あらすじ
ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する……。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追究し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約をこえる普遍性をもつ。
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Posted by ブクログ
大学生の時に買うだけ買って、何年越し?
やっと読み終わった
ウェルテルの気持ち、想像に難くない
恋の苦しみ、社会的階級におけるやりきれなさ
厭世
感情の全てを自己に向ける
解説を読んで、当時の小説は”「楽しませることと有益であること」(prodesse et delectare)”としての機能があったけれど、ウェルテルは人間の生き方そのものを問題にしようとした点で、きわめて画期的な作品だったと初めて知った
やるじゃん、ゲーテ
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「ひとが人生のうちでこの本に心を動かされることがなかったとしたら、それはあまり良いことではないだろう」とゲーテは語ったらしい。「こんなにあなたを愛した私を、あなたは決して憎めない」と、ロッテへの純粋な愛と信頼を貫き通した彼の儚い人生についてのこの小さな記録は、到達不可能な憧れに一身を捧げる(シェリーが星と蛾のたとえで美しく言い表したような)愛の喜びと、それの裏側でしかない悲哀を同時に提示し、我々の生に暗くも美しい影を落としている。ウェルテルはロッテの元を静かに立ち去るべきであっただろうか。ロッテはだけれど、確かにウェルテルに想いを寄せていたし、ウェルテルは、ただのエゴイズムから最悪の結果を招いたわけではない。愛そのものが純粋だとしても、その純粋さそのもののゆえに、ひとは、その純粋な愛を保ち続けることに耐えることができないのかもしれない。愛が美しくそして純粋であればあるほど、それを心のうちに保つにはあまりにひとは弱すぎる。
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この小説は、ウェルテルの手紙と、手紙をまとめた編者が調べた内容によって構成されている。
ウェルテルの手紙だけでは分からなかった事実が、編者によって明らかにされていく。
悟ったようなことを言ったかと思ったら、ロッテへの想いに浸り、欲望を押さえ込むのに必死でぐちゃぐちゃになってしまう。
そんなウェルテルのアンバランスさが良かった。
彼の手紙からは、ロッテへの強い気持ちが伝わってくる。
こんなにも気持ちを打ち明けられるなんて、手紙の相手・ウィルヘルムとは一体どんな人なのだろうと、そちらにも興味が湧いた。
手紙から感じ取れるウェルテルは、少々独りよがりのように思えた。
「(ロッテが)ぼくを愛していると感じている」と書かれていたときには、ウェルテルの気持ちが暴走しているのだろうと思ったが、編者の記録を読むと勘違いとは言えないような状況だった。
ロッテのウェルテルへの気持ちは、恋愛と言っていいのかは分からない。
しかし彼女にとって、彼が特別な存在であったことは確かだった。
心がぴったりと調和していて、ウェルテルがもし離れてしまったら、ぽっかりと穴が空いてしまう。
そんな存在に彼はなっていた。
夫がいるロッテへの想いを永遠のものとするには、死しかなかったのだろう。
それがウェルテルにとって、唯一の希望だったように思う。
ウェルテルが死の直前に綴ったとされる手紙はどれも素晴らしく、私のお気に入りだ。
目の前の自然や自分の存在に目を向け、死と向き合う彼の言葉には、心を絞り上げられるような心地がした。
とても好きな作品だった。
読めて良かったと思う。
◇
