あらすじ
”全身脚本家”驚愕の真実!
『羅生門』、『七人の侍』、『私は貝になりたい』、『白い巨塔』、『日本のいちばん長い日』、『日本沈没』、『砂の器』、『八甲田山』、『八つ墓村』、『幻の湖』など、歴史的傑作、怪作のシナリオを生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍の決定版評伝。
著者が生前に行った十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から譲り受けた膨大な資料をもとに、その破天荒な映画人の「真実」に迫る。
目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章 『羅生門』
三 明の章 『生きる』『七人の侍』
四 離の章 『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章 『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章 『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章 『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章 『人間革命』
九 雪の章 『八甲田山』
十 犬の章 『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章 『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧
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厚い取材に基づいて、橋本忍の生涯が浮かび上がる好著。
今、議論されている原作者と脚本家の関係のもつれの根源が垣間見える。
天才、脚本家に深い敬意を払いつつ、失敗や限界が描かれていて、そこが一番、面白かった。
Posted by ブクログ
『幻の湖』を見てからでないと読めないと思いしばらく積んでいた。数々の名作を生み出した橋本がなぜあんな珍作を撮ったのか不思議でならなかった。丁寧な取材に基づく深い考察で『幻の湖』がいかにして生まれたのかが解き明かされる。ここが一番読み応えがあった。
Posted by ブクログ
目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章~『羅生門』
三 明の章~『生きる』『七人の侍』
四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章~『人間革命』
九 雪の章~『八甲田山』
十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧
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砂の器の映画と原作ともに堪能したが、原作の軽さがが感じられた。その作者がなぜ『幻の湖』を作ったのか。偉大な脚本家を追った本として満足。
見ていない映画や改めて見直したい映画もあり、これからも読み直したい。
Posted by ブクログ
橋本忍先生の作品はほぼ見ている。だから映画の裏側(特に、八つ墓村、人間革命、幻の湖!!)を知れるだけでも、もちろん面白いのだが。。なんといっても想像以上のビジネス本でもあり、最高。何度も読み返したい。
幻の湖が橋本忍が天才すぎての作品かと思っていたけど、ビジネス視点で作られてる、、とは。たしかに走るシーンが長いのは「砂の器」のラストと同じだとは思ったけど。
例えば、こんなセリフがあるんです。すごい面白い!
「大きな会社で大量生産方式がとれたのは、他の娯楽産業がまだ伸びない時代、もう一つは全部手 仕事であるにもかかわらず人件費が極端に安い時代、この二つの条件の下にしか成り立たない産業 なのである」
Posted by ブクログ
とめどなく俗物根性で駆け抜ける橋本忍の足跡は、映画を芸術ではなく興行の媒体としてどうすれば儲かるのか、その徹底した分析力をギャンブルの糧として活用していく。腕力で面白く脚色していく橋本の興行収入や名声を欲する姿はあまりに人間臭くてグイと惹き込まれていく。栄光と凋落。この振り幅も賭博師として自覚していたのではないか。輩出する脚本に共通する主題同様、苦悩に満ちた半生は彼の宿命でもあったと感じる。
Posted by ブクログ
脚本家といえば、倉本聰や山田太一を知っている人は多いと思うが、橋本忍の名前は、映画マニア以外では、余り知られていないと思います。
橋本忍は、戦後サラリーマンをやりながら書いた脚本(芥川龍之介の「藪の中」)が、黒澤明監督の目にとまり、黒澤が手を加えて、映画「羅生門(1950年)」となり、いきなり「ヴェネツィア国際映画祭」でグランプリを受賞した。
以後、黒澤明・小国英雄の3人で共同執筆を行い「生きる」「七人の侍」等の脚本を書いていたが、徐々に黒澤から離れて独立する。
黒澤から離れた理由は、完璧を目指す黒澤は、通常の脚本の3倍以上の労力と時間がかかり、しかも映画のクレジットは、黒澤との連名になるので、全ての評価は黒澤になってしまうことへの不満があったそうだ。
その後、「真昼の暗黒」「ゼロの焦点」「切腹」「白い巨塔」「日本の一番長い日」「日本沈没」「私は貝になりたい」等の脚本を手掛け、論理的で確個とした構成力で、高い評価を受けるようになった。
当時、斜陽の映画界にあって思いうように映画化が出来ないので、自ら「橋本プロダクション」を設立し、「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」等を成功させたが、「幻の湖」で失敗した後は、体調不良などもあり、事実上引退した。
