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「ビートたけし」の「浅草キッド」「アナログ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「ビートたけし」の「浅草キッド」「アナログ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
東京都立足立高等学校卒。明治大学工学部特別卒業。コメディアン、タレント、映画監督、俳優。『たけしくん、ハイ!』、『KID RETURN』、『浅草キッド』、『菊次郎とさき』など多数の作品を手がける。
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Posted by ブクログ
五代目 古今亭志ん生
1386円
★再読
2026/09/13
著者:ビートたけし 本名・北野武。1947年東京都足立区生まれ。浅草フランス座で芸人としてデビュー後、1972年に漫才コンビ「ツービート」を結成、人間の「建前と本音」「理想と現実」との落差を舌鋒鋭く突きまくる芸風で漫才ブームの牽引役となる。テレビに進出後、『オレたちひょうきん族』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などの人気番組を次々と手掛ける。映画監督としても『その男、凶暴につき』『ソナチネ』『HANA‐BI』などの話題作を多数世に送り出す。2016年にレジオン・ドヌール勲章、2018年には旭日小綬章を受章。近年は小説執筆にも力を入れている。著書に『弔辞』(講談社)、『不良』(集英社)、『浅草迄』(河出書房新社)など。
「 「上野から電車で二時間乗って、そこからバスでさらに三十分行って――」 なんて話し出すんだけど、何分かかるとかそんなのは余分な情報なんだ。 たとえば、こう説明してみたらどうだろう。 「電車で行くと窓から見えるのはずっと田んぼと畑です。あとは仁丹の看板が何度も出てきます。そして駅に着くと、待っているのは松山容子のボンカレーの看板です」 これのほうが断然、わかりやすいよな。 つまり、無駄な情報は省いて、その代わり、田舎の画を想像させてほしいんだ。 漫才でもさ、下手なヤツほど「昨日夕方五時頃に公園に行ってさ」なんて言ってしまう。「夕方五時」という時刻に特別な意味がないかぎり、それは無駄な情報であって、カットするべきなんだよ。 入れるなら入れるで、「夕方五時にラジオ体操はしねーだろ!」みたいなツッコミにつながるとか、そういう必然性がほしい。 ムダを省いて画を想像させるっていうのは、オイラは映画でもよくやるんだけど、どこか数学の因数分解に似ているんだよね。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「落語家でも、そういう新作をつくる人はいるよね。でも、さっきの話と同じで、ほとんどの場合、画が見えないんだよな。 みんな会話をつくるのはうまいんだけど、それだけじゃなくて空間も見えてこないとダメなんだ。 志ん生さんの小噺なんて、映画を見てるみたいだもの。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
ただ、下町って誤解されているところもあるんだよね。 オイラも下町育ちだからわかるんだけど、下町って、ぜんぜん「親切」なんかじゃなくて、どちらかというと「人見知り」なんだよ。基本的に人と関わりたがらない。困っている人を助けるのは、親切じゃなくて、最終手段なんだ。いき倒れがあったって、できれば見て見ぬふりをしたい。 それを誤ったイメージにしてしまったのが、山田洋次さんの映画『男はつらいよ』なんだよ。あれを見たヤツが、下町はああいうもんだと思って千住とかに来るから、たまったもんじゃない。 いまでは、そういうのを相手にしたニセ下町もあるからね。乾物屋とかコロッケ屋とかが、「はい、オマケ! 持ってきな!」とかやると、「いいね、コロッケをつけてくれたよ、さすが下町だね」なんて勘違いしちゃう。そうやって他人が描いた下町を、本物の下町がなぞってしまうということがよくあるんだ。 実際の下町なんて、もっとケンカっ早くて、歩いているだけで「何見てんだ、この野郎」って因縁をふっかけられたり、ひどいところなんだから。 駐車した車を酔っ払いが抱きしめてるなんてこともあってさ。「オイラの車がどうかしたか?」って聞くと、「この車、拾った」。「いや、それは駐車しただけだ」って言っても、「いや拾ったんだから、二割よこせ」。それでワーワーやっていると、どんどん人が集まってきて、「カネ払ってやれよ!」って。 ようはもう、貧乏人の集まり。本当の下町っていうのは、そういう世間が思っている下町にすらバカにされるような場所なんだ。