心の中には無数の計画や希望が狂いまわっていたけれど、とうとうしっかりと、はっきりと、最後のただ一つの考えがきまったのです。自殺です。——横になり、朝、眼をさましたときの、落ち着いた気持のときも、死のうという考えは、まだ小ゆるぎもせずしっかりとしています。——絶望じゃありません、がんばり通したぞという安心です、 あなたの犠牲になるのだという確信です。
(P183〜184)
Posted by ブクログ
『ファウスト』と並ぶ、ゲーテの代表作にして、近代文学の傑作である。アイドルオタクの私の心はズタズタに切り裂かれた。
繊細で恋愛を知らない若貴族ウェルテルが、法官の娘シャルロッテに空前絶後の恋に落ちてしまう。しかし、シャルロッテには既にウェルテルすら尊敬してしまう許婚がいたのである。
伝統や風習、世間体を堅く守り、ウェルテルを愛しながら、彼の気持ちを受け入れることができないシャルロッテと、ひたすら愛に飢えるウェルテルの心情描写が見事。恋愛に関する、ありとあらゆる事柄がこの物語に詰め込まれている。
当時欧州に自殺ブームまで起こしてしまったこの悲劇が、21世紀の若者にも突き刺さってしまうことは、かのゲーテでも予測できなかっただろう。
Posted by ブクログ
アラフォー既婚の私が読んだので、どうしてもロッテの立場を考えてしまう…。
この後ロッテはまともに生きていけるの?女の人って精神的に強いから大丈夫かな。
もっと若い頃に読んだらどんな感想を持っただろうか?ウェルテルに共感する部分が多かったのだろうか?ウェルテルの熱い情熱にひきつつも、人間の内面を深く切りとって書かれた名作。読み終わった後の余韻が半端ない。
Posted by ブクログ
(2023/07/18 2.5h)
三島由紀夫が影響を受けたというゲーテ。
その一旦が垣間見える。
ゲーテ自身が自死するのではなく、ウェルテルの自殺ということで昇華する作家としての素晴らしさ。
Posted by ブクログ
※追記予定
ログライン
・人妻のロッテに恋した若きウェルテルが、葛藤し悩んだ末、自殺を選択する話。
構成
起:ロッテとの出会い
承:人妻に恋する葛藤。ロッテを忘れようとする
転:自分にはロッテしかいないが、叶わぬ恋にもがき苦しむ
結:皆が幸せになれる残された手段が自殺だと結論づける
技法
・書簡体小説
私自身、書簡体小説を読むのは初めてだったので、これを技法に入れていいのか迷ったが、個人的には目新しいモノであったのでここで書かせてもらう。主人公の手紙で物語が進むので、内面的描写が必然的に多くなっており、それが本作の内容とマッチしていると思う。また手紙の送り先が親しい友人であり、本音を伝える描写が多くなっていた。
・作中に編者が出てくる
本作は2部構成で、2部半ばから「編者」という第三者目線で物語が進む。編者がウェルテルの手紙と共に、状況説明を添えてくれる。この編者は現実世界での編者(編集者)という意味ではなく、物語上での編者である。この編者を出すという発想が凄く面白い。手紙を元に物語が進む「書簡体小説」では、主人公視点でしか物語が見えないため、どうしても内容の偏りが出てしまう。けれど、編者という第三者を出したことによって状況整理がされ、物語の深みを更にコクした。
作品の売り
・画期的かつ普遍的である内容と内的告白の書簡体小説
当時の18世紀からしたら画期的であった内容の小説だが、その内容は誰しもが感じたことのある普遍的出来事でもあった。更に内的告白という書簡体形式も相まって、人々の共感を多く寄せた。
どうして売れているのか
・散文小説における悲劇文学の先駆者
本作の解説部分にも書かれているが、出版された18世紀では芸術や文学の本質的機能は「人を楽しませることと有益であること」とされていた。そんな中で、恋愛の葛藤による自殺という題材は画期的であった。今でこそネットが発達して共感する場面が多いが、当時からしたら手が届きそうで届かない痒いところを掻いてくれる作品だったのだろう。だからこそ、主人公の考え方に共感と賛同し、後を追うように自殺し「精神的インフルエンザの病原体」とまで言われた。
・
個人的感想