著者は、12年間に渡って、橋本忍の子供時代からの晩年までを追い求め、9回ものインタビューを行い、橋本が残した「創作の裏側」という備忘録を丹念に読み解き、ハードカバーで500ページに近い本書を著した。
橋本忍の脚本の例として「砂の器」(野村芳太郎監督)が興味をひいた。
松本清張が書いた原作の中の捜査会議で報告される犯人の生い立ちの説明で「父親と全国を放浪していた」という4行程度のさりげない記述に注目し、脚本では、この父子の放浪を、映画の終盤に据えて、一気に画面を盛り上げてゆくシナリオに作り替えている。
ハンセン病を患ってしまったために理不尽な差別を受け、お遍路姿で流浪することになった父子。行く先々で邪険にされ、それにめげない父子の触れ合いが、時に美しく、時に厳しい日本の四季折々の風景をバックに映し出されていく名場面を作り出していく。それを犯人の終盤の回想録として描いている。
私もこの映画の記憶として、厳冬の竜飛岬、春の信州やこの本の表紙(上掲)に載っている場面しか残っていないし、これが松本清張の原作本にも書いてあると思っていた。
この手法は、競輪でゴール直前に一気にピッチを上げて追い込んでゆく「まくり」という戦法と同じだそうだ。こういう橋本のセンスを、著者は父親譲りのギャンブラーとしての勘の冴えをあげている。事実橋本も父親同様に競輪が好きであった。
このように、橋本のオリジナル作品も面白いのであるが、原作がある作品でも、原形を殆ど留めない形に仕上げているのには驚いた。
因みに「砂の器」は原作をはるかに上回った映画作品として評価されている。
またエピソードとして、橋本が有名になった後に映画会社から「忠臣蔵」の話が何度か持ち込まれた時に「一人が四十七人を斬った話なら面白いけど、四十七人が一人のジジィを斬って、どこが面白いんだ」という父親の話を持ち出して、全て断っている。
本書では、こういう話が丹念に書き込まれてあり、映画ファンなら、一読をお薦めします。
Posted by ブクログ
橋本忍は「観なきゃいけない」と思いつつ、未だ鑑賞していない作品の多い脚本家のひとりだ。本書で触れられている大作のうち、1/3くらいしか観ていない。観る前に膨大な取材のもとに書かれた本書を読んでしまうことで、すべてネタバレにならないかと心配していたが、決してそんなことはなかった。作品をちょっと観ただけでは掴みきれない製作の裏側が見えてくる。むしろ、一連の作品にこれだけの準備があった事を知ってから映画を観た方が、より深遠なところまでいけるような気がする。
なぜ映画も観ずに本書を読んだかと言えば、「幻の湖」があったからである。なぜ晩年期にあのような作品が出来上がってしまったのか。はっきり言って本書の内容でも納得いかない。もっとキャリアの手前で失敗があっても良かったのではないか。
しかし、本書の最後の方で触れられていた、時代が橋本忍作品を必要としなくなった、というような指摘はまさに同意できた。80年代とそれ以前との、水と油のような関係の犠牲になったような気がする。春日太一さんには、オーラルヒストリーとしての作家論だけでなく、映画史全体としての橋本忍論にも期待したい。
Posted by ブクログ
これまでに一番泣けた映画と言えば「砂の器」。その後、原作も読んだのですが、映画の方がよっぽど感動的。11月27日付け日経新聞のコラム「春秋」で、この映画の脚本を書いた橋本忍の評伝が出たとあり、早速読んでみました。
橋本忍の名は知らなかったのですが、稀代の脚本家ということがわかりました。「砂の器」だけではなく、「七人の侍」「生きる」「ゼロの焦点」「八甲田山」など、自分でも見た数々の名作の脚本を手がけていたそうです。
ほぼ全編にわたって「砂の器」が出てきます。原作で、「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」という、たった26文字の部分を人形浄瑠璃の手法で大幅に脚色。ところが、どの映画会社に持って行っても、「おまえ、頭どうかしているんじゃないか。今時、乞食姿が白い着物を着てあちこち歩き回るって、それが売り物になるとおもっているのか」と断られ、遂に自分のプロダクションを設立して制作。千代吉を生存させるなど、原作とは違う設定もしていますが、「映画は絶対、原作に依りかかってはいけない」のだそうです。
「字を書く仕事」であり、毎日、原稿用紙30~40枚は書いていたというのですから、まさに鬼才。取材から12年をかけた力作で、黒澤明監督との確執、俳優選びやチーム編成が映画の出来にも影響するなど、映画制作の裏話も満載。思い入れが強いせいか、「あとがき」にあるように「混沌をそのまま」書いた風でもありますが、「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」と言いたくなる一冊です。
Posted by ブクログ
春日太一さんの12年間に及び橋本忍というストーリーテーラーに春日太一が苦心して対峙していく様子が痛いほど感じられる大著。
後追いで橋本忍脚本映画を観てきた自分には浅い映画歴にどんどん線が引かれていく感覚で一日で500頁級の本書を読み切りました。
ただ読後感として、映画脚本・ビジネスマン両面の才能に恵まれた人物の栄光と挫折ではまとまらない、描かれていない余白があるのではないか、まだ橋本忍はわからないのではないかという感覚も残りました。
春日さんには迷惑な期待かもしれませんが『続・鬼の筆』というより『鬼の筆・ビヨンド』があるのではないかと読者としては期待せざるを得ないです。
Posted by ブクログ
春日太一さんの本、久々に読んだけど面白かった!