「落語がいまでも聴かれているのは、いつの時代も人間は「相変わらず」だから、というのもあるよな。 基本は「チクショウ! あの野郎、モテていいな」とかさ。庶民の本質なんてそうは変わらない。 落語に出てくる連中ってたいていそうじゃない。身分の低い町人たちが、武士に向かってみんなで「バカヤロウ!」みたいなことを言って虚勢をはるんだけど、いざ武士に睨まれたら、「俺の背中に隠れて言うんじゃない!」ってごまかしたりさ。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「うちのばあさんは竹本八重子といって、豊竹呂昇〔女義太夫師。明治から大正にかけて女義太夫の頂点にいた〕の並びに関脇ぐらいの位置にいたんだよ。それで食ってたんだから、たいしたもんだと思うよ。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「 オイラは、脳硬塞で倒れたあとの七十代後半の志ん生さんの落語も、わりと好きなんだよね。滑舌は悪いし、間もちょっと長くなっているんだけど、やっぱり、うまい。 なんというか骨董品みたいに古ければ古いほどいいという感じもあって、これはこれで芸だなと思わせるものがあるんだ。 志ん生さんの落語を聴きたくて聴いているんだけど、いつのまにか、大好きなおじさんの噺が聴きたい、という感じにさせられているんだよな。 改めて芸人としてのスケールが違うんだ。他の人は、「あ、商売で笑わすために出てきたんだな」とか、「この人、これでいくらもらっているんだろうな」とか思ってしまうんだけど、志ん生さんにはそういうことを一切感じない。「なんかこの人、人前で話すのが好きなだけなんじゃねえか」とすら思えてくる瞬間があるんだよね。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「あと、結局、相変わらずガキのままで、みんなであそこに行ってみようとか、あんな無茶してみようとか、そういうことがいくつになってもやめられないんだよね。 毎週土曜、 TBSで「新・情報 7 days ニュースキャスター」の生放送があるんだけど、だいたい二時間ぐらい早く行って、ライブのネタとか、くだらないイタズラとかを考えてるの。楽屋のテレビに映った CMを見て、「このパロディ映像をつくってみようか」とか。 いい言い方をすれば、画家が死ぬまで絵を描くのが好きだっていうのと変わらないと思う。オイラは、ピカソとまでは言わないけど、いままでやったことをある程度否定しつつ、新しいことを試してみたいタイプなんだよね。「相変わらずデッサンがうまいですね、あの人は」というのはイヤなんだ。それだったら、「もっとこんな描き方だってあるぞ」っていうのを試してみたい。まあ、そもそもデッサン力自体がないっていうのもあるかもしれないけどさ。 でも、こういうやり方をしているかぎりは、いつまでも年齢を感じずにはいられるんだよな。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「それでいて、誰もやらないような噺を発掘してきて、「どうだ?」って高座でかけたりするんだけど、「そんなもの、つまらないネタだから誰もやらなくなったんじゃないか」と思ってしまうことも多い。 どうも、落語というジャンルのマニアックな部分に逃げているように見えてしまう。 もちろん落語というのはいろんな要素を含んでいて、「笑い」もそのパーツの一つにすぎないとは言える。 もともとは語り芸として、講釈や浪曲とも近いものだったわけだし。 だから談志さんみたいに、そういう個別のジャンルに分かれていく前の芸事としての落語を意識している人が講釈風のことをやって、「どうだ」っていうふうに芸を見せたくなるのもよくわかる。 ただ、そういう芸は売れている談志さんだから格好つくのであって、はなからマニアックなところを目指してもしょうがないと思うんだ。 そういう意味でも、志ん生さんがいいのは、一見ハチャメチャなのに王道なところなんだよな。 志ん生さん自身はいろいろな芸事の蓄積があるんだけど、それをこれ見よがしにやるんじゃなくて、王道の笑いの中に溶かし込んでいる。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「かつて芸能界で活躍して、いまは悠々自適に暮らしてる、という人がたまにいるけど、ああいうのはたいてい嘘だと思うんだ。「庭で犬に餌をあげているのが幸せなんですよ」って、そんなわけがない。客前やカメラの前でずっと生きてきて、死ぬまで本当はそこにいつづけたいと思っているヤツがほとんどなんじゃないか。」
—『やっぱ志ん生だな!』ビートたけし著
「竹 内 よく僕が言うんですが、数学と物理学というのは小説とノンフィクションの差なんですね。たけし 数学と物理学か。竹内先生は小説家でもありますからね。どっちの世界でも表現しているでしょ。だから、その違いがよくわかるんじゃないかな。おいらはノンフィクションは無理だから、数学のほうですね。竹 内 同じ文法で同じ言語で表現しているんですが、数学というのは小説、つまりフィクションの世界なんですよ。ある意味、自由でフィクションとしての整合性が保たれていれば、要するに何をしても許される。しかし、物理学というのはノンフィクションだから現実の世界を描いているんです。ある物体や現象と対応していなければなりません。ひたすら抽象絵画の世界へ行ってしまうのが数学であり、風景画とか静物画とか、何が描かれているのかがわかるのが物理学なんです。ただ、その境界の部分はわりと曖昧になっている。」
—『コマ大数学科特別集中講座 (フジテレビBOOKS)』ビート たけし, 竹内 薫著
