スポーツ作品一覧

  • 「我が道」大野豊
    1.0
    2017年9月、カープはセ・リーグ連覇を成し遂げました。圧倒的強さで達成した球団史上8度目のリーグ制覇。新たな黄金時代の到来を予感させるその姿は1975年、弱小球団から一気に初優勝を果たして「赤ヘル軍団」と称賛されたチームに重なります。 初優勝から17年間で、カープは79、80年の連覇を含む6度のセ・リーグ優勝、3度の日本一と黄金時代をおう歌しました。本書は当時の赤ヘル軍団を先発・リリーフの大車輪で支えた左腕、大野豊氏が登場します。スポーツニッポン新聞紙上で連載した「我が道」のエピソードとともに、挫折や困難を乗り越えて輝きを増していった大野氏の雄姿をお楽しみください。(大野氏の連載は「我が道」シリーズ『「赤ヘル」と呼ばれた時代』にも収録されています)
  • 「我が道」大八木淳史
    -
    1メートル90の圧倒的な体格を生かした猛突進。日本中がラグビーに熱狂していた1980年代、楕円球の記憶には常にこの名FWの姿があります。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、大八木淳史氏が今回の主人公です。  大八木氏は1961年(昭36)、京都市生まれ。青春ドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった伏見工ラグビー部で山口良治監督の薫陶を受け、その才能を大きく花開かせます。同大では全国大学選手権3連覇を含む4度の優勝。神戸製鋼では平尾誠二ら仲間にも恵まれ、日本選手権7連覇の黄金時代の立役者になりました。日本代表でも活躍し、W杯2度出場など通算30キャップ。現役引退後は教育者として、次世代に競技の普及を進めています。  ラグビーが熱く、激しく、見る者の心を捉えて離さなかった時代。大八木氏が最盛期に紡いだエピソードも真っすぐ大らかで明るく、当時の空気が伝わってきます。そして現役生活の晩年に迎えた95年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災の瞬間…。伏見工、同大、神戸製鋼という関西ラグビー界の王道に立ち続けた大八木氏の物語を、どうぞ本書を手に取ってお確かめください。
  • 「我が道」岡野俊一郎
    -
    今や子どもが一番好きなスポーツとなっているのがサッカー。Jリーグ、W杯、海外リーグなど、その話題は常に日本を盛り上げてくれます。だが昔、サッカーがまだ“蹴球”と呼ばれていた時代にはどんなことがあったのか…?スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は今日の日本サッカー界の生みの親ともいえる岡野俊一郎氏の物語です。  岡野氏は1931年(昭6)生まれ。上野の老舗和菓子店・岡埜栄泉の5代目は、東大サッカー部に青春を捧げたことで“蹴球”に運命を引き寄せられていきます。聡明な戦術分析眼と懐の深い人柄が買われて、当時の日本代表のコーチに就任。デッドマール・クラマーと長沼健という生涯の友人にも出会い、68年メキシコ五輪で銅メダルを獲得しました。 退任後は日本リーグの創設に貢献。活躍はサッカー界に留まらず、日本オリンピック委員会(JOC)、国際オリンピック委員会(IOC)の両委員も務めるなど、日本スポーツ界の重鎮としてその発展に尽力しました。  2017年、惜しまれながら85歳で生涯を閉じましたが、その功績はいつまでも輝き続けます。18年サッカーW杯ロシア大会、19年ラグビーW杯日本大会、そして20年東京五輪・パラリンピック…。世界的なビッグイベントをワクワクしながら待つ今こそ、岡野氏の歩んだ歴史をひもとくチャンスです。
  • 「我が道」荻原健司
    -
    日の丸飛行隊の軌跡がいま甦(よみがえ)る―。1990年代、日本のノルディックスキー競技は世界最強の名を欲しいままにする黄金時代を築きました。 数多のアスリートたちが活躍した中で、とりわけ後世の記憶にも記録にも残る伝説を築いたのが荻原健司と原田雅彦です。  荻原氏は複合競技の無敵ジャンパーとして日本をけん引して、冬季五輪の92年アルベールビル、94年リレハンメルの2大会で金メダルを獲得。 原田氏は後に続く世代として、98年長野大会のジャンプ団体で地元に金メダルをもたらしました。荻原氏の華麗な滑空と疾走感あふれるクロスカントリー。バッケンレコードをたたき出した直後、白馬の雪山にこぼれた原田氏の涙…。 スポーツニッポン紙上で連載した「我が道」での両氏の苦難と栄光の物語を2冊に編さんしてお贈りします。
  • 「我が道」奥寺康彦
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    Jリーグが誕生した1990年代以降、日本出身のサッカー選手が本格的に海外プロリーグに飛び出していくようになりました。三浦知良、中田英寿、中村俊輔、本田圭佑…今も日本代表で主力を担うスターたちが、欧州を中心とした各国リーグで戦っています。だがそんな現代から遡ること40年以上前、70年代に当時の世界最高峰といわれていた西ドイツ・ブンデスリーガで「東洋のコンピューター」と称賛されたパイオニアがいました。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は奥寺康彦氏が登場します。  奥寺氏は1952年(昭27)、秋田県生まれ。古河電工でFWやMFとして活躍し、18歳で日本代表に選出されます。運命が大きく変わったのは77年。2カ月間におよぶ西ドイツ遠征でケルンのバイスバスラー監督に才能を見出され、初の日本人プロ選手の道が開かれました。その後ベルリン、ブレーメンと計3チームで9シーズンを戦い抜き、日本サッカー界に傑出した足跡をのこしました。  抜きんでたサッカーの実力と謙虚な人柄。奥寺氏が出会う人々から次々とチャンスを引き寄せたのは、そのパーソナリティあったからこそです。豊富なエピソードに彩られた開拓者の物語は、40年後の今だからこそ輝きを増しています。
  • 「我が道」加賀まりこ
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    舞台、映画にテレビドラマ。デビューしてから現在に至るまで、今もその存在感は唯一無二です。スポーツニッポン紙上の連載「我が道」をまとめた本書、今回は女優の加賀まりこさんの出番です。  加賀さんは1943年(昭18)12月、東京・神田生まれ。デビュー以来、奔放な言動でマスコミをにぎわせて“小悪魔”“和製ブリジット・バルドー”などと呼ばれています。舞台は「オンディーヌ」など、映画も「夕暮れまで」「泥の河」など代表作多数。大の麻雀好きでテレビ番組「THEわれめDEポン」にも出演するなど、多才な顔も持ち合わせます。  歌人の寺山修司と映画監督の篠田正浩にスカウトされて、10代で演劇と銀幕の世界に足を踏み入れました。父・四郎さんが映画プロデューサーだったこともあり、幼少時代から大スターたちと身近に接してきた少女にとっては正に天分といえる道でした。あまたの作品を振り返って語られる共演者との思い出や鋭い批評眼。主演・演出・製作すべてが加賀まりこといえるストーリーは、読者を夢中にすること請け合いです。
  • 「我が道」加藤久
    -
    Jリーグの草創期、「プロサッカー選手兼大学教員」という異色の肩書で注目を集めた選手がいました。トレードマークの口ヒゲを思い出すサッカーファンも多いのではないでしょうか。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は加藤久氏の物語をお届けします。  加藤氏は1956年(昭31)、宮城県生まれ。早大教員をしながらDFとして第一線で活躍し、93年のJリーグ開幕戦ではV川崎のメンバーとして先発出場も果たしました。現役引退後も日本サッカー協会の強化委員長、V川崎、湘南、京都の監督などを歴任。現在は沖縄に設立した少年サッカーチームの代表を務めており、そのバイタリティは健在です。  サッカー選手・大学教員・協会の職務という「3足のわらじ」で多忙を極めた現役時代。現役引退と同時に大学教員も辞して、サッカーに専心することを決意した情熱。華麗な履歴からだけでは分からない加藤氏の熱い生きざまが、本書には凝縮されています。
  • 「我が道」釜本邦茂