改めて橋本忍の凄さを痛感させられながらも、大枠の話なので各映画の詳細を知りたい場合には向かないかも。
砂の器に取り憑かれてくところや、ギャンブル的な人生なところも面白い。
Posted by ブクログ
人間は、生れて、生きて、死んで行く。その生きて行く間が人生である。
人生とは何だらう。
恰もそれは賽の河原の石積のようなものである。笑ったり泣いたりしながら、みんな、それぞれ自分の石を積んで行く。
ところが、時々、自分たちの力ではどうしようもない鬼(災難その他)がやって来て、金棒で無慈悲にこの石を打ち崩す。
表面的な涙だけではない。心の中が、いや、体全体までが涙で充満する。
そして、嘆き悲しみながらも、また石を積み始める。その涙の底には、その人自身は気がつかないにしても、何かとても強い意志……生きて行こうとするなにものかが……不思議な程に強い生命力がある。
もし、地球上のあらゆる生物が死滅したとしても、最後まで生き残るのは、人間ではなからうか。
現実の社会は一見、ひどく複雑である。
従って、その中に生きている人間までが複雑に見える。
しかし、もっと人生を俯瞰的に見れば、いや、一人一人の心の中へ入り込んでみれば、案外、人間ほど素朴で、悲しく美しい、そして強いものはないように思える。
その姿を的確に描き出すことが、「現代の詩」を生み出すことではなからうか。
これは、脚本家・橋本忍が映画『南の風と波』(一九六一年、監督も橋本自身)の脚本を書くにあたり、創作ノートに記した文章だ。
一九五〇年代から七〇年代にかけて、橋本忍は脚本家として次々と名作を書き、そして多くの映画賞を受賞し、大ヒットもさせてきた。
『羅生門』『生きる』『七人の侍』『真昼の暗黒』『張込み』『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『切腹』『白い巨塔』『上意討ち 拝領妻始末』『日本のいちばん長い日』『人斬り』『人間革命』『日本沈没』『砂の器』『八甲田山』――。
名作と名高い作品が数多く並ぶ、その圧倒的なフィルモグラフィは、「戦後最大の脚本家」としても過言ではないだろう。
そんな橋本の描いてきた世界を貫くドラマツルギーが見事に凝縮されているのが、冒頭の文章である。
人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、自分たちではどうにもならない圧倒的な力が無慈悲に打ち崩していく――。そうした「鬼」たちによる容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、橋本はひたすら描いてきた。なにせ脚本家としてのデビュー作である『羅生門』からして、美しい妻と旅をしてきた武士が、盗賊に殺害される話だ。
また、主だった現代劇を挙げるだけでも――。殺人犯として無実の罪を着せられる『真昼の暗黒』。人の好い理容師が、戦時中に上官の命令で犯した罪のために、戦後の軍事法廷で死刑になる『私は貝になりたい』。暗い過去をもち、苦労を重ねた者がようやく幸福を摑みかけたところで、事件捜査により全てを失う『張込み』『ゼロの焦点『砂の器』。一方的な逆恨みのために築いてきた栄光を失う『霧の旗』。自然の猛威の前に人々の営みが全て飲み込まれていく『日本沈没』。上層部の無謀な命令のために、史上最悪の山岳遭難事故が起きる『八甲田山』。
時代劇においても、それは変わらない。『七人の侍』は野武士たちに蹂躙されてきた百姓たちの苦境から始まる。藩が取り潰されたことで貧困に陥り、そのために家族を失う『切腹』。心ならざる決闘に勝利したために「仇」として狙われる『仇討』。主君と主家の横暴に振り回される『上意討ち』。生き別れの父と知らず、暗殺してしまう『侍』。主人のために人を斬りまくった挙句、政治的な駆け引きの中で捨てられる『人斬り』。
ほとんどの作品において橋本は、自分自身ではどうにもならない災厄により悲劇的な状況に陥る人間たちを描いてきたのだ。
橋本が黒澤と距離を置くようになった理由は、まだある。黒澤に見出され、次々と傑作映画を黒澤と共に生み出した橋本だったが、そもそもの作家としての方向性は必ずしも合致していなかったのだ。両者をよく知る野上照代は、次のように指摘している。
「二人の相性、何も合ってないですよ。橋本さんが初めは我慢してあげてたんでしょうけど、まあ黒澤さんに批判的ですよ。橋本さんは黒澤さんの作品にそんなに感心してないですよ」
両者の方向性の違いを如実に示しているのが、好む「古典」の違いだ。黒澤が好むのはロシア文学やシェイクスピアといった、徹底した西洋志向である。『白痴』(ドストエフスキー)、『どん底』(ゴーリキー)、『蜘蛛巣城』(『マクベス』=シェイクスピア)、『乱』(リア王=シェイクスピア)と、西洋の古典文学を日本を舞台に翻案して映画化した作品も少なくない。