「同じ文法で同じ言語で表現しているんですが、数学というのは小説、つまりフィクションの世界なんですよ。ある意味、自由でフィクションとしての整合性が保たれていれば、要するに何をしても許される。しかし、物理学というのはノンフィクションだから現実の世界を描いているんです。ある物体や現象と対応していなければなりません。ひたすら抽象絵画の世界へ行ってしまうのが数学であり、風景画とか静物画とか、何が描かれているのかがわかるのが物理学なんです。ただ、その境界の部分はわりと曖昧になっている。」
—『コマ大数学科特別集中講座 (フジテレビBOOKS)』ビート たけし, 竹内 薫著
「たけし 数学というのは虚構なんだよね。竹 内 人間の頭の中にしかない想像、イマジネーションだという人もいますよ。ただ、人間も宇宙の一部だから。たけし 数学は虚構だけど、宇宙の存在と無関係ではないわけだ。宇宙の構造を考えてる人間の思考も、当然、宇宙と切り離せない。竹 内 つまり、人間の脳が宇宙について考えた、その記述の方法が数学なんです。たけし なるほど。竹 内 宇宙がどういう姿をしているのかということも、数学として表現することができるんです。数学は森羅万象を表すことができる。たけし そうだね。極端に言えば、数学は宇宙を支配している。竹 内 素数は 10進法でも 2進法でも、素数は素数なんですよ。だから、素数は大きな意味を持っている。宇宙は素数からできていると言う人もいます。」
—『コマ大数学科特別集中講座 (フジテレビBOOKS)』ビート たけし, 竹内 薫著
「竹 内 数学と物理学の違いで言えば、この番組で一緒に解説をしている中村(亨)先生は数学が専門なんですけど、やっぱり物理学畑の僕とは違うんですね。たけし 感覚も違うし外見的にもずいぶん違うな。竹 内 数学の人っておもしろい考え方をするんですけれど、たとえば振り子がありますよね。振り子の動きも簡単な関数では解けないんです。たけし そうなんだ。単純な動きみたいですけどね。竹 内 こんな簡単な振り子の運動でも、数学的には簡単に解けない。そうしたとき、どうするかというと、物理学の人間は近似でやっちゃう。数値計算とかグラフを書いておしまいにしちゃう。ところが、数学の人は物理学の人間が近似値を使うと「吐き気がする」なんて表現で非難するわけです。」
—『コマ大数学科特別集中講座 (フジテレビBOOKS)』ビート たけし, 竹内 薫著
「たけし シュールってのは、ねじれてるフリしてるんだけど、結局はあんまり予算がないってことなんですよね。竹 内 というのは、数学も実はシュールだと思っているんですよ。リアルの世界じゃないでしょう。たけし そうだね。竹 内 数学だけのシュールなリアリズムがあるんです。たけしさんのシュールな世界と、数学のシュールさが意外にマッチしてるのかなって感じたんですよ。たけし それはどこかでつながってる部分もあるのかもしれない。数学とは一切無関係のようなものであっても、実は発想として数学的なもので落としてるってのがありますよね。」
—『コマ大数学科特別集中講座 (フジテレビBOOKS)』ビート たけし, 竹内 薫著
Posted by ブクログ
880円
154p
著者:ビートたけし 本名・北野武。1947年東京都足立区生まれ。浅草フランス座で芸人としてデビュー後、1972年に漫才コンビ「ツービート」を結成、人間の「建前と本音」「理想と現実」との落差を舌鋒鋭く突きまくる芸風で漫才ブームの牽引役となる。テレビに進出後、『オレたちひょうきん族』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などの人気番組を次々と手掛ける。映画監督としても『その男、凶暴につき』『ソナチネ』『HANA‐BI』などの話題作を多数世に送り出す。2016年にレジオン・ドヌール勲章、2018年には旭日小綬章を受章。近年は小説執筆にも力を入れている。著書に『弔辞』(講談社)、『不良』(集英社)、『浅草迄』(河出書房新社)など。
「いつから芸能人は、世間からモラルを求められる存在になってしまったんだろうか。そもそも、芸人にしたって、俳優や歌手にしたって、そんな立派な人間の集まりじゃない。どちらかと言えばその逆だ。本来はカタギの社会で生きていけないヤクザ者、半端者の集まりが「芸能界」のはずだった。 もう半世紀前の話になる。大学に入ったはいいものの、オイラにとっちゃそこは決して居心地のいい場所じゃなかった。大学で勉強なんてろくにしちゃいないし、そもそもゼンゼン行っていない。まずは「設計図を書いてスパナを作りましょう」なんて言うんだけど、そんなもんやってられるかって思ってた。覚えたのはイカサマ麻雀のやり方ぐらいでさ。 で、そのうち大学の手前の新宿で、途中下車してフラフラし始める。ジャズ喫茶のボーイ、タクシー運転手やらいろんな仕事をやった後、何かに吸い寄せられるように浅草へやってきた。エレベーターボーイの募集を見たのがきっかけでフランス座に潜り込んで、いつからか踊り子や浅草芸人たちと毎日を過ごすことになった。たまたま深見千三郎って達者な師匠に出会ったおかげで、オイラは芸の道の入り口に立つことができたんだよな。 だけどそれまでは、学校にも社会にもなじめなくて、どこかやけっぱちなところがあった。そんなオイラには、浅草の芸人たちの作る独特の雰囲気がなぜか心地よかったんだ。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「その頃の浅草芸人にはみんな世捨て人のような感じというか、どこか人生を諦めている匂いがあった。