あらすじ
偽装国家ニッポン!! いつからこの国は「嘘つき」だらけになってしまったのか? その驚くべき真相を最新の心理学が鋭く解き明かす! 心と文化をめぐる常識を次々と覆していくラジカルな日本社会論! ●構造改革が「安心社会」を崩壊させた●日本人とは「人を見たら泥棒と思え」と考える人々だった●「渡る世間に鬼はない」と楽天的に考えるアメリカ人たち●実は日本人は集団行動よりも一匹狼のほうがずっと好き●「心の教育」をやればやるほど、利己主義者の天国ができる●いじめを深刻化させる本当の原因は「傍観者」にあり●なぜ日本の若者たちは空気を読みたがるのか●どうして日本の企業は消費者に嘘をついてしまうのか●武士道精神こそが信頼関係を破壊する
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Posted by ブクログ
世の中には、閉鎖的な安心社会と、商取引から発展した信頼社会があり、それぞれが異なるモラル体系を作り上げたと論じる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、グローバル化が進んだ信頼社会においては、安心社会に基づく武士道の精神を持ち出すのは有害であると断じている。
教育で知識を教え込むことはできるが、人間性に反した形に心を作り変えることはできない。生まれたての赤ちゃんの心はホワイトボードのようなものであると考えた20世紀の社会科学は誤りだった。国民への倫理・道徳教育に熱心だったソ連や中国でも、他人に奉仕する立派な国民が生まれることはなかった。
モラル教育では、利己主義者がただ乗りの恩恵を受け、まじめに教育を受け止めた人が損をする結果となる。アメとムチ方式では人々を監視するための仕組みが必要であり、そのコストの方が大きいことがある。人々の多くは、他人の動向を見てから自分の態度を決めようとする日和見主義者。他人のどれくらいが行動を起こせば自分も同調するかは人によって異なり、状況が少し変化すると結果が大きく変わることがある(その潮目となる比率を臨界質量と呼ぶ)。
進化の過程で人間が身に着けてきた人間性を教育によって修正しようとするよりも、心の中にある人間性の本質を理解し、その性質をうまく利用する方が、社会の様々な問題を解決するためには建設的である。著者は、約束を守り、正直者でいること、ポジティブな評価を得た人が得をする社会をつくることが効果的ではないかと主張する。
欧米には何事も積極的に挑戦し、自分の特性を伸ばしていくことが善とされるが、日本などの東アジアでは自らの欠点を見つめ、それを克服していくのが正しい生き方であるとする文化がある。しかし、日本人が自己卑下の態度を示すのは、その方が日本社会ではメリットが大きいから謙虚にしているだけで、「日本人らしさ」なるものは、日本社会で生きていくための戦略的行動に過ぎない。
日本人とアメリカ人を対象とした他者一般への信頼感を調査した結果によると、「たいていの人は信頼できる」と答えたのは日本人では26%だが、アメリカ人では47%で、アメリカ人の方が他者一般への信頼感が強い。農村などの閉鎖的な社会では、悪事に走ったり、非協力的な行動をとると、損になる。メンバーが互いを監視し、何かあった時に制裁を加えるメカニズムがあることが安心を与えているのであり、他の仲間を信頼する必要はない。日本人が「和の心」を持ち、他人と強調する精神を持っているのは相手が身内の場合に限られており、よそ者に対しては警戒感を抱く。
日本人が他人を信頼しないのは、長らく生活してきた安心社会では、正直者であることや約束を守るといった美徳を必要としないため。閉鎖社会では、相手が裏切ることはあり得ないし、よそ者とは手を組まなければいい。誰と付き合うことが安心をもたらしてくれるかを見極めること、つまり、ボスが誰であるか、だれを味方につけておけばいいかといった、力関係、人間関係を正確に読み取っておくことが重要であり、信頼性の検知能力は必要ない。
一般的な信頼性が高い人は単なるお人好しではなく、相手の情報を積極的に活用して評価を修正するためにシビアに観察している。
