山岸俊男のレビュー一覧

  • 社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで

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    社会的ジレンマ(コミットメント問題)について詳しく説明されている本でした。
    協力者、非協力者の割合が、いじめを加速させるのか抑止にいくのかが、非常に分かりやすく興味深く拝読させていただきました。
    昨今の外国人問題や多文化共生とのギャップも、ある意味、社会的ジレンマの表れではないかと思いました。集団行動、利他的文化が幼児期より刷り込まれている日本と、それ以外の文化が混じり合い、限界値を超えると一気に崩壊することが強く想起されました。

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    2025年10月01日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    非常に勉強になる本でした。1999年に初版が出されていますが、この本で述べられている事象は年々強まっているのではないでしょうか。日本は信頼が崩壊しているという言説があることに対して、そうではなく「安心」社会が崩壊しているのだと著者は論じます。

    本書では「一般的信頼」という言葉が重要な概念として紹介されていますが、これは見知った人をどのくらい信頼するかではなく、一般的に他の人をどれだけ信頼できるか、見知らぬ人がどれだけ信頼できるか見抜けるということを意味します。これは狭義の信頼にあたるのかもしれませんが、結論から言うと日本人はこの能力をこれから鍛える必要がある、なぜなら、そういう社会環境に日本がどんどんなりつつあるからだ、ということになります。

    その理由を端的に述べれば、日本の経済社会が得意としてきた長期的コミットメント方式(企業の終身雇用しかり、取引での系列、グループ化しかり)は「ウチ」と「ソト」を明確に分けることで、「ウチ」の中での不確実性を低下させ安心を生み出してきたけれども、「ソト」に様々な機会があふれるようになってきた、つまり経済学的に言えば長期的コミットメントによる機会費用が大きくなってきた、という社会変化を意味します。たとえば雇用を例にとれば、2-30年前ですと会社の転職は非常に難しかった。つまり受け入れ先を見つけることが難しかったのに対して、現在は転職・引き抜きは当たり前ですし、起業という選択肢も珍しくなくなりました。つまり「ソト」に機会がたくさんあるなら、今の会社でじっと耐え続けながら人生を送り続けることは、あまりに非合理的、非効率的であるということになります。そしてこのように社会が流動的になると、どんどん新しい人と関係を築く必要がありますから、必然的に人間を見極める能力を鍛えなくてはならなくなります。

    そして著者は社会的知性という概念を紹介しつつ、社会的知性は大きく2つあること、1つは「ウチ」のなかで見知った人の間の関係性を検知する「関係性検知能力」、もう1つは
    見知らぬ人についてその人が信頼できるかどうかを検知する「人間性検知能力」だと紹介します。そしてこれまでの日本社会は前者の「関係性検知能力」に長けていることが重要だったが、社会が流動化し、「ソト」の機会を人々がつかむようになると、それは「人間性検知能力」を鍛えることになるだろうと言います。そしてこれこそが「信頼社会」と著者が呼ぶ未来像です。ただこれはスムーズに実現するとは思えない。なぜなら閉ざされた社会に居心地の良さを感じている人もいるし、あえて情報の非対称性というか、情報を外に出さないことで自分の優位性を保とうとする人がいるからです。

    などなど記述は尽きませんが、さすがに一流の学者が書かれた本で、単に理論を披露しているだけでなく、実証実験の興味深い結果を多数紹介しているので、それだけでも一読に値します。しかも素人にも読みやすく書かれていますので、久しぶりに大満足の本でした。

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    2023年05月08日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    読んで良かった。
    安心社会にいる(もしくはいたい)人と信頼社会にいる人(もしくはいたい人)はコミュニケーションの方法が違うものだろうなと思った。

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    2023年02月24日
  • きずなと思いやりが日本をダメにする

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    簡単なまとめは最後に書かれている。

    対談という形式になっていてスラスラ読める。
    二人が類似しているので、どちらが長谷川真理子さんで、どちらが山岸俊男さんかわからなかった。長年の付き合いの結果だろうか?

