康であることの証しとして、原爆投下直後の日記の清書を始める。そんな中…
原爆投下直後の広島の様子が伝わってくる。
平和記念資料館の展示物を観た時の衝撃と、知らず知らずに涙していたことを思い出す。
何もわからない中、投下された原爆。
何もわからないまま亡くなった方がどれだけいたのか、即死は逃れながらも、苦しみながらなくなった方、原爆症に苦しまれた方…
どれだけたくさんの人たちがたった1個の原爆に苦しまされたか…
二度とこんなことがあってはならない。
大国による現状を変えようとする戦争がいたるところで起こっている。
平和記念資料館の展示を見ろといいたい、それでもあなたたちは武力を使って、現状を変えようというのか。
今だから思う。
当時の日本が当時のアメリカに勝てるはずがないと。
もっと早く降伏していれば、原爆は投下されなかったのに。
アメリカも瀕死の状態の日本に原爆を投下する必要があったのか、たくさんの一般市民を巻き込んでまで。
考えさせられる作品だった…
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Posted by ブクログ
仕事帰りにふらり途中下車した駅で散歩中、古風な書店を見付けて入り、新潮文庫の棚の渋い品揃えに感服し、それではと渋い本を読もうと思い購入。
井伏鱒二は大昔『黒い雨』を読み始めるも退屈な感じがして読むのをやめてしまっており、それ以来ご無沙汰だった。
太宰治について読んでいるとこの人はちょいちょいでてきており、私の好きな『富嶽百景』では、太宰と一緒に三ツ峠山に登っている。太宰と比べ、ユルいユーモアというか、悲しいことでもせいぜい「哀しい」感じに留めて、ふわっと受け流している感があった。
戦前の風俗を懐かしむ戦後の番頭による語り。
世の中の裏側を描いたようでいて、それでいて例外的というよりもかなり自然体の人間を描いているようにも思える不思議な小説。
ただ、表から見たこの時代の解像度がそんなに高くないので、十分には楽しめなかったな。 -
Posted by ブクログ
有名な「山椒魚」。
読んでみると、実際にこういう人いるよなあと思わされる。
自分の過失なのに腹を立てたり、誰かを道連れにしようと意地悪したり、卑屈になってしまうような人。
そんな山椒魚に対して、蛙はなぜ閉じ込められたことを恨んでいないんだろう。
むしろ山椒魚のことを憐れんでいるのかもしれない。
短い話なのに、考えさせられることが多かった。
他の作品も時代を感じさせるものが多く、有名なのは「屋根の上のサワン」。
雁を助けてペットにして、サワンという名をつけた物語。
自由を奪いながらも愛を注ぎ共生しようとする飼い主と、仲間と外の世界を望むサワン。
動物を飼育することとは何か、動物にとっての幸せは何か。
誰かを愛することとは。
愛することが利己的になっていないか? -
Posted by ブクログ
ネタバレ8月に入り、通勤の主に帰宅途上の車中でオーディブルで聴きました。毎日少しずつ聞いたのですが、ほぼ1か月ほど聴いていたので、紙の小説でも一定のボリュームがあるのでしょう。
主人公のシゲマツ(閑間重松)は、自らも被爆していたが、そのような自分よりも、自分たち夫婦を慕う姪であるヤスコ(矢須子)の縁談のことが最も心配ごとである。
直接の被爆は免れたものの、原爆雲(黒い雲)から降り注ぐ黒い雨を浴びたということから、原爆病に侵されているのだというウワサで、次々と縁談が破談となり、なんとか縁談を成立させたいシゲマツは、原爆日記を記して、ヤスコの身の潔白を証明しようとする。
小説は、広島原爆投下から玉音放送の日(終戦の日)までの重松夫妻の日常を中心に、その日記への記述を通しながらその凄惨さをリアルに描写していた。
この小説のすべてが、戦争、とりわけ得体のしれない新型爆弾の投下後の凄惨極まりない情景の描写で貫かれていた。一瞬の閃光で、訳が分からないまま、目の前のすべての光景が地獄図と化し、すべての建物が崩壊し、至る所に死人が転がっており、全身ケガや焼けどの人たちがうごめいており、助けを求めている。家族の行方が知れず、また家族や知人を失って泣き崩れている。筆舌に尽くしがたい光景とはこのことだろうと思える。
このリアルを伝え残しているだけでもこの小説の価値は大きいが、おそらく現実の何万分の一も伝えきれていないだろうと思う。しかし、読んで(聴いて)、その凄惨さを少しでも知ることに価値があり、意味があると感じる。
1945年の広島、長崎の原爆投下で、その年末の死者数14万人+7.4万人=21.4万人と推計されており、2024年3月末時点での被爆者手帳の保有者数が10万6千人だそうである。
すなわち、何十万人の人を人と思わず、一瞬で葬り去ってしまうような人の魔性とは対象的に、すべてが地獄のど真ん中に引き落とされても、可愛い姪っ子の幸福を願う気持ちはなくなることはないのだという人の善性というものが、強く感じ取れた。
結局、矢須子は黒い雨の影響で、原爆症を発症し、原爆症に侵されているいることがわかる。
それでも重松は、「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」と姪っ子の治癒、幸福への望みを捨てない。
小説でのこの虹の表現が印象的だった。史記に記された不吉の兆候である「白い虹が太陽にかかる」現象が、この原爆投下の前夜に見えたという。
そういう悲惨の前兆である「白い虹」ではなくして、希望を表す「五色の虹」を願う重松の心が、この小説での著者の結論ではないだろうか。