中世の地中海貿易では、ユダヤ系イスラム教徒のマグレブ人と、ジェノア人の2つのグループがあった。マグレブ人は取引を身内に限定して、裏切った人間とは二度と付き合わない安心社会的な方法を用いたが、ジェノア人はその時々で必要な代理人を立てる方法を用いて、トラブルを解決するための裁判所を整備した。安心社会的な方法はリスクもコストも低いが、環境が変化した時の機会をつかむことができない。ジェノア人の方法はリスクもコストも高いが、機会を獲得して利益を拡大することができたため、発展して地中海貿易を制覇し、マグレブ人は姿を消した。
信頼社会を作り出したのは西欧文化圏だけであり、近代以降に世界で圧倒的な影響力を持てた要因となった。ローマでは統治のための法律だけでなく、人々が安心して商取引をするための万民法があり、この伝統が近代ヨーロッパで信頼社会が生まれる基盤となった。中国が信頼社会を作り出せなかったのは、法制度が治安を守るための刑法や行政法だけで、皇帝が人民を統治するものに限られていたため。
ジェイン・ジェイコブズは、古今東西の道徳律を調べて、市場の倫理と統治の倫理の2つのモラル体系があることを明らかにした。市場の倫理とは商人道で、信頼社会において有効なモラル体系であり、統治の倫理とは武士道で、安心社会におけるモラル体系と言える。安心社会で最も重要なのは、メンバーの結束と集団内部の秩序を維持することであり、伝統堅持こそが善で、集団を守るためには排他的で、欺くことも良しとされる。2つのモラル体系は全く対立するものであるため、混ぜて使うと社会に矛盾と混乱をもたらして、堕落することになる。信頼社会では武士道の精神は相容れず、有害な結果をもたらしかねない。日本において、組織を守るために社会を欺く事例が続いているのも、武士道的なメンタリティが原因と考えられる。
<考察>
日本人が「和の心」を持つのは身内に対してだけで、西欧社会の方が他者一般への信頼感が強いとの指摘には開眼させられた。グローバル化を否定して鎖国の時代に戻るつもりがない限り、信頼社会への移行は避けられないだろう。いつまでもボスに追随し、力関係に頼るだけで、アメリカべったりの外交を続けていると、国際環境の変化に対応できなくなるのは、今年の北朝鮮の変化の際にも露呈したと言えそうだ。取引を身内だけに限定して姿を消していったマグレブ人の歴史は、安心社会の殻から抜けきることができない日本人の行く末を暗示しているように思えてくる。
Posted by ブクログ
複数の方たちが「この本は重要な本だ」とおっしゃるものですから、私も読んでみようと思った次第ですなのですが、いやー、これは確かに重要な本です。
私の実感ベースでも社会心理学のアプローチで切り込んだ山岸先生の日本人論、日本組織論には大いに共感、納得するところ大です。俗論を真っ向から覆すところ大ですが。
色々な意味で必読ですね。特に日本の組織をマネジメントする立場の人は必読。これを読まずして日本の組織の特質は…などと語るなかれ。
Posted by ブクログ
ふたつの驚き!日本人は個人主義!そして他人を信頼していない!単なる意見ではなく、データに基づき解説されているのでグウのねもでない。
「ムラ」社会に基づく「安心」社会、他人を信頼するところから始まる「信頼」社会。クローズ社会とオープン社会とも言えるかな。
現実的に起きている事象、ニュースレベルから個人レベルまでこのような説明されると納得。そして自分の考え方もムラ的発想をしていることあるなあ。
日本と欧米(といってもアメリカ!)の考え方の違いをこのように明確に解説され脱帽です。
そして、武士道と商人道も。武士道をよしとする考え方(これは私もそう)と商人道が混ざった状態!最悪のシナリオ!日本はまさにこの状態に陥りつつある。あいかわず武士道で運営される政府・行政と民間。なかなかくるしい。日本にある外資企業というのも微妙なポジションかな。しかし安心社会から信頼社会にむかっているとはおもう。
純日本企業はまだまだ安心社会かな。でもそれではこのすべてがつながっている世界での未来は。。。。。マグレブ商人と同じ運命をたどらないように!