一方の橋本はというと、五七年に黒澤の『蜘蛛巣城』のシナリオに参加する一方で、同年には『女殺し油地獄』(東宝、堀川弘通監督)、翌年には『夜の鼓』(松竹、今井正監督)と、単独では近松門左衛門の浄瑠璃作品を原作にした映画の脚色をしている。
そして、橋本は圧倒的に後者に思い入れがあったという。
「黒澤組でシェイクスピアのものをよくやってたわけだ。ところが、シェイクスピアの本というのは、そりゃ翻訳のせいもあるんだろうけど、読んでて面白くないんだよね。でも、近松はあれは全部面白いんだ。なに読んでも凄く面白い。
だから、大きな存在だった。
なにより、あのト書きの文章のうまさだね。なかなか調子いいんだよ。
大阪の芝居小屋で近松は人形浄瑠璃を書いていたわけだけど、次から次から次へ書いていかなきゃ座の商売成り立たないから、もうやみくもに書いたんだろうけどね。でも全部、読み返してみると面白い。だから、シナリオを勉強している人たちにも『シェイクスピアなんか読んだって意味ない。近松を読め』って言ったんだよね」
「私は最近自分の書くシナリオに、狙いとかテーマをそれほど重視しない。従ってこの作品についても、封建制の悲劇などは一切考えていない。時代を封建の徳川時代に持って行けば、そんなものは自然に出てくるのだ」(『キネマ旬報』六四年十月上旬秋の特別号)
橋本の執筆姿勢は、ここでも貫かれている。あくまで「封建制の悲劇」は最初から狙ったものではなく、付随する結果なのだ。「理屈から入っては脚本は書けない」というスタンスはここでも徹底されていた。
そして、この記事の最後に述べている言葉も見逃せない。
「強いて狙いらしいものといえば、人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」
これほど、橋本の執筆スタンスを如実に言い表した言葉はない。序章で述べたように、人の不幸を提示し続けたフィルモグラフィなのだから。人間の営みを理不尽につぶしていく「鬼」を求めたのは、観客自身でもあったのだ。
本作における最後の仇討場の構造は、橋本ドラマの悲劇性とそれを喜ぶ観客――という構図そのものといえる。そうした下世話な大衆心理を理解して執筆に臨んでいたのである。
ここまで述べてきて分かるように、橋本の執筆の動機の核には俗なるものがある。そして、当人は昔も今もそれを隠そうともしない。
その象徴といえるのが、シナリオを書く際の決め手としている「三か条」である。橋本は、「これを原作・題材にシナリオを書こう」と決める際、次の三つを判断基準にしているという。それは「いくら稼げるか」「面白いかどうか」「名声が得られるか」だ。
まず、「稼げる」。これは職業として脚本家をしている者なら、誰でも当然のことだが、「作家」としての体裁が悪くなるので、それを明言することはあまりない。だが、橋本は堂々と言い切る。
「僕らの時代は、やっぱりお金に問題があった。それが、シナリオライターになれば非常に収入がいいわけだ。僕らの世代でシナリオライターになってるのは、みんなこんな大きな家が持てるんだ。今のシナリオライターだったらやっぱり小さなマンションに入るぐらいのことしかできないんじゃないのかな。
お金は非常に大きなファクターだよ。だから今だったら、なってみたってしょうがないだろうと思うだろうね。収入がサラリーマンと変わらない。それどころか、いい会社に入ったらサラリーマンのほうがいいだろうからね」
これは、晩年になってから言うようになった考えではない。実は、気鋭の脚本家だったころからそれとなく公言していた。たとえば、『女殺し油地獄』『夜の鼓』という二本の近松門左衛門の浄瑠璃を映画化した際には、次のように述べている。
「まア、何れにもせよ今年は近松門左衛門氏のお蔭で二本も稼がせてもらったので、暇でも出来れば墓参りぐらいはしなきゃいけないと思っている」(『キネマ旬報』五七年八月上旬号)
そして、「面白いかどうか」は、ここまで述べてきた『羅生門』『真昼の暗黒』『切腹』『仇討』の執筆動機が、まさにそれだといえる。
「その時代、時代によって、自分が面白いってものを書いてきたんだよ。だから、ある時には、『真昼の暗黒』みたいな共産党が書いたようなものになるわけだし、それが『白い巨塔』になったら正反対の、権力を求める人間の話になるし、『切腹』になったらまた違う。やっぱりその時代、時代にとって、自分が一番面白いというものを書いてきたんじゃないかね。
だから、自分が面白いと思うものでないと、なんか書けないんだね。字を書く商売だから、何でも書けそうな気がするけど、じつはそうでなくて、自分が面白くないものは、その場でもう立つのと同じで、自分が面白いと思うものしか書けないと、その面白さというものの内容や感じが時代、時代によって違うんじゃないかね。
それは、僕に限らないんじゃないかな。一見すると、個性がないような作品でも、やってる本人からすると、自分にとってはそれが一番面白いからやっているんだよ。だから、シナリオは成立している。みんあ、口ではそう言わないかもしれないけどね。
