宇沢弘文のレビュー一覧
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ネタバレ世界で認められた経済学者宇沢弘文(「社会的共通資本」が代名詞とも言える)の人類への愛を貫く人生が綴られた読みやすい本。
宇沢の人としての魅力と世界観がよくわかる。
結局経済学というのは、人が人らしく生活できるために役立つべきものであるという強い信念に基づく言動(時に自分の命を顧みず)には迫力がある。
酒に酔った勢いでローマ法王に一席ぶっててしまったという微笑ましい一面も。
最後に特に気になった一節(3箇所)
#1. 医療や、教育、自然環境が大事な社会的共通資本であることはもちろんですが(中略)平和こそが大事な社会的共通資本
#2. 平和は人類にとっていちばんだいじな共通の財産である。
#3.「リベラリズムとは、人間が人間らしく生き(中略)社会的、政治的な運動に携わるということを意味します。そのときいちばん大事なのが人間の心なのです。 -
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日本で最も著名な経済学者である宇沢弘文による、世界の経済学を敷衍し、その発展の流れをまとめた本。
1989年刊行。
経済学は、人間の営む経済行為を直接の対象とし、経済社会の基本法則を明らかにすることを目指した学問である。
本書では、アダム・スミス以後の経済学の流れがまとめられている。
①アダム・スミスによる経済学の成立
経済学が学問として成立したのは、1776年アダム・スミスにより『国富論』が著されたときである。
スミスは、元々道徳哲学者として名声を得ており、彼からすれば、経済学の研究もハチスンやヒュームの思想を発展させ、社会を個々の人間の感情と行動の総体として捉えようするテーマの延長線上にあった。
このことは、経済学の本質理解のために特記すべきに値する。
『国富論』では、社会的分業、商品・貨幣・資本、産業組織、資本主義的再生産過程、国際貿易に関する論理が展開される。
まさにその後の経済学の枠組みを決定するプロトタイプそのものだった。
②古典派経済学の進展
スミスの経済学は、リカード、マルサスによって精緻化される。これが後年、古典派経済学と呼ばれる。
しかし、1825年の世界恐慌を契機に、資本主義経済が安定的な自律機構を内蔵しているという、古典派経済学の認識は虚構だったことが意識されるようになり、ジョン・スチュアート・ミルが『経済学原理』で厳しい批判を与える。
③マルクスによる共産主義の展開
また、1848年マルクスが『共産党宣言』を出版し、古典派経済学が解体される共に、「共産主義」という経済学の分流が生まれた。
共産主義は、ミーゼスによる批判、ハイエクによる一般化を受ける。加えて、ランゲとラーナーによって競争的社会主義にピボットされる。
後年、ハーヴィッチによって、インセンティブ・コンバラビティを満たす計画経済の作成が不可能であることが証明されることになる。
④新古典派経済学の進展
一方、1870年代に入り、古典派経済学は転換期を迎える。
限界効用理論を体系化したハインリッヒ・ゴッセンを初めとして、ジェボンズ、メンガー、ヴィーザー、バヴェルクなどの所謂オーストラリー学派が帰属理論を展開して、精緻化を行なったのだ。
さらに同時期、ワルラスが1874年に『純粋経済学要論』にて一般均衡理論を展開したことで、新古典派経済学へと変遷していく。
また一般均衡理論はフィッシャーの時間選好理論に発展した。
⑤新古典派経済学の衰退
しかし、新古典派理論はその後、ソースティン・ヴェブレンによって厳しい批判を受ける。新古典派理論が前提とする生産手段の私有制、ホモ・エコノミクスの概念、生産手段のマリアビリティなどの条件の非論理性と現実的妥当性の低さが指摘されたのだ。
さらに1929年に大恐慌が起こり、新古典派経済学はその支配的な地位を失った。
代わりに経済学の主流となったのが、ケインズ経済学だった。
⑥ケインズ経済学の登場
ジョン・メーナード・ケインズが1936年に展開した『雇用、利子および貨幣の一般理論』(略して一般理論と呼ばれる)を契機に、有効需要理論を柱として財政・金融政策の弾力的な運用の重要性を強調する新しい経済学派が生まれた。