Posted by ブクログ
なぜテレビやネット上で異常なまでに曝し上げが行われているか(精神面ではなく社会面で)分かった。今の社会はまさに「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」で、このままでは悪循環だが巧く改革すれば良い循環にもなると感じた。個人的には「アメとムチ」に対して詳しく解析してある文章がためになった。
Posted by ブクログ
最後のジェイン ジェイコブスの『市場の倫理 統治の倫理』が紹介されてましたが、商人道と武士道に対比されるこれら二つのモラル体系は、混ざると、救いがたい腐敗をもたらすとされている点がもっとも驚かされた。
最終的には、何をやってもかまわないという究極的な堕落を産み出すことになってしまう。
内部監査としては、市場の倫理と、COSOの土台が同じなのかどうか。
Posted by ブクログ
安全社会とは、監視統制を基本として、内と外を明確に区別し、基本内側に閉じた社会。悪いことをすると仲間から外されるので、誰も悪いことや抜け駆けをしないので安心して共同仕事ができる。
信頼社会は、自らの席んでリスクを覚悟で他社と関係を積極的に築く人が集まった社会。リスクもあるがメリットも大きいと考え、まず信頼することから始める社会。フェアや信頼、評判等の比重が高い。
農耕時代から、高度成長期までの殆どは安全社会だったが、価値観が多様化しまた監視統制の目が利かなくなった現代では、信頼社会への移行が急務だが、いじめのあるクラスとないクラスで傍観者の割合や、安全社会と同じ根の「武士道」などを用いて、正義や誇りや品格を訴えていても、そもそも相容れない、信頼社会では無用の長物どころか有害にさえなると、解説している。
非常に勉強になる本。
Posted by ブクログ
挑発的なタイトルに思わず購入を躊躇いましたが、流石は山岸先生。文章は解り易く、そして現状分析に留まらずに先生独自の解決方法まで記載していて、文句なしに秀逸の作品です。
これからの時代には社会心理学がその地位を確かなものにし、そこから見える世界によってどう行動するか。そこが問われているような気がします…(少なくとも読後感は)。
『日本人は集団主義』『欧米人は個人主義』のステレオタイプが誰にでもあると思われますが、著者はそれを科学的手法を用いて否定。欧米人より日本人の方が個人主義的である。しかし、『みんなに合わせて行動する方がトクをする』もっと言えば『集団に合わせなければならない』外部環境にあると指摘。そこで現在の日本社会はエポックにあると述べています。
さらに上記の論を敷衍して、『安心』と『信頼』をキーワードに据え、いじめ問題や武士道精神について言及しています。
特筆すべきはいじめが起こる要因は傍観者の数にあると指摘している項。まさに瞠目に値します。
かの有名な糸井重里氏が、自身の運営するほぼ日刊イトイ新聞にて、『ほぼ日の母』と称する程の著作。やっぱり山岸先生は凄い!という事で、断然おすすめします!!
Posted by ブクログ
著者の前著「信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム」で感銘を受けたものの、さらに多くの要素の盛り込まれた本書は、素晴らしかった!
とくに本書の結びとなっている、「武士道=統治者の道徳」と「商人道=大衆の道徳」の混用が日本のモラルを破壊するという理論には、目から鱗でした。
不況や震災の影響か、精神論ばかりが目につく昨今。この本のメッセージは多くの人に伝えられるべきものなんじゃないかなぁと、思うのです。
Posted by ブクログ
どうするかね。とにかくシンガポールあたりで仕事できるようにしておくしかないな。
p.108「信頼する心」がないと都会生活は送れない
山深い農村に住む人が都会に出て仕事をするようになったら、その人は都会の生活にどのような感想を抱くと思いますか?きっと、田舎からいきなり都会に出てきた人にとっては、都会の生活は不安で心配事だらけに違いありません。なぜなら、それまで「安心」を与えてくれた、村の暮らしの仕組みは都会には存在しないからです。いろんな人がたえず出入りしている都会のような社会には、お互いを監視しあい、何か悪事や非協力的なことをしたときに
、かならず制裁を加えるようなシステムはありません。
身内ならば「安心」であり、そうでない人は「泥棒」であると思っておけば間違いない。それが集団主義社会に適応した生き方であったわけです。
p.172本来ならば、安心社会の崩壊は既得権益を持った大人たちの危機であり、信頼社会の成立は未来ある若本たちにとっての福音であるはずです。それなのに、その若者たちが信頼社会への変化を嫌い、身の回りにある友人関係という小さな安心社会にしがみつき、その中での「平安」を求めているとしたらーこれは日本の将来にとっても、また若者たち自身の未来にとってもゆゆしいことと言わざろうえません。
Posted by ブクログ
嘘をつかず
誠実に生きること
それが自分のためになる
「情けは人のためならず」
~人に親切にすれば、
その相手のためになるだけでなく、
やがてはよい報いとなって
自分にもどってくる~
嘘をつかないことが
かっこいい生き方
努力した人が
誠実に生きた人が
報われる社会
信頼は
人と人の間にうまれ
社会へと広がる
本当に
そんな社会であることを願う
Posted by ブクログ
■この本を読んで何を得ようと思ったのか?