我々の仕事というのは、個の主張だからね。書く時に、他人の尺度は持ってこられないんだ。他人が何を面白がっているかというようなことはわからない。だから、自分が面白いと思うものをやるよりしょうがないんだ。でも、本当に『面白い』と思えるところまで、なかなか行けない。その『面白い』へ行く手前のところで止まってしまうんだ。そこはやっぱりどうしようもない。それは越えられない」
その時代によって「面白い」と思う対象は変わる。橋本の選ぶ題材やジャンルの幅が広いのは、そうした橋本自身の「新鮮な興味」を次から次へと面白がろうという貪欲なスタンスがもたらしてきたものだったのだ。
ここで再び、話を『日本のいちばん長い日』に戻す。『日本のいちばん長い日』は橋本や東宝の幹部たちの予想に反し、大ヒットとなった。自身で脚本を書いておきながら、橋本はそのことを不思議に思い続けていた。そして後日、「答え」を得る。それもまた、競輪が由来だった。
「封切り後に九州の競輪の元締めみたいな人と話していたら、その人が『『日本のいちばん長い日』を見た。お客もたくさん入ってた。橋本さん、当たってよかったね』と言うからね、『どうして当たったのかよくわからないんだ』と返したら、『橋本さんともあろう方が、それはおかしいんじゃないか』と言うんだ。
同じような題材だと『黎明八月十五日 終戦秘話』という東映のがあった。そして『日本敗れず』というのと新東宝がやっていたんだよね。特に『黎明八月十五日』は、最初は僕のところへ依頼が来た。だけどね、今さら八月十五日なんかやったってしょうがないっていうんで、僕はやらなかった。で、どちらもべタゴケ。だから、あの題材は当たるわけがないと僕は思ってたんだよね。
ところが、その九州の人は日本で最初に競輪を始めた人なんだけど、それだけにやっぱり勝負勘というのが凄いんだ。『あのね、橋本さん。『日本敗れず』ってのはいつの映画だ』って聞くから、『昭和二十年だ』と。『黎明八月十五日』もそうなんだ。すろと、その人は『それから十年経ってる。つまり、こういうことなんだ――』って言う。
『今、先の見えない時代に入った。橋本さん、車を運転してライトが故障したらどうする?』と聞くから、『そりゃもう、車を止めて降りて周りを見る』と言ったんだ。すると『周囲を見渡したとき、後ろの方に光るものがあったら必ずそっちを見るでしょう?』って。僕は『見る』。『それと同じだ。そこに当たる要素があったんだ』と言うんだよ。これは――賭けの哲学の理論なんだ。
つまり、こういうことだ。先の見えない時代に入ったときには、人間は後ろを振り返る。『日本敗れず』や『黎明八月十五日』のときは、振り返るまでまだ年数が経ってなかった。今はもう十分に時間が経ったんだから、やれば入るに決まってるんだ――と、そう言われたの。
それは、映画の当たり外れの中の、非常に大きな要素だなと思ったんだ。
東宝も僕も『入らない』と思ったのは、その新東宝と東映のを見てるからなんだ。でも、宣伝部というのはそういうのを観ていないから、現場の勘で一週間前になって、『いや、これはひょっとしたら来るんじゃねえかな――』って気づいた。それが当たった。九州の競輪の人が言ったとおりで、当たるべき要素があったんだ。それは僕も気がつかなかった。
つまり、映画のシナリオライターというものの一番基本は、自分の書いたものにどれだけ客が来るか来ないかっていうことなんだ。そこが勝負なのよ。みんなそうなの。口に出さないけどね。だから、そういう点で僕にとってすごくあれはよかった作品だと思う」
六三年になり、事態が動く。橋本の父・徳治が死の病に倒れたのだ。故郷の鶴居に見舞いに行くと、その枕元には二冊の台本が置いてあったという。一冊は『切腹』、そしてもう一冊が『砂の器』だった。
「お前の書いた本で読めるのはこの二冊だけだ。読んだ感じでは『切腹』のほうがはるかにホンの出来がいい。でも、好き嫌いから言ったら『砂の器』のほうが好きだ」と。そして最後にこう付け加えた。
「忍よ、これは当たるよ」
橋本は、父博才に惚れこんでおり、特に「当たる興行」を見抜く目を信頼していた。少年時代に目撃した、父とある座長との駆け引きは、忘れることができないという。
その時、座長が売り込んできた演目は『忠臣蔵』だった。歌舞伎・講談・映画、さまざまな形式で上演され、そのたびに大衆を沸かせてきた国民的大人気の演目である。これを掛ければ動員を見込めるのは間違いない。
座長は徳治に、得意気に語る。
「これがどこでやっても大当たり。それを討ち入りまで全部通してやるんです。すると一日じゃできないから二日間やる。それでも、どこもかしこも小屋が割れるほど人が入るんですわ。今年はもう何も言わんと『忠臣蔵』一本で行ってください。その代わり、役者も揃えなきゃいけないし、衣装、小道具も金かかるから、仕込みは二割五分から三割高くなります。だけど、そんなもの問題じゃない。お客さえ来りゃいいんです」
だが、しばらく黙って考え込んだ末に徳治の出した答えは、意外なものだった。
「『忠臣蔵』はやっぱりやめとくわ」
「え? どうしてでっか?」