・まさにタイトル通り(若きウェルテルの悩み)の内容であった。ウェルテルに感情移入はあまり出来ないが、気持ちは痛いほど分かる。というか伝わってくる。本作は手紙形式で進んでいくので、読者としてはウェルテルから手紙を受け取る友人目線で物語が進むので、必然的かもしれない。正直、私は1回読んだだけでは全てを理解することが出来なかったので、もう1度読み直し、再び感想を書きにここに来る。
Posted by ブクログ
1700年代の詩人、ゲーテの代表作の一つ。
若きウェルテルは見た目麗しく、社交も才覚も備えており、周囲からも寵愛を受けていた。
そんな優秀な若者であるウェルテルはある日、ある女性に恋をする。
しかしその相手は既に夫がいる。
それでも止められない自分の感情に苦悩し、その悩みはどんどん深まっていく。
ここまで深く思慕できる相手に巡り合えたのは幸福であると言えるかもしれないが、決して実らない恋に精神が崩壊されるのであれば、本人の魅力が乏しく容易に相手にされなくなる方が幸せだったのかもとも思える。
おそらく10代後半か20代前半の若者だから仕方ないかもしれないが、ちょっとあまりに情動に左右されすぎて周りが見えてないので、元々精神的に不安定なものを抱えた主人公だったのかもしれないが。
容易に不倫するような人に読ませたい本ではある。
現代でも人の心の動きとして学ぶことのある本であった。
Posted by ブクログ
「ファウスト」は挫折したので、今度はこちらを読んでみようと思った。正直、主人公には全然感情移入できなかったが、苦しみがすごく伝わる文章で、読んでいて悲しくなった。手紙だからこそ書ける自分の気持ちがとても表れていて、これが200年以上前に書かれたものであることを考えると、人間の変わっていない部分だなあと思った。また、仕事や人間関係での悩みなども含まれており、「うーん、やっぱり悩んでいる事は同だ」と感じた。だからこそ読み継がれているのだろう。
Posted by ブクログ
青春の心の変遷、揺れ動き、感情の起伏、恋の嵐、など追体験しているようにすらすらと読み進められた。最後の神々のたとえ話のところは読みづらかったので飛ばした。
ウェルテル効果ってこんな感じなのかってほんのちょっと感じたようなしないような。
読み進めながら、どこまでもシャルロッテの人となりを想像し、読み進めていたが、何とも言えないって感じ。作中にてウェルテルが書き記す手紙の中でいくつか真に迫る描写があったが、多くのことを学び考えさせられた。
幸せは、分別がつく前か、狂った後にしかなじまない。なるほど。たしかに。
現代社会に生きる自分たちにとっても多くのことを現実に即して学べるし、この先もずっと読み続けられるのだろうと確信した。人がいない時期に遠い田舎や歴史あるところに出かけて行って、太陽や森、あらゆる生命に囲まれて、この物語をもう一度読んでみたい。どんな気持ちがするだろう。
Posted by ブクログ
これがゲーテ自身の中で起こった出来事だと思うと不憫で仕方がない。それを書き出せることによって作品に昇華できてよかった。その事が彼を救ったのでは無いかと思う、
Posted by ブクログ
「初版」訳の光文社古典新訳文庫を読み、「改訂版」の新潮文庫も読んでみた。前者の解説によると、11の書簡の追加と「編者から読者へ」の全面的書き換えがあったとのこと。受ける印象は大きく変わらないが、改訂版の方がウェルテルの心情が客観的に書かれているように感じた。それでも後半に向かうにつれてのウェルテルの鬼気迫る盲信ぶりには「ウェルテルよ冷静になれ」と肩を叩きたくなった。本書が「精神的インフルエンザの病原体」と言われるのも納得。この作品を多感な10代に読んでいたら受ける衝撃も大きかっただろうと思うと後悔もする。
Posted by ブクログ
ひと言で言うと、病み体質なかまってちゃんのTwitterのようだった。
叶わない恋に挫折し、その相手から一旦離れるが、結局耐えられなくなりまた戻ってくる。そしてこれを繰り返す。そしてそんな様子や相手とのやりとりを周りに向けて明け透けと発信する。自分の友人にもそんな人が何人かいたな。