本当はみんなテレビに出て、一発当ててやりたいんだよ。だけど、出られなくてもどこか「まァいいや」という感じがしてさ。で、みんな芸にはプライドを持っているけど、実生活は褒められたもんじゃない。フランス座の楽屋には、空になったヒロポンのアンプルが至るところに転がっていた。みんなベテランの芸人たちが使ったものだ。 そういう人たちの末路は悲惨だった。よくネタにしているけど、段ボールをかぶって隠れて、指で開けた穴から外を見回して、「俺は刑事に監視されている!」ってガクガク震えてる人もいた。典型的な覚せい剤の幻覚症状だけど、その人は本気も本気なんだよな。 そんなヤバい姿を見ているから、オイラは勧められても絶対クスリには手を出さなかった。だけど、当時はそういう雰囲気こそが「芸人」のど真ん中だったんだ。 テレビなんか出ずに、演芸場やストリップ劇場でたまに舞台に出て、仕事がない日は安い煮込み屋でクダ巻いてさ。酒やクスリでボロボロになって死んでも、それが芸人ってもんだから本望だって人たちばかりだったし、中にはそんなヤツを哀れに思ってかわいがってくれる常連客もいた。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「なのに、若いヤツラは、芸人の型破りなエピソードに憧れて、悪いところだけ真似しちゃう。そういや、オイラも若い頃は飲みまくっていたけど、それより本を読んだりネタを考えている時間のほうが長かったかもしれないぜ。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「そもそも「手の届くアイドル」って概念からして矛盾しているよ。アイドルは「偶像」で、「手の届かない存在」だから価値があるのに、ファンのところまで降りてきちゃマズいだろってね。そもそも芸人以上に「容姿」や「声」という先天的な素質が大きいアイドルって職業は、「自分からなろうと思わなくても世間がほっとかない」という、ごく一部の恵まれた存在にだけ許されたもんなんでさ。 男のアイドルグループのスキャンダルもあった。 2018年末の紅白歌合戦に出場した「純烈」のメンバーのひとりが、売れない頃につきあっていた女を殴ったりカネを巻き上げたりしていたってトラブルが報じられてさ。で、結局そのまま芸能界引退にまで追い込まれてしまった。この「純烈」ってのは、営業で健康センターやスーパー銭湯を回ってオバチャンたちに大人気になったんで、「スーパー銭湯の星」なんて呼ばれていたわけだけどさ。 言い方は悪いけど、オバチャンたちと笑顔で握手してカネをもらっているわけで、アイドルやスターというより実態は「ホスト」に近い。素人が「お前は芸能人だ」と祭り上げられて、そういうヤツラがさらにファンをカモにする。 これが猫も杓子もアイドルになれる時代ってものの正体だよ。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「 そもそもお笑いなんてのは、デタラメの大ウソで笑わせてカネを取る商売で、その点じゃ詐欺師と大して変わらない。そこにあんまり目くじら立てたって仕方がないんだよ。 よく「芸人は親の死に目に遭えない」って言うよな。客が待っているから、たとえ親が死んでもステージに立たなきゃいけないって意味に取られるけど、間違っている。芸人は親が死んでも平気で漫才ができて、笑っていられるような資質を持つヤツなんだ。「親が死んでも自分は大丈夫」というのが芸人だよ。 同じ芸事では、役者もそうだ。ウソで泣いて、ウソで笑っている。自分の感情なんてまるで捨てて、いつも舞台に入り込めてしまう。そういう意味で「人でなし」だ。 お笑いに唯一求められているのは、「客を笑わせること」だ。そのためには何をするべきか、すべきではないかを考えることだ。それが「芸人の作法」につながってくる。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「そう考えると、 N国みたいなわかりやすい主張に票が集まるのはわかるよ。 だけど「ワンイシュー」ってのはちょっと怖いところもあるぜ。その〝マニフェスト〟には共感できたとしても、他は「何でもおまかせ」ってことになっちまう。「改憲」やら「年金」やら、もっと大事なテーマで N国がどっちに出るのかよくわからない。「打倒 NHK」って自分たちの目的のために、他の件じゃすべて長いモノにまかれてしまうんじゃないかってさ。民主主義ってのは、つまるところは多数決社会なんで、そういうことをよく考えて投票しないとヤバいんじゃないか。 オイラは民主主義なんて「 1%の賢いヤツが 99%のバカのために犠牲になる社会」だと思ってる。みんなで投票して決めた結果が、必ずしも素晴らしいとは限らないんだよ。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「兄貴は本の虫で、毎日毎日遅くまで小さな灯りで小難しい本を読んでたもんだよ。だけど、オイラの家は親も兄弟も狭い部屋で一緒に寝てたんで、オヤジが「電気がもったいねェから消せ」ってうるさくてさ。しょうがないから、こっそり外に出て、街灯の下で夜中まで本を読んでたというね。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