「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬って、どこが面白いんだ」
その様子を見ていた当時の想いを、橋本はこう振り返っている。
「僕は非常に感心したの。親父の考え方、正しいと思ったね」
脚本家にとってセリフとは、丹精込めて生み出した魂の結晶ともいえる。まして橋本クラストもなると、それをひねり出すのに常人とは比べ物にならない力を入れている。だから、セリフを現場で監督や役者に変えられたり削られたりすることを脚本家かは嫌う。橋本も、いつもはそうだった。
が、今回は違った。実は、「父子の旅」の場面は当初、二人を含めた登場人物達はセリフを喋っていた。が、編集するにあたり、映像と音楽が反発し合って生まれるであろう盛り上がりに、セリフは邪魔だと考えたのだ。そのため、橋本はそこでのセリフを全てカットした。映像に観客の神経を集中させたい。その一心によるものだった。
「それはどうしてかというとね。人間が映像を見る場合には、画を見る光の速さがあり。それに比べて音の速さはかなり遅いんだよね。
父子の旅の中に親子のセリフが入るとすると、観客はその意味を知ろうとする。その瞬間、解釈に気を取られて邪魔になって画が見れないの。しかもこれは圧縮されていて一つ一つが短いから、セリフを解釈しているうちに次の画面に行っちゃう。そうすると、画に没入できないんだよな。セリフを聴くたびに、見ている目の感覚が衰えるのよ。
つまり、これは無声映画の一番いいとこを使ったんだ。映画というのは音を入れて必ずしもよくなるって僕は思わない。無声とトーキーの両方を知ってる者の立場から言ったらね、音を得たために映画がダメになってる部分が随分ある。だから無声映画ってのは非常に強い部分があった。それはなぜかってセリフがないから。画だけだからね。それを父子の旅に活かした。
だから、セリフ全部取っちゃったんだ」
ただ、それでも野村としては不安があったようで、セリフ有のバージョンも試してみたのだという。ちょうどそこに、橋本プロの次回作『八甲田山』の準備に来ていた森谷司郎監督も立ち合っていた。野村と共にセリフ有バージョンのフィルムを観た森谷は、編集室の橋本にこう言ったという。
「やっぱり橋本さん、セリフ入れないって正解でしたよ」
「原作物をやる場合の基本だけどね、どんな小説でも百%完全なものというのはありえないんだよ。何らかの方向を目指しているんだけども、そこまで行かずに止まっているものが多いんだよね。だから、これは全て捨てたってかまわない。こっちから『こう行きたい』というものを探しあてて、それを捕まえるってことが大事なんだ。
だから、原作のとおりであるとか、ないとか、そんなことは問題じゃないんだ。原作には目指していたものがある。でも、そこに他の余計なものがくっつき過ぎてる。
たとえば、清張さんも『砂の器』は父子の旅だけを書きたかったんだと思う。実際には三行だけしか書かなかったけどね。でも、そういう風に僕は解釈している。で、その清張さんが途中までしか行けなかったバトンを受け継いで前へ僕が走るんだから、ほかのとこは要らないんだ。
原作は何を目指していたのか、それを捕まえて、それを伸ばしていくことが、バトンを受け継ぐ者の仕事じゃないかな。原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ」
こうした橋本のスタンスは司馬遼太郎には受け入れてもらえず、抗議の手紙が届いた。一方で、清張は、橋本に次のように語ったという。
「僕らは思いついたらすぐ書くから。連載の注文も多いし、つい引き受けてやる。だから頭で考えないんだよ。でも橋本さんの場合には、おしまいまで全部考えてやるでしょう。だから僕の原作を使って面白い映画になるんだと思う」
こうして清張は橋本に最も生血を吸われる作家となり、そして多くの名作映画が生まれて行ったのだった。
そして、『砂の器』においては、その「生血」の結晶が、まさに「父子の旅」だった。
「先生のハコ書き(※構成表)はすごいですよ。
最初はA4の倍くらいの紙に一シーンずつ鉛筆で書き並べていきます。一つのハコには、たとえば頭に『光子の部屋』といった場面設定と、大まかな芝居の内容や動き、セリフも書き込んでいく。
それができたら、僕が大きな模造紙に拡大してマジックペンで書き写すわけです。模造紙を何枚も何枚も使って、ラストシーンまで全て書きます。
なんでそんなことをするかと言ったら、ご自宅の仕事場にしても、定宿にしていた熱海の旅館にしても、二間続きの広い部屋だから、そこに廊下まではみ出すくらいパーッと順番に並べて、先生は歩きながら上から全体を見て回る。そうやって俯瞰しながら全体の流れを読んで、さらに細部を書き加えたり、『ここがおかしい』『ここはシーンが逆だね』『このシーンはカット』とか言われて、僕が鋏でシーンを切ったり貼り替えたりする。
