森岡正博のレビュー一覧
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幅広い発言を続けている思想家、森岡先生のエッセイ。「あとがき」で触れられているが、著者の研究テーマである「生命学」の入門書ともいえる。「生命学」ときくと理系の自然科学分野の学問のような響きがあるが、その内容は実践哲学ともいえるもの。最近の特に若手の哲学研究者からは、哲学や思想を日常生活に活用しようという提唱がよく聞かれるが「生命学」もそうした試みの一つのように思う。
「自分を棚上げにしない」というある意味厳しい「教え」が頻繁に出てくるが、確かにこれを実践できれば「より良く」生きることに希望が垣間見えるような気がする。こうした考え方はともすると一時的なキャッチフレーズだけで終わってしまうよ -
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男の不感症、つまり「p51射精はそれほどの快感ではないかもしれない」ということは実感として分かる。射精後の空虚感を味わいたくない故に射精を先延ばしにしたことすらあるほどだ。ただ、それが「p71感じる能力をもった女に復讐しようとしたり、女よりも優位に立とうとする」ことに繋がるという部分はちょっと説得力に欠ける(制服フェチやロリコンのくだりも)。でも、男の性の様々な問題の出発点は森岡氏の言う「男の不感症」ではないか、確かにそんな風に思う。だって性行為が身体的に満足できるのであれば、敢えて制服なり少女なりに物語性を見出す必要もないのではないか?男はそもそも感じることができない(できても一瞬)であるか
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「第六章 反脳死論を解読する」で展開されている梅原猛批判が刺激的だった。
梅原は90年論文において、デカルトの心身二元論とアメリカのプラグマティズム思想に根ざした西洋文明によって脳死と臓器移植が推し進められているということを指摘する。とりわけデカルト哲学は、「思惟」が人間の存在根拠となっているが、本来は人間というのは地球の発展の結果であり、「生命」の一派成形態でしかない。デカルト哲学には「生命」が無い。こう主張する。
これに森岡は一定程度の理解と含蓄を認めるが、一方で梅原が臓器移植には賛同している点に疑問を投げかける。
梅原の臓器移植肯定論のポイントは、臓器移植が菩薩行であるという点にある。し -
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ネタバレP25
宗教を全面に打ち出せない現代社会の中で、「生きる意味」をどこに見出せばいいのか、「人を殺してはいけない理由」をどう説明すればいいのか。この対談では、こうした難問中の難問に、神や仏に頼らずに、どこまで追っていけるかを考えたいと思います。
目次
はじめに
第1章 「殺すな」の思想を問う
ある少年の問い/「殺すな」の思想と近代/「三種還元の方法」の限界/誰もが加害者でもある/少年の問いにどう答えるか/「比較地獄」の時代/「無常」の三原則/ロゴスの力
第2章 魂、そして死について
「一人」という問題/親鸞の「一人」/デカルトのコギト論/ヨーロッパ的人間観との違い/集団主義による「いじめ」 -
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[ 内容 ]
環境破壊から脳死問題まで、現代社会はきわめて深刻な事態に直面している。
このような現代の危機を生み出したのは、近代テクロジーと高度資本主義のシステムであり、我々の外部に敵があるのだという主張がある。
生命と自然にかかわる諸問題に鋭いメスを入れ、あくなき欲望の充足を追求する現代システムに生きる私たち自身の内部の生命観を問いなおす。
生命と現代文明を考える読者のためのやさしいガイドブック。
[ 目次 ]
序章 環境倫理と生命倫理
第1章 生命テクノロジーの甘い罠
第2章 エコ・ナショナリズムの誘惑
第3章 リサイクル文明の逆説
第4章 ディープエコロジーと生命主義
第5章 専門の囲 -
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反出生主義的な思想について、古代ギリシャの詩人テオグニスから仏教、ショーペンハウアー、ニーチェ、ベネターと続く背景を知れる前半部分は面白かった。
特にショーペンハウアーのペシミズム的な思想から始まり、ニーチェは永劫回帰や運命愛という真逆な発想に辿り着いた箇所は面白かった。
ただし、ベネターの思想を否定する後半箇所は、そんなに面白くなかった。私自身、ベネターの反出生主義や人類を絶滅させるべきといった極端の思想には賛成しない。しかし著者による誕生肯定の論理には、どうにも結論ありきの欺瞞のようなものを感じて、あまり納得できなかった。
著者自身も生まれてこなければ良かったと思うことがあると述べて