ウェルテルが最期に書いた手紙で、あなたのおかげで死ぬことができる的なことを書いたように、自分がこんなに苦しんだのはお前のせいだと暗に伝えるのも(ウェルテルにその意図があったかわからないが)、実際に友人がやってたな。
盲目で敗者的な恋をすると、そんな気持ちになってしまうのは分からなくもないが、正直気に食わない。
結局自分の不幸に酔ってるだけに見えてしまう。自分がうまくいかないのは自分のせいですよって表向きは理解しているような口ぶりでも、実際は他人のせいにしているのが透けて見えて腹が立つ。
まぁ、どうしようがその人の勝手自由であるが。
自分には理解ができない。
Posted by ブクログ
詩的で情熱的で繊細な青年が、婚約者のいる女性に恋してしまい、求め、離れ、逃れがたくまた求めて、その叶わぬことを知り、ついに身辺整理を済ませて自らピストル自殺を果たす物語。
18世紀の当時としてとても斬新であったということは頷けるが、今読むと特別珍しい話ではないので、あくまで古典として一読した。
昭和風の翻訳文、キリスト教圏の文化的表現や引用、詩的な風景描写の多さなどから読みやすい文章とは言えなかったが、その趣としては良いと思う。
その他の本の解説などで言及される作品なので、一読できてよかったと思う。また適宜読み返すこともあるかもしれない。
Posted by ブクログ
ウェルテルの思考が情熱的で芸術的であるがゆえにウェルテル自身の悩み、嫉妬などの暗い感情がこと細やかに書かれていた。
もう少しウェルテルがさっぱりした性格であったならこんなに悩んだりすることは無かったのかな。
ロッテと似たような感性を持ち合わせていたり、その性格ゆえに恋に対して悩みすぎてしまったり、途中から恋を一線越えた執着や嫉妬による苦しみが多く書かれていて読み手の自分も痛かったし辛かった。
時代や国を超えど恋に対する悩みとか苦しみは変わらない。
読むタイミングとか自分の精神状態とかによったら病んじゃうかもな。
最初の方は読みにくかったけど慣れると割とすらすら読める。
また読み返したい。
Posted by ブクログ
率直な感想は、「かまってちゃんのSNSかよ!」
手紙の形式で語られるので、ウィルヘルムが何をしているのかはこちらの想像に委ねられる。誰もが若い頃経験した叶わぬ恋の話なので、ワクワクドキドキのストーリー展開!は無く、共感すら覚える。でも自分の命を絶たずにここまで生きてきたのはなぜか、自分の周りに自分を思ってくれる人がいることにきづけたから。
Posted by ブクログ
ロッテに恋してしまったウェルテルだが相手にはアルベルトという許婚者のいる女性。あまりに恋い焦がれたがどうにもならなくて自殺をすることになるシーンが克明に描かれている。この本が1700年代に描かれているのに現代でも通じるところに驚きを感じる。人生は只一場の夢のごとし、ファウストの影響、幸も不幸も心次第、胸の苦しさとやるせなさ、かけがえの無い存在、心境の描写が生々しく心の内がよく伝わってきた。
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真面目で理論的なアルベルトと感受性が高く詩的なウェルテル
書簡体で書かれた作品なのでウェルテルの感情が読み取りやすく、浮き沈みする様子が若きウェルテルの悩みというタイトルをよく表している。
現代ではメンヘラ男として片付けられそうなウェルテルだがこの時代に、そして所帯を持つ者にあらぬ感情を持つことの厳しさを描くことはどんなに画期的なことであったのだろう。
そしてウェルテルの他にも、女に恋焦がれる描写を重ねることで男女の関係が難しいことの証明になっていてより絶望感が増している。
そしてどの時代も悩みは変わらないのだということの安心感たるや。誰にもこの問題は解決できないし、どんな方向に転んだとしてもきっとその先は地獄である。
1774年に書かれた作品のはずだが途中アドラー心理学を読んでいる気持ちになった。ただのメンヘラ小説ではなく哲学的であり詩的な美しさもある良作。
Posted by ブクログ
失恋で自殺するのはアホという風潮が現代でもあるけれど、それは大きな間違いだと思う
ウェルテルは頭のいい人間だと感じた