小さなハコをみても流れが分からない。大きなハコにして、ダイレクトに見ていくことによって流れがちゃんと掴める。おかしいいところ、停滞しているところは『こうしなきゃ』とすぐ分かるわけです。そういうことに時間をかけてずっとやっていくことで、最終的に完璧なハコになって、それを元にしてシナリオに取りかかるわけです。
だから、本当に『構成の人』と言われるだけあって、そこはきちんとやられますね」
「松本文学の基本は上滑りした理屈ではなく、自然の中にしか生棲しえない人間、つまり生きている人間が対象であり、その物語を強くし、より現実感を増すために、バックが効果的に使用される。従って、誰が犯人であるかなどといった謎ときや、あるいは犯人を追い詰めてゆく、プロセスの面白さなどは、ほとんど問題にならない。常に登場している主題の人物がどうなってゆくか、人間の運命が描かれる」(『松本清張全集 19』文藝春秋「解説」)
謎解きやそのプロセスではなく、人間そのものを描く。そのために、橋本はあえて謎解きのパートを一気に飛ばして、その犯行に至る人間の「運命」を描くという構成にしたのだ。そしてこれは、後の『砂の器』の脚色でも使われる手法だ。
この、時系列を大きく飛ばし、回想によってそこに至るまでをふり返るという手法は『生きる』の時に編み出されたものだ。主人公の渡辺勘治が公園を作ろうと動き出したところで一気に場面は飛び、次の場面では既に渡辺は亡く、お通夜の場面になっている。そこで同僚たちが渡辺を懐かしみつつ、いかにして彼が公園建設を成し遂げたかが語られていく。
この構成の効用を、橋本は次のように述べている。
「生きている現実の形だと、美談めいたものの連続になり、少し鼻につく恐れもあるが、すべては死んだ後なので、彼の熱意や、その異常な行動、困難や障害を克服するドラマの一つ一つが、イキイキと効果的に伝わる。だが誰にも渡辺勘治の変身の真意は分からない」(『複眼の映像』)
この手法をミステリーに転用したのが、『ゼロの焦点』、そして『砂の器』だったのだ。
山田(洋次) 六時過ぎると晩ご飯もごちそうになるの。晩ご飯食べながら、いろんな話をうかがいました。『羅生門』のときの話とか、『七人の侍』の話。これが僕にとってはたまらなかった。面白くて、勉強になって、時々ノートに書いたりしてました。それで、星を見上げながらうちに帰るわけです。
何週間も経ったある日、「橋本さん、僕は脚本を書くってことは、自由気ままな発想を浮かべて、遊ぶようにして書くもんじゃないかと思っていたけれども、そうじゃありませんね。僕はこの数週間、向上に勤めている人の気持ちでした。工場に勤めている労働者の気持ちでした。すると、橋本さん、笑いながら「工場よりも農民に近いんじゃないか」って。「朝早く起きて、畑をずっと見る。発芽の状態を見る、そろそろ水をやったほうがいいか、そろそろこやしをやったほうがいいか。そしてずっと育てて、やがて花が咲き、実が実る。それを収穫する。そこで完成。だから才能なんかは要らないよ。忍耐力だよ」って。橋本さんの名前は「忍」だけれども、まさに忍耐の人ですよ。
僕はものすごくいい勉強させられた。つまり、プロの仕事っていうのはこうだ……と仕込まれちゃった形です。
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とても面白かった。
橋本忍という脚本家の名前は何度も何度も目にしていたが、その方の評伝を読む日が来るとは思ってなかった。
ご本人が生き生きと蘇ってくるような書きぶりだった。
数々の残された作品をまた見たくなる。見たことのない作品はもちろんのこと。
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間違いのない大作を書く大御所、の印象があった橋本忍。それはそうなのだが、思いもよらないギャンブラーなお人柄、脚本職人のような一面がある反面、作品全体を予算取りから興行面から大きな俯瞰の目で眺め当たり外れを見当する山師のような面もある、たいへん人間臭く魅力的な人物であった。「砂の器」を中心としてノリに乗っている時期の仕事量、質、勢い、読んでいても圧倒される。そこから「幻の湖」に至っての空回り、周囲との噛み合わなさなどは、辛い内容だ。だが最晩年の果てまで筆者は追ってくれる。そこには命を削って最後の瞬間まで書き続ける執念の姿があり、とんでもない一映画人の一代記を読み終えた読後感に包まれた。以下は印象に残った言葉。