イトイさんのオススメだったので
■何を得る事が出来たのか?
市場の論理の商人型・信頼社会、統治の論理の武士型・安心社会、
いままでごっちゃになってた事がすっきりします。
■この本に関してのコメント
これはおすすめ。
Posted by ブクログ
すらすらと読みやすい本でした。
以下、内容です
・日本人は「人を見たら泥棒と思え」と考えがち
・一方アメリカ人は「渡る世間に鬼はない」と楽天的に考える
・実は日本人は集団行動よりも一匹狼のほうがずっと好き
・モラル教育は利己主義者の楽園を作る
・いじめ問題を解く鍵は「臨界質量(エントロピー)」にあり
・武士道の倫理と商人の倫理を混同するな
Posted by ブクログ
「他の人は集団主義だと感じているが、自分は個人主義だと思う」(自分も他の人の前では集団主義のように振る舞っているため、みんな誤解する結果となる)、「日本人は無難な選択を選びがちと思われているが、自分の選択が他に影響を与えないことが分かっている時はそうではない」など、なんとなく今まで感じていたことが実験や考察で記載されているので納得感があります。
この本が発刊されたときからはさらに他の人への依存や分断は広がっているので、まあ分かっててもうまくいかないよねと思ってしまう。
Posted by ブクログ
安心社会と信頼社会という視点が自分として新鮮だった。日本という集団主義社会は社会が安心や信頼を用意してくれて、他人を信頼しなくてよいそうですね。周りをみて同じようにすればよくて、しないと制裁をくらうと。だから一人一人のモラルは高くないそう。なるほど。
小泉内閣あたりから日本社会が変わってきて西洋型の信頼社会へ移行しつつあるようですが、そこは集団主義を卒業できない低いモラルの日本人の気質がモロ出しになってきたそうです。だから色々とあるんですね。なるほど。
Posted by ブクログ
『小論文 書き方と考え方』(大堀精一著)の中で、素材文として扱われていた本。引用部分だけでも、十分興味はあったが、やはり最初から通読すると、筆者の意図がよくわかり、より深く考察を進めることができた。
本書はタイトルだけでは、何やら不安を煽るような感じがしたが、内容は実に明確で、これまでの”常識”を考えなおす示唆が多く含まれている。
「安心」と「信頼」はどこが違うのか、そして「信頼社会」を形成するために、我々は何をしなければならないのか、実験例も豊富で、社会心理学の面白さを実感しながら読み進めることができる。
Posted by ブクログ
ピグマリオン効果は、確かにこう考えると起こりそうだなと思った。
-周りがどう思うと思うかによって行動を変える
-他人がとった行動から、その人の人間性を判断してしまう帰属エラーがある
田舎は特に、安心社会。信頼してるんじゃなくて、信頼が必要がない身内だけの生活圏になっている。
で自分はそんな中で周りが行動するのかを察知する、とか周りからの印象を操作するのが比較的上手かったなと。
Posted by ブクログ
他人を信頼しなくてもよい安心社会から、未来への可能性が高い、他人を信頼する社会に変える必要がある。心がけではなく、信じる者がトクをする社会のしくみを作るべし。ポイントを抑えて働きかければよい。
日本的、立ち返るべきと言われる武士道精神が諸悪の根源だなんて、よくぞ言ったって感じです。読むと納得だし、武士道と商人道の対比もすごく納得。
Posted by ブクログ
▪︎ 精神論を一旦留保してシステム的に利他性を考える
倫理とは社会システムの構造によって決定されるものではないか?「昔は良かった」とされる「昔」はどうやら白昼夢の中にしかなさそうである。
倫理教育に熱心だった中国やソ連の失敗。資本主義的な原理によってこそ道徳が達成されるのではないか?社会主義体制においても「利己心」が消えたことはあるだろうか?徹底した利他精神、奉仕の精神を植え付けようと教育したにもかかわらず大失敗している。社会主義体制においては真面目に働いても報われず、逆に怠けていれば攻撃もされないし、食いっぱぐれもない。「働かないものは食うべからず」と脅迫で罰したにもかかわらず、最後には崩壊した。