ケインズの「一般理論」は、ヒックスにより均衡論的分析が行われ、セイモア・ハリス、ハンセンによって発展していく。
さらに、ローレンス・クレインが1950年に最初の計量経済モデルを提示した。
⑦WW2後の経済学
ハロッドと、それを敷衍したドマーによって経済動学の基本的枠組みが形成される。
ハロッド=ドマーの理論は、トービン、ソロー、スワン、荒憲治郎による批判を経て、二部門経済モデルを使った新開モデルに繋がる。
アレン、レオンティエフが投入・産出分析手法を開発し、アローとデブリューがワルサスの一般均衡理論における研究の頂点を作った。
このように、第二次世界大戦後の経済学は華々しい成果を挙げたが、一方で経済学的思考の深さや現実的対応について十分に検討がされなくなってしまった。
さらに、1962年、ケネディ政権がベトナム戦争介入に踏み切ったことも、アメリカ経済学界の分断をもたらした。
この状況に対し、早い段階で批判と警告を行ったのがジョーン・ロビンソンだった。
ジョーンは、リチャード・カーン、ラーナーらが率いたケインズ・サーカスと共にヒックスのIS-LM分析を批判し、ケインズ経済的の動学化を試みた。
⑧反ケインズ経済学の流行
ジョーンの警鐘とは裏腹に、ベトナム戦争勃発とニクソン政権の失敗、第一次石油危機などの展開を受けて、1970年代から世界の経済学の流れは「反ケインズ」というべき方向に傾倒するようになる。
この代表格は、ゲーリー・ベッカーの合理主義経済学、ミルトン・フリードマンのマネタリズム、ロバート・ルーカスの合理的期待形成仮説、フェルドシタインによるサプライサイド経済学などであるが、いずれもケインズ以前の新古典派経済学を基礎に展開された理論だった。
しかし、ある種の流行現象となったこれらの反ケインズ経済学は、共通して自由放任主義をとり、現実の様々な制約を捨象し、新古典派経済学の理論前提を極端に推し進めていた。
故に反ケインズ経済学は、理論的整合性が乏しく、深刻な矛盾を含んだ現実的妥当性の低いものであった。
にも関わらず、1970年代に取られた政策は、このケインズ経済学による論理的演繹を背景としていた。規制緩和・撤廃、社会資本の私有管理化、予算均衡主義、自由貿易、貨幣供給量を重視した金融政策などが、これにあたる。
⑨現代経済学の展開
1970年代に猖獗を極めた反ケインズ経済学も、1980年代に入ると、その勢いを落とし始める。
この状況の変化は、反ケインズ経済学の理論的矛盾が、ロバート・リカッチマンなどの経済学者によって指摘され始めたこともあるが、レーガン政権の経済政策が失敗に終わったことも大きい。
レーガノミクスの名の下で行われた所得税減税、軍事費の増大、社会保障関係費の削減、規制の緩和・撤廃は、失業率10%超え、大幅な連邦予算赤字と貿易収支赤字を作り出した。
この失敗を受けて、反ケインズ経済学は下火になっていった。
1980年代半ばから、世界の経済学は再びケインズ経済学の延長線上に立ち、新しい分析的枠組みを求めはじめた。
ホートレーと小谷清が提示した循環的・不安定なプロセスの説明を念頭に置き、新しい分析が生まれた。
特筆すべきは、ジョージ・アカロフが主導するゲーム理論と、ジョーゼフ・スティグリッツが主導する数理経済学を使った理論的分析の流れがある。
今後、経済学がどのように発展するかは予測が難しいが、これらの延長として検討されていくだろう。
以上が、本書で解説される世界の経済学史の流れである。
ざっくりと要点を書くに留めたが、かなり長くなってしまった。
本書ではさらにこれらの理論・概念に対して解説が与えられているので、200ページ程度の本ながら、非常に濃い内容となっている。
本書では極力数式や複雑なモデルを使うことを避けているので、経済学素人にも理解に易しいと思う。
ただ、本当の基礎部分の知識は前提としてあったほうが良い。
筆者の立場としては、ケネディ政権のベトナム戦争介入と反ケインズ経済学への嫌悪が明らかにあるところ以外は、フラットだと感じた。
この本が理解できれば、世界の経済学の主要な理論を知り、その発展を理解できたと言える。
30年以上前の本でありながら、とても勉強になった。
現在においても経済学における不朽の羅針盤といえる良書。 -
