山岸俊男のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「信頼」と「安心」の違いが面白い。
どちらも、相手が自分を搾取しないという期待の中で生まれる評価だが、
・「信頼(trust)」は「相手の人格や相手に対してもつ感情への評価に基づく」
➡︎ 社会や経済の潤滑油となって、民主的政治や経済発展に繋がる。
Ex)アメリカ型の開かれた社会
・「安心(assurance)」は、他人に搾取されてひどい目に合う状況の中で、特定の相手とだけつきあうことで、少なくともその相手からは搾取される可能性を低めることで生まれる。
➡︎やくざ型コミットメント関係
Ex)マフィアや日本型経営。
やくざ型コミット関係で結ばれた社会は、無条件に相手を信頼しようとしない -
Posted by ブクログ
日本社会の特徴を「安心社会」と「信頼社会」という二つの切り口で解析し、その変化と、我々が感じる不安について分析したもの。本来は「日本文化論」だが、個人的には円滑なコミュニケーションや居心地の良いコミュニティのことを学びたくて購読。主張の背景は、従来は「信頼」がなくてもいきていける「安心社会」だったが、都市化や核家族化、終身雇用の崩壊が進み、「信頼」が必要になった。つまり海外並みに「信頼社会」に変貌したというもの。確かに、所属や肩書き、学歴だけで勝負できる時代は過ぎ、個人の実績や実力、評価などによって選別される傾向は強まっている気がする。特に他人の評価を気にするあたりは、これが遠因になっていると
-
Posted by ブクログ
凄く面白かったが、凄く難しかった。
ほぼ日の糸井さんが、この本と「情報の文明学」という本をほぼ日の父と母と書いてあったので、興味を持って読んでみたのだが、今のほぼ日が組織を作る上で参考にしているのが分かった気がする。
日本のこれからを占う上で、以前からの終身雇用型、ムラ社会のような日本型システムが立ち行かなくなってくる今後を予測して、信頼を元にした信頼社会を築いていくべきだとする。
これは要するに、少し前に読んだ「弱いつながり」のことだと解釈した。以前は内側に入れさえすれば安心して信頼できたが、これからは外側に出て尚、内側のように相手を無条件に信頼するということ。そこにしか活路はないとい -
Posted by ブクログ
1998年5月15日 初版。
社会心理学の教授が著者。
「集団主義社会は安心を生み出すが、信頼を破壊する」
を一つのメッセージを中心としてその元になる「信頼の解き放ち理論」とそれを検証する実験を紹介していく。
安心と信頼というのは混同されがちだが、この本の中では明確に区別されている。そしてその区別は今後の日本社会、つまり安心が消え去っていく社会の中ではかなり重要な意味を持つのではないかと思う。
つまり、消えた安心を出来合の安心で埋めるよりもそれに変わる何か、この場合では「信頼」で埋めていくことで新しい社会の構造を作ることができるのではないか。
非常に興味深い理論である。 -
Posted by ブクログ
進化生物学者と社会生物学者、2人の先生が現在の日本社会について対談する、というちょっと面白い切り口の本。読んでいると、お2人とも歯に衣着せぬ感じの物言いで、タイプが似ているからこそ相乗効果的に話が進んでいくテンポの良さがあります。
対談となると、他に対決している流れのものと一方がインタビューする流れのものがあるように思うのですが、双方に専門知識があるなら今回のような流れは面白いなぁ、と感じました。とは言え、じゃあこの対談に反対の意見を持つ人を1人加えてみたらどうなるだろう、と興味を持ってしまうのも事実ですが。。
日本社会が抱える問題に対して、2人の専門分野の中から知見が出てくる訳ですが、専門 -
Posted by ブクログ
▪︎ 精神論を一旦留保してシステム的に利他性を考える
倫理とは社会システムの構造によって決定されるものではないか?「昔は良かった」とされる「昔」はどうやら白昼夢の中にしかなさそうである。
倫理教育に熱心だった中国やソ連の失敗。資本主義的な原理によってこそ道徳が達成されるのではないか?社会主義体制においても「利己心」が消えたことはあるだろうか?徹底した利他精神、奉仕の精神を植え付けようと教育したにもかかわらず大失敗している。社会主義体制においては真面目に働いても報われず、逆に怠けていれば攻撃もされないし、食いっぱぐれもない。「働かないものは食うべからず」と脅迫で罰したにもかかわらず、最後には崩 -
Posted by ブクログ
「武士道」は企業価値を高めるか?
この本を読んでいて、そんな問いを考えたくなった。
著者は、企業不祥事や凶悪事件が相次ぐ日本について、
「社会心理学」という見地から、
西欧諸国との価値観の違いに焦点を当て、
日本が「安心」できなくなってきた理由を明らかにしている。
「ムラ社会」と呼ばれるような、日本の伝統的な
集団主義社会においては、裏切り行為には「村八分」という「制裁」が
間違いなく下されることから、「相互監視」による「安心」を生む。
これが日本の「安心・安全」の本質だという。
著者はこのような社会を「安心社会」と呼んでいる。
一方で、個人主義的な欧米社会では、
集団主義的な相互監視が -
Posted by ブクログ
タイトルの印象をいい意味で裏切ってくれた。
著者はグローバルな時代の流れから、古きよき日本、農村部などに見られる「安心社会」から都市型(西欧型)の「信頼社会」へとシフトしている、と書いている。「安心」という言葉が物語っているとおり、そこには落ち着きがあるが、安心社会は決して人達の信頼の上になっているわけではない、と説いている。説得力はあるが、完璧に同意しづらい部分もあった。
納得できる部分としてはやはり、日本人らしさに代表される、以心伝心的なものは、そのほうが得だ、という利己主義の上に成り立っているということ。
そして、あまりに教育に頼ると、時代の流れによってはイデオロギーになってしまので、教