マザーテレサのようなごく一部を除いて、どれだけイデオロギー教育をほどこしても何の見返りもないのに人間の心に純然たる博愛精神を植えつけることはできなかった。
▪︎ 「いじめ問題」
いじめをしない子供を作ろう、教師の子供に対する監視を厳しくしよう、として失敗した。「いじめのない国」は未だかつてどこにも存在したことがない。
いじめをなくす最も確実な方法は親や教師が子供たちを徹底的に監視し、彼らの行動をコントロールしてしまうこと。(いや、彼らもいじめをしているじゃないか)もっと確実なのは子供たちが一箇所に集まって集団行動するのをやめて家庭教育にすればいい。(大人になるまで集団生活をさせないのはどうなのだろう。)
世の中からいじめがなくなったらどうなるか。
暴力、そしてその対極にある無視。
秩序形成としての「排除」。迷惑行為をされた場合に訴えても無駄な時、無視(集団からの排除)ぐらいしか選択がない。間違った排除行為は許されるべきではないが、集団秩序を守るためのいじめは許されるべき。(なにが間違いで、なにが正しいか、というのが恣意的ではないか)極度の平等教育によってリーダー(いじめを抑える存在)がなくなった。
日本のいじめ問題はいじめをする側ではなく、「いじめを許す環境」の方にあるのではないか。お説教では世の中は変わらない。
似たような不祥事が起こるようになったら、社会構造上の問題を疑った方がいい。ーまずは「人間とは何か」ということを理解すること。
「日本人らしさ」などというものは初めから幻想では?日本人は会社人間であるというのは江戸時代以降に作られた概念。(戦国時代までは結構実力主義で、自分の頑張りを認めてくれない「上司」ならばさっさと見切って転職した。w)
日本人が会社人間であるかのように振舞うのは、そういう姿勢を見せるのが「社会適応的」だから。滅私奉公も同じ理由。「日本人らしさ」とは生き抜くための戦略にすぎない。社会環境の変化と共に「日本人らしさ」の概念も変化している。
田舎(集団主義)では相互監視によって集団内部にいれば「変なことはしないだろう」という一般信頼が成り立っていて、内部の人間ならば無条件に信頼した。しかし都会では相手が信頼できる人間かどうかを常に考えなければいけない。これが和の民族である日本人が容易に他人を信頼しない理由。集団社会における日本人にとって「よそ者」とは自分を騙して利用する油断ならない存在。アメリカは契約型社会、万が一相手が契約を守らなかった場合のリスクを常に考えておかなければならなくなる。
ー安心社会の終わり
安心社会から信頼社会へ。いまや変えるべき安心社会はどこにもない。日本社会全体の信頼社会への移行は決してうまくいっていない。これが企業の隠蔽につながっているのでは?
閉鎖的な集団社会において人々が一緒に暮らしていけたのは社会の仕組みそのものが人々に安心を提供していたからしかしここ10年ぐらいで「安心保証のメカニズム」が日本社会から急速に失われていった。日本では不信が連鎖している。
日本が長年生きてきた社会は「他人を迂闊に信じない方がいい」社会であり、「正直者である」ことや「約束を守る」ことを美徳としない社会だった。安心社会では社会そのものがメンバーに正直さや律儀さを強制する仕組みになっていた。
その証拠に、その集団の外に出れば「恥のかき捨て」をする。
安心社会から信頼社会にうまく適応していない。安心社会の崩壊によって、日本人の多くが「他の人たちは「旅の恥はかき捨て」をやるのではないか、と疑い出した」
他人に不信の念を抱くことは結局不信の連鎖を招く。アメリカ的には信頼していい人とダメな人を見分ける能力を身につける。低信頼者は悲観主義者。
多少の失敗は気にせずに前向きに他人との協力関係を結んでいくこと。集団社会では信頼性認知能力よりも関係性認知能力が求められる。「ビクビク人間」がもてはやされる。「空気を読む」とは集団主義時代の名残。社会主義において利他的な方がより「ただ乗り」利益を多く得られられる。
似てるなーって思ったら、やはりジェイコブズの話が引用されてた。
Posted by ブクログ
「武士道」は企業価値を高めるか?
