あらすじ
ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。許婚者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する……。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追究し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約をこえる普遍性をもつ。
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Posted by ブクログ
ちょっと昔に読んだから、思い出しながら書くけど…
ウェルテル効果という心理学用語がある。メディアが自殺を報道すると、その後自殺率が高まるということらしい。
この本を読んで同じように自殺する人が増えたことからそう呼ばれているんだって。
そんな感じで、これを読む前から結末は知っていた。結局ウェルテルは最後に叶わぬ恋が原因で死んでしまうのだ。そこまでどうやって向かうのか、どんなことに苦しんでいたのかをみつめながら読んだ。
ウェルテルは既婚のロッテを好きになってしまい、もう、病的に好きになってしまう。ロッテしかいない、と思い込む。でも結婚してるから諦めるしかなくて、死んでしまう。
何がすごいって、ウェルテルはロッテに自分と付き合うように迫ったりだとか、ロッテの夫をばかにしたりとかしないのだ。ただストーカーなら、相手やその家族を攻撃したりするだろう。でも、”本当に愛している。”満たされない心は矛先となり、ただただ、耐えられない苦しさや、激しい攻撃は自分へと向く。だから、最後に自殺という方法を選んでしまうんだと思う。
でも、そんな愛って本当に愛なのかな?
燃え上がるような恋をしている最中って、たしかにあの人じゃなくちゃ絶対だめだ。この世にあの人の代わりはいない。一生他の人を愛せないと思い込むんだけど、意外とそうではなくって。
恋の激しさも数年したら落ち着いてきたり、また、別れて新しい人に出会えばこの人じゃないとだめだって、もう一度思うもんじゃない?
ウェルテルはまだかなり若いから、初めての恋だから、こうなってしまったのかなぁ。可哀想だ。こんなに人を深く愛せるのであれば、もう少し生きていれば、ロッテとじゃなくても絶対に幸せになれる道はあったと思う。
ちなみに、日本ではあまり聞かないが、海外だと失恋は自殺の原因の多くを占めるらしい。
Posted by ブクログ
少しだけ読んだことはあったが「淋しい夜のページをめくれ」がきっかけで再度手に取る
初めてのゲーテの作品
とことんウェルテルになりながら、気持ちを想像しながらじっくりじっくり読んでいった。
小説というよりも詩に近い印象を受けた。
ロッテを初めてみて、天使だと思った。とか
ぼくはまるで神が聖者たちのためにとっておいたような幸福な日々を送っている。
とか、浮かれっぷりがすごい、現代と何も変わらない感情に、人間の普遍性を感じる。
このさきざきがどうだろうと、ぼくは人生のよろこびを、最も清らかなよろこびを味わったんだとか
死亡フラグすぎる
身を引こうとするウェルテル
それでも吸い寄せられるように会いに行ってしまうウェルテル。
奪うでも無く、殺すでもなく、身を引く。それができればどんなに良かったか。
できないからこそ、もがき、苦しみ、最後の選択をする。
恋の悩みの話だと考える人もいるかもしれないが、
一つの愛なのではないかと感じた
この本を今の歳で味わえて良かった。
A+
Posted by ブクログ
恋愛に悩む青年の心に移入すると、辛くなりそうだった。この心情を多くの者が経験しているんじゃないか?
ただ、途中から辛い。そんな作品。
Posted by ブクログ
ひと言で言うと、病み体質なかまってちゃんのTwitterのようだった。
叶わない恋に挫折し、その相手から一旦離れるが、結局耐えられなくなりまた戻ってくる。そしてこれを繰り返す。そしてそんな様子や相手とのやりとりを周りに向けて明け透けと発信する。自分の友人にもそんな人が何人かいたな。
ウェルテルが最期に書いた手紙で、あなたのおかげで死ぬことができる的なことを書いたように、自分がこんなに苦しんだのはお前のせいだと暗に伝えるのも(ウェルテルにその意図があったかわからないが)、実際に友人がやってたな。
盲目で敗者的な恋をすると、そんな気持ちになってしまうのは分からなくもないが、正直気に食わない。
結局自分の不幸に酔ってるだけに見えてしまう。自分がうまくいかないのは自分のせいですよって表向きは理解しているような口ぶりでも、実際は他人のせいにしているのが透けて見えて腹が立つ。
まぁ、どうしようがその人の勝手自由であるが。
自分には理解ができない。
Posted by ブクログ
詩的で情熱的で繊細な青年が、婚約者のいる女性に恋してしまい、求め、離れ、逃れがたくまた求めて、その叶わぬことを知り、ついに身辺整理を済ませて自らピストル自殺を果たす物語。
18世紀の当時としてとても斬新であったということは頷けるが、今読むと特別珍しい話ではないので、あくまで古典として一読した。
昭和風の翻訳文、キリスト教圏の文化的表現や引用、詩的な風景描写の多さなどから読みやすい文章とは言えなかったが、その趣としては良いと思う。
その他の本の解説などで言及される作品なので、一読できてよかったと思う。また適宜読み返すこともあるかもしれない。
Posted by ブクログ
「まるで自分の心の中をのぞくような気がする」
自身と他者との様々な相違を受けて自信を持って、あるいは、それを見失い、行きつ戻りつということの繰り返しに明け暮れるのが、すなわち人生なのだと、僕自身それなりの年齢になった今だからこそ気づくことができたわけで、そこは“若き”ウェルテル、彼の思い、悩みについて、こんな僕ですら身に覚えがあるというか、さらにいえば身につまされるというか。物語を通して、僕と彼らとの比較において、僕は僕自身を知るわけだ。それで納得できるかどうか、もしくは納得してしまってよいものなのかどうか、まったくわからないけれど、僕はそれ以外の方法を、たぶん知らない。知らない、わからない、理解しようがない、それはつまり僕の人生経験によるものだ。相対的に、僕は自信がない。きっと裏付けとなる人生経験に乏しいからなのだろう。
「ぼく以前でも人間はこんなに哀れなものだったんだろうか」
連綿と紡がれ続ける数多の人生、この先百年経とうが、つまり幾重もの“若き”何某かの人生もまた、きっと哀れなものに違いない。