「どうせイイ大学に入りたいヤツラはみんな塾に行って私立の学校を目指してる。そっちは自分たちのカネでもう勝手にやればいい。そういう「学歴エリート」の流れに乗らないヤツは、職人になって一刻も早く手に職をつけたほうがいい。そのほうが社会の厳しさもわかるし、よっぽど立派になれるよ。それでも義務教育は必要だって言うんなら、公立校は全部「職業訓練校」にしちまったほうがいいと思うね。 最近は猫も杓子も大学に行くようになったけど、それで大学が厳しい現実から目を背けて、ちょっとボーッとしてようっていう休憩所みたいな存在になっちまってるからね。それよりも、大工だったり、寿司職人だったり 10代からしっかり修業して働いてるヤツのほうがはるかに偉いと思うよ。 パナソニックとかソニーみたいな大企業が職業訓練校を作るのもいいな。そこで優秀な成績を修めれば自動的にその企業に入れるし、生徒がもっとレベルの高い教育を望めば企業のカネで受けさせてやるというね。企業もいい人材を確保できるから、いいんじゃないか。若い時から優秀な人材を見つけて教えれば、「リチウムイオン電池」の発明でノーベル化学賞をもらった旭化成の吉野彰さんみたいな超一流の研究者を社内で育てられるかもしれないしさ。」
—『芸人と影(小学館新書)』ビートたけし著
Posted by ブクログ
794円
北野武の老人を崇拝したり、年老いる事はちゃんとみすぼらしい事って断言する感じ好きだな。変に綺麗事言うのは嘘だからな。
昔は男ばかりが不倫してたんだから、男女平等論者は、女が不倫するのは男女平等社会の象徴なんだから批判するなよ。しかも不倫のトラブルとか迷惑は不倫された人とかした人なのに、日本って何も関係無い外野のババアがギャーギャー批判してるの意味が分からない。
著者:ビートたけし 本名・北野武。1947年東京都足立区生まれ。浅草フランス座で芸人としてデビュー後、1972年に漫才コンビ「ツービート」を結成、人間の「建前と本音」「理想と現実」との落差を舌鋒鋭く突きまくる芸風で漫才ブームの牽引役となる。テレビに進出後、『オレたちひょうきん族』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などの人気番組を次々と手掛ける。映画監督としても『その男、凶暴につき』『ソナチネ』『HANA‐BI』などの話題作を多数世に送り出す。2016年にレジオン・ドヌール勲章、2018年には旭日小綬章を受章。近年は小説執筆にも力を入れている。著書に『弔辞』(講談社)、『不良』(集英社)、『浅草迄』(河出書房新社)など。
「本を読んで「孤独を受け入れろ」と諭されたぐらいで、人間は他者とのつながりを捨て去ることなんてできやしない。 そもそも、そういう「孤独礼賛本」を手に取る時点で、「自分はもしかして孤独なんじゃないか」と気にしているということだ。世間からどう思われているのか、他人からの視線を意識している。「価値のない老人」「哀れな老人」と思われたくない見栄があるから、孤独を肯定してくれる本が心地いい。「しかたなくではなく、進んで孤独を選んでいる」と、他人に向けてアピールしたいという気持ちが実は裏側にあるんじゃないかって思うんだよな。 つまり何が言いたいかというと、人間はどんなに頑張ったって「他人から認められたい」という承認欲求を完全には捨て去れないということだ。 オイラみたいに、ずっと「客前」で仕事をしてきた人間にはよくわかる。この歳になったって、「客からウケる」っていうのはこれ以上ない快感だからね。カネや名誉なんて後からついてきたもので、まずは「ウケたい」「評価されたい」って感情があったわけだ。だからこそ、オイラは今でもときどき「ほぼ単独ライブ」なんてものを開いて生の観客の前でバカをやっているし、立川梅春なんて名前を立川談春さんからもらって高座にも上がっている。ウケるってのは麻薬みたいなもんだ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「 でも真実は逆だよ。人生は、年齢を重ねるほどつまらなく不自由になっていく。夢のように輝かしい老後なんてない──。それこそが真理だ。老いるっていうことは、想像してる以上に残酷だ。まず、それを受け入れることから始めないとさ。 なんでも大抵のことは老いとともにガタがくるもんだ。それなのに、「カッコいい歳の取り方」みたいなものにこだわると、胡散臭いことになる。結局、カッコいいか悪いかなんてのは他人の判断なんで、そんなもの気にしちゃいつまで経っても報われないんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「よく「定年になったら、新しい趣味を始めて第二の人生を始めたい」なんて言ってるヤツがいる。だけどそういうヤツに限って、いつの間にかその趣味に飽きちまったり、「老後が毎日つまんない」なんて言い始める。オイラに言わせりゃ、それこそ「自己客観視」ができてない証拠だ。音楽にしろ、芸術にしろ、 60歳になるまでやろうともしなかったものにいきなり手を出して、最初から上手くいくわけがない。物覚えが早い 10代、 20代のときに始めるのと比べても、相当ハードルは高いはずだ。それをわかって手を出すんならいいけど、そこまでの覚悟がないのにやろうとするから、大体結果は無惨なことになる。だから自分に過度な期待をしちゃいけない。 