    思い込みのうち、『Factfulness』にもあったものとして、あちらの方々マインドや、昔は良かったマインドがあって、やっぱり進化論的に見ると、そうなのだということを改めて感じた。

    心でっかちというのは、なるほどと思った。スローガンを掲げていても仕方がなくて、制度を変えなければ、すべてはうわごとに過ぎないというのも強烈なメッセージだった。

    びくびくする人に対し、原理を持つといいよというのは参考になった。私自身がそうだからだと言えばそれまでだけど。。。多様性に対して、みんな一緒では価値がないというのが難しい。

    まだ整理できていない。自由な対談なので、まとめにくい。

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    2021年11月25日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    日本社会の特徴を語られる時、集団主義的で和を重んじるとか、閉鎖的な村社会だとか、言われることが多いように思うけれど、体感として、そんなことはないような気がしていて、和を重んじると言われる割には、他者に厳しいと思っていた。一方で、物を落としても戻ってくる世界的にも珍しい国だとも言われていて、それは確かにありそうだなと、体感では思っていた。では、日本社会とはいったいどんな社会なのだろうかというイメージが固まらずにいたのだけど、本書を読むことで、一定の整理ができたように思う。

    日本社会は自分たちの仲間と見做す集団を固定化し、所属する人々の流動性を低くする(集団を構成する人があまり変わらないようにする)ことで、所属集団内でどのように振る舞うことが自分たちの利益につながるかをお互いが良く理解できている状態を作っている。お互いの損得に基づく行動規範が共有されているため、お互いの振る舞いをある程度予測することができ、それが社会の不確実性を低下させる、そのような社会を本書では「安心社会」と呼んでいる。この「安心社会」は、その性質上、よそ者に対して厳しく排他的、閉鎖的な側面を持つ。

    このことは、社会全体の不確実性が高くない時には、集団外の他者との取引コスト(見ず知らずの人と取引して騙されるリスク)を低減するのに役立つが、社会全体の不確実性が高くなると集団外の他者を排除することによる機会費用(見ず知らずの人と取引したら得られたかもしれない利益)が増加してしまう。そして、現在、社会全体の不確実性が高まり、取引コスト<機会費用、となる傾向にあるため、これまで成立してきた日本の「安心社会」が変化を迫られているという。

    とはいえ、本書は1999年に発行されていて、それから20年以上を経ている。それでも、なお本書で書かれた日本社会の特質に膝を打っているようでは、結局日本社会は「安心社会」からの脱却はできていないということなのだろう。本書では、「安心社会」の対概念として「信頼社会」というものが提示されている。集団内外の流動性が高く、集団外の他者を信頼する社会のことで、そのような「信頼社会」において、全く素性の知れない集団外の他者を信頼するために、人々は他者への共感や想像力により、相手の立場であればどのような行動をするかという予測に基づき、他者を判断することになる。

    その前提には、他者も自分も最低限の価値観を共有しているという考えが必要になってくるのではないか。その最低限の価値観の共有がとても難しく、実際共有しきれていないため、現代日本社会で暮らしていて、他者への不寛容を強く感じるのだろうと、暗い気持ちになってしまったが、現状認識のためにはとても勉強になった。

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    2020年09月24日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    2020.46

    めちゃくちゃおもろかった。。
    ・日本は安心社会。
    ・安心社会は信頼能力を育まない。
    ・日本人は元来個人主義的。

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    2020年08月10日
  • きずなと思いやりが日本をダメにする

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    ここのところ山岸俊男さんの本を3冊続けて読んでいるのだけれど、それは社会心理学者の山岸俊男さんが観る社会の景色を共有したいとおもってからだった。
     でも、山岸さんの本はかつて読んだ記憶があるのだが、専門的で重厚で立ち向かうのに苦労した記憶があった。
     この本も、そして数日前に読んだ『リスクに背を向ける日本人』もそうだが対話を書籍にしているので、対談相手が見つめてる景色との対照性で、ずっと読み易くなり山岸さんが観ているだろう景色もくっきりと立ち上がってくる。
     そして今回の対談のお相手の長谷川眞理子さんが行動生物学、進化生物学を専門にしているということもあって、山岸さんの見つめる現代社会の姿を、時間という厚みと、人類が携えている進化の過程のクビキをともなって、私の心にすとんと落ちる味付けをしてくれている。
     この両分野の視点というのは、それぞれに読んでも引き込まれる好きな分野だけど、両者が合わさると、錐で穴を開けるように刺激をもって引き込まれ、想像を広げていってしまう。
     次にはもう『しがらみを科学する』を読んでいる。