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    日本サッカー界を代表するエースストライカーといえば、どの選手を思い浮かべるでしょうか?過去から現在に至るまであまたの候補がいますが、代名詞の「右45度」とともにこの選手に眩しいスポットライトが当たるのは間違いありません。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は釜本邦成氏の物語をお伝えします。  釜本氏は1944年(昭19)、京都市生まれ。早大を経てヤンマーディーゼルに入社し、黎明期の日本リーグで通算200得点を挙げるなど絶対的なストライカーとして一時代を築きました。日本代表としては64年東京五輪に最年少20歳で出場。68年メキシコ五輪では得点王にも輝き、銅メダル獲得に大きく貢献しました。  日本中が貧しかった終戦直後、外国へ行く夢をかなえるためにサッカーを始めたというきっかけ。海外プロリーグも現実的な目標に見えていたさなかで襲われた病魔、そして「クラさん」と呼んで生涯慕い続けた恩師デットマール・クラマー氏から授けられたある言葉…。無我夢中でボールをゴールに叩き込み続けた釜本氏のサッカーをめぐる冒険を、ぜひお楽しみください。
  • 「我が道」川淵三郎
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    日本サッカーの最高峰、Jリーグは1993年にスタートしました。今季で26年目を迎えるリーグ戦を生み出したのが、川淵三郎氏です。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、“Jリーグを創った男”川淵氏の一代記をお届けします。  川淵氏は1936年(昭11)、大阪府高石市生まれ。三国丘高から早大を経て、古河電工に入社します。古河電工の主力選手、日本代表としても64年東京五輪に出場するなど華やかな現役時代を退いた後、川淵氏の“第2のサッカー人生”は始まります。一度は日本代表の強化部長を後進に譲ったものの、競技への情熱冷めやらず、86年に49歳で日本リーグ総務主事に就任。サッカーへの造詣の深さとサラリーマンとして鍛え上げたビジネス手腕で、日本初のプロリーグを創立することを決意しました。93年、その構想を具現化したJリーグが誕生。初代チェアマンを務めて現在に至る道筋をつくりました。  人生の至るところでぶつかる勝負所をものにしていくエピソードは、まるで大河ドラマのようにスリルと面白さに満ちあふれています。川淵氏のストーリーとJリーグ誕生秘話をぜひお楽しみください。
  • 「我が道」ガッツ石松
    -
    三度笠に合羽姿でリングイン。ユニークな出で立ちとは裏腹に、強力な左ジャブを軸とする正統派のスタイルで世界の頂点に上り詰めた男です。スポーツニッポン紙上の連載「我が道」を編さんした本書、今回はボクシングの元WBC世界ライト級王者、ガッツ石松氏が登場です。  ガッツ石松こと鈴木有二氏は1949年(昭24)6月、栃木・上都賀郡粟野町(現鹿沼市)生まれ。66年にプロデビュー。74年4月にゴンザレス(メキシコ)にKO勝利してWBC世界ライト級王座を戴冠しました。通算51戦31勝(17KO)14敗6分け、防衛5回。現役引退後も俳優・タレントとして活躍し、お茶の間の人気者となっています。  貧しさにあえぎ、地元では札つきの不良だった少年時代。中学卒業後に上京し、16歳でヨネクラジムの門を叩いてからもガッツ石松の雌伏の時代はしばらく続きます。しかし72年、長女の誕生をきっかけに一念発起。74年に3度目の世界挑戦で王者に輝くと、歓喜のパフォーマンスはリングネームにちなんだ「ガッツポーズ」として世間に定着しました。  天然ボケとユニークなキャラクターが表の面ですが、本書を読み進めると、不断の努力と理知的な思考を随所にのぞかせる裏の面も見えてきます。人生の光も影も味わった。リングで負けてもへこたれず、成功を収めてものぼせない。そんなガッツ石松氏の素顔をぜひお楽しみください。
  • 「我が道」衣笠祥雄
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    プロ野球界の鉄人―。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は2215試合連続出場の不朽のプロ野球記録を持つ衣笠祥雄氏の栄光のストーリーです。  衣笠氏は1947年(昭22)1月18日、京都市生まれ。平安高を経て65年に広島に入団。ポジションは入団時の捕手から一塁手、三塁手と転向しました。70年から87年にかけて、連続試合出場の記録を樹立。同記録は米大リーグ、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の2130試合を上回った当時の世界新記録でした。87年には王貞治氏に続き、プロ野球では2人目となる国民栄誉賞を受賞。96年にカル・リプケン(オリオールズ)が記録を抜いたときは試合に招待されるなど、偉業は日本のみならず世界中の野球ファンの尊敬を集めています。  捕手としては大成かないませんでしたが、挫折を乗り越えて心身ともにタフな名選手として球史に輝く存在にまで上り詰めました。ミスターカープとして広島の黄金時代を担った功績、連続試合出場記録のピンチに見舞われる骨折の大けが、未踏の道を往く者にしか分からない重圧と孤独…。まばゆい光と色濃い影が交錯する野球人生は、今もなお人々の心を揺さぶり続けます。2018年4月、大腸がんにより71歳で逝去。しかし鉄人・衣笠祥雄が残した記録と記憶は永遠に不滅です。
  • 「我が道」具志堅用高
    -
    本人は、「人生を誰かにつくられ」て、世界チャンピオンになったという。  なぜ、ボクシングを始めたか?高校受験に失敗して…。どうしてプロ入りしたか?大学入学が決まっていたんだけど…。体が小さくてプロ向きではなかった?ちょうど最軽量の階級が新設されて…。タレントとしてテレビで活躍するユニークなキャラクターそのままに、いたずらに満ちた運命の流れを、こだわりのない身の預け方で泳ぎ切って、プロボクシングの世界の頂点に立った。  1955年、沖縄県石垣市出身。沖縄初の世界王者は、当時最短のプロ9戦目での世界奪取、6連続KO防衛、いまだに破られていない13連続防衛の記録を打ち立てた。  一方で、「ちょっちゅね~」をはじめ、多くの伝説的な珍言動でも知られる。ボクサーとしてのすごさと、珍言動の裏話、その両方を楽しめる、「具志堅本」の決定版。
  • 「我が道」古葉竹識
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    2017年9月、カープはセ・リーグ連覇を成し遂げました。圧倒的強さで達成した球団史上8度目のリーグ制覇。新たな黄金時代の到来を予感させるその姿は1975年、弱小球団から一気に初優勝を果たして「赤ヘル軍団」と称賛されたチームに重なります。 初優勝から17年間で、カープは79、80年の連覇を含む6度のセ・リーグ優勝、3度の日本一と黄金時代をおう歌しました。本書は当時の赤ヘル軍団を監督として率いた古葉竹識氏が登場。スポーツニッポン新聞紙上で連載した「我が道」 のエピソードの数々とともに、指揮官の本音に肉薄します。(古葉氏の連載は「我が道」シリーズ『「赤ヘル」と呼ばれた時代』にも収録されています)
  • 「我が道」佐々木則夫
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    なでしこジャパンを躍動させた名将ここにあり。サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」は2010年代前半、世界の大舞台で輝きを放ちました。11年W杯ドイツ大会で優勝、12年ロンドン五輪で銀メダル、15年W杯カナダ大会も準優勝と、世界のトップクラスに君臨。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回はそんななでしこジャパンを監督として率いた佐々木則夫氏のストーリーです。  佐々木氏は1958年(昭33)、山形県生まれ。帝京高で高校総体を制して、明大を経て電電関東(NTT東日本、J1大宮の前身)に入社。DF、MFとして日本リーグ2部昇格に貢献し、現役引退後も監督などを務めました。なでしこジャパンとの縁の始まりは、06年にコーチに就任したことがきっかけ。07年12月に監督に昇格すると澤穂希、宮間あやら傑出した才能の選手たちを抜群の統率力で導き、16年に退任するまでなでしこのサクセストーリーを描き続けました。  佐々木氏は高校時代から電電関東まで一貫して、明るいキャラクターと卓越した人身掌握術でキャプテンに選ばれ続けていました。なでしこジャパンの快進撃も佐々木氏のリーダーシップというベースがあったからこそだということが、本書をひもとけば明らかになっていきます。世界一を決める戦いで三度相まみえる米国との激闘の記憶とともに、ぜひお楽しみください。