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1989年の1月に書かれた本なので、1989年末からのバブル崩壊、その後の日本経済の惨状については書かれていません。
宇沢先生が日本のバブル崩壊後の様々な経済政策をどう評価するのかと思いました。
宇沢先生はマネタリズムや合理的期待形成仮説について痛烈に批判しています。これらの経済学が人間を、ただひたすら自分の利益を最大化するための計算機械とみなしているからだと思います。
経済学は、経済現象を(できるだけ)科学的に理解したい、という動機から発生したものだと思いますが、なぜ理解したいかというと、世界の様子(貧困や不平等、格差など)を少しでも良くしたいという思いが根底にあるのだと思います。 -
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著者宇沢弘文が遺した、これまでの講演やインタビューを1冊にまとめた本。宇沢は「社会的共通資本」という概念を生み出したことで有名であるが、これは著者がシカゴ大学で教鞭を取った時代に関連する。当時のアメリカは、第2次世界大戦で勝利して以後、覇権国家として君臨した。経済活動においては、ハイエクやフリードマンといった新自由主義(ネオリベラリズム)が主流であった。これは、ケインズ経済学と異なり、政府の介入をできる限り最小限に抑えて、個人が自由に活動できる経済体制である。しかし、本書を読むと、ハイエクとフリードマンの思想は、厳密には違うことがわかる。ハイエクはたしかに自由を重視したが、人間の理性について懐疑的な立場であった。それに対してフリードマンは、なんでも市場に任せればうまくいく、全てはお金に代えられる、という市場原理主義を信奉した。ちなみに、フリードマンは、共産主義から自由を守るために、ベトナム戦争における水爆の使用に賛同したり、麻薬の取り締まりに反対するなど、筋金入りの市場原理主義者であった。このように、個人の自由を重視するがゆえに、フリードマンはミクロ的な思想を注視する一方で、マクロ的な視点は、論文や発言から確認できない。これらの思想をふまえて、宇沢は以下のように主張する。「リベラリズムとは、本来、人間が人間らしく生きて、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界を求めて学問的営為なり、社会的、政治的運動に携わるということを意味する」と。
また、本書の後半で、「社会的共通資本」の意義についても語るが、なかでも自然に対する畏敬がうかがえる。森ひいては自然環境を守ることは、人間の生存にとって不可欠であり、人間の経済、文化、社会活動において重要な役割を果たす、ということを強調する。それ以外にも、戦後日本社会の矛盾、とりわけ日本の都市化と地方の過疎化について指摘する。著者曰く、日本の場合、20〜25%程度の農村人口が必要だといい、大切なのは、各国が持つ歴史と文化を守り、次の世代の人たちのためにも、協力的な解決であるという。興味深いことに、著者は中国を訪ねて、総書記を勤めた趙紫陽から、著者の主張に共感した。本書は石橋湛山とケインズについても触れるが、石橋湛山はヒューマニズムを重視しており、人間が人間らしく生きるための経済を考えたと賞賛する。以上から、宇沢弘文がどれほど自然と人間との共生を重視したのかがわかる。 -
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日本を代表する経済学者宇沢弘文氏による「経済学の考え方」の解説になります。本書で最も大事なのは第1章でしょう。経済学とはどのような性格の学問なのかについて、宇沢氏による明確な定義がなされています。経済学は科学でもありながら芸術(アート)でもある。また理論的でもある一方、きわめて実践的でもあり、高度な倫理、正義心が求められる学問分野です。経済学は貧困などの社会問題の解決策を考えられるのと同時に、実はその問題の根源にもなりえてしまうことがあるからです(権力におもねったり自己虚栄心によって反社会的な政策立案をしてしまうことも可能)。