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    2020年08月02日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    COVID19をめぐる政府方針や社会的な雰囲気の影響で、社会心理学に興味を持った。この本が出版された1999年から果たして、どれだけ社会は透明性を発揮し、個人は一般信頼性を獲得したか。21年後に読んでも示唆に富む内容だった。

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    2020年06月05日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    混同しがちの安心と信頼は意味が違うがともに社会が効率的に運営されるために必要。逆に言うと不安は社会の進歩を阻害する要因になる。

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    2020年04月23日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    このような考え方は、古代エジプトやシュメールなど古代都市においても使われていたように思われる。村社会から都市に移ってきた人が感じることは普遍的なのであろう。

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    2020年02月27日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    欧米諸国は契約社会とされるが,意外にその内容は細かくない気がしていた。一方,我が国では最近,取り決めが煩雑で良く言えば緻密,悪くいえばおせっかいな部分が多いと思っていたが,著者によると同族同士の安心感はあるものの,自らが属しているコミュニティの「外側」を信頼することは不得手であるという。何となく今までの違和感に一つの回答を与えてくれたように感じた。
    著者の論旨が単なる感想や主張ではなく,社会心理の実験に根拠付けられていることが書かれており,説得力がある。

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    2019年12月21日
  • 信頼の構造

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    日本の社会は不確定性の低い社会であり相互の信頼が高い社会と思われていた。
    しかし、よく考えると信頼が必要となる状況というのは、不確定性が高まる状況である。
    また不確定性が低い状況では信頼がそもそも必要でないのではないか、という疑問から
    心理実験を行われ、我々が思っている常識とは少し実際は異なっていることが分かった。

    ポイントは以下のような内容である。
    ・信頼と安心は同じように扱われているものの異なるものであり、
     混同されたまま使用されているため混乱が起こっている
    ・信頼と信頼性も混同されるが、それぞれ相手を信用するのかがと
     相手から信頼されているのかが影響することはそれぞれ異なる。
    ・信頼が醸成されるかどうかのファクターは社会の不確定性の高さ、
     一般的信頼の大きさ、機会コストの大きさである。
    ・信頼は不確定性が大きいときにのみ必要となり、低い状況では育たない。
    ・不確定性が高くなると、コミットメントにより不確定性を低めるような動きをする。
    ・人は認知的倹約をおこなうものなので、毎回裏切るのかどうかの判断を行うのが難しいので、
     コミットメント関係を結びたくなる。
    ・パートナーの切替を行うのは、機会コストが大きい時であり、だまされる時のダメージの大きさである。
    ・日本人と米国人では、何も情報がなかったときにどれくらい相手を信頼するか
     という一般的信頼は、不確定性が高い米国人の方が高い
    ・一般的信頼性の高さは、お人好しのマインドなのではなく、都度相手の状況を見て、
     対応を調整できるリテラシーの高い人であることが実験からわかっている。

    日本人は、人を見ては泥棒と疑えという考えもあるが、
    全部疑うことがリテラシーの高さには繋がらない。
    結局のところは認知の倹約がおこなわれているだけであり
    毎回適切に評価して対応を調節しているわけではないことがわかる。

    本文の中では、信頼できるかどうか敏感に反応して対応できるスキルがあるかどうか
    は一般的信頼性の高さにも相関していることが触れられている。

    社会への信頼の高さは、経済成長に繋がるという研究もあるらしい。
    昨今の根拠のない不安先行の雰囲気は、不確定性の高い社会で、
    いかに目利きをできるようにするかのスキルセットの醸成が
    日本社会に必要なのではないかと思わせる内容である。