  • 「我が道」城彰二
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    2018年W杯ロシア大会。あのストライカーがいたら何を果たしてくれるだろうかー。スポーツニッポン新聞紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は城彰二氏のサッカー人生にスポットライトを当てます。  城氏は1975年(昭50)6月17日、北海道室蘭市生まれ。鹿児島実を経て94年、ジェフ市原(現千葉)入り。横浜マリノスを経て00年からスペイン1部のバリャドリードに移籍。横浜に復帰後、神戸を経て横浜FCで現役を終えました。日本代表としては96年アトランタ五輪、98年W杯フランス大会に出場しました。  高卒新人で迎えた94年Jリーグ開幕戦。シーズン第1号ゴールを挙げて鮮烈なデビューを果たすと、そこから4試合連続得点して一気にスターダムにのし上がります。96年アトランタ五輪は初戦のブラジル戦に1-0で勝つ「マイアミの軌跡」のメンバーに。98年W杯フランス大会では最終予選途中での加茂監督の更迭、チームを引き継いだ岡田武史監督が本大会のメンバー選考で下した厳しい決断などを目の当たりにしました。  スペインリーグでの日本選手初得点、現役生活晩年には日本代表選手の経験を持ちながらJ2の横浜FCに移籍するなど、前例のない道に挑み続けた開拓者です。現在も解説者などで活躍する城氏のバイタリティにあふれる物語をどうぞお楽しみください。
  • 「我が道」城之内邦雄
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    戦後復興にまい進する60年代、読売巨人軍のマウンドには「エースのジョー」がいた―。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回はプロ野球・巨人の元投手、城之内邦雄氏が登場します。  城之内氏は1940年(昭15)、千葉県出身。佐原一高(現佐原高)から日本ビールを経て、62年に巨人に入団します。ルーキーイヤーは開幕投手に抜てきされ、いきなり24勝を挙げて新人王を獲得。入団5年で101勝など、通算141勝をマークしました。  郷里の利根川の堤防を毎日10キロ走り、大投手となる礎を築いた高校時代。巨人に入団すると開幕投手のチャンスをものにして投げまぐり、常勝軍団の押しも押されぬエースへとなっていきます。長嶋茂雄、金田正一ら伝説のチームメイトとともに、巨人のV9黄金時代を築き上げました。  投手のコンディションニング方法が進化した現在では考えられないような投げ込み、豪快なエピソードの数々も、プロ野球の歴史の一部として余すところなく伝える一冊。今もサインに書き記すという「一球入魂」の神髄を、城之内氏が令和のいま語り明かします。
  • 「我が道」杉山隆一
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    その左足から繰り出される必殺のセンタリング、待ち受ける釜本のシュート…。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は1968年メキシコ五輪のサッカー日本代表として活躍した杉山隆一氏が登場します。  杉山氏は1941年(昭16)7月、静岡・庵原郡袖師町(現静岡市清水区)生まれ。清水東、明大を経て三菱重工に入社し、俊足FWとして一時代を築きました。日本代表では五輪の64年東京大会、続くメキシコ大会に出場。エースストライカーの釜本邦茂と黄金コンビを組み、代名詞となった左足クロスによるアシストで、メキシコ大会の銅メダルに大きく貢献しました。 現役引退後は地元に戻り、ヤマハの監督に就任。指揮官としても手腕を発揮し、チームを日本リーグ1部に引き上げるなど功績を残しました。  清水東、明大、三菱重工で次々と出てくるユニークな逸話。自他ともに認めるお酒好き…。今よりも大らかだった時代の名残りを随所に漂わせながら、一本気な杉山氏が日本サッカーの黎明期を疾走していきます。日本代表がW杯に出場するのが当たり前のようになった今こそ、ぜひ本書でその爽快なストーリーをお楽しみください。
  • 「我が道」瀬古利彦
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    スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は瀬古利彦氏の物語をお伝えします。  1956年(昭31)7月15日、三重県桑名市生まれ。四日市工時代に陸上中距離で頭角を現し、早大入学後はマラソンに挑戦。福岡国際3連覇をはじめ、ボストンなどの海外でも優勝しマラソン界の第一人者として活躍。通算のマラソン戦績は途中棄権なしの15戦10勝と無敵を誇りました。一方、五輪では全盛期の80年モスクワ大会は日本の不参加で出場できず、84年ロサンゼルス大会は14位、88年ソウル大会は9位。時代の不運に泣かされましたが、日本のマラソン黄金時代をけん引したスーパースターです。  365日間、生活をともにした恩師・中村清氏との二人三脚での挑戦の日々、宗茂・宗猛兄弟そして中山竹通氏らライバルたちとの熱い闘い…。マラソンに人生をかけた瀬古利彦氏の栄光と苦難の物語をお届けします。
  • 「我が道」高橋慶彦
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    2017年9月、カープはセ・リーグ連覇を成し遂げました。圧倒的強さで達成した球団史上8度目のリーグ制覇。新たな黄金時代の到来を予感させるその姿は1975年、弱小球団から一気に初優勝を果たして「赤ヘル軍団」と称賛されたチームに重なります。 初優勝から17年間で、カープは79、80年の連覇を含む6度のセ・リーグ優勝、3度の日本一と黄金時代をおう歌しました。本書は当時の赤ヘル軍団のリードオフマン、高橋慶彦氏が登場します。スポーツニッポン新聞紙上で連載した「我が道」のエピソードとともに、遊撃手としての華麗な守備やスピード感あふれる盗塁シーンが鮮やかによみがえります。(高橋氏の連載は「我が道」シリーズ『「赤ヘル」と呼ばれた時代』にも収録されています)
  • 「我が道」田淵幸一
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    “若きわれらが命のかぎり”-日本が高度経済成長期で沸き立っていた1960年代、東京六大学野球リーグで、暁(あかつき)の太陽と青空の下、白球に青春をささげた若者たちがいました。法政大学野球部。後に阪神・西武で強肩強打の捕手として一時代を築く田淵幸一、広島カープで「ミスター赤ヘル」と呼ばれるまでの外野手となる山本浩二、投手としてリーグ史上最多48勝の金字塔を打ち立てる山中正竹ら名だたる逸材たちが、名将の松永怜一監督に率いられて黄金時代を築きました。  本書はスポーツニッポン紙上の連載「我が道」に登場した田淵氏の自伝を収録しています。攻守の要として母校を押しも押されぬ名門へと引き上げたその躍動が、読者の胸を揺さぶります。(田淵氏の連載は「我が道」シリーズ『若き日の誇り ~法政大学野球部黄金時代~』にも収録されています)
  • 「我が道」中畑清