宇沢氏が本書でどの経済学者を取り上げたのかについては、極めて宇沢色が強く、共通しているのは社会への実際的な貢献、正義感、倫理観を持った人を厳選したという印象を受けました。ソースティン・ヴェブレンとジョーン・オースティンに1章ずつ割いているというあたりにそれが現れています。またアダム・スミスを最初に取り上げているのも、「経済学の始祖だから」という単純な理由だけでなく、まさに経済学とは実践的、倫理的な側面を持っていて、アダム・スミスが人々の暮らしをいかによくできるのかを真剣に考えたという点を評価しているわけです。後半に登場する合理的期待形成派やマネタリズムについての文章からは宇沢氏の嫌悪感が十分伝わって来ます。本当は紹介すらしたくないのだが、経済学が反社会的、反倫理的、反実践的(現実社会をまったく反映していない前提)な存在になってしまった暗黒時代があるのだ、という反面教師的な教訓ということで紹介されています。
本書は岩波新書ですから、経済学を全く学んだことのない一般の人々でも読めるように工夫されていますが、同時に、現在および未来の経済学者に対してのメッセージにもなっている気がしました。世界をよくするために経済学を発展させよ、その道筋として不均衡動学と社会的共通資本という2つのキーワードを提示しつつ、それをやるのは君たち未来の経済学者なんだ、というメッセージを残しているのです。 -
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もともとは数学の専門家だったのが、社会を良くしたいという「正義感から」経済学に転向し、36歳でシカゴ大学の教授になられたという宇沢先生の本になります。宇沢先生の教え子である岩井克人さんの本(『経済学の宇宙』)にも書かれているように、宇沢先生の心は新古典学派にあらず、新古典派およびその後裔であるマネタリスト、合理的期待形成学派について本書でもバッサリと切り捨てています。宇沢先生の言葉を借りれば、マネタリスト、合理的期待形成学派の人々は「反社会的勢力」の最たる人々、ということになりそうです。
本書からも宇沢先生の「社会を良くしたい」という熱い思いが各所からあふれ出しているのがわかります。本書で書かれていることを私なりに解釈すると、外部不経済、つまり市場の内部では評価されない害の存在を改めて認識したうえで、環境問題における炭素税の導入のように、それ(外部不経済)を内部化することが望ましいケースはありつつも、すべての領域に市場原理を持ち込むのはもってのほかだということです。その最たる例が教育、医療分野だということで、つまりモノではなく人間自身に関わる領域ということです。このあたりはマイケル・サンデルの主張とも共通するところがあります。両人とも「正義」とは何かという問題意識があるということです。
岩波新書ということで、全般的にかなり平易に書かれていて、高校生・大学生にも読めるような配慮がなされていると感じました。逆に言うと著者は若い世代に対して強いメッセージを発信したかったのかな、とも感じましたが本書は全年齢層の人が一読すべき本でしょう。 -
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『人間の経済』 宇沢弘文
最近、仕事でESGに関連するサービスのプロモーターを担うことになったため、ESGについて調べているが、どうも懐かしい感覚になる。その感覚を突き詰めると、学生時代に読んだ宇沢弘文氏の『社会的共通資本』に行き着くことがわかり、改めて宇沢氏の著作をもっと読んでみようと思い、本書を手に取った。
本書は、エッセー的な側面も強く、宇沢氏の過去の仕事や思想的な遍歴を追体験するような本である。宇沢氏は、稀代の経済学者であるとともにヒューマニストであった。なんでも計算範囲に含めようとするイメージの強い経済学者の中でもトップを走る宇沢氏が行き着いた結論が「大切なものは決してお金に換えてはいけない(p51)」ということであることは非常に興味深い。環境資本や、制度資本等の人間がこれまで社会で守り続けてきた社会的共通資本というものは、決してお金という単一の軸で推し量ってはならない。この一説を読んで、今同時進行で読んでいる内田樹氏の『レヴィナスの時間論』を想起した。レヴィナスのまた、なんでも一望できる光を当てて、統一的に物事を説明しようとする西洋哲学へのアンチテーゼともいう形で、他者論を展開した人物であるからである。敬虔なユダヤ教徒であるレヴィナスは、神の思考を人間が理解できるような尺度で推し量ることへの自制を求める。この世には我々の記号体系や言語が全く通じない他者があり、それらを他者のまま受け入れることの哲学を、レヴィナスは展開したのである。まさに、環境資本や制度資本などを、お金という統一的な尺度で推し量ることは、デカルトやベーコンにはじまる西洋の近代哲学の帰結であろう。そうした中で、我々の尺度では測れない社会的共通資本を、そのまま受け入れることを宇沢氏は我々に求めているように感じる。
