森岡正博のレビュー一覧
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私は哲学の面からじゃなく生物学的な面から反出生主義を見たかったんだなと、読み始めてから気付いた。が、「生きようとしているのは個体ではなく種属」、「人間が生き続けようとするのは生への愛着からではなく死への恐怖があるから」、「親が産むのはこの私でなくてもよかったのでは?」など、いくつか「そうそう〜」と頷きたくなる考えも見つかった。
要するにこの本が言いたいのは、「生まれてこない方がよかったって、生まれてきてない世界を生まれてるあなたが想像できるわけないよね?もう生まれてるんだからこれからの人生のことを考えようぜ」ってことかな。そこはどうでもいいんだよな~ -
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反出生主義的な思想について、古代ギリシャの詩人テオグニスから仏教、ショーペンハウアー、ニーチェ、ベネターと続く背景を知れる前半部分は面白かった。
特にショーペンハウアーのペシミズム的な思想から始まり、ニーチェは永劫回帰や運命愛という真逆な発想に辿り着いた箇所は面白かった。
ただし、ベネターの思想を否定する後半箇所は、そんなに面白くなかった。私自身、ベネターの反出生主義や人類を絶滅させるべきといった極端の思想には賛成しない。しかし著者による誕生肯定の論理には、どうにも結論ありきの欺瞞のようなものを感じて、あまり納得できなかった。
著者自身も生まれてこなければ良かったと思うことがあると述べており、誕生否定を乗り越えて誕生肯定したい気持ちはあると十分理解できる。私もできたらそれを信じたい。しかしそれは論理だけでは不十分なんだろうなと感じる。(もちろん著者もそれは十分承知していると思われるが) -
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「正当防衛ならば、人殺しの興奮と快楽を味わってもよい」という自由なのではないだろうか。 殺戮と流血を密かに欲しているからだろうということになるだろう。 教団の拡大に明け暮れる宗教は貧しい。地上に跋扈する、これら貧しい宗教たちを私は軽蔑する。 彼等は、無痛化の道を突っ走る現代物質文明と、裏側でこっそり手を結ぶ。そのことによって、彼等の宗教から、現代社会批判の力が削ぎ落とされていく。宗教の持つ最も大きな可能性が、こうやって失われていくのである。 自分達に対しては、これ以上ないほどの快楽と心地良さを。自分達に刃向かう者に対しては、耐え難い程の痛みと苦しみを。そして降伏してきた兵士には、苦しみからの解放と安息を保障する。これが「無痛文明時代の戦争」の原理である。 かくして、野生の鯨はホエールウォッチングで楽しみ、家畜の鯨は鯨肉として味わうといった使い分けができるようになる。だがこれは、我々にとって朗報なのだろうか。人間側の都合によって、この生命は観賞用、この生命は食用というふうに選別していく思想こそが、ひいては優生学のような人間の生命の選別のテクノロジーを生み出したのではないかという思いを私は拭い去ることができないのだ。 想田和弘の映画『選挙』 その滑稽なヒロイズムに対して向けられている つまり、お洒落というのは、「お洒落じゃない人」には決してできないような格好をすることによって、「お洒落じゃない人」から距離を取って離れようとするゲームなのではないかと思うのである。「お洒落な人」になろうとするよりも、「お洒落じゃない人」にならないようにするのだ。 「今日は避妊なしのセックスから生じる責任を、二人で分かち合います」という契約書を交わさない限り、曖昧さ常に付き纏う。 この瞬間、原爆投下によって多数の市民の生命を奪ったという過去は消え失せ、そのかわりに、苦しむ異国の人々に温かい援助の手を差し伸べる米国人というアイデンティティが視聴者の前に美しく舞い降りたのである。 しょこう曙光 私がニーチェから考える勇気を受け取ったように、ニーチェもまた過去の哲学者達から同様の勇気を得ていたに違いない。哲学とは孤独な営みであるが、それは、時と場所を異にしたもうひとつの別の孤独へと、直接的に繋がっていけるような孤独である。ここにこそ、哲学の真の希望が集約されているのではないだろうか。
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環境問題から脳死問題まで、現代は生命にまつわるさまざまな問題に直面しています。しかし、これらの問題を生み出したのはわれわれ自身であり、われわれの「生命」の本性の奥深くに、他のいのちを犠牲にしてまでも生きたいという欲望が根を張っていると著者は指摘します。そのうえで、生命を「調和」や「共生」などといった美しいことばで語るのではなく、生命の奥底に存在するさまざまな矛盾に向きあい、解明しなければならないと主張しています。
著者はこうした観点から、生命にかんする具体的な問題に切り込んでいきます。たとえば、リサイクル型文明の提唱が資本主義システムと結びつき新たな南北問題を生み出すのではないかという指摘がなされています。また、1980年代以降のアメリカにおけるディープ・エコロジーとニュー・サイエンスの勃興や、日本における「いのちと癒し」にまつわる言説の流行をとりあげ、「生命」を称揚するそうしたロマン主義的な言説が、生命と現代文明との間に存在する入り組んだ関係を見ようとしないことを批判しています。