だからこそ、世の中の多くの人が気づきもしないこと、考えもしないことに意識がむいてしまい、苦悩する
ロッテはそんなウェルテルを支えてくれる唯一の人だったのだ
そのロッテが失われた瞬間はウェルテルの世界が崩壊した瞬間でもある
目の前の世界から光を失った時、その時そこから避難する先の光源が死であった時、
如何なる動機であれ、人は死を選ぶと思う
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「まるで自分の心の中をのぞくような気がする」
自身と他者との様々な相違を受けて自信を持って、あるいは、それを見失い、行きつ戻りつということの繰り返しに明け暮れるのが、すなわち人生なのだと、僕自身それなりの年齢になった今だからこそ気づくことができたわけで、そこは“若き”ウェルテル、彼の思い、悩みについて、こんな僕ですら身に覚えがあるというか、さらにいえば身につまされるというか。物語を通して、僕と彼らとの比較において、僕は僕自身を知るわけだ。それで納得できるかどうか、もしくは納得してしまってよいものなのかどうか、まったくわからないけれど、僕はそれ以外の方法を、たぶん知らない。知らない、わからない、理解しようがない、それはつまり僕の人生経験によるものだ。相対的に、僕は自信がない。きっと裏付けとなる人生経験に乏しいからなのだろう。
「ぼく以前でも人間はこんなに哀れなものだったんだろうか」
連綿と紡がれ続ける数多の人生、この先百年経とうが、つまり幾重もの“若き”何某かの人生もまた、きっと哀れなものに違いない。
Posted by ブクログ
メンヘラの日記を読まされた挙句、最後に自殺すると言うもうなんか今の時代でガチで起きたらニュースになるんでは?な感じ、でも小説だから笑って済むけど。(モデルがいるのがちょっと怖い)
最初は読むのこれ?つまんないと思ってたら、ウェルテルがいきなりわたしとは合わない恋愛観日記始めて、それがもうなんかよくわからないけど、今で言う裏垢を覗いてる感覚でおもしろくて。
実はお互いに気持ちがあるとかもうわたしには完全に理解ができないし、挙げ句の果てには銃撃自殺してそのあとのことも事細かーく書いてあるのが、ゾッとするけどわたしにはいい刺激、、、笑
Posted by ブクログ
ゲーテならではの風景や心情の表現が良かった。もうすでに相手がいる人に恋してしまっても、その人のことを思って離れるのが正解だし、それが一番の優しさであり愛だよなーと思った
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夫のいるロッテに恋するウェルテル。
「ねぇ、君、恋愛するのはもっともだな、ただしもっともな恋愛をしたまえ。君の時間を分けて、その一部は仕事にさく、そして休養時間を君の娘さんにはささげたまえ。…なるほど、そんな忠告に従えば有能な青年ができあがるだろうから、…」(p20)
Posted by ブクログ
ロッテへのかなわぬ恋が、青年ウェルテムの内面を頑なにし、若さが社会に適応する術を与えず自死に至る。キリスト教が自殺を禁忌としているはずなのに一見美化したような結末にしたのかわからない。ロッテとアルベルトの曖昧な態度も不可解である。当時の小説に対する実験的試みだったのだろうか。2022.12.22
Posted by ブクログ
果たして青春時代であろうとなかろうと、これ程までに人に恋焦がれ、自身の身を破滅へと導くまでに堕ちていくことが、何事にも淡白的な自分には無理なのではなかろうかと思う。
しかし1774年に書かれた作品で、自殺志願者を増加させたと言われるほどに社会へ影響を及ぼしたということで、いかに当時の人が閉鎖された中で婚姻やらが自由意志で難しくもあるのかと想像される。
それにしても書簡形式で自己の内面を腹蔵することなく語るのとともに、最後の方ではゲーテの詩的表現も相まって、破滅へと堕ちていくというよりも、ある意味自己だけになるのだが死ということで昇華と自己の救いにさえ感じてしまう。勿論自殺を擁護する訳ではないが、それ故に当時の共感を得たのであろう。