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    キャッチフレーズは「絶好調!」。現役時代は巨人、近年は横浜DeNAベイスターズの監督としてプロ野球を盛り上げてきました。 スポーツニッポン紙上の連載「我が道」を編さんするシリーズ、今回は中畑清氏が登場します。  中畑氏は1954年(昭29)1月6日、福島県出身。駒大を経て、75年ドラフト3位で巨人に入団しました。 チャンスに強い内野手として常勝団を支えて、80年代の4回のリーグ優勝・2回の日本一に貢献。 04年アテネ五輪では指揮半ばで病に倒れた恩師の長嶋茂雄氏に託されて、日本代表ヘッド兼打撃コーチとしてチームを銅メダルに導きました。 12年には横浜の経営権を取得したDeNAの初代監督に就任。チームを4年間率いて、生まれ変わった横浜の人気アップに大きく貢献しました。  福島の9人きょうだいの一家で、貧しくても愛情たっぷりに育った少年時代。安積商でのプレーがスカウトの目に留まり、駒大進学からプロへの道が開けていきました。 苦しいレギュラー争い、巨人ならではの重圧、指揮官としての未知なる挑戦…。逆風にさらされたときも持ち前の明るさとエネルギーで突き進む姿は、昔も今も見る人のハートを熱くさせます。 そんな中畑氏ならではの“絶好調”な物語をどうぞお楽しみください。
  • 「我が道」中山竹通
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    その強い個性と不屈の精神力、そしてライバル・瀬古氏への対抗心…。80年代から90年代の日本のマラソン界をリードしたのが中山竹通(なかやま・たけゆき)氏です。  1959年(昭34)12月20日、長野県北安曇郡池田町生まれ。ハングリー精神と不断の努力で這い上がってきた下積み時代を経て、83年にダイエーへ入社。85年のW杯マラソン広島大会で2時間8分15秒の日本最高(当時)をマーク。ソウル五輪への事実上の一発選考レースとなった87年福岡国際マラソンを2時間8分18秒で制して五輪代表に選出された一方で、同マラソンをケガで欠場した瀬古利彦氏と陸連の対応を巡っての発言は大きな注目を集めました。  五輪は88年のソウル、92年バルセロナと2大会連続の4位入賞。どんな時も己の力で道を切り開いてきた男の発言は、今あらためて重みを持って響きます。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は中山竹通氏の物語をお届けします。
  • 「我が道」永井良和
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    往年の人気テレビアニメ「赤き血のイレブン」をご存知でしょうか?「巨人の星」や「あしたのジョー」で知られる梶原一騎氏原作の高校サッカーストーリーで、1970年代の子どもたちに絶大な人気を誇りました。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道シリーズ」、今回はこのアニメの主人公・玉井真吾のモデルとなった永井良和氏の物語をお届けします。  永井氏は「日本サッカー暗黒の時代」といわれる1970年代から80年代を駆け抜けたエースストライカーです。69年、浦和南高2年時はインターハイ、国体、全国高校選手権の3冠を達成。日本リーグでも名門・古川電工の主力として活躍し、歴代最多272試合出場を果たしました。日本代表でも通算166試合19得点をマーク。92年にJリーグが発足すると、ジェフ市原(現千葉)、新潟、横浜FCの監督も歴任しました。  当時は世界との距離ははるか遠く、日本のW杯出場など夢物語。ファンも少なく、観客がまばらなスタジアムでの試合が当たり前という時代でした。だが、本書を読み進めれば「暗黒の時代」は「夜明け前の時代」だったということが徐々に明らかになっていきます。興隆するJリーグ、世界に飛び出していくプロ選手たち、W杯出場が当然視される日本代表…。そんな今日の日本サッカーに至るまでの道を切り開き、照らし出してきた永井氏のヒストリーをどうぞお楽しみください。
  • 「我が道」納谷幸喜(元横綱・大鵬)
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    昭和の大横綱の栄光を今にー。スポーツニッポン新聞紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は大相撲の元横綱・大鵬、納谷幸喜氏のストーリーをお届けします。  納谷氏は1940年(昭15)5月29日、樺太・敷香郡敷香町(現ロシア・サハリン)出身。中学校卒業後、56年に二所ノ関部屋に入門し、秋場所で初土俵。60年初場所で新入幕。61年九州場所で第48代横綱になりました。2度の6連覇など無類の強さを発揮し、幕内優勝32回は15年に白鵬が記録を塗り替えるまで史上最多でした。現役引退後は親方として後進の指導にもあたり、2013年1月、心室頻拍のため72歳で生涯を閉じました。  父は白系ロシア人で、生前に会うことはありませんでした。戦後の混乱期に北海道に引き揚げてきて、母子家庭を支えるために肉体労働した身体が強さの源になりました。好敵手だった横綱・柏戸と名勝負を繰り広げた“柏鵬時代”、絶頂期の人気で流行語にもなった「巨人・大鵬・卵焼き」、今もなお伝えられる勝負への執念と実直な人柄…。後の横綱たちも手本としてその記録と背中を追いかけ続けて、今日の大相撲はあります。平成の終わりが近づきつつある2018年、高度成長期の昭和の伝説ともいえる大鵬の相撲がよみがえります。
  • 「我が道」西田善夫
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    まぶたを閉じれば、スポーツの名場面とともによみがえるあのおなじみの声…。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は元NHKのスポーツアナウンサー・西田善夫氏の物語をお届けします。  西田氏は1936年(昭11)2月、東京生まれ。58年早大卒業後にNHKに入局しました。五輪では夏冬合わせて10大会の実況を担当。92年に一線を退いた後も、豊富な経験と知識を生かして同局初のスポーツキャスターを務めました。退職後には、サッカーの02年日韓W杯で決勝の舞台となった横浜国際競技場(現日産スタジアム)の場長としても尽力しました。16年に80歳で逝去。スポーツ界にユニークで大きな足跡を残しました。  小学生時代に病床から夢をもらった大相撲のラジオ中継、心躍らせた東京六大学野球の早慶戦。実況アナウンサーとしては五輪でバレーボールやアイスホッケーなど数々の名場面を、テレビを通じて日本全国の人々に伝えました。プロ野球や高校野球の思い出や逸話も数知れず、その語りは昭和から平成のスポーツシーンをあますところなく思い出させてくれます。西田氏の往年をほうふつとさせる“名実況”を、故人を偲びつつぜひお聞きください。
  • 「我が道」西野朗
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    端正なマスクに、揺るぎない情熱とリーダーシップを迸(ほとばし)らせてー。スポーツニッポン紙上の人物伝「我が道」を編さんしたシリーズ、今回はサッカーの前日本代表監督・西野朗氏が登場します。  西野氏は1955年(昭30)年4月、埼玉県出身。現役時代は浦和西―早大―日立とMFで活躍しました。日本代表には大学1年で初選出。引退後はアトランタ五輪代表、柏、G大阪などで監督を務めて、18年W杯ロシア大会では日本代表をベスト16に導きました。  日本屈指の「サッカーどころ」、埼玉・浦和でボール蹴りに夢中になった少年時代。高校、大学、日本リーグ、日本代表での活躍。そして35歳で引退すると、西野氏は指導者として新たなステージに突入します。  96年アトランタ五輪。前園、川口らが躍動して、伊東が値千金のシュートでブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」。G大阪ではJ1制覇、ACLのタイトルを手にしました。そしてW杯ロシア大会。本番まで3カ月を切ったタイミングで、ハリルホジッチ監督の後釜を意を決して引き受けて、決死の戦いに身を投じます…。  日本中の誰もが知っている紳士な振る舞いや爽やかな笑顔からは想像もできないような挫折も、本書では包み隠さず語られます。日本代表監督を退任してからは、19年にタイの代表監督に就任。今なお続く西野氏の挑戦と軌跡をぜひご覧ください。
  • 「我が道」原田雅彦
