森岡正博のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2023/10/08
二日酔いながら一気見してしまった。
おかえりアリスに衝撃を受け、そのあとがきからこの本の存在を知った。
中学生の時に、毛が薄かった自分の足について、友達から「綺麗な足、女みたい」と言われた。そのことがずっと誇りだった。胸筋が無いので胸に脂肪がすぐ付いてしまうが、その僅かなふくらみを見るとき、少しだけ誇らしい、倒錯した感情がある。リナとミサトから、お世辞だとしても、「綺麗な顔立ちをしている」と言われたことをずっと覚えている。本当に嬉しかった。その嬉しさは恐らく、褒め方に性別が関係ない言葉だから。
女になりたいと思っていた。それは思想の面だけでだと思っていた。女が女と取るコミュニケーションに憧れていた。男として扱われることに悲しくなる時もあった。年上の女と接することが多かったから、女と話していて楽な気持ちを覚えるんだと思っていた。少し違うのかもしれない。
俺は俺の性をある面で肯定していてある面で否定している。
「男のための物語」を俺が必死に求めていた理由はなんだろう。傾向はある。孤独な物語、孤独な男の感情を悲しむ物語。しかしそこに目を当てるということがそもそも慈しみだとしたら、その慈しみの行為こそを求めていたのかもしれない。
俺が女を心から好きになる時、そこには憧れがある。自分には絶対になれない存在を少しでも自分のうちに取り込もうとする行為なのかもしれない。俺は全く自分のセクシュアリティに関して、人より悩んでいるであろうにも関わらず、何も答えを見つけられていない。
以下引用。
「私は、「男とはこういうものだ」という言い方の噓を、身をもって知った。「男とはこういうものだ」という言い方は、「男とはこういうものだということにして、男同士、楽にやっていこうぜ」という、男たちのあいだの申し合わせにすぎない。」
「現実と虚構を、セクシュアリティの次元でうまく区別できないことが、「感じない男」の特徴のひとつなのかもしれない。」
「そもそもどうして、少女の体になりたいという願望が、私の中にひそんでいるのであろうか。少女に乗り移ってまでして、少女の体を獲得したいという欲望は、どこから沸き起こってくるのだろうか。その欲望の根底にあるのは、「このごつごつして汚い男の体から、抜け出してしまいたい」という、祈りにも似た脱出願望なのではないかと私は思う。自分自身の体に対する感情は、このような自己否定の感情である。」
「かつての私のようなタイプのロリコンの男が最終的にめざしているのは、大人の女になる瞬間を迎えたかわいい少女の体の中へと乗り移り、その少女の体を内側から生き、その少女の体を内側から心ゆくまで味わい、その体に様々な服を着せて人々と交わり、人々から優しく大切に扱われ、自分で自分の体を真に愛することだ。そして少女の体の内側から、少女の子宮へと射精し、妊娠して自分自身を出産することだ。それによって私は、母親の影響圏から最終的に離脱することができる。私は自分自身から産み出された存在となり、もはや誰にも隷属することなく、ここに完全な自由を手に入れる。少女の体という肉体上の理想を獲得し、自分の体を自己肯定し、精神上の自立という内面の自由をも獲得する。かくして世界は私を祝福し、私も自分自身を祝福し、世界は充足した私自身によってどこまでも満たされていくことになるだろう。」
「自分の体を愛せないことが身にしみて分かったとき、私はどうしたのか。私は自分の心の空虚を埋めるために、「男らしさ」に手を伸ばしたのである。いまさら女にはなれないわけだから、自分が男として自己肯定するためには、この体をもっと「男らしい」ものにしないといけない。体だけではなくて、精神も、行動も「男らしい」ものにしないといけない。それが成功したら、私は、自分の体とセクシュアリティをきっと肯定できるようになるはずだ。私はそのように思ったのだった。それは、溺れる者が藁をもつかむ気持ちと似ていたのかもしれない。」
「もっとも大切なことは、好きな人や、大切な人たちと、やさしい関係をつむいでいくことであり、互いを尊敬していつくしむことのできる関係を作っていくことだと私は思う。」
やさしい関係。やさしくありたい。 -
Posted by ブクログ
学者である著者本人がまんがを描いている。
あとがきにもあったが、まんがという伝達手段でこそ伝わることを模索している。
3年かけて、絵もどんどん上手くなってるし、それだけですごい。
それだけでなく難しい言葉や専門用語は極力排除されているので予備知識無しでも深い思索まで行ける。
特定の哲学者の議論を纏めたものでもない。
後半の「あなたなのです!」は良かった!