さらに脳死問題についても突っ込んだ考察がなされており、とくに梅原猛による文明論的な観点からの脳死問題への取り組みが俎上にあげられている。梅原は、「他人の臓器をもらってまでも自分が生き続けたいという「エゴイズム」を、みんなでサポートしてゆく」という社会システムの分析・批判をおこなっていないと著者は批判し、そのために彼の主張する大乗仏教の菩薩道に基づく彼の臓器移植論も、なし崩し的にシステムの内に取り込まれてしまう恐れがあると批判しています。
著者の基本的なスタンスは明確ですが、「生命の欲望」と現代文明との関係を解明することの必要性を主張するにとどまっていて、立ち入った分析がおこなわれているわけではないように思えます。著者の提唱する「生命学」の序論という位置づけの本だといってよいのではないでしょうか。 -
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「私はこうだ」という姿勢でもって フェミニズム=女性学 セクシュアリティ アイデンティティ 新宿二丁目 妄想から幻滅へ 「嫌がるか嫌がらないか」に拘るレイプ犯と、「隠されているのか、あからさまに見えているのか」に拘る私との類似点 サブリミナルなメッセージを私達の脳髄に染み込ませる 牛乳を飲む少女 縦笛を咥えた少女の視線 親が承諾する理由は推測するしかない 仕掛け 仮面を被った少女ポルノ 第二次性徴 平均初潮年齢 ユニセックスな(性がまだ未分化な状態の)体 ひとつの思いが沈殿 大人の体へと大きくカーブを切る瞬間 何度も意識の底で反芻 思春期の分岐点 追体験 ロリコンの原因は、ロリコンの男が自分の体を自己肯定できていないところにあるというのが私の仮説である。 あんもくり暗黙裡 隷属 恍惚状態 肉体から溢れ出てくる溶岩のようなものの感覚 トリガーや義体として利用されるだけ 「私の体は汚い」という意識 勃起したペニスは「ファルス」と呼ばれ、男なるものの象徴と考えられてきた。だが私は「勃起」よりも「射精」の方が、オジャンにとっては根本的なのではないかと考えている。 女の快感を支配するときの優越感でもって、自分の不感症を帳消しにしようとするのである。 もし支配に失敗した時には一転して、感じる女に復讐し、罰しようと思いはじめる。レイプしてやりたいという衝動が出てくるのは、この時である。 自分が拘っている架空の女のイメージの方が、生身の女より大事だったりする。架空のイメージは、独自の意思も感情も持たないので、扱いが楽なのだ。 古代の性技法 タントラ 狩人 宇宙との合一感 荒唐無稽な話ではない しかし考えてみれば、父親はマスターベーションをしていた筈だし、セックスの時に父親から射精された精子でもって、あなたは生まれたのである。このあたりのことを、一度深く考えてみてはどうだろうか。自分が母親の胎内から生まれたことを感慨深く語るが、自分が父親の射精から生まれたということに関しては、徹底的にそれを隠蔽する傾向があるように思われる。 「自分を決して棚上げしない」学の方法 射精の後の墜落感 ジュニアアイドル写真集 意図的に目を逸らしているように思えた 無痛文明論 生命学
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一時期、テレビや新聞で著者の名前をよく見かけた気がする。
生命倫理の専門家だそうだ。
この本は、エッセイ集なので、それほど難しい話ばかりではない。
ただ、どの文章でも、自分を棚上げにしないという立場を貫いているのが印象的だ。
例えば、原発問題とエネルギーを大量消費した快適な生活への私たちの執着という矛盾。
著者は自分自身を例外的な立場に置かない。
それはすごいことだけれど、その先に何が見えてくるのかが知りたかった。
この本では、そういった諸々の矛盾がどう解決していくのかが見えなかった。
この本は元の本が1997年なので、その後著者はどういう考えを持つようになったのだろう。 -
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本書の「草食系男子」というのは一般的な意味から少しズレていて、恋愛に奥手な男子というくらいの意味で使われています。
巷に出回っているモテるためのテクニック本とは異なり、相手を一人の女性として尊重する「誠実さ」を、まっすぐに説いた本です。一人の「女性」として、というところに著者の森岡氏の一方的な決めつけを見てしまう向きもあるかもしれませんが、恋愛指南本である以上、この程度の一般化は避けられないように思います。
ただ、恋愛に奥手な男たちの多くも、この本に書かれていることの多くは、それなりに理解しているのではないか、という気がします。知ってはいるけれども、ここに書かれているようなことを実践するのが面倒なので、自分はモテない、と決めつけて、舞台から降りたようなふりを装っているのではないかと、自分自身のことを振り返りつつ思ったりもします。 -
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宗教学者と哲学者という異質な組み合わせの対談。
「救いとは何か」のタイトルよりも、生死について……そこに関わってくる「魂」をどう捉えるかという部分の方が深く語られている。
花が供えられていた時に、なんとなく手を合わせたくなる気持ち。
それがなぜなのか、そこにあるのが何なのか分からないという感覚。
批判的というより、神や仏という感覚がわからないという立場で問い掛ける森岡氏側から私はこの本を読めた。
元々宗教的な部分を期待して購入した本書だが、今生きている中で目を逸らしてはいけない部分を、柔らかく提示されてしまったような気がする。
様々な文学作品や映画に触れて砕かれている為、読みやすい。