しかしながら、全くの他者と言う形では、あさましい人間には対策をすることができない。環境への負荷を一定のレベルで資本主義の世界に落としこむ必要性もある。そんな中で、まさに2022年の現在、カーボンプライシングやカーボンニュートラルが叫ばれる30年以上前に、宇沢氏は炭素税のアイデアを世界に発信している。ただ、炭素税を課税することは産業構造の形もあるため、発展途上国に対しての平等に反するため、それぞれの国が持続的に発展できるよう係数をかけた「比例的炭素税」であるべきとも述べている。さらにその課税によって集まったお金を大気安定化国際基金として、一定の割合で発展途上国の熱帯雨林の維持、農村の維持、代替エネルギーの開発費用などに充てようというアイデアも展開している。この宇沢氏のアイデアは、エネルギー消費大国であるアメリカに否決され、排出権取引という形に変えられてしまう。排出権取引は、そもそもの排出権の割り当てに恣意性が働くゆえに、環境への対策とは異なる国力のある大国に有利に働いてしまうこともあり、根本的解決にはならないという点を宇沢氏は指摘している。現在のESGに関する動きとみると、よりミクロなビジネスの領域で、環境負荷という形で外部化されたコストをどのように価格に反映させるかという議論がさかんになっているところを見ると、宇沢氏の先見性には驚くばかりである。私はビジネスマンであるために、なんとかこのようなミクロなビジネスの枠組みの中で、環境負荷を価格に反映させる動きを加速させたいと考えているが、そのような思想的源流はやはり宇沢氏のアイデア(特に『自動車の社会的費用』)にあると思う。次回は、『環境問題を考える』と読もうと思う。巷のESG解説本も興味深いが、GWこそこのような骨太の本を読んでみたいと思う。 -
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「資本主義と闘った男」宇沢弘文氏の名著。自動車に限らず、任意の製品や仕組みを導入するときに、社会全体でどのように費用が発生しているのかという思考実験を実演している。本書が出版された1974年は世の中に急速に自動車が流通され始めた時代であり、政府が一斉に高速道路の建設など、社会を自動車向けにし始めた時代でもある。社会の変化において、何か恣意的な変化をもたらす場合には、その変化にかかるコストとベネフィットを精緻に比較する必要がある。宇沢氏の問題意識としては、当時の時代状況として、自動車のベネフィットをことさらに主張する人間が多く、コストについて今一度目を向けるべきであると主張している。結論を先取りすれば、道路建設による非人間的な横断歩橋の出現に地域の人々の不便さ、道路建設による自然破壊、排気ガスによる環境破壊、自動車事故による死亡者・後遺障害が残ってしまった人の逸失利益などがコストとして挙げられる。また、非人間的な横断歩橋の出現や自動車を中心に作られた道路建設は、街の形を変えてしまい、結果として自動車に乗れない老人や子供に不利益を与えているという。製品や仕組みを導入することによる、格差の拡大にも注目しているところが新鮮であった。自動車の増産や社会への流通は、社会全体の利益向上のために行われているものである一方で、社会が自動車中心になっていくことによる不利益を老人や子供が受け、格差が拡大されるという論理は、人間の社会にとって何が大切なのかということを訴えかけるものであった。このようなコストについては当時の経済学の枠組みでは検証することができない。環境のような不可逆的な資本については、個人に帰属させずに社会で管理させなければならないという社会的共通資本の概念は、まさしく2021年の今、叫ばれているので、宇沢氏の先見性には驚かされる。『人新世の資本論』でも、社会的共通資本の類似概念である「コモン」の概念について詳しく記載されており、昨今のカーボンプライシングなどについては、まさしく宇沢氏の指摘する社会的費用を、実際の市場経済において価格に上乗せしようという働きかけである。そう言った点で、今も色あせない名著と言えるであろう。