別にオイラは、趣味で老後を過ごすことを否定しているわけじゃない。だけどそのためには、若い頃から何かに夢中になって、リタイアする頃には「名人」と呼ばれるくらいになってなきゃダメだと思う。 ゴルフやら、釣りやら、囲碁や将棋が三度の飯より好きだというジジイはいっぱいいるけど、そういう人間は大概、仕事が忙しい若い頃から何とか時間を捻出して、そういう趣味の場に通っているわけでね。時間やカネ、努力も費やして長年やってきたものが、ようやく本当の趣味になるんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「よく、どこかの学校の校長や教頭なんかが、未成年の少女と淫行していたとか、裸の写真を何千枚も集めていたとかでニュースになることがある。こういうヤツは、きっと青春時代に悶々と我慢して、ロクな女遊びをしていなかったんだと思う。若い頃にオネエチャンと無茶しまくってたオイラみたいなのが、ジジイになって枯れて余裕が出てくるのとは対照的で、女に免疫がないまま社会的地位とカネを持って「デビュー」しちゃうとロクなことがない。さっき話した「紀州のドン・ファン」みたいに年季が入ってれば話は別だけど、余裕のないジジイの色欲ってのは、見苦しいだけなんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「オイラの場合、年取ってから付き合うオネエチャンは、男の友達と変わらなくなってくる。「話してて楽しい」ってのが最高だね。男も女も、年取ってからモテたいと思うなら、痩せようとかアンチエイジングなんてものに必死になるより、本を読んだり映画を観たり、芸術に触れるなり、「話せる人」になるほうがよっぽど有意義だ。 年取ってからは、「体の相性」なんて大した意味をなさない。「一緒に酒飲んで楽しい」が一番だよ。その点、最高の熟年カップルは、こないだ6つ年上の元大学教授と結婚した阿川佐和子さんだな。オイラ、阿川さんが結婚を発表する前に、阿川さんと旦那さんとメシを食ったんだよ。気さくないい人で「お似合いだな」って思ったね。 2人とも博学なんで、会話がドンドン盛り上がってさ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「これから老人中心の時代になるのは間違いない。だから独身高齢者が増えるのも必然だ。そしたら「熟年離婚」だけじゃなくて、「熟年初婚」「熟年再婚」も盛り上がってくるよ。そういう時代が進めば進むほど「内面を鍛える」ってのが大事になってくるんじゃないか。 自分がいかに知識がないか、知らないことがたくさんあるかを知ること。それしか自分を客観視できる力を鍛える方法はないんだからさ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「もちろんオイラ自身も模範的なジジイになろうなんざ、これっぽっちも考えちゃいない。これからもテレビやライブでバカをやって、ヒンシュクを買ってやろうと思っている。 しかし調子が狂ってしまうのは、ヒンシュクを重ねてきたはずなのに、この歳になってなぜか褒められることが増えてきたことだ。フランス政府からは「レジオン・ドヌール」なんてたいそうな勲章ももらったし、最近は旭日小綬章も頂いた。 オイラはそもそも「勲章」や「表彰」なんてものに特に興味はない。だから昔はもらうのを断ることも多かった。だけど、最近は頂けるというのならありがたく頂くようにしている。それを見て「ジジイになって名誉欲が出てきたのか」「たけしも終活を始めたか」なんて悪し様に言うヤツもいる。でも、オイラはそんな風に権威におもねるつもりは毛頭ない。そういう名誉を頂くことが、本業の「笑い」に生きてくるんじゃないかと思ってるんだよな。「文化勲章をもらって立ち小便で捕まりたい」「人間国宝になった日に食い逃げでニュースになったら面白い」 オイラは会見のたびに、そう言ってきた。自分の地位や権威が上がってきたら、それを自分で一気に落とすようなことをする。そのギャップが最高の笑いのネタになるんじゃないかって思うんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「 歳を取ると、その「さみしさ」を埋めるためかわからないけど、宗教や自己啓発セミナーみたいなのにハマり始めるヤツがいる。だけど、いくら手を合わせてもお布施をしても、それは自己満足に過ぎないと考えておいたほうがいい。 宗教が世界を救うなんてウソっぱちだと常々オイラは言ってきた。人類の歴史を見れば、宗教をめぐる戦争やイザコザで死んだヤツだらけだ。宗教で救われた人もいるだろうが、それより宗教に殺された人間のほうがよっぽど多い。パレスチナの紛争を見たって、「この世に宗教がなかったほうが平和だったんじゃないか」と思ってしまう有様だ。 宗教家が胡散臭いのは、拡大路線を掲げているヤツが多いからかもしれない。「もっと信者を増やせ ~」なんて号令をかけている宗教のトップってのは、もう宗教家というよりビジネスマンだ。 そんなことは、オイラがわざわざ言わなくたってみんなわかっているのだろう。だけど、それでも宗教にすがってしまうのは、みんな「何が人生の目的かわからないから」かもしれない。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「たとえば、サッカーには色々なルールがある。