この本を読んでいて、そんな問いを考えたくなった。
著者は、企業不祥事や凶悪事件が相次ぐ日本について、
「社会心理学」という見地から、
西欧諸国との価値観の違いに焦点を当て、
日本が「安心」できなくなってきた理由を明らかにしている。
「ムラ社会」と呼ばれるような、日本の伝統的な
集団主義社会においては、裏切り行為には「村八分」という「制裁」が
間違いなく下されることから、「相互監視」による「安心」を生む。
これが日本の「安心・安全」の本質だという。
著者はこのような社会を「安心社会」と呼んでいる。
一方で、個人主義的な欧米社会では、
集団主義的な相互監視がないため、相手が信頼できるかどうか、
その場その場で判断しなければならない。
著者はこれを「信頼社会」と呼ぶ。
「安心社会」に住む日本人は、同じ安心社会に住む相手が、
信頼できるか人間かどうかなど、考える必要がなかった。
逆に、「安心社会圏外」の「よそ者」に対しては
「人を見たら泥棒と思え」というように、
「信頼できない」ことを前提にしてしまう。
それに対して「信頼社会」では、
まずは相手を「信頼すること」を前提にコミュニケーションし、
信頼に足るかどうかを個別に判断する習慣が根付いているという。
このことは、著者が行った綿密な実験によっても実証されている。
さらに、「安心社会」では「武士道」のような
「統治者の倫理」が道徳となり、
個人主義の「信頼社会」では、地中海貿易において
イスラム系集団主義のマグレブ商人との覇権争いに勝った
ジェノア商人のように、「市場の倫理」が道徳となる。
いうまでもなく、今日のグローバル化した世界においては、
これまでの日本のような「安心社会」は成り立ち難く、
マグレブ商人が地中海貿易の舞台から消えたことに、
現在の日本を重ね合わせてしまう。
相互信頼のためのコミュニケーションという点において、
日本人は今日でも、「仲間内」を前提にした
コンテクスト偏重のコミュニケーションから脱し切れていない。
さらに著者は、道徳面において、
「統治者の倫理」である「武士道」を、
国の規範として浸透させるべし
との論調が広がっていることに批判的である。
この点については議論が分かれるだろう。
行き過ぎた金融資本主義の崩壊によって、
企業の倫理観が問われる中、
そこに日本の武士道がフィットする面はあるかもしれない。
ただし、「市場の倫理」において稚拙な企業や経営者が、
ことさら安易に「武士道」を持ち出すことは、
ともすれば、二宮尊徳のいう「経済なき道徳」になる恐れがある。
また、そもそも著者は「品格」といった抽象論が、
「個人としての心がけ」であるならばいざ知らず、
ルールとして社会を律することは不可能であると述べている。
「信頼社会」への適応と「武士道」の精神は、
どのような関係性にあるのか。
今だからこそ考える価値のあるテーマではないだろうか。
Posted by ブクログ
タイトルの印象をいい意味で裏切ってくれた。
著者はグローバルな時代の流れから、古きよき日本、農村部などに見られる「安心社会」から都市型(西欧型)の「信頼社会」へとシフトしている、と書いている。「安心」という言葉が物語っているとおり、そこには落ち着きがあるが、安心社会は決して人達の信頼の上になっているわけではない、と説いている。説得力はあるが、完璧に同意しづらい部分もあった。
納得できる部分としてはやはり、日本人らしさに代表される、以心伝心的なものは、そのほうが得だ、という利己主義の上に成り立っているということ。
そして、あまりに教育に頼ると、時代の流れによってはイデオロギーになってしまので、教育に期待を寄せすぎないこと。
その上で著者が言う「信頼社会」は浅はかなモラルではなく、「情けは人のためならず」社会だという。わかる。しかし、「なぜ消えた」かについてや、その信頼社会へのシフト方法はいまいち薄い感じがあった。
そして、著者が言う社会感に生理的無理がある人ははじかれてしまうのか、との問いもある。
しかし、目指す方向性としては好き。「情けは人のためならず」社会がいい。
そういった意味ではこの本は、日本社会関係が停滞している今、読む価値があるのではないかな。
Posted by ブクログ
農村のような集団主義社会とは「信頼」を必要としない社会であり、逆に都会のような、いわば個人主義的な社会とは本質的に「信頼」を必要とする社会である。武士道と商人道の道、あなたはどちらの道を選んで生きますか?