    色んな分野に応用可能な良書である。

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    2019年10月21日
  • 信頼の構造

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    1章 信頼のパラドックス
    2章 信頼概念の整理
    3章 信頼の「解き放ち」理論
    4章 安心の日本、信頼のアメリカ
    5章 信頼とコミットメント関係の形成
    6章 社会的知性としての信頼
    終章 開かれた社会の基盤を求めて
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    集団主義社会は「安心」を生み出すが、「信頼」は破壊する

    安心:自分を搾取する行動をとる誘因が、相手に存在していないと判断する、言い換えると、相手と自分との間には社会的不確実性が存在しない

    信頼 :相手の内面にある人間性や自分に対する感情などの判断に基づいてなされる、相手の意図(遂行能力ではない)についての期待

    共同体に代表される集団主義社会では、自集団の仲間との関係では安心していられるがよそ者に体質は心を許さない傾向がある。

    集団主義が信頼を破壊するという点への理解が重要なのは、より開かれた社会への転換に際して、一般的信頼が極めて重要な役割を果たすと考えられている。
    また信頼は、関係強化も重要だが、新しい相手に対しても信頼するという、関係拡充をの側面もある

    フランシス福山は、家族が社会関係の中で重要な役割を果たしていればいるほど、集団を超えて他社一般に対する信頼が失われていると述べている。

    またこれは「取引きコスト(特定の相手との間の安定した関係をとおしてのみ取引行うことで得られる)」の節約は、「機械コスト」との相対的な比較に応じて、メリットにもなればデメリットにもなる。

    例えば経済関係と同じように、同じ相手との間に安定した夫婦喚起を続けていくと取引きコストは節約できるかき機会コストは失われているかもしれない。

    人々の間に一般的信頼を醸成するために必要なのは、広い意味での社会的規制を身につける方策を増やすことである。

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    第1のパラドックス
    安心が提供されやすいのは、信頼が必要とされない安定した関係においてであり、信頼が必要とされる社会的不確実性の高い状況では安心が提供されにくい。

    安定した社会的不確実性の低い状態では安心が提供されるが、信頼は生まれにくい。これに対して社会的不確実性の高い状態では、関心が提供されていないため信頼が必要とされる。

    第二のパラドックス
    集団主義的な安定した社会関係が整備された日本の方が、一般的信頼の水準が、アメリカ社会より低い


    第3のパラドックス
    他者一般を信頼する程度の高い「高信頼者」は、騙されやすいお人よしどころか、逆に、相手が信頼できる人間かどうかに対して敏感であり、また相手が信頼に値する行動をとる人間であるかどうかをより正確に判断できる

     具体的な情報もたない他人に対しても、信頼している人は、特定の相手についての具体的な情報の判断を適切に行う人である。
     関心は中位ないし用心深さを必要としないが、信頼を注意深さを必要とする。
     社会的不確実性が高い環境で暮らしている人間は、常に周りの人間の信頼性についての判断を行っているため、他者への信頼性を適切に判断することを学んできている

    3章 信頼の「解き放ち」理論

    ここで取り上げるコミットメント関係とは主に、敵対的な外部社会に対応するための関係ないうの結束を維持する「やくざ型」コミットメントである。(相手を信頼する必要がない)
    →「内集団ひいき的」

    安定したコミットメント関係の中では、相手が信頼できるかどうかを心配する必要がない。なので


    命題2
    <社会的不確実性の生み出す問題に対処するために、人々は一般的にコミットメント関係を形成する>

    命題3
    コミットメント関係は機会コスト( 別の相手に乗り換えれば得られたはずの余分の利益をあきらめること)を生み出す

    命題4
    <機会コストが大きい状況では、コミットメント関係にとどまるよりも、とどまらない方が有利である。>

    関係の呪縛からの解放者としての信頼

    命題5
    <低信頼者(他者一般に対する信頼である一般的信頼の低い人)は、高信頼者(一般的信頼の高い人)よりも、社会的不確実性に直面した場合に、特定の相手との間にコミットメント関係を形成し維持しようとする傾向がより強い。>

    つまり、一般的信頼は、安心していられるコミットメント関係からの「離陸」に必要な「推力」を提供する「ブースター」の役割を果たすもの

    社会的不確実性の大きな環境では、他者から信頼されることが自己利益につながる可能性が大きい。そのような環境では、他人から信頼される人間が取引きや付き合いの相手として選ばれるようになるのは当然であり、それが成功に結び付くからである。

