宇沢弘文のレビュー一覧
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ネタバレ自動車の社会的費用、というタイトルに惹かれた。自動車を運転することが歩行者の基本的人権を如何に蔑ろにしているかについて論じている。その費用は一台200万円だという。
もっとも、交通事故による障害や死亡もしくは排気ガスによる疾患などは、当事者にとっては不可逆的な事象であり、金銭に換算できない『費用』である。目が覚めるような論考であった。
そしていっそう不味いのは、そのような当事者には低所得者層が多く含まれる。富裕層は自動車の交通量の多い・排気ガスの多い地域からは、その財力を使って容易に逃走できるからである。
我々の世界は社会的費用を内部化する方向に向かっているのだろうか。それとも、深刻な外 -
Posted by ブクログ
堅苦しい。哲学ほど難解ではないが、スラスラとは読めない。もう少し柔らかく表現してくれると読後の満足感がもっと高くなりそう。
マネタリズムはキワモノ。市場至上主義は行き詰まり、修正が必要となること。戦後から現在をカバーする大きな物語でした。
権力を行使する役割を担う人と、その際の意思決定にあたり専門家として助言する人と、そいうった人たちを選んだその時代を生きる人たちの、ちょっと笑えない壮大なコント、とも思えました。
企業価値を上げること至上主義の今の日本、やっぱ周回遅れなのかな…。取り残されてしまう人たち、疎外感を感じてしまう人たちが一定数を超え、分断が政治情勢や社会現象に顕在化するほどになって -
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SDGsの考え方のもとになることが書かれています。初版は1994年です。
まさに2025年現在、環境問題、経済格差などの社会的問題について、この頃から声をあげていたのかと感心させられる。
まずは、本を知った経緯や読んだ経緯を。
当方エネルギー関係の企業に勤めています。5-6年ほど前になりますか。上司から読んでみろと言われ、受け取ったと記憶しています。
読んだか読んでないか記憶になくなってましたが、最近家の掃除をしていると出てきたので改めてちゃんと読んでみました。
5-6年前とは、世界情勢も自身の知識や考え方も異なり、より本の内容がスッと入って来ました。
ゆたかな社会とはどういうものを指 -
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この本が出版されたのが1974年、
高度成長期の真っ最中に、自動車による外部不経済の発生を指摘した宇沢弘文の先見の名には脱帽するばかりだ
自動車は騒音や排気ガスを発生させている。また、我が国の道路政策も自動車のために最適化されている、すなわち歩行者道路と自動車通行道路は明確に分けられておらず、また自動車通行道路の開発に巨額の財源が当てられている。この結果、歩行者の歩行の権利は侵害されており、また公共交通サービスの低下が顕著である。
そして、こうした費用に対して自動車ユーザーは負担をしていない。いわば、自動車による外部不経済が発生している。
宇沢は、このような事態の背景にはこれまでの古典派経 -
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宇沢弘文の正義感に惹かれる。市場原理主義を厳しく批判。ミルトン・フリードマンを憎んでいるような発言も同根。制御しない資本主義は強欲を暴走させ、しかも力を与えてしまうから、社会的に制限をかけないといけない。社会的共通資本は、市場原理主義では守れないのだ。
本書は宇沢弘文の思想や日常に触れるエッセイや対話文の寄せ集めなので、どこかで読んだ内容も多い。それでも理解が深まるので、私には嬉しい。
ー 1945年夏、フリードリヒ・ハイエクとフランク・ナイトがスイスの避暑地モンペルランで会話。ナチズムによって、人間の存在基盤自体が破壊され、人間の自由や人間の存在を回復するために、経済学者として考えなけれ -
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宇沢弘文教授の数式のない経済学。
まずここは、著者による「ゆたかな社会」についての明快な定義の引用から始めるべきであろう。
「ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration: 熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。」
そしてこの実現を妨げている最大の要因が資本主義経済、とくに資源の私有を無制限に肯定するメカニズムであ -
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社会主義的統制でも自由主義的放任でもなく、かといってケインズ主義的な手法だけでもよしとはしない。そこに宇沢の言う制度学派、あるいは進化論的な経済学が置かれる。ケインズと宇沢の着眼点の違いは、次のように著されている。
「ケインズ経済学で、財政支出の有効需要に及ぼす効果に焦点が置かれ、その内容を問わなかったのに対して、生活権の思想では、政府が果たす役割に関する理解が全く異なったものになってくる。「完全雇用を!」と言うスローガンに表されたケインズ理論に対して、「何のための完全雇用か!」と言うことが問題となってくる。このような観点から、生活権に対応するものは社会的共通資本の考え方であると言ってもよい。 -
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社会的共通資本について可能な限りシンプルに定義を試み、経済学的なアプローチで課題と対策をハイレベルな見地から示している。
宇沢氏のアカデミズムの端的な集大成なのかもしれないと、初心者には大変ありがたい著作だ。
既に20年経過しており、様々な環境変化を加味する必要はあるものの、普遍的な視点も多く、参考になる。特に、社会的共通資本としての医療は、指摘されている経済性の命を守る医療のバランスの難しさが最後は医療関係者の高邁なモラルに依存する、という指摘は、高齢化社会真っ只中の日本にとって喫緊の課題だ。
最後に、各共通資本項目をまとめると、今、そして将来、人類社会はどうすべきかどうあるべきかという示唆 -
Posted by ブクログ
こんな人だったんだとおもろきの1冊。
宇沢さんといえば、数学が得意で、経済学の科学化に貢献した人。でも、市場原理主義ではなくて、社会資本、公共財といったところにも、議論を広げた人という印象だった。
が、これによると、もともと数学科だったのが、マルクスにいき、その後、アメリカで行動主義的な経済学者として業績をだしたのち、日本に帰ってからは、公害問題などに関心をもって取り組んだ人。
つまり価値中立的ではなく、価値判断をいれるしかないということをやった人なんですね。
これはすごいことだ。
そして、それを定性的に語るのではなくて、定量的、経済学の一般均衡論のロジックを使って、その理論の内在的