Posted by ブクログ
● この中国の例が私たちに教えているのは、「人間の心は教育によって、いかようにも作り変えることができる」という考えがまったくの誤りであったという事実です。
● 20世紀の社会科学における、最大の誤りの一つは「タブラ・ラサの神話」を信じたことにありました。タブラ・ラサとはラテン語で「白板」のこと。
● マザー・テレサのような、ごく一部の例外は別として、何の見返りもないのに他人のために働くといった人間性は、残念ながら私たちの心の中にはないのです。
● つまり、「日本人らしい」と思われていた謙虚さとは、日本人が本来的に持っている心の性質などではなく、日本の社会にうまく適応するための「戦略」として生まれてきた態度だったというわけです。
● つまり、集団主義社会で人々がおたがいに協力しあうのも、また、裏切りや犯罪が起きないのも、「心がきれいだから」という理由などではなく、「そう生きることがトクだから」という理由に他ならないというわけです。
● 日本人が長らく生活してきた安心社会とは、実は「正直者である」や「約束を守る」といった美徳を必要としない社会であったからです。つまり、安心社会とは正直者を必要としない、正直者を育てない社会であるというわけで、そのことを知っているからこそ日本人は他者を容易に信じようとしないのです。
● 武士道と商人道という、水と油ほどに違うモラル体系をきちんと区別することなく用いることは、日本社会全体を腐敗させることにもなりかねないことであるのですから、重大な問題です。もし、読者が日本において信頼社会を定着させたいとお考えならば、まずは何よりも「武士道精神」を排して、商人道を広める運動をこそ行なうべきだと筆者は信じます。
Posted by ブクログ
ムラ社会では他人を信頼しなくて良いのだ、というのは目から鱗かもしれない。この本を読むと、最近疑問に思っていたいじめや一連の不祥事についての回答が与えられる。結論が、未来は暗いというのが悲しい。結局、自分も日和見派なので、誰かが何とかしてくれると思ってるですよね。読んで良かったと思います。自分の評判を大事にしたいと思います。
Posted by ブクログ
時勢、時流、社会は「勢い」で決まる場合も多くなった。「臨界質量」40%を超えるとその勢いが増す(良くも悪くも多数の流れが発生する)、とある。また、ここにあるのは「武士道」的モラルは現代の資本主義社会(契約社会=信頼・安心)には合っていない、と言う。元々日本で多いのは「〜すべきだ」が多く「〜する方が得だ」が未だ少ないことが原因だと言う。また、日本の「安心」が少なくなったのは政治家の自己主義(個人主義者)が多くなり信頼関係が薄くなったことは実際肌で感じる。
Posted by ブクログ
・武士道は君主のためならなんでもする。「嘘も方便」
・企業の不祥事、情報隠しに繋がる。
・お説教に効果はない。
・正直者がトクをする社会を作ることが重要。
・トクになる行動を人間はとる。
・日本人は他人を信じない。よそ者を排除して、安心を作ってきた。
・アメリカ人は信じれば、裏切られることもあるが、それでもよそ者を活用することで得られる機会を優先する。
・アメリカ人は誰が信頼できて、誰が信頼できないのか目が肥えている。
Posted by ブクログ
信頼社会と安心社会など切り口は面白いが、なんとなく要約さえ読めば足りてしまうのではないかいう物足りなさ。一応この手のテーマに馴染みがあるせいかな?そもそも、そんなに字数の多い本ではないですが。
アメリカ⇔日本
個人主義⇔集団主義
信頼社会⇔安心社会
信頼性検知力⇔関係性検知力
日本人は、周りはほとんど集団主義者だが自分は例外と、ほとんどの人が思っている。
他人を信頼する傾向が強い人ほど信頼性検知力が高い。
(信頼性検知力と関係性検知力って、同じの能力の違う使い方ではないのかと思ってみたり)