    社会的不確実性の大きな環境では、周りの人間を搾取することに対する誘因が大きい一方、逆に、そのような行動を慎み、周りの人々の信頼に値する行動を取り続けることに対する誘因も存在している。このように、コミットメントに伴う機会コストの大きな社会的環境には、信頼される側の人格特性である信頼性をはぐくむ要因が存在しているか、同時に、信頼する側の特性でもある一般的信頼をはぐくむ誘因も存在している。

    信頼の解き放ち理論は、特定の条件(社会的不確実性と機会コストのいずれもが高い状況)の下では、他者一般を信頼するという特性が、結果として本人に利益をもたらす可能性のあることを指摘するものである。

    6章 社会的知性としての信頼

    高信頼者=「賢い」他人の心や性質を理解するすべにたけている
    社会的不確実性と機会コストのいずれもが高い状況=ふぐは食いたし命は惜しい
    そんな環境では、社会的不確実性が高い環境で暮らしている人間は、常に周りの人間の信頼性についての判断を行っているため、他者への信頼性を適切に判断することを学んできている
    そしてそんな環境では、それが自己利益に結び付く

    しかし、高信頼者になるためには幼いころから周りを観察する、という高いコストを支払うことになるし、搾取されるリスクもなくならない。
    なので、低新来者がコミットメント関係から出ないメリットも当然ある。
    人間は歴史的に、社会的不確実性を低くし、機会コストもなるべく支払わないようにコミットメント関係を拡充してきた。
    ひとつの例は、日本の終身雇用に代表される、日本型経営だろう。しかし、コミットメント関係の拡充では急速に拡大する機会コストに対応できなくなってきた。
    オープン化するにしたがって、日本の安全神話も消えていくであろう。

    一般に中央集権が弱体化して、それまで中央集権によって提供されていた安心が提供されなくなると、多くの場合には、別の方向での安心の提供が図られるようになる。そのためにもっともよくつかわれるのが、やくざ型コミットメント関係の形成と維持であることはこれまで繰り返し述べてきた。この点に関して興味深いことに、中央権力が弱体化して安心の提供が不十分になったロシアでは、ロシアマフィアとよばれるホンモノのやくざが急成長している。イタリアにおける,マフィアについて研究した文献では、南部イタリアにおいてはマフィアが、社会的不確実性を低減するために必要な安心を人々に提供することで、一つの「産業」として成り立っていることを明らかにしている。戦後の日本も含め、中央権力が弱体化してそれまで中央権力によって提供されていた安心が提供されなくなると、やくざやマフィアなどのコミットメント関係を基盤とした私的な権力組織が、安心を提供することで勢力の拡大を図るようになる。このことは、社会的不確実性に対する対抗の手段としてのやくざ型コミットメント関係の重要性を考えれば、当然のことだといえるだろう。

    多くの場合、やくざ方コミットメント関係の内部に存在している安心を、人々は「信頼」と呼ぶ。
    この時、当事者本人の主観的な世界では、彼らを結び付けているのは、多くの場合、やくざ映画の世界に端的に描かれているように、互いの人格に対する信頼である。しかしその信頼は、社会的不確実性のもたらしたものである。

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    2018年12月22日
  • 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

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    世の中には、閉鎖的な安心社会と、商取引から発展した信頼社会があり、それぞれが異なるモラル体系を作り上げたと論じる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、グローバル化が進んだ信頼社会においては、安心社会に基づく武士道の精神を持ち出すのは有害であると断じている。

    教育で知識を教え込むことはできるが、人間性に反した形に心を作り変えることはできない。生まれたての赤ちゃんの心はホワイトボードのようなものであると考えた20世紀の社会科学は誤りだった。国民への倫理・道徳教育に熱心だったソ連や中国でも、他人に奉仕する立派な国民が生まれることはなかった。

