宇沢弘文のレビュー一覧
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夢中になりました。
現代社会の課題に対する考察は、どれも共感できるものでした。むしろ今まで意識していなかったことを、不意に気付かされた印象です。
中でも特に大事にしたいと思ったのは、教育と都市造りに関する論考です。
教育に関する部分では、子を持つ親としてこれまでの認識を改める必要性を感じました。親はもちろん、教職に付く全ての人に知ってもらいたい内容でした。
都市造りに関する論考は、言われてみれば納得の内容でした。ではなぜ今まで認識できなかったのか?それは自身で考えることを疎かにしていたから。そして他人の意見を鵜呑みにしていたからだと思います。
素晴らしい読書でした。 -
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この本にある経済学的な思考は誰にでも備わっているべきである。我々は、社会的な価値判断を前提として生きている。しかし、その社会的価値判断は一度下されると、再び検討されることがない場合がある。それが問題となるのは、本書の主題となっている「自動車通行に伴う社会的費用の発生」といったような、社会的価値判断が結果的に我々に被害を及ぼしている場合と言って良いだろう。
1973年という、高度経済成長の盛りに上梓され、世に送り出された本書の提言は今もなお現実的なものとして、目の前で繰り広げられている我々の価値判断に伴う社会的活動を考え直すきっかけと、その際に必要な思考の土台を読者に対して提供している。
当時、 -
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現実の社会問題と経済学の理論とが、斬り結ぶさまを学ぶことができた一冊。
自動車という、それなしには考えられない事柄に対しても、批判理論を展開し、同時に理論的な枠組みを越えた社会規範についても論じられている。
社会経済における自由と公正に関する議論では、”応益負担””応能負担””応分負担”それぞれの方法の適応が課題となっている。最適な解はおそらく一つではないし、また、不変とも限らない。常に社会的な議論と合意形成の努力が必要であろう。
その際には、本書で示されているような、実際の課題を正面から論じる勇気、その理論と規範とを論じる知性が欠かせない。
今日、自動車に関して、新たな技術的、社会的 -
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「世のため人のために」、という言葉があるが、宇沢氏ほど、
これを実践した方は、稀だろうと思います。
世界的な経済学者でありながら、どこまでも、社会的弱者のために行動され、
社会的矛盾と闘い、そして、悩み苦しみぬいた生き方は、
後世を生きる私たちにとっては、かけがえないメッセージとなっています。
どうやったって、社会は良い方向に変わらないし、やはり、お金が幸福になる上で、
もっとも、確実な手段だと、小学生でも思うようになりました。
まさに、消費者です。
ソニー生命が2017年3月21日~3月27日の7日間全国の1000名の中高生に対し、「
中高生が思い描く将来についての意識調査」をインターネッ -
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経済には滅法疎い私だが
一昨年、宇沢弘文さん
という偉大な経済学者がいらしたことを
NHK「クローズアップ現代」で知った。
同僚であったミルトン・フリードマンと激しく対立し
市場原理主義の考えには全く相容れなかった。
常に人間のための経済学を追求し続けた。
だから何度もノーベル賞の有力候補に挙げられながら
果たせなかったのかもしれない。
この本は宇沢先生のエッセイ集だ。
だから人としての先生の姿がよく見える。
「社会的共通資本」を読む前に
この本を読んでおいてよかった。
いま
アメリカ的な社会をひたすら目指す日本、
格差と分裂、混乱が益々拡大していく世界を
宇沢先生はどんな思いで見つめて -
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宇沢弘文氏がケインズ経済学を中心に経済学の成り立ちと考え方について丁寧に論じている。
いろいろと目からウロコで感動的でさえあった。
高校生の頃、読んでいたらきっと経済学を専攻していただろう。
(きっとケインジアンになっていた)
が、高校生の頃、読んでいたら何が書かれているかわからなかったに違いない。
社会に出てからの日々の生活や仕事通じた蓄積によって理解できたのだろう。
この本は30年前に書かれたものだが、現在の課題を予言している。
いや、現在はその予言すらも越えてしまっている。
宇野氏が論の中でこきおろしている新古典主義の系譜につながるマネタリズムを中心とした反ケインズ主義は
その大前 -
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ネタバレたしかにそうだと思われることが多い。
日本の道路行政の現実を鑑みても、無計画で適当になされているような気がしないでもない。
確かに幹線道路沿いにも狭い歩道、申し訳程度のガードレール、至近に建てられている住宅。幹線道路でなくても、踏切があれば渋滞が起き、そういう道路には路側帯しかない。
歩道橋も車が優先されていることの、証左にほかならない。
ましてや歩道に合わせて道が造られているのではなく、車道に合わせて道が造られている。これを人権と合わせて考えると、基本的人権の侵害と言えるかも知れない。全部変えるのは非現実的ではあるだろうが、一つの考え方では確かにある。
昔は交通戦争と云って年間3万人以上交通 -
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ネタバレ[ 内容 ]
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。
しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。
市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。
[ 目次 ]
序章 (自動車の問題性;市民的権利の侵害)
1 自動車の普及(現代文明の象徴としての自動車;自動車と資本主義;アメリカにおける自動車の普及;公共的交通機関の衰退と公害の発生;一九七三年の新交通法)
2 日本における自動車(急速な普及と道路の整備;都市と農村の変