手を使っちゃいけないとか、ヘディングは OKだとか。そういうルールがあるからスポーツとして成立してるんだけど、一方で「なぜそのルールじゃなきゃいけないのか」と聞かれたら、答えられるヤツはいないだろう。でもそういう規則が存在するから楽しいってのがあると思うんだよ。 何も縛りがないフリーな状態ってのは、ある意味ではすごく辛いことでさ。人生についても、神様とか仏様みたいなルールを作ってしまったほうが楽なのかもしれない。だからそもそもは宗教ってのが「楽に生きるコツ」として意味を持ったんじゃないかって思うんだよな。でも別にそういう「ルール」ってのは、宗教団体に所属しなきゃ作れないものじゃないからね。自分のさりげない日常の中で、それぞれが心の中に持っていればいいだけのことだと思う。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「かくいうオイラも、時々は仏壇に手を合わせている。仏壇の中にはお袋や、父親、祖母、他にもいろんな大切な人が入っている。だけどこれは、宗教というよりは習慣に近いものだ。たとえばオイラが浅草にいた頃、芸人たちは浅草寺の前を通り過ぎる時には必ずちょっと立ち止まって、本堂に向かって手を合わせていた。けど、オイラもその芸人たちも、今の人に比べてとりわけ信心深いというわけでもない。 別に神様の存在とか、来世とかあの世を信じているわけではないけれど、そういう答えの出ない問題に答えを出さないことがニッポン人の知恵なのかもしれない。お盆にはあの世のご先祖様をお迎えして、親しい人の命日には墓参りをし、正月には初詣をする。キリスト教やイスラム教みたいな「信じるか、信じないか」の二者択一とはまるで違うところで、ニッポン人は生きてきたんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「カルトな新興宗教が受験エリートを勧誘するのは、そういうヤツラが一番チョロいからでね。優等生が実社会で使える〝頭が回るヤツ〟かというと、必ずしもそうじゃない。ただ受験勉強のテクニックに秀でてるだけで、社会を生き抜く知恵を持っているとは限らないわけでさ。ガキの頃から近所の不良とやり合ったり、キツいアルバイトや肉体労働をしたり、そういう厳しい世間と接してこないままいい歳になっちまうこともある。 世の中は「〇か ×か」じゃ決まらないことだらけなのに、そういう純粋培養のヤツラは「こっちが正しくてこっちが悪い」っていう二元論にすぐ寄りかかっちまう。マークシートの解答みたいで、そっちのほうが居心地がいいんだろう。オウムみたいなのは、そういうヤツラを目ざとく見つけ出して引っかけたんだよ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「さくらさんと話した中で、よく覚えているのが確かお祖父さんの亡くなった時のことだよ。お祖父さんは亡くなる時に口をポカーンと開けたまま死んじゃって、それを隠すためにほっかむりみたいなのを頭に巻いて納棺したんだって。本当は白いさらしの布がよかったんだけど、見つからないからしかたなく〝祭〟と赤い字で書かれた手ぬぐいで代用したんだよな。 それをさくらさんは「ドジョウすくいの人みたいだった」なんて言ってさ。「今にもクネクネ踊り出すかと思って、あたしゃ笑いを堪えるのが大変だったんだから」ってね。 芸人ならまだしも、女の人が自分の身内をそういう風に引いた目線で見たり、話したりすることはなかなかできないよね。結局、そういうシニカルさというか、ブラックユーモアみたいなセンスがオイラと似ているのかもしれない。 それでいて、茶化す相手への愛情みたいなものがあるんだよ。だから歳は離れていたけど、ウマがあったんだろうね。 まる子と同じ喋り方『ちびまる子ちゃん』もまさにそうだよな。一見して子供向けのように感じるけど、実はシニカルな視点がある。まる子ってのは単に素直な子供じゃなくて、物事を裏やナナメから見て、ずる賢く立ち回ろうとするところがあるから面白いんだよね。だから子供だけじゃなく、大人も楽しめる作品になる。 最近になって、シニカルな笑いができる女芸人がちょいちょい出てきたのも、さくらももこの影響じゃないか? そういうセンスを子供たちに広めたのは、すごく価値のあることだと思うよね。 PTA推奨じゃない笑いを、誰も嫌がらない形で広めたのはすごいよ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「今の若いヤツラは、「大学に行く意味」をもう 1回考えたほうがいいね。〝みんな行ってるから〟ってだけの理由で 4年間通っても、大学はガキを一人前にしてくれやしない。 オイラは目的もなくバカ大学に通ってるヤツより、中卒の 16歳でもきちんと働いて税金を納めてるヤツのほうがよっぽど偉いと思うね。大学に入らなくたって「一流」と呼ばれる仕事人はたくさんいる。若いヤツラは「就職できない」ってボヤくけど、そういう職人たちの募集にはなかなか人が集まらないっていうぜ。今の大学は、そういう厳しい現実から目を背けて、ちょっとボーッとしていようっていう休憩所みたいな存在になっちまってるんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「オイラなんてこの歳になっても、「いつか飽きられちまうんじゃないか」っていつも次のことを考えてるぜ。