「強いて狙いらしいものといえば、人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」「そしたら藤本は『喜八はだめだ』って言う。『どうして』って言ったら、『喜八は行書の字を書く』っていうんだ、『これ(「日本のいちばん長い日」)は惜書の字を書く奴じゃなきゃ撮れない』って言うのね」「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。他はいらない。そうやって原作者たちの生血を吸っているわけだよな、僕の脚本は」「自身は映画を思う存分に作れていた時期なので、その現状に満足だけしていれば業界全体のことなどはどうでもよくなりそうなものだが、橋本はそうではなかった。現状の問題点を鋭く読み取り、鐘を鳴らし続けていた」「ただ喰っていくだけのことなら、そんなミジメたらしい努力をする必要はなく、他の仕事に変ればいい。橋本プロは大きく儲けなければ存在の意味がない。自分が肥らないと、作品も肥らない」「自然は征服できるものではなく、なんとか人間はそれと折り合いをつけ、生きるための妥協点を勇気をもって求める…人間と自然…それが『八甲田山』の企画意図であり、この映画のテーマである」「プロダクションの利潤の70%までは分を付けている人たちに払ってしまう。資本蓄積を行い、それを次の映画製作の資金に充てるなどをしては一番いけない。人間は半飢餓状態の時が体がいちばんよく動くし、知恵も出てくる」
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2023年初版。一つの時代を作った脚本家。一時期、感銘を受けた作品はほぼ橋本忍脚本でした。この本を読んで、橋本忍さんのイメージが少し変わりました。もっと作家的な方だと思っていたのですが、ビジネスマンの要素・プロデューサーとしての要素の強い方。優れた能力を持った方だと知りました。私的には「砂の器」の父子の二人旅のシーン、日本の四季が美しい。バックに流れる音楽も素晴らしい。もっと素晴らしい作品を残して頂けたらと思いました。
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「羅生門」「七人の侍」「隠し砦の三悪人」から「私は貝になりたい」「砂の器」等など、大いに楽しませて貰ったその作品群から、この偉大な脚本家の創作の秘密、裏話などが知れれば、との興味から本書を取ったが、没後ご家族から提供された生原稿やノートに加え晩年の直接インタビューも含めて膨大な資料から整理、検証された本書の内容は非常に興味深く面白かった。
優れたシナリオライターであるだけでなく、映画が当たる当たらない要因もきちんと分析して企画に反映したり採算も計算したりのプロデューサー的能力も高かった事、日本映画界旧来のやり方に危機感を持って橋本プロダクションを作ってプロダクション制に移行していった先見性などの面でも優れた能力の持ち主であった事も知る事が出来た。
世界的にも評価の高い黒澤作品では、監督ばかりが評価されている事への不満も口にしていたとか競輪狂であったなどその人間性も垣間見えて興味深かった。
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日本映画史に名を残す脚本家橋本忍。結核療養生活、伊丹万作への師事、黒澤明との「羅生門」でのデビューから日本映画黄金期を駆け抜けた華々しい作家生活。独立プロの立ち上げなど経営者としての顔、晩年の創作など実に楽しく読むことができた。
砂の器、八甲田、八つ墓村の後の凋落ぶりが切ない。
圧倒的な事実と本人への取材の前に、ちょつと構成が弱く、淡々と続きクライマックスの盛り上がりには欠ける。
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最近、昭和30〜40年代の日本映画を追いかけている。橋本忍の作品もいくつか観たが、力作揃いだった。この本が話題になると、さらに回顧上映の機会が増えるだろう。楽しみである。
「八甲田山」「幻の湖」の舞台裏を興味深く読んだ。
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めちゃくちゃ面白かった。面白いエピソードだらけ。原田弁護士とか出てくるし,最高裁の話とか,戒能先生が出てくるのもびっくりだった。
橋本さんの映画を見たくなる。とりあえず「真昼の暗黒」はぜったい見たい。
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『七人の侍』『私は貝になりたい』『白い巨塔』『日本のいちばん長い日』『砂の器』など歴史に残るような映画の脚本家である橋本忍さんの評伝。権力に抗うような作品が多いので社会派かと思いきや、ご本人は売れる作品を生み出すことが目的だったとのこと。作品の本質を見抜くことにとても長けていると思う。『八甲田山』では、多くの死者を出した青森第五連隊は自然を征服しようとして、死者を出さなかった弘前三十一連隊は自然には逆らわず折り合いを付けようとした、と的確に捉えている。また、脚本の内容もまるで小説を読んでいるかのように場面が思い浮かぶ詳述ぶりだった。映画の利潤は自身の会社の資本の蓄積にせず、みんなで分配したというエピソードも凄いなと思う。これらのことがbackboneにあって上記のような作品が生み出されたという事実は、いわゆる社会派という考え方にもいろんなアプローチがあるんだと気づかされた。