昔から怖い話が好きで、最近だとネットの洒落怖や、春先に発売された「日本現代怪異事典」を読んで楽しんでいる。
なんで怖い話が面白いのか?自分でも時々考えたりしているので、本書を本屋で見かけた時に飛びついた。
本書で個々に紹介されるエピソードはどれも面白いが、恐怖の構造については、概ね次のように整理
...続きを読むされている。
- 不安と恐怖は違う。
- 不安は漠然としていて、恐怖は具体的。
- 物語は、不安で始まり、恐怖が克服されてカタルシスを得て終わる。
本文よりも、対談部分の方が、この辺がクリアに述べられている。
この整理に、個人的にすごく疑問が残った。
どちらかというと、私はカタルシスの得られない、後味の悪い話が好きだからだ。カタルシスを得たいのであれば、怖い話である必要はないと考える。
以下、酒を飲みながら、怖い話の構造について考えてみる。
怖い話は、だいたい口承で伝えられることが多い。口伝えで伝わる話は、少しずつ元の話と変わって、形成される。文字が発生する以前の物語や神話も、こうしたプロセスで生まれる。
こうしたプロセスで生まれる物語は強いパワーを持つ(と、「クリエイティブ脚本術」に書いてあった)。
都市伝説とかの類が、妙に心に残るのは、こうした理由に起因すると思われる。
怖い話も神話も、同じプロセスで生成されているので、同じ目的、つまり世界を理解するという目的、を持っていてる可能性がある。
理解できない不安や恐怖を理解したり、未然のリスクとして認識するための物語、ネガティブな方向に振り切った神話、それが怖い話の本質ではないかと思う。