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    日の丸飛行隊の軌跡がいま甦(よみがえ)る―。1990年代、日本のノルディックスキー競技は世界最強の名を欲しいままにする黄金時代を築きました。 数多のアスリートたちが活躍した中で、とりわけ後世の記憶にも記録にも残る伝説を築いたのが荻原健司と原田雅彦です。  荻原氏は複合競技の無敵ジャンパーとして日本をけん引して、冬季五輪の92年アルベールビル、94年リレハンメルの2大会で金メダルを獲得。 原田氏は後に続く世代として、98年長野大会のジャンプ団体で地元に金メダルをもたらしました。荻原氏の華麗な滑空と疾走感あふれるクロスカントリー。バッケンレコードをたたき出した直後、白馬の雪山にこぼれた原田氏の涙…。 スポーツニッポン紙上で連載した「我が道」での両氏の苦難と栄光の物語を2冊に編さんしてお贈りします。
  • 「我が道」樋口久子
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    日本女子プロゴルフ界の創成期を支え、今日のツアー隆盛の基盤をつくったレジェンドです。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は樋口久子氏の物語をお届けします。  樋口氏は1945年(昭20)、埼玉県川越市生まれ。67年に日本女子プロゴルファー1期生となり、日本女子プロ選手権を7連覇含む9回優勝、日本女子オープン8回優勝など圧倒的な実績を残しました。米国ツアーにも参戦し、77年にはメジャーの全米女子プロ選手権にアジア選手として初の優勝も成し遂げています。97年には日本女子プロゴルフ協会(LPGA)会長に就任し、女子ツアーの発展に貢献。功績が高く評価されて、03年には世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。  日本女子プロゴルフ協会1期生はテスト受験者が全員合格だったという牧歌的な時代から、商業的に大きな成功を収めている現在のツアーまでの歴史を紡いできた唯一無二の存在。師匠の中村寅吉氏、両親、仲間やライバルたちへの敬意と感謝を持ち続けたことが、樋口氏が勝利の女神を味方につけてきた秘けつのようです。ゴルフやスポーツ以外にも通用しそうな人生の成功のノウハウが、本書にはギッシリと詰まっています。
  • 「我が道」日比野弘
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    日本ラグビー史を彩ってきた早稲田大学を、時に監督として、あるいはコーチ、助教授として、生き証人のように見つめてきた。計4期も務めた監督としては、1970年の日本選手権優勝を筆頭に、大学選手権優勝3度、関東対抗戦グループ優勝4度と、黄金時代も経験した。  一方で、日本代表監督としても、1982年に当時、世界最強と言われた「レッド・ドラゴン」ウェールズ代表を24-28と追い詰めた。この試合、早大ラグビーの顔ともいえる日比野監督は、本城、石塚、吉野ら並み居る早大出身の名選手5人を、「ベストメンバーを組んだ」という理由で先発から外し、フラットな人柄でも脚光を浴びた。  早大を愛し、ライバルの明大を敬い、日本代表に心血を注ぎ、日本ラグビー協会役員としてラグビー界全体の改革にも尽力した。さらに、2011年には、心血を注いだ「日本ラグビー全史」をまとめあげ、出版した。そんな、「早稲田大学の日比野」の枠には収まり切らないラグビー愛を、心おきなく書きつづった半生記だ。
  • 「我が道」ファイティング原田
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    “限りなく世界最強に近づいた日本人”。スポーツ史を振り返った時、そんな称号に最もふさわしいのはボクシングのファイティング原田かもしれません。  原田政彦。終戦間もない1950年代、家計を支えるために中学生ながら働き始めた「米屋のマー坊」がボクシングジムの門を叩いたところから、英雄物語は幕を開けます。 16歳でプロデビューするとたちまち頭角を現し、62年にポーン・キングピッチにKO勝利して世界フライ級王者を戴冠。3年後には「黄金のバンタム」の異名を轟かせていたエデル・ジョフレも破り、世界バンタム級王者にも輝きました。WBA1団体のみ、11階級しかなかった当時の2階級制覇は、現代では5階級制覇にも相当するといわれる偉業です。 初回から猛然とパンチを繰り出し続けるラッシュスタイル、「ファイティング」というリングネームは今も日本のボクサーは名乗ることを許されない、あのマイク・タイソンにも尊敬されていた…など、ユニークな逸話も満載。スポーツニッポン紙上で連載した「我が道」でのファイティング原田氏の最強伝説を、珠玉の1冊としてお楽しみください。
  • 「我が道」松井功
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    1人の開拓者が、日本のゴルフをスポーツビジネスとして確立しました。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は松井功氏が登場します。  松井氏は1941年(昭16)11月2日、兵庫・神戸市生まれ。高校を中退してプロゴルファーを目指し、24歳でプロテストに合格。第一線で活躍していましたが、83年にツアーから撤退してゴルフビジネスに専念することを決意しました。06年には第9代日本プロゴルフ協会会長に就任。2期6年の任期でゴルファーの地位向上に尽力しました。10年にスポーツ功労者文部科学大臣顕彰を受け、シニアツアーでも存在感を示しています。  修行時代に苦楽をともにした青木功氏から「そろそろ違う道に行ったら」と促されて、プロツアーは未勝利で撤退。だが、松井氏はそこからゴルフビジネスの世界で大輪の花を咲かせ始めます。レッスン書の出版、テレビ解説、コースの設計・監修・運営管理…。元富士ゼロックス会長の小林陽太郎氏など財界のトップたちの知遇も得て、経営者としての抜きんでた手腕を発揮していきました。日本プロ選手権の冠スポンサー導入やシニアツアーの拡充など数々の功績を築いてきた松井氏の秘話が本書には詰まっています。
  • 「我が道」松尾雄治
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    ラグビーが日本列島を熱くさせていた時代、だ円球とともにいつもこの男の姿があった。スポーツニッポン紙上での連載を書籍化した人物伝「我が道」シリーズ、今回は“ミスターラグビー”こと松尾雄治氏のストーリーをお届けします。  松尾雄治。この名前を耳にしただけで、胸が熱くなるファンもいるのではないでしょうか。1954年、東京・渋谷に生まれたシティボーイがラグビーに出会って、伝説は幕を開けます。明大では名将・北島忠治監督の薫陶を受けて、4年時に今も同校唯一となる日本選手権優勝。競技に打ち込める環境を追い求めて選んだ東北の名門・新日鉄釜石で、素晴らしい仲間たちに恵まれてさらにその才能は磨き抜かれました。  76年からの在籍9年間で、不動のスタンドオフとして7連覇を含む8回の日本一を達成。日本代表でも83年のウェールズとの国際親善試合で今も語り草となる善戦を演じるなど、確かな足跡を刻みました。随所にちりばめられたエピソードはどこか昭和の良き時代の名残を感じさせるものばかり。19年のW杯日本初開催を待ち受ける今、松尾氏とともに日本ラグビー史を振り返ります。
  • 「我が道」松永怜一
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    “若きわれらが命のかぎり”-日本が高度経済成長期で沸き立っていた1960年代、東京六大学野球リーグで、暁(あかつき)の太陽と青空の下、白球に青春をささげた若者たちがいました。法政大学野球部。後に阪神・西武で強肩強打の捕手として一時代を築く田淵幸一、広島カープで「ミスター赤ヘル」と呼ばれるまでの外野手となる山本浩二、投手としてリーグ史上最多48勝の金字塔を打ち立てる山中正竹ら名だたる逸材たちが、名将の松永怜一監督に率いられて黄金時代を築きました。  本書はスポーツニッポン紙上の連載「我が道」に登場した松永氏の自伝を収録しています。愛弟子たちと築いた栄光の記録とともに、指揮官の奮闘記をどうぞお楽しみください。(松永氏の連載は「我が道」シリーズ『若き日の誇り ~法政大学野球部黄金時代~』にも収録されています)
  • 「我が道」三宅義信