    モラル教育では、利己主義者がただ乗りの恩恵を受け、まじめに教育を受け止めた人が損をする結果となる。アメとムチ方式では人々を監視するための仕組みが必要であり、そのコストの方が大きいことがある。人々の多くは、他人の動向を見てから自分の態度を決めようとする日和見主義者。他人のどれくらいが行動を起こせば自分も同調するかは人によって異なり、状況が少し変化すると結果が大きく変わることがある(その潮目となる比率を臨界質量と呼ぶ)。

    進化の過程で人間が身に着けてきた人間性を教育によって修正しようとするよりも、心の中にある人間性の本質を理解し、その性質をうまく利用する方が、社会の様々な問題を解決するためには建設的である。著者は、約束を守り、正直者でいること、ポジティブな評価を得た人が得をする社会をつくることが効果的ではないかと主張する。

    欧米には何事も積極的に挑戦し、自分の特性を伸ばしていくことが善とされるが、日本などの東アジアでは自らの欠点を見つめ、それを克服していくのが正しい生き方であるとする文化がある。しかし、日本人が自己卑下の態度を示すのは、その方が日本社会ではメリットが大きいから謙虚にしているだけで、「日本人らしさ」なるものは、日本社会で生きていくための戦略的行動に過ぎない。

    日本人とアメリカ人を対象とした他者一般への信頼感を調査した結果によると、「たいていの人は信頼できる」と答えたのは日本人では26%だが、アメリカ人では47%で、アメリカ人の方が他者一般への信頼感が強い。農村などの閉鎖的な社会では、悪事に走ったり、非協力的な行動をとると、損になる。メンバーが互いを監視し、何かあった時に制裁を加えるメカニズムがあることが安心を与えているのであり、他の仲間を信頼する必要はない。日本人が「和の心」を持ち、他人と強調する精神を持っているのは相手が身内の場合に限られており、よそ者に対しては警戒感を抱く。

    日本人が他人を信頼しないのは、長らく生活してきた安心社会では、正直者であることや約束を守るといった美徳を必要としないため。閉鎖社会では、相手が裏切ることはあり得ないし、よそ者とは手を組まなければいい。誰と付き合うことが安心をもたらしてくれるかを見極めること、つまり、ボスが誰であるか、だれを味方につけておけばいいかといった、力関係、人間関係を正確に読み取っておくことが重要であり、信頼性の検知能力は必要ない。

    一般的な信頼性が高い人は単なるお人好しではなく、相手の情報を積極的に活用して評価を修正するためにシビアに観察している。

    中世の地中海貿易では、ユダヤ系イスラム教徒のマグレブ人と、ジェノア人の2つのグループがあった。マグレブ人は取引を身内に限定して、裏切った人間とは二度と付き合わない安心社会的な方法を用いたが、ジェノア人はその時々で必要な代理人を立てる方法を用いて、トラブルを解決するための裁判所を整備した。安心社会的な方法はリスクもコストも低いが、環境が変化した時の機会をつかむことができない。ジェノア人の方法はリスクもコストも高いが、機会を獲得して利益を拡大することができたため、発展して地中海貿易を制覇し、マグレブ人は姿を消した。

    信頼社会を作り出したのは西欧文化圏だけであり、近代以降に世界で圧倒的な影響力を持てた要因となった。ローマでは統治のための法律だけでなく、人々が安心して商取引をするための万民法があり、この伝統が近代ヨーロッパで信頼社会が生まれる基盤となった。中国が信頼社会を作り出せなかったのは、法制度が治安を守るための刑法や行政法だけで、皇帝が人民を統治するものに限られていたため。

    ジェイン・ジェイコブズは、古今東西の道徳律を調べて、市場の倫理と統治の倫理の2つのモラル体系があることを明らかにした。市場の倫理とは商人道で、信頼社会において有効なモラル体系であり、統治の倫理とは武士道で、安心社会におけるモラル体系と言える。安心社会で最も重要なのは、メンバーの結束と集団内部の秩序を維持することであり、伝統堅持こそが善で、集団を守るためには排他的で、欺くことも良しとされる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、混ぜて使うと社会に矛盾と混乱をもたらして、堕落することになる。信頼社会では武士道の精神は相容れず、有害な結果をもたらしかねない。日本において、組織を守るために社会を欺く事例が続いているのも、武士道的なメンタリティが原因と考えられる。

