476頁の大作。
あとがきにはこうあります。
『取材開始からここまで、約十二年。 本当に長かった。
その間に約三十冊の本を出したが、片時たりとも橋本忍さんのことが頭を離れることはなかっ
た。いかにして、この巨人の話を的確に読者に伝えるか。長きにわたり、その正解が全く考えつか
なかったのだ。
他の企画は全て、こんな感じの切り口で、こんな感じの構成で、こんな感じの文体で書けば、う
まく収まる――といったことが、立案と同時レベルですぐに決めることができた。が、今回はそう
はいかない。
橋本さんから取材を通してうかがった話の数々、取材を通して受け止めた橋本さん当人の人物
像、取材そのもののドキュメント、周囲の人々のコメント、そして没後に入手した創作ノート。 ど
れもが膨大な情報量で、濃厚な内容だった。それでいて、それらは必ずしも「一つの真実」に向か
ってはいない。聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、「藪の中」へ迷い込むような日々だった。』
春日太一の映画、映画人を語る作品はどれも面白い。博識で、映画愛に溢れているので、どんどん億に切り込んでいく。文章の歯切れが良く小説のように引き込まれる力を持っています。
橋本忍というとデビューが
羅生門(1950年8月26日公開、黒澤明監督、大映)で、黒澤明でカンヌ映画祭ですから破格ですね。
黒澤監督作品の脚本だけですごいのに、「八甲田山」「砂の器」ですから。
『人間ドラマを、どこまでも追い込んで描いていく。そうでなければ、「楽しみがない」から。橋本は時として、人間に理屈を超えた、なぜそのようなことをしたのか説明できない行動をとらせることがある。そんな時に、橋本は腕力を使う。 その腕力による圧倒的な筆致により登場人物をねじ伏せて意のままに動かし、同時に観客の心をもねじ伏せる。
『ゼロの焦点』執筆当時、橋本はこう述べている。
こうした腕力でねじ伏せる橋本の執筆スタイルに関して、『生きる』『七人の侍』などで組んだ先
輩脚本家・小國英雄は、橋本に対して次のように評したという。
「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴
がいる。でも橋本お前はどちらでもない。 腕で書いている。』
本人は
『そう、腕力ということが、シナリオを書く上に大変重要なんです。ある人物がまっすぐ歩いて行
く。作者がその後にくっついて行くだけなら簡単です。しかし時には作者がこの人物に命令して、
こっちへ進ませたりあっちへ曲げたりしなければならない。腕力がないと、人物を自分の目的方向
に曲げた場合にあざとく見える。自然に見せるためには腕力が必要』(『シナリオ』 六一年二月号)
と語っています。不自然になるところを納得させる腕力が必要なんでしょう。
例えば喫茶店で恋人同士が会うというシーンだけで、いろんな会い方を考えて出し合う。そんな何気ないシーンでも考えるだけ考えるもんなんですね。
構成の人でもあって
シーンごとに箱をつくっていて、模造紙にまとめる。実際にストーリーを俯瞰して書き換えていくとか。
物理的に書く力が必要なのでひたすら机に座って書き続けるという修行僧のような執筆形態。お弟子さんの山田洋次だったか立つこと禁止なので筋肉が落ちてきて寝ても布団が重く感じられて、急性リウマチで倒れるくらいひたすら書く。
といった面白いエピソードが次々と出てきます。
個人の評伝としても面白いのですが同時に黒澤明から現在に至るまでの映画史や裏話でもあって、それも面白い。ただの脚本家ではなくて、橋本プロという独立プロをつくり、チケットを売るために創価学会を取り込もうと「人間革命」を書いたもしてる。
プロデューサーとしての役目も大きかった。
<主な作品>
生きる(1952年10月9日公開、黒澤明監督、東宝)
蜘蛛巣城(1957年1月15日公開、黒澤明監督、東宝)
悪い奴ほどよく眠る(1960年9月15日公開、黒澤明監督、東宝)
切腹(1962年9月16日公開、小林正樹監督、松竹)
仇討(1964年11月1日公開、今井正監督、東映)
白い巨塔(1966年10月15日公開、山本薩夫監督、大映)
上意討ち(1967年5月27日公開、小林正樹監督、東宝)
日本のいちばん長い日(1967年8月3日公開、岡本喜八監督、東宝)
どですかでん(1970年10月31日公開、黒澤明監督、東宝)
人間革命(1973年9月8日公開、舛田利雄監督、東宝)
日本沈没(1973年12月29日公開、森谷司郎監督、東宝)
砂の器(1974年10月19日公開、野村芳太郎監督、松竹)※製作も
八甲田山(1977年6月4日公開、森谷司郎監督、東宝)※製作も
八つ墓村(1977年10月29日公開、野村芳太郎監督、松竹)
私は貝になりたい(2008年11月22日公開、福澤克雄監督、東宝)