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    1964年東京五輪を象徴するアスリートの1人です。男子重量挙げ・三宅義信氏。スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回は同大会の日本代表選手団の金メダル1号を獲得した三宅氏が登場します。  三宅氏は1939年(昭14)、宮城県生まれ。貧しい農家の出身でも相違工夫でたくましく生きる少年は、大河原高(現大河原商)で重量挙げに出会います。自らの才能を自覚するとあっという間にのめり込み、法大に進学して競技を続けることを決意。五輪初出場となった60年ローマ大会での銀メダルを出発点として、自衛隊に所属しながら東京五輪、68年メキシコ五輪での2大会連続金メダルという栄光の道を歩みます。  階級制による「体重」と「挙上重量」という厳密な数字で争うスポーツ。三宅氏は科学的なアプローチで独自のトレーニングや調整法を編み出し、世界の頂点に立つ準備を万全に進めていきます。4年間に一度の五輪という舞台。「1460日の行」に三宅氏がどう臨み、挑んでいったのか。高度経済成長期真っただ中ならではといえる興味深いエピソードの数々とともに、その足跡をお楽しみください。
  • 「我が道」山下泰裕
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    勝ち続けなければならない「創始国」の宿命を背負うニッポン柔道の象徴的な存在といえば、山下泰裕氏の名が最初に挙がるだろう。19歳10カ月、史上最年少で全日本選手権を制すと、同大会9連覇、世界選手権2階級制覇、203連勝のままで引退など、不滅の記録を打ち立てた最強柔道家だ。  その競技生活のハイライトが、1984年ロサンゼルス五輪。右脚を負傷しながら獲得した金メダルは、多くの感動を呼んだ。通算成績528勝15分け16敗。栄光のみに彩られた柔道人生のように見えるが、山下氏はわずかしかない敗北からだけでなく、勝利の、勝利への過程の中から、人生に通じる多くのことを学んだと言う。  勝負の第一線から退き、教育者として、スポーツ人として、そして国際交流と平和を目指すNPO法人理事長として、多くの顔を持つ山下氏は、畳の上で学んだことを礎として「今、4回目の人生を生きている」と言う。ニッポン柔道の強さの象徴だった男は、柔道の、スポーツの枠を飛び越え、「人生の勝利者」への道を突き進んでいる。
  • 「我が道」山中正竹
    -
    “若きわれらが命のかぎり”-日本が高度経済成長期で沸き立っていた1960年代、東京六大学野球リーグで、暁(あかつき)の太陽と青空の下、白球に青春をささげた若者たちがいました。法政大学野球部。後に阪神・西武で強肩強打の捕手として一時代を築く田淵幸一、広島カープで「ミスター赤ヘル」と呼ばれるまでの外野手となる山本浩二、投手としてリーグ史上最多48勝の金字塔を打ち立てる山中正竹ら名だたる逸材たちが、名将の松永怜一監督に率いられて黄金時代を築きました。  本書はスポーツニッポン紙上の連載「我が道」に登場した山中氏の自伝を収録しています。法大でうなりを上げた剛腕伝説、住友金属での社会人時代、日本代表監督を務めた92年バルセロナ五輪での秘話などが満載です。(山中氏の連載は「我が道」シリーズ『若き日の誇り ~法政大学野球部黄金時代~』にも収録されています)
  • 「我が道」山本浩二
    -
    2017年9月、カープはセ・リーグ連覇を成し遂げました。圧倒的強さで達成した球団史上8度目のリーグ制覇。新たな黄金時代の到来を予感させるその姿は1975年、弱小球団から一気に初優勝を果たして「赤ヘル軍団」と称賛されたチームに重なります。 初優勝から17年間で、カープは79、80年の連覇を含む6度のセ・リーグ優勝、3度の日本一と黄金時代をおう歌しました。本書は当時の赤ヘル軍団を不動の4番打者としてけん引した山本浩二氏が登場します。スポーツニッポン新聞紙上で連載した「我が道」の数々の秘話とともに、ミスター赤ヘルの栄光の物語をどうぞお楽しみください。(山本氏の連載は「我が道」シリーズ『「赤ヘル」と呼ばれた時代』にも収録されています)
  • 「我が道」山本博
    -
    真っ直ぐな一本の矢はいつしか「中年の星」と呼ばれるまでになった。 スポーツニッポン紙上での自伝連載を書籍化した「我が道」シリーズ、今回はアテネ五輪男子アーチェリー銀メダリスト・山本博氏の物語をお届けします。
  • 早稲田ラグビー 誇りをかけて
    4.0
    近年不振に喘ぐ早稲田ラグビー。60年にわたって支えてきた元監督がその魂の真髄と再生への道筋を明かす。なぜ勝たねばならないのか、戦力に恵まれない中でどうしたら勝てるのか。具体的に示す。
  • 私、勝ちにいきます 自分で動くから、人も動く
    3.3
    ソチ五輪銀メダリストの「引き寄せの法則」。  4度目の五輪となるソチで銀メダルを獲得したスノーボードアルペン・竹内智香選手初めての著書。  五輪後の「アスリートイメージ評価調査」(博報堂)では浅田真央さんを押さえて堂々の1位。その理由は、目標を達成するための尋常ではない行動力。スノーボードアルペンで五輪を目指すと決めたとき、周りからは「日本人選手はこの競技では世界で通用しない」と言い切られた。「本当にそうなのか」そこから竹内選手の挑戦が始まった。世界最強のスイスチームに直訴して単身乗り込み、ベビーシッターをしながらドイツ語をマスター。ラブコールを送り続けて世界一のコーチをつけ、県知事に直談判して広島でスノーボードイベントを開催、ひろしま観光大使になり所属先を広島ガスに。さらにスノーボードブランド「ブラックパール」を立ち上げ、板の開発、販売も手がけてきた。ここまでの行動力をどうしたら身につけられるのか?12歳でスノーボードを始めて以来竹内さんが生きてきた軌跡に、その答えがある。私たちが人と運を引き寄せて目標を達成するためのヒントが満載の1冊。  撮り下ろし写真、プライベートを聞いた「竹内智香への21の質問」など、見て読んで楽しいページも充実。 【ご注意】※この作品にはカラー写真が含まれます。
  • 私が選ぶ名監督10人~采配に学ぶリーダーの心得~
    4.0
    私は「監督の仕事、選手の育成とは、いかに自信をつけさせるか」に尽きると思う。ほめるのが一つの手段であるし、しかも「タイミング」が大切だ。そして、監督が使う言葉は、自分の意思を選手に伝達するための「武器」なのだ――捕手として3017試合、監督として3204試合。日本プロ野球の黎明とともに生を受けた「球史の生き証人」が選ぶ10人の名将たち。歴史をつくったリーダーに見る、部下育成、人心掌握、組織再生の真髄。
  • わたしたちの「筋トレ」
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ダイエットや筋トレ、意気込んで始めたはいいけど長続きしない……。 そんなお悩みを持つあなたにオススメしたいのが、本書『わたしたちの「筋トレ」』です。 総フォロワー数30万人超の人気インスタグラマー20人が、実体験を元にした筋トレメソッドを直伝! 具体的なエクササイズはもちろん、一日のスケジュール、長続きさせるコツなど、体型に悩むあなたに必要な情報がギュギュッと詰まっています。 宅トレ派もジム派も、インスタグラマーたちの筋トレテクで理想のボディを手に入れましょう! ☆こんな筋トレを掲載! ・二の腕に効く腕上げ ・美尻を作るヒップアップ ・下腹を引っ込めるレッグレイズ ・キレイなくびれを作るツンツン体操 ・下半身を引き締めるワイドスクワット ・バランスボールの上でダンベルプレス など ☆その他のコンテンツも充実! ・筋トレの疑問や悩みQ&A ・筋トレ効果がアップするグッズ紹介 ・インスタグラマーのこだわりウェア紹介 ・クールダウンの効果と方法紹介
  • 私の教え子ベストナイン
    3.4
    ノムさんのお眼鏡にかなったのは誰? 監督を務めた南海、ヤクルト、阪神、楽天の中から、まずは候補者50人をノミネート。そこから「ベストナイン」を決定! 9つのポジションに加えて、投手は「先発」「救援」に分け、その他「再生」というカテゴリーも設定し、それぞれから選出した結果、計13人に。いったい誰が選ばれるのか? おなじみのノムさん語録満載、弟子たちの生き様とともに人生哲学も学べる濃厚な一冊!