人のフリを見てわがフリを決める社会では、集団の行動様式を左右する臨界質量がある。ある行動パターンをとる人が臨界質量を越えると、均衡点まで右にならえ現象が起きる。
Posted by ブクログ
ここまで書いてある内容に「それは違うだろ!」とツッコミを入れながら読んだ本は珍しい。
それでも興味をもって読み切ったのは、同意しないけれど協調的に受け止めるという対話的な態度の成果だろう。
結局のところ、著者が判断の拠り所としている打算に基づく行動決定には、それだけじゃないだろとか、囚人のジレンマの実験で一匹狼を選ぶのは他人を信頼できない場合のほかに、他人に迷惑をかけたくない、かけるかもしれない自分が嫌という理由もあるのでは、などと納得できない部分も多くあった。
だたし、日本における「安心社会」の崩壊と「信頼社会」に行けないメンタリティの提示は興味深く読んだ。
著者は「信頼社会」への移行を流れとして考えているようだが、欧米の「信頼社会」も決してハッピーではない状況の中、混用してはいけない商人道と武士道のメンタリティの他に道があるのか、それとも両者の使い方に活路があるのか、意識のステージを上げてもらった。
11-87
Posted by ブクログ
『安心社会から信頼社会へ』の山岸博士による本。最後の方まで読むと、なんだか矛盾のようなものを感じた場所があったのですが、もう忘れてしまいました。ちょっと「?」が浮かびます。
なるほど、と思わせられるところがたくさん出てきます。
この著者の「安心社会から信頼社会へ」という本も以前、読みましたが、
そっちのほうはけっこう難しかったし、内容もあんまり覚えていません。
それに比べて、こっちの本は、内容もしっかりしているし、読みやすいです。
あとがきで著者が書いてらっしゃいますが、「論理を明確にすれば分かりやすくなる」
というのが、これまでの書き方だったのが、ちょっと違う書き方をしたそうです。
それが功を奏しているように思いましたが、
読んでいてつっこみたくなる所も多々ありました。
読み終えてほとんど忘れちゃったけど。
読んでいる人じゃないと、わからないかもしれませんが、
たとえば、市場の倫理(信頼社会の倫理)と統治の倫理(安心社会の倫理)
というのが、人類の持つ二種類のモラルの体系だとあります。
そして、その二つを混ぜて使ってしまうと、
「救いがたい腐敗」が始まってしまう、とある。
それで、現代の日本は信頼社会へ移行しようとしている時期なのに、
安心社会のモラルを使おうとしている、それが腐敗を生み出す、みたいなことが
書かれています。それなのに、安心社会であったかつての日本では、
本田宗一郎や松下幸之助などの市場の倫理にかなう価値観を持った人が成功し、
かれらの本も売れた、と書いてあります。え?腐敗は?と思ってしまいます。
どうも、読んでいて考えてしまいましたが、安心社会ベースで信頼社会の倫理が
混じってくるのはOKで、信頼社会ベースで安心社会の倫理が混じってくるのは
NGみたいな感じなんですよね。そのへん、もうちょっと詳しく書いて欲しかった。
また、企業による「賞味期限偽装」や「耐震強度偽装」というような最近の問題
については、「安心社会から信頼社会への過渡期だから」というような観点で
語られていますが、冒頭で著者自身が述べている、「高度成長期の公害問題」
についてはその後、触れられていません。
そういうところがちょっと不満ではあったけど、
それは読み手である僕の読解力に問題があるやもしれないことを、
ことわっておきます。
とはいえ、面白い本です。
じっくり読んでしまいました。
「武士道」だの「品格」だのが時代錯誤だということが書いてあって興味深い。
さらに、日本人の性質を、実験をして明らかにしていくところなどは唸らせられます。
人間の心は環境に左右される、というような論旨も納得させられます。
一読の価値、あります。