宇沢弘文のレビュー一覧
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宇沢は、モンペルラン・ソサエティに淵源する正統ネオリベラリズムの潮流(ハイエクやナイト)とフリードマンの市場原理主義を峻別して、前者には一定の重要性を認めた上で、後者を厳しく批判している。宇沢によれば、フリードマンは経済学について、マクロな側面についてはいっさい論文を書いていないし、ミクロな側面についても一貫した理論を持たなかったらしい。じっさい論文審査にあたり「どんなに前提条件がおかしくとも貨幣数量説が結論として出てくるならばそれは良い論文である」などと放言していたそうである(本当に学者なのか?)。
「共産主義者など一人でも多すぎる」などと吠え、“自由”を守るためなら北ベトナムへの水爆投下も -
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2019年に出版された評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』が大変素晴らしく、いつか本人の著書をしっかり読みたいと思っていた矢先、ちょっとしたきっかけで本書と出会いセレクト。
本書は宇沢弘文という経済学者が後期に提示した”社会的共通資本”の概念と重要性を平易な言葉で語りながら、ひいてはハイエク〜ミルトン・フリードマンに代表される市場重視型の経済学がこの社会的共通資本をないがしろにしていることへの警鐘を鳴らすことを目的としている。
”社会的共通資本”と書かれるといかめしく聞こえるものの、現代の我々にとってみれば”コモンズ”という言葉で置き換えた方がピンとくるだろう。道路・鉄道・電 -
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以前から必ず読まねばと思っていた宇沢先生の論文集。資本主義、民主主義ついて学び直しの総決算。社会的共通資本の考え方の基礎について、まず開祖ともいうべきヴェブレンの考え方を解説。第二部では「自動車」「公害」「青森県むつの大規模開発」における社会的コストの考え方を解説。第三部では「地球温暖化」「教育」「医療」「金融」「都市開発」など個別の切り口からこのテーマを論じている。民間の活動であっても社会の中でコストを負担しており、企業にはそのコストに見合う負担をさせるべきという考え方は納得。世界では「コモンズの悲劇」が定説だが、日本では昔から「入会」や「講」などが行われている。最近スペインのバルセロナやビ
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民主主義とは、教育とは本来…というところからそれぞれ始まり、農業、教育、医療…に資本主義の論理を持ち込むからおかしくなっているということはよく理解できる。この辺りは『人新世の「資本論」』にも通じる。
こういった分野について、資本主義からは切り離し、「社会的共通資本」として、その道の専門家が管理する=既存の行政からも切り離すのも理解できるのだが、その実現の道には踏み込めていないように思う。
恥ずかしながら、電機メーカー出身のため、工業の生産性論理を農業にも持ち込めばいいんじゃないかと思っていた。そんなことは当然誰もが考えつくものであり、結果、資本主義市場に巻き込まれて、工業部門に押されて農業が -
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宇沢弘文 「経済と人間の旅」
自伝と著者の経済学的テーマを論じた本。ケインズ、ヴェブレンを中心に 経済学のエッセンスをわかりやすく説明している
著者の経済学的テーマを具現化したものは、社会的共通資本という考え方。特に制度を通じた医療と教育の効率的な分配に重点を置いている
著者は ヴェブレンの制度主義の立場にたち、リベラリズム(人間の尊厳を保ち市民的自由を守る)の観点から、社会的共通資本(特に医療と教育)を分配することを主張
少しエリート主義や 哲人政治的な思想を感じる。新しい制度をつくるほど、社会的共通資本が増え、政府や官僚の権限や責任も大きくなるが、そんなことして 大丈夫か?と思 -
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著者も書名も知っていたけれど未読のまま数年。書店でたまたま目に留まって購入。
B/C分析は2020年の今も道路計画を評価するベースの考え方だが、冒頭でさっそく斬り捨てられていて笑ってしまった。
令和になってようやく歩行者フレンドリー(ウォーカブル)な計画が積極的に志向されるようになり、時代が追いついてきた感もある。
「社会的費用」と銘打っているものの、数値的な評価については紙面上重きを置かれておらず、159頁からの10頁ほどでまとめ的に論じられている程度。しかし、そこに至るまでの経済学の思考についても丁寧に述べられていて読みやすい。
宇沢モデルのような著名な業績からは離れた分野だが、名著と -
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「国富論」のなかにあった"There is no wealth, but life."を「富を求めるのは、道を開くためである」と訳し、基本姿勢とした。
ヴェブレンや石橋湛山に共感。
ヴェブレンの最も重要な考え方である、金融制度は経済的な生活が円滑にいくために存在しているのであって、そこで売り買いをして儲けるためではない。また企業は永続的なもので、皆がそこで仕事を持ち生活していくための基礎になっているのだから、儲けばかりをもとめて簡単に売ったり買ったりしてはいけない、ということ。
ケインズの「一般理論」ではこの考えをそのまま使っているところがあると指摘。
社会的共通資本は、い -
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昨今、これまで以上に自動車事故のニュース(とりわけ、あおり運転や高齢者ドライバーによるもの等)がクローズアップされている。私は自動車を運転しないものの、著者の名著に触れようと手に取ったものだ。
著者は、社会的資本である道路が誰のためのものなのか、歩行者でなく、自動車のためのものなのか、ということを迸る憤怒を交えながら(時には、自動車をガン細胞とも)、熱い思いで読者に語りかける。自動車保有率など、現在の状況とは符合しない点もあるものの、半世紀ほど前に刊行されたその警句的な示唆に富んだ内容に読者と著者の距離感が縮まっていくことを自覚してしまうほどだ。 -
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ネタバレ自動車にたいする経済的・社会的価値がますます高まっていた1970年代にあって、その負の効用について警鐘を鳴らし、そのコストの取り扱いについて具体策を提起した書。この時代にあってこのテーマということで、著者の先進性は際立っています。
第1章「自動車の普及」では自動車普及の歴史が、主にアメリカを中心にして語られます。
ここで自動車の普及が様々な経済分野の発展に寄与したことに一定の評価を行いつつも、騒音や環境汚染などで市民生活の質を劣化させた点を指摘しています。
個人的に興味深かったのは、フォードの「Tモデル」がアメリカにおける自動車普及を飛躍的に高めた点。1900年にはわずか4000台