  • 私のスケート愛
    4.3
    今なお輝き続ける、浅田真央。 引退後、3年をかけてじっくりと現役中のことを振り返ったフォトエッセイ。オリンピックの悔しさ、ライバル、キム・ヨナのこと、母との思い出、将来について。そして、この3年間、人生をかけてきたサンクスツアーについて。 「ナンバー」が撮りためてきたたくさんのベストショットと、本人提供のプライベート写真も掲載。 この1冊で、浅田真央の30年のスケート人生を知ることができる。 《目次》 第2のステージへ。 あっという間の10年。 頼もしい無良っち。 ツアーを支える女子2人。 個性的なスペインの男の子。 残暑お見舞い申し上げます。 復興のためにできること。 忘れられない一日。 頑張れ、大ちゃん! トリプルアクセル。 舞、ありがとう。 再びメリー・ポピンズに! 宮中茶会に招かれて。 “スケートの母”との再会。 パラスポーツを体験! ドタバタの舞台裏。 真央の夏休み。 テンちゃん一周忌に寄せて。 私にもできることがある。 29歳、これからの夢。 パラアスリートから学ぶこと。 満知子先生に伝えたかったこと。 4回転を入れないと勝てない時代。 スケートと曲の関係。 サンクスツアーの進化のために。 オリンピックが延期となって。 母を想う。 サンクスツアー再開! キム・ヨナという存在。 ライブ配信大成功! ターニングポイント。 「真央リンク」構想。 最後の全日本選手権。 小淵沢での新生活に向けて。 特別対談 無良崇人×浅田真央 「サンクスツアーの思い出」 伊藤みどり×浅田真央 「トリプルアクセルのバトンを次に」
  • 輪になれナニワ ガンバ大阪の光輝と蹉跌(小学館新書)
    -
    J1昇格へのガンバ大阪全ドキュメント。 1993年、ガンバ大阪としてJリーグ入りしてから二十年の歴史を振り返りつつ、今シーズン、J1昇格、J2優勝というミッションを果たすべく戦った遠藤保仁、今野泰幸らのガンバ・イレブンの本音を赤裸々に描く。2012年、名門・ガンバ大阪はジュビロ磐田との決戦に敗れ、チーム創設以来初のJ2降格という憂き目に遭う。そこから首脳陣を刷新し、再びJ1の舞台に舞い戻るべくJ2チームとの戦いに挑む。だが当初の予想とは異なり、大物チームから勝利を奪おうとする下位チームからの「ジャイント・キリング」に苦しむ。そうした選手の苦悩、またサポーターとともにJ1へ返り咲こうとする熱い思いを丹念に追っている。
  • 笑う敗者
    -
    敗者が笑い、勝者が泣いた。敗れ去ったり、失敗したり、挫けたりした者たちの姿に、心を動かされる瞬間があるのは何故だろうか? 一筋縄ではいかない勝負の世界を生きる、彼らの熱闘と軌跡を追い続けたスポーツ・エッセイ集! ・そこに戦う「勇気」があるのなら 「リメンバー、タッチダウン!」(アメリカンフットボール/第71回及び72回ライスボウル) ・敗者が笑い、勝者が泣いた 「笑う敗者」(ラグビー/LIXIL CUP2016決勝戦) ・屈辱はゴールではなく、スタートなんだ 「『最下位』から続く道」(競馬/日本ダービー) ・見守る人々の、静かなる熱い戦い 「赤い団扇」(野球/第88回都市対抗野球大会)
  • ONE TEAMのスクラム~日本代表はどう強くなったのか? 増補改訂版『スクラム』~
    3.5
    「スクラムってひとつの競技みたいなものですね。ラグビーにあって、スクラムは別の競技。そこはラグビーとは別個に考える必要があるんじゃないでしょうか」稲垣啓太――2019年の流行語大賞に輝いた「ONE TEAM」。その象徴はスクラムだ。長谷川慎コーチ、堀江翔太、稲垣啓太、具智元が明かす、フィジカル勝負、心理戦、頭脳戦の攻防。にわかファンだからこそ楽しめるシン・スクラム論!
  • ONE TEAMはなぜ生まれたのか 世界と戦う力
    4.0
    2019年のラグビーワールドカップ日本大会で、日本代表は見事ベスト8進出を果たし、「ONE TEAM」というフレーズが日本を席捲した。しかし、ジェイミージャパン発足の頃は、チームは必ずしも一枚岩ではなかった。様々な国籍の選手が混じり、日本人の間でもプロ選手とサラリーマンが混在。ジェイミーへの不満を口にする者もいた。このチームがいかにして真の「ONE TEAM」になったのか、日本代表強化委員長であり、ジェイミー・ジョセフ氏の盟友でもある著者が明かす。さらに、今後の日本ラグビー強化策、自身の名城大学時代、宗像サニックス時代のリーダーシップについても語る。 (目次より)3トライ松島幸太朗の図太さと優しさ/「アイルランド代表には絶対に勝てる」という確信/結束や理解を促す複数のミーティング/メンタルコーチの手腕/ジェイミーと私が仲良くなったわけ/中京大学のリーグ連勝記録を133でストップさせる/若手を育てるシステムの構造的な課題
  • ワンランク上を目指す右バッターに伝えたい! 右打者のための究極打撃理論
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 過去に2000本安打を達成したプロ野球選手は60人。(日米通算含む) 野球は左バッターの方が1塁に近いのでヒットを打ちやすく、近年の2000本安打達成者も左バッターが多い。 その多くは右投げ左打ちの選手でイチロー、松井秀喜、青木宣親、福留孝介、阿部慎之助、鳥谷敬、前田智徳、金本知憲、小笠原道大、栗山巧、福浦和也など。 ここ10年を振り返っても、右打者で達成したのは一昨年の巨人・坂本勇人を含めてたった10人。 しかし、アマチュア選手は右バッターの方が圧倒的に多いのが現実。 本書はその右バッターに向けた打撃技術向上本です。 和田一浩氏は遅咲きの2000本安打達成者として有名です。 若い頃から活躍したわけではないからこそ、その技術論に説得力があります。 現在は中学生チームや社会人野球チームの打撃コーチを務めています。 そのためもあってか、とにかく打撃理論を言葉にしてアマチュア野球選手に伝える技術が素晴らしいのです。 指導者に必要なのは「技術力」と「伝達力」。 選手なら「技術力」だけでOKなのですが、こと指導者となれば違ってきます。 プロ野球の世界で2050安打を放った和田一浩氏の技術力はもちろん素晴らしいのですが、彼の「伝達力」は過去の名バッターと言われる人たちの中でも間違いなくトップクラスにあると確信できます。 その打撃理論は非常に論理的な内容です。 天才肌の感覚的な選手では説明できない、技術論を徹底的に追求した著者だからこそ持っている右バッターに特化した内容です。 和田一浩/著 西武と中日で計19年間プレーした元プロ野球選手。通算2050安打を放ち、名球界入りも果たしている。現在はNHKや日刊スポーツの野球解説者であるかたわら、中学生チームや社会人チームのコーチも務めている。
  • ワールドカップが夢だった。
    3.0
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 過去6大会、100試合以上を取材した杉山茂樹が、テレビでは分からないW杯の本当の魅力を伝えるエッセイ。写真は『ナンバー』の表紙も担当した赤木真二。サッカーを知り尽くしたタッグによるW杯賛歌。
  • ワールドカップサッカー 2014 Brazil 写真集 大会を彩ったスーパースター100人
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    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 栄光のドイツイレブンをはじめ、スーパースター100人を一挙収録したワールドカップサッカー写真集。 メッシ、ネイマール、ロドリゲスの3大ヒーローは写真増量で紹介します。 写真は日本有数のスポーツフォトエージェンシーであるPHOTO KISHIMOTOが提供。秘蔵フォト満載でお届けします!