    <考察>
    日本人が「和の心」を持つのは身内に対してだけで、西欧社会の方が他者一般への信頼感が強いとの指摘には開眼させられた。グローバル化を否定して鎖国の時代に戻るつもりがない限り、信頼社会への移行は避けられないだろう。いつまでもボスに追随し、力関係に頼るだけで、アメリカべったりの外交を続けていると、国際環境の変化に対応できなくなるのは、今年の北朝鮮の変化の際にも露呈したと言えそうだ。取引を身内だけに限定して姿を消していったマグレブ人の歴史は、安心社会の殻から抜けきることができない日本人の行く末を暗示しているように思えてくる。

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    2018年10月31日
  • きずなと思いやりが日本をダメにする

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    社会心理学者と進化生物学者の対談。話がかみ合っていて、内容は結構深い。逆説的なタイトルは、集団内で問題を起こさないようにするネガティブな協調性として取り上げているようだ。理念ではなく、客観的事実に基づいて政策決定することを主張する最初の章は読みごたえがある。

    多産か少産かの戦略の違いは、その生物の置かれた環境に関係している。生存環境が飽和状態であれば、子どもの数を限定して、一人の子に資源と時間を割いて育てる必要がある。生存環境が飽和していない場所では、子どもは産みっぱなしでいい。

    ヒトは母親だけで育児はできない。子育てを母親だけでやる社会はどこにもない。配偶者、家族、属している集団メンバーからのサポートを得る戦略をとった。他者からの力添えを期待できなければ、子どもをつくろうという話にならない。グアテマラでは、産婦に付き添うドゥーラという習慣があるが、ドゥーラのあり・なしで正常分娩の割合や分娩の平均時間が大きく違う。分娩が近づいても、社会的なサポートが得られなければ産まないという生理的メカニズムが働いていると推測される。

    1950年代から60年代の日本では、出生率が4以上あったので、人口抑制が至上命題だった。優遇措置をして移民を奨励し、2DKを普及させて一軒家から集合住宅に住まわせた結果、出生率はあっという間に2に下がった。

    人類の脳が発達した理由として、かつては狩猟で肉が食べられるようになり、肉を女性に分け与えたので一夫一妻制が生まれたというハンター仮説があったが、ご都合主義とされて失墜した。1970年代後半に、ホームベースで集団生活を行い、それぞれが調達してきた食糧を持ち寄って命をつなぎ、共同生活を行う中で男性も育児に協力するようになり、夫婦の絆も生まれたとするホームペース仮説をグリン・アイザックが提出し、今でも重視されている。社会を維持するために知性を発達させたとするのが社会脳仮説。

    社会の作り方は、集団主義的で閉鎖的な社会、個人主義的で開放的な社会の2つしかない。山岸は、それぞれを安心社会、信頼社会と定義する。

    共感能力には、認知的共感と情動的共感の2種類がある。認知的共感は、自分が他者の状況に置かれた場合を想像して推測するもの。情動的共感は、相手の痛みをシミュレートして、自分の感情が反射的に抑えられるもの。

    シナプスで放出されたドーパミンを受け取る受容体のうち、D4が新奇性追求と関係している。D4受容体の生産を制御するDRD4遺伝子は、人によって繰り返しの数が違い、多いほど新奇性追求の傾向がある。

    日本人には和を重んじる心があるのではなく、和を重んじているふりをすればメリットがあるからそうしているに過ぎない。中でも若者が高いのは、集団の問題を解決するポジティブな協調性ではなく、集団内で問題を起こさないようにするネガティブな協調性。思いやりや気配りを美徳として、積極的にリスクを取りに行く人がいなければ、社会全体の効率が落ちてしまう。

    ローマは商取引の争いを解決するための民事訴訟法を整備した結果、域内の交易が盛んになった。マグレブ商人は仲間だけのネットワークに頼ったが、ジェノバ商人は取引における法を整備し、裁判所を設立してオープンなネットワークを作ることによって地中海貿易を制した。

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    2018年10月31日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