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ネタバレ1928年生まれの著者
2000年刊行の岩波新書
なのだが、内容は2021年現在深刻に語られているすべての経済的、SDGS的持続可能社会への道標となる考察に満ちている。
俊英としてアメリカ経済学界でノーベル賞受賞のスター学者たちの中にあっても一目置かれていたという宇沢氏が、日本に帰国、高度成長真っ只中で積み上げていった知見。
時代より早過ぎたのかなあ。
そして本書に書かれていることが、過去50年に少しでも顧みられていたならば、地球の現在はもう少しマシになっていたはず。
しかし、経済が自己増殖し続け、環境も人のコミュニティも破壊し続け、ついには崖っぷちまで来てしまった現状、理性や良心や次世代への思いやりなどを当てにしていてはその力に歯止めをかけることはできない。
藤原正彦氏などに共通する、旧制高校出身エリートの良心を感じる本。
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この人が奨めるのだから間違いなかろう、ということで経済は苦手なのだが手に取ってみた。東京大学から36歳でシカゴ大学の経済学部教授になりベトナム戦争への反発もあって東京大学の教授に転じられて長く経済学の第一線で活動されてこられた方で風貌も特異なことから自分には理解できない難解なことを話される方、という決めつけをしておりこれまで触れたことがなかったのだがここまで分かりやすい話をされる方だとは思ってもみなかった。元々は数学者になるはずがより社会の問題に関わりたいという意向で経済学に転じられたという経歴らしく、公害問題や環境問題に対し具体的な関与をされて来られたところも素晴らしい。「富を求めるのは、道を開くため」というのが経済学者としての基本的な姿勢とのことで同じシカゴ大学の経済学者フリードマンをはじめとする市場原理主義とは一線を画す考えを提唱、実戦されようとして来られたようで本作品でもいくつかの印象深いエピソードが紹介されている。いわばSDGsのような言葉ができる前からそのような考えを提唱されてきたわけで不学を恥じたので著作をいくつか読ませてもらいたいと思いました。お酒が好きでアドバイスを求められたローマ法王に対して酒の勢いもあって説教をしてしまったなど人間臭いエピソードも魅力的。面白かった。これはおすすめです。
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宇沢弘文先生の理論の中核本
大学時代塩野谷先生にご紹介頂いて40年漸く読破良かった
資本主義経済体制の限界・本質的問題は今日的「格差問題」
市場原理主義から漏れる「社会資本」の劣化
SDGsの問題意識に通じていると思う
宇沢弘文先生の価値観が求められる時代 コロナで加速する
バイデン大統領の理念は近いものがある 米国の力が間に合うか
1.アンチ新自由主義
資本主義のダイナミズム リスクテイクとアップサイドリターン
市場の失敗 外部経済の統制 市場化・政治規制
2.地球という枠組みが劣化すると
与件の中で成果を最大化する資本主義は新たな制約を受ける
3.農村 都市・自動車 学校教育
4.学校教育
5.医療
6.金融制度
7.地球環境 -
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経済学が科学にシフトした分、「人々の幸せ」から遠くなっているのではという、基本的問題意識は共感できるとともに、非科学ではないかという恐れもある。
我々は「アカデミズム」という現代宗教の門徒であって、破門される恐怖があるのは中世と変わらない。
その呪縛を否定したのが宇沢先生、特に、公害・自動車問題など外部不経済について厳しい論調に転じられたような気がする。
本書でもそのスタンスは揺るがないとともに、世界史では英国帝国主義、国内では官僚権力体制に対する姿勢は驚くほど厳しい。
現在のアベノミクスや、原発問題など、宇沢先生のコメントがほしいと思うのは、甘えだろうか。
本年、ご逝去のご冥福を祈ります。