来年は NHKの大河ドラマに出て落語もやるし、映画や小説だってまだまだやろうと思ってるわけでさ。 芸人で、まだ売れてるのに自分から引退宣言するヤツなんてほとんどいない。大体は仕事がなくなって辞めざるを得なくなった言い訳だよ。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「まァ、最近の芸能スキャンダルで一番驚いたのは、爆笑問題の太田光が「日大に裏口入学」って週刊誌に書かれちまった件だよな。その記事じゃ「オヤジがそのためにブローカーに 800万円支払った」とまで書いてあるんだけど、最後まで読んでもホントかどうかよくわかんないんだよな。 だけど笑っちゃうのは、「太田は高校生になっても割り算もできないバカだった」みたいに書いてあったことだよ。こんなに面白いネタはないんで、テレビ局でアイツの楽屋を通りかかったときに「 4 ÷ 2、わかるか?」って問題を出してみたんだけどさ。そしたら「 3、う ~ん、やっぱり 2かな?」なんてボケて返してきた(笑)。 だけど裏口入学については、「そんな話は聞いたこともないし、オヤジも死んじまってる。いい迷惑してますよ」って言ってた。太田の事務所も、この記事を書いた出版社を告訴するってぐらいだから、許せなかったのは間違いないんだろうけどね。まァ、オイラからすりゃどうでもよくて、アイツの頭が切れるかどうかは芸を見りゃわかるだろ。 芸人の評価は、客にウケるかどうかがすべてだよ。たとえスキャンダルが出ようが、それを笑いに変えられりゃ、ソイツの勝ちってこと。まァ、週刊誌もよっぽどネタがないんだろう。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「だけどテレビで情報番組をやってて肌で感じるのは、「女の不倫」ってのは、男のそれに比べて反発がダンゼン大きいってことだよな。ベッキーや矢口真里もそうだったし、斉藤由貴とか山尾志桜里もそうだよな。オイラがオネエチャンと遊んだり、ソープに行ったって何の話題にもなりゃしねェけど、旦那のいる女がヨソで男を作ってたとなると、世間は大騒ぎでね。特に同性である女から「許せない」ってギャンギャン批判されちまうんだよな。ベッキーが復帰しようってときにクレームを入れたのは、ほとんどが主婦だったっていうしさ。テレビのスポンサーにとっちゃ、商品の購買層は主婦やオネエチャンってことが多いんで、「女の反発」に過敏に反応してしまう。だから不倫の当事者は、男に比べてオネエチャンのほうが損をしてしまうというね。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「なんで女は「妻の不倫」を許さないのかね? 昔の映画スターやらオイラじゃないけど、かつては夫ばかりが不倫をしてた世の中だったのに、いつの間にか妻が主役の不倫が増えてきてるっていうんだったら、それは「男女平等」で、女にとっちゃ素晴らしい社会が実現されたってことじゃないかと思うけどさ。 結局のところ、女はギャーギャー言ったって、ホントのところで「男女平等」なんて求めちゃいないってオチなんだよな。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
「『ヒンシュクの達人』じゃ、建前ばかりのニッポン社会の本質を分析したし、『テレビじゃ言えない』ではメディアの自主規制のエスカレートをきっかけにタブーに踏み込んだ。 一転、今回の新書は『「さみしさ」の研究』という、これまでとまるで雰囲気の違うものになっている。 オイラたち団塊の世代が 70代になって、世間でも「老い」や「孤独」の問題がテーマとなり、普段から週刊誌で続けているコラムでも、必然としてそれらを取り上げることになった。また、この 2 ~ 3年はオイラにとって大事な人たちが次々と亡くなった。その人たちへの惜別を載せていくと、自然と本のトーンも寂寥感に満ちたものになってしまった。 それに、 2018年にはオイラの周辺でもいろんな出来事があり、周りの環境も変わった。いつも通りの毒舌の前に、そのことについても一度きちんとした形で触れておかなければならなかった。」
—『「さみしさ」の研究(小学館新書)』ビートたけし著
Posted by ブクログ
たけしの恋愛小説か…なんだかなぁ。
本屋で見かけてはいたけど、手に取ることは無かった。しかし10/6より映画化されるという情報を知り、メルカリで格安購入して読んでみた。(映画の主役は元・嵐の二宮和也、僕のお気に入りの波瑠のふたりだ。)
たけしが書いたのか、これ?そんな印象で読み始めた。浅い知識で恐縮だが、北野映画の印象が強いので『バイオレンス要素ゼロ』なビートたけしの小説は新鮮だった。
主人公の彼女はスマホを持っていない。ケータイを持たずに付き合いはじめた2人が、突然会えなくなり、ストーリーが後半に大きな展開を迎える。あ、ちょっとやられた…という感じで思わず泣かされました。小説を未読でも、映画を観るご予定の方は、ぜひ読まずに映画を鑑賞した方がたぶんいいかも。ちなみに小説は200ページ足らずですから、1日くらいで読めます。
また、小説では主人公を友人たちが様々なジョーク(下ネタも)でからかうシーンが多いが、このあたりも映画でどう描かれるのか、ちょっと楽しみだなぁ。