  • W杯惨敗の真因 Jリーグにビッグクラブを! (Wedgeセレクション No.34)
    2.0
    強いと言われた日本代表のあっけないW杯敗退。アギーレ新監督が来日し、新生・日本代表が動き出そうとしている。現状の延長線上に、日本サッカーの「世界一」はあるだろうかーー。スポーツ専門誌では書けない、独自の視点で日本サッカー界の問題点を追及した渾身の一作。 ――Wedgeセレクション No.34 ◎Jリーグの改善ではなく構造改革を  ◎ドイツサッカーの経営戦略 ◎東京のポテンシャルを活かせ  ◎エンターテイメントとしてのサッカー ◎インタビュー 村井 満(Jリーグチェアマン)/ 羽生英之(東京ヴェルディ社長)/ 大倉 智(湘南ベルマーレ社長) ※本作品は月刊『Wedge』2014年9月号特集記事を電子書籍化したものです。電子書籍化に際し、一部加筆・修正を加えております。
  • ワールドカップの世界地図
    4.3
    2002年、17回目のワールドカップが日本と韓国で開催! この「人類の祭典」には、なんと15億もの人が熱狂する! ペレ、クライフ、マラドーナといった天才の出現。世界中を驚かせた「神の手ゴール事件」「ロハス事件」……。予選・本大会を通じて、ワールドカップは常に、新しい戦術や技術を生み出し、伝説的なドラマをつくってきた。本書では、各大会のエピソード、各国の歴史的特徴、日本代表の戦術史、現在の勢力関係などを、30年近い著者自らの取材をもとに紹介する。ワールドカップ観戦が10倍面白くなること確実の一冊。 〈主な内容〉◎ゴールか、ノーゴールか、36年間の議論 ◎ルールの変化と大会方式の妙 ◎ブラジル色に染まった日本サッカー ◎決勝大会以上に熱い予選大会 ◎世界最強はどこか (優勝候補分析)――ブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチン、フランス、イングランド 02年大会組み合わせ表付き。著者オリジナルの取材ノートも特別掲載。
  • ワールドカップへの影響は!? FIFAの行方は? 米国リンチ司法長官会見からブラッター会長当選会見・退任会見まで
    -
    FIFA(国際サッカー連盟)会長選を翌日に控えた2015年5月27日、FIFAに激震が走りました。 現役副会長らが贈収賄疑惑で起訴されたのです。 そのような中、行なわれたFIFA会長選、5選を果たしたブラッター会長の会見、その後に行なわれた退任会見と、世界のサッカー関係者に衝撃を与えた会見の主な質疑応答のほか、各国のさまざまな反応も収録。
  • W杯 サッカー トリビア
    -
    いまも語り継がれる伝説のスーパープレー、数々の名勝負、ピッチで輝きを放ったプレーヤーたちが、世界中にサッカーの魅力を伝え、心をゆさぶるドラマを生み、サッカーならびにW杯の歴史に華を添えてきた。 トリビアという視点から過去の大会にまつわる興味深いエピソード、驚きの事実を選りすぐり、さらには2006年ドイツ大会で新たに採用されたルールにいたるまで取り上げている。

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  • ワールド・フィギュアスケートEXTRA グランプリスタート特集
    -
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【第1特集】 ISU Grand Prix Series 2016-2017 白熱のグランプリ ◆スケートアメリカ INTERVIEW 宇野昌磨 ◆スケートカナダ INTERVIEW エフゲーニヤ・メドヴェージェワ ◆ロステレコム・カップ 【第2特集】 氷上に輝くプログラム SPECIAL INTERVIEW コリオグラファーが語る羽生結弦 シェイリーン・ボーン ユヅルこそが希望であり、レガシーです 羽生結弦 Hope & Legacy/Let's Go Crazy/Notte Stellata (The Swan) 浅田真央/宇野昌磨/宮原知子 三原舞依/村上佳菜子/本郷理華 永井優香/無良崇人/樋口新葉 INTERVIEW マリーナ・ズエワ 私にはスケーターたちそれぞれの「美」が見えるのです エリック・ラドフォード アシュリー・ワグナー マリ=フランス・デュブリュイユ ミーシャ・ジー TOPICS 表紙:羽生結弦(2016年スケートカナダEX) Photos by Manabu Takahashi/Japan Sports *本コンテンツは「ワールド・フィギュアスケートEXTRA グランプリスタート特集」(2016年12月10日新書館刊)を基に制作いたしました。 *広告・情報・価格は紙版で発行した当時のものとなります。 プレゼント・アンケート等は締切りが過ぎているものや受付対象外のものもございますので、何卒ご了承ください。
  • ワールド・フィギュアスケートDIGITAL〈1〉2015-2016シーズン コメント集 チャンピオンの言葉
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    2015-2016シーズンに世界を舞台に戦い、優勝の栄冠に輝いた日本代表のフィギュアスケート選手たち、 羽生結弦、浅田真央、宮原知子、宇野昌磨。さらに世界からフェルナンデス、チャン、メドヴェージェワ。 出場した試合の直後に、選手が自分の思いを語ったコメントをそのままに伝える。 ◆羽生結弦 スケートカナダ・オータムクラシック・インターナショナル/スケートカナダ/NHK杯/グランプリファイナル/全日本選手権/世界選手権 ◆浅田真央 ジャパンオープン/カップ・オブ・チャイナ/NHK杯/グランプリファイナル/全日本選手権/世界選手権 ◆宮原知子 ジャパンオープン/スケートアメリカ/NHK杯/グランプリファイナル/全日本選手権/四大陸選手権/世界選手権 ◆宇野昌磨 ジャパンオープン/スケートアメリカ/トロフィー・エリック・ボンパール/グランプリファイナル/全日本選手権/四大陸選手権/世界選手権 ◆世界のチャンピオンたち ハビエル・フェルナンデス―世界選手権/パトリック・チャン―四大陸選手権/エフゲーニヤ・メドヴェージェワ―世界選手権
  • 必ずうまくなる!!少年野球 基本と練習法
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    全国制覇3回を誇り、プロ野球選手も輩出している千葉県の強豪、 京葉ボーイズの関口勝己監督が、少年野球のヒントになる技術・練習法を紹介。 野球がうまくなるために押さえておきたいポイントを写真とわかりやすい文字で伝える。 野球を始めた少年少女のお父さん、お父さんコーチに手にとってもらいたい1冊。 「野球の技術は、日々、進化しています。本書は、野球がもっとうまくなりたいと思う選手のみなさんに大切な基本をもとに最新の野球理論をわかりやすく解説しています。ここで紹介する練習を繰り返すことで、カラダに正しい動きや感覚が身につきます。将来のある子どもたちが、正しい基本を学び、練習を重ね、成長をしてくれることを願っています」 京葉ボーイズ監督 関口勝己 ※本書はコスミック出版刊「必ずうまくなる少年野球 基本と練習法」を再編集したものです。
  • スプリントの鬼 短距離走が速くなるフォームとトレーニング
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    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 短距離走が劇的に速くなる!新走法をマスターしよう ランニングテクノロジーは日々、進化しています。シューズの進化により走りが変わり、新たな理論が生まれます。その最新の理論の一つが本書でも紹介する「骨盤ティルト」です。 本書で新走法をマスターしてライバルに差をつけてください! Part 1 トップランナーに学ぶ 「前回し」で速く走る ランニングフォームとメカニズム Part 2 上体の前傾をキープして一気に速度を高める スタート & 加速局面 Part 3 正しいフォームを身につけ、今より速く走るための ランニングドリル & トレーニング Part 4 体の操作性を高めフォーム修得に役立つ 筋力トレーニング & ストレッチ 五味宏生(ごみ・こうき) 1983年9月24日埼玉県出身。日本陸上競技連盟医事委員会トレーナー部委員。日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー。早稲田大学スポーツ医科学学術院(スポーツ科学修士)在籍と並行し日本理療専門学校にて鍼灸按摩、マッサージ指圧師を取得。卒業後より帝京大学スポーツ医科学センターにてアスリートをサポート。日本陸上競技連盟医事委員会トレーナー部委員も務め、現在はフリーでおもに陸上競技のトレーナーとしてケア、リハビリテーションからトレーニングまで幅広い領域で活躍。 大迫傑や福島千里などのトップランナーのトレーナーも務める。 ※この商品は固定レイアウト型の電子書籍です。 ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ※お使いの端末で無料サンプルをお試しいただいた上でのご購入をお願いいたします。 ※本書内容はカラーで制作されているため、カラー表示可能な端末での閲覧を推奨いたします
  • 審判はつらいよ(小学館新書)
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    判定は正しくて当然、間違えれば袋叩き! どんなスポーツ競技にも必要な「審判員」。彼らがいなければ勝負判定も採点もできず、競技の公平性は担保されない。 重要な役割を任され、絶大な権限を与えられる審判員だが、そのジャッジは正しくて当たり前、「誤審」しようものなら猛烈な批判を浴びる。近年は映像判定をはじめとする「機械」に仕事を奪われつつあり、“競技の番人”としての「権威」「威厳」も低下している。 それでも彼らはなぜ「ジャッジマン」としてスポーツに身を捧げるのか。 日本人として初めてW杯の開幕戦で主審を務めた西村雄一(サッカー)、公式戦3000試合出場の橘高淳(プロ野球)、行司の最高峰である第37代木村庄之助を務めた畠山三郎(大相撲)ほか、第一線で活躍した8競技の審判のインタビューをもとに構成。 彼らが「審判」を目指した理由、自身の「誤審」を巡る騒動、機械判定に対する複雑な思い--競技ごとに異なる判定の難しさとともに「審判としての誇り」を語る。 また、「世界的に物議を醸したW杯開幕戦のPK判定」(西村)、「巨人・ガルベスの硬球投げつけ事件」(橘高)など、審判員として関わった「騒動・事件の裏側」も初めて明かされる。 (底本 2024年5月発売作品)

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