ああああーT_T絶望(´༎ຶོρ༎ຶོ`)この本、午前3時半までかかって読んで起きたら、もう、昼の12時半だったーT_Tせっかくの日曜なのに半分なくなってしまったー(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)夢の中にも蘭子が出てきたような…
面白かった!女同士の確執が^ ^
でも、「女同士の確執」といっても実際には争っていたのは蘭子だけ。お師匠さんの苗が立ち上げ、弟子300人を越す良家の娘ばかりの「一絃琴」の塾「市橋塾」の頂点に立ち、周囲から「跡継ぎ」と目されていたから、「跡継ぎ」の座を狙っていたのだ。そして、お師匠さんと同じ丸紋印の琴を手に入れたくてしょうがなくて、その頃には掘建小屋でひっそりと世間から身を隠すように暮らしていた名工紋之助を親の権力を使って引っ張り出して自分にも名器を作らせようとしたのだ。
ああ、蘭子!あんたは「舌切り雀」の話を知らんのかい?あんたは元士族の良家の娘で「人に負けるな」が家訓の家に育った才色兼備、経済的にも何一つ不自由のない娘として育ったが心の中は舌切り雀のおばあさんと同じ。人の物が欲しくてしようがない。蘭子は琴の腕を上げる努力はしていたが、所詮、苗が「一絃琴」を根を絶やさないために始めた塾がたまたま大きくなって大きなショートケーキのように魅力的な「市橋塾」の頂点にショートケーキのイチゴのようにちょこんと座りたかっただけなのだ。そして蘭子はその自分のあさましさに一生気付かなかった。
市橋塾を始めた市橋苗にとっては「一絃琴」がそんなに隆盛を極めなくても良かったのだ。
苗の実家は幕末の士族…といっても質素倹約の沢村家で、芸術を愛する家族は毎年、仲秋の名月の頃にやってくる絵師の亀岡さんに夜に月明かりの下で一絃琴を演奏してもらっていた。
月光が斜めに差し込んでくる座敷に、透き通った琴の音に聞き惚れてふと目を上げると、庭木の向こうの引棟の蚕室の黒い屋根瓦が月に照らされ、まるで青い露の流れるように冷たくきららかに光っていた様子を、苗は瞼の裏に焼き付けている。
亀岡さんに聞いた、在原行平が須磨に流されたときに海辺に流れ着いた一枚の板に冠の緒をに切って貼り、岸辺の葦の茎を切ってかき鳴らしたのが「一絃琴」の始まりという悲しくも美しい話。幕末に何の事情か、突然沢村家に来れなくなった悲しい亀岡さんの身上。荒地の草を掻き分け、この人と決めたお師匠さん、盲目の有伯の弟子にしてもらうために何日も根気よく通い続けたこと。やっと弟子にしてくれた有伯が名曲「漁火」を苗のために作曲し、この世を去ってしまったこと。
苗にとっては一絃琴とは本来人前で弾くものではなく、孤独な心と向き合うために一人で弾くもの。そして闇の中の一条の月の光のように一筋の絹糸のように自分の心にある芯のようなものだった。
師匠有伯の死と苗の失恋のために20年間一絃琴を絶っていたが、ふと古物屋であの有伯が使っていた名器「白龍」を見てからいてもたってもいられなくなり、夫の公一郎に琴を弾きたいことを願い出ると意外にもあっさり許可が出た。そればかりではなく、元々一絃琴をやっていた人たちから苗に塾を開くよう勧められ、子供のいない苗と公一郎夫婦にとっては塾が生きがいのようになり、「元士族の良女」を条件に始めた塾が300人を越す華やかな塾に成長したのだ。
八歳の時から入門し、美しさでも勉強でも芸事でも誰にも負けを知らない蘭子はその華やかに成長した「市橋塾」の頂点に立ちたくて、周りの勧めもあって苗先生の後釜を狙っていたのた。だが、師匠の苗にとっては「人前で華やかに弾く」のは本来の一絃琴ではなく、蘭子は技術は上達していても、「自分一人の心に向き合うもの」という本来の一絃琴の精神を蘭子はまるで受け継いでいなかった。それなのに周りは苗の心を理解せずに、「蘭子に跡をつがせ、苗は隠居して楽になれば」と勧めてくる。どうしても蘭子にだけは継がせなくない。と悩んだあげく、52歳になって養女をとったのだ。赤ん坊を「跡継ぎ」としてお披露目した市橋夫婦の姿を見た途端、「負け」を知って市橋塾を去った蘭子。
その後、蘭子は人から羨まれる幸せな結婚をし、何一つ苦労を知らない良家の奥様でいたが、苗と同じで子供には恵まれず、しかも苗に対抗して意地でも養子は取らなかったので、歳をとっても苗に対するライバル心を持ったまま、苦い思いでいた。
一方の苗は養女稲子を引き取った四年後に夫公一郎が亡くなり、女手一つで稲子を立派に育て、稲子はその時代には珍しく四国から東京に出て津田塾女子大を首席で卒業するまでになったが、琴は稲子には殆ど教えなかった。後の稲子によると稲子は琴には不向きだったようだ。それでも苗は稲子を育て始めてからが一番幸せだったのではないだろうか。琴の才能がない養女でも、自分が祖母に育てられたように、厳しく向き合って育て、その子の一番やりたいこと、向いていることを極める道に進めさせたのだから。苗にとって一絃琴は「孤独と向き合うもの」だったのだから、一絃琴に向き合う暇もないくらい子育てが大変だったのはむしろ幸せだったのかもしれない。
心の中に一本の光を放つ絃を持った苗と「聴く人」がいないと弾きがいのなかった蘭子。幕末に生まれ、一本筋の通った生き方をした苗は動乱の世の中と自分の生涯を逞しく生きたといえよう。
初めは秋草模様の平安絵巻のような侘しさの中に美しさのあった文章。それがだんだん煌めき百花繚乱模様の振袖のようになり、その中に女同士の確執を描いていった宮尾登美子さんの小説、堪能しました。