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    安心と信頼は似たように解釈される言葉だが、両者は大きく異なることが書かれています。放送大学の社会心理学で紹介されていたので読んでみたのですが、とても深い内容でした。
    今の時代的な話しもそうだし、マキャベリズムなどの話しもあり性善説と性悪説的な解釈についても現代的な解釈ができそうで、これを読んだ後に最近読んだ韓非子とかをもう一回読んで評価してみたら、更にもう一段面白くなるような気がしました。韓非子の時代で言うと信賞必罰で評価することを身につけることが信頼できるかどうかのリテラシーなんだと言う話しだったんだろうなと思います。
    逆にそうした信頼できるかどうかのリテラシーがあると、総じて人を信用するようになる結果もあり、一周回ると性善説になるとも言えるので、改めてどちらの話しもありなんだと感じました。

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    2018年02月19日
  • 安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方

    Posted by ブクログ

    氏曰く、日本人の「和の心」とは、他人の気持ちになって、互いに協調しあう関係を好むというよりは、
    周囲からどう思われるかを気にして、まわりとの間で波風を立てないようにビクビクすることだと指摘しています。
    かなり日本人の行動原理の本質に迫った指摘です。

    人に嫌われることを極端に恐れ、嫌われないないようにする。なぜかというか、この行動が日本社会では合理的だからです。自分の主張を押し殺して、
    みんなで協力するというよりは、自分のしたいことを遠慮する、したいことをすると、仲間はずれにされてしまう可能性が出てくるからです。

    しかし、今、企業(仲間内)がリストラが当たり前のようになりました。外の世界に投げ出されることがあたり前になりました。日本人の所属意識は、所属することで、少なくなくない対価・そして賃金が得られるからでしたが、その前提が今崩れ去っています。

    その中で氏は、仲間うちを超えてどこでも通用する良い評判を確立することが、これから、最も合理的な行動だと言っています。非常に、示唆に富む良書だと思います。

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    2017年06月03日
  • 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

    Posted by ブクログ

    複数の方たちが「この本は重要な本だ」とおっしゃるものですから、私も読んでみようと思った次第ですなのですが、いやー、これは確かに重要な本です。
    私の実感ベースでも社会心理学のアプローチで切り込んだ山岸先生の日本人論、日本組織論には大いに共感、納得するところ大です。俗論を真っ向から覆すところ大ですが。
    色々な意味で必読ですね。特に日本の組織をマネジメントする立場の人は必読。これを読まずして日本の組織の特質は…などと語るなかれ。

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    2016年03月22日
  • 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

    Posted by ブクログ

    ふたつの驚き!日本人は個人主義!そして他人を信頼していない!単なる意見ではなく、データに基づき解説されているのでグウのねもでない。
    「ムラ」社会に基づく「安心」社会、他人を信頼するところから始まる「信頼」社会。クローズ社会とオープン社会とも言えるかな。
    現実的に起きている事象、ニュースレベルから個人レベルまでこのような説明されると納得。そして自分の考え方もムラ的発想をしていることあるなあ。
    日本と欧米(といってもアメリカ!)の考え方の違いをこのように明確に解説され脱帽です。
    そして、武士道と商人道も。武士道をよしとする考え方(これは私もそう)と商人道が混ざった状態!最悪のシナリオ!日本はまさにこの状態に陥りつつある。あいかわず武士道で運営される政府・行政と民間。なかなかくるしい。日本にある外資企業というのも微妙なポジションかな。しかし安心社会から信頼社会にむかっているとはおもう。
    純日本企業はまだまだ安心社会かな。でもそれではこのすべてがつながっている世界での未来は。。。。。マグレブ商人と同じ運命をたどらないように!

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    2016年01月31日
  • 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 社会心理学から見た現代日本の問題点

    Posted by ブクログ

    なぜテレビやネット上で異常なまでに曝し上げが行われているか(精神面ではなく社会面で)分かった。今の社会はまさに「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」で、このままでは悪循環だが巧く改革すれば良い循環にもなると感じた。個人的には「アメとムチ」に対して詳しく解析してある文章がためになった。

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    2014年06月19日