昔、永井均の著作を読んだが、「自分が自分であることにびっくりするタイプの人はいる」といった話があって、確かにこのページで初めてびっくりする人は一定数いると思う。
そのくらい効果的な伝え方だと思う。
生きる理由を明確に宣言しているのが力強い。
逆もまた然りだとは思うけどこういう考え方もありだろう。 -
Posted by ブクログ
とても平易な文章で読みやすかった。
ベネターの誕生害悪論から反出生主義の変遷を古代ギリシャまで遡り、西洋から東洋へ、その横断を辿るのも面白かったし各章の論考も充実。最終的には誕生の肯定を目指す本なので、読み終える頃には気持ちが軽くなっていた。
個人的にはショーペンハウアーと仏教の章が特に面白かったのだけど多分それはショーペンハウアーの哲学をほとんど知らなかったからだと思う。逆にインド哲学が難しくてわかるようなわからんような…そしてこの文脈にニーチェを乗せると彼がいかにぶっ飛んだかが分かって面白かった。人を超えるのだ…
シリーズもののようだけどこれ一冊でも十分楽しめたかな。けど出産の同意不在論についてはもっと読みたかった…まだ発展途上の議論のようだけど(川上未映子『夏物語』に繋がりますね)。
そして気になってくるのがハンス・ヨナスなのだった。次の本でヨナス哲学にもっと切り込んでいくなら買いたい。
各章のサブタイトルが「世界と人生に対する呪詛」とか「自殺について」とか「無意志こそ最強」みたいなネガティブワードばっかりでそれだけで面白かったのに極め付けにブッダの章で「一切皆苦」が出てきたときには堪えきれずに笑ってしまった もう生まれてきたくない人たちがこんなにたくさん…
でも反出生主義が自殺を必ずしも肯定しないというのは興味深かった。「生まれない方が良かった」と「じゃあ自殺すればいい」は違う話でこれは時代も超えてショーペンハウアーもベネターも意見が同じでへえーなんかすごいなと思ったのだった
何れにしても皆さんの立場は一切皆苦なんですけどね… -
Posted by ブクログ
救いとは何か、にまつわる対談。宗教学者でもある山折さんに対し、宗教的な言葉を用いず、哲学的に語ろうと苦心する森岡さんの、ぎこちないながらも必死に言葉を探そうとする姿には感銘を受けた。
議論の内容も、結論がはっきりと出るようなものばかりではないが、倫理を育むのは結論ではなくむしろ過程だろうし、それでいいと思う。
最終的に森岡さんは「命を大切にしようがしまいが、命自体が尊い」という境地に至り、いつかそのことを哲学の言葉で、論理によって説明できるようになればいいと話す。
そうなればいいと僕も思うし、僕は僕の言葉でそれを見つけたいとも思った。
議論の途中、まさにこのことと対称的な森岡さんの言葉として、
「ある人に対して、(中略)「自分なんて、生まれてこなければよかった」と思わせるように仕向ける。それこそ極悪ではないか」
というものがあったが、これには心底同意する。殺人よりも何よりも、それこそが悪だ。
けれど、たとえそんな人間でさえも生きているということは尊いものなのだ。そんな人間でさえも、すでに救われている。そんなことを、どうにか納得して生きていくことができるのかどうか、自信はないけれど、考えてみることは吝かじゃない。 -
購入済み
一気に読みました
哲学ってむずかしくてよくわからないという人にオススメ。哲学的な考え方とは何かということについて素人が触れることができる。
とにかくわかりやすい。 -
Posted by ブクログ
時間論や存在論などについて、対話形式による議論が展開されている本。
まんが哲学入門というタイトルのとおり、一応漫画の体裁は保っているのだが、非常に気の抜けるデザインのゆるゆるキャラが跋扈する謎の世界観なので、最初は何故わざわざ漫画の形式にしたのか疑問を感じてしまった。
しかし、読み進めていくうちに、漫画であることの利点をうまく利用していることに気づかされる。図解をとにかく多用するため、直感的なイメージをつかみやすいし、言語では表現不可能な概念(永井均が言うところの<私>みたいなの)も力技でなんとか?表現してしまっている。著者は漫画と哲学は相性がいいと主張していたが、こういった技法をみると確かにアリかなとも思えてくる。
本書は漫画ということで、ページ数の割に全体の文章量は多くはないのだが、決して内容が薄い訳ではない。広がりを持った「いま」の土俵の上で過去や未来が立ち現れるといった時間論は斬新だったし、「世界全体が存在すること」の不思議さについては深く考えさせられた。
また、巻末のブックガイドが本編並みに充実しているので、次の読書への意欲を非常にそそられた。 -
Posted by ブクログ
うん、これが「哲学」。
世の中の哲学と呼ばれるものは哲学ではなくて「哲学」学。過去の哲学者がああ言ったこう言ったという解説。本書は「哲」学。
また、新書の入門書にはときどきすさまじいクオリティのものがあって、入門書でありながら同時に最終奥義の書であるような深みに届いている。本書もそのひとつと言っていい。
本書は、生徒と先生の対話という形をとっているが、それは知っているものから知らないものへ知識を伝達するためではなく、対話という形式でしか到達できない扉のむこうを目指しているから。そしてさらにマンガという形式をとることで、言葉で(書き言葉だけで)哲学する時のあの厄介な頭痛の種が緩和されている。ゼロではないけれど、どんなにやさしい言葉で書かれていたとしても、「あれ、ボクは本当に著者の言うことわかってるのかな?」という不安が少ない。図で示されることでグッと「いまなんの話しをしているのか」わかりやすくなる。対話もマンガだと誰が何をどう話しているのかが画期的にわかりやすい(私は対談を読むのが非常に苦手なのです)。
内容については、納得するところもあればできないところもあり、その前に「えっ、そういう発想あり?!」と驚くこともあり、楽しめる。でも最大の衝撃は、最後に生徒のまんまるくんが先生の言葉を拒否するところ。僕はそうは思わない、と。感動的ですらある。 -
Posted by ブクログ
生命学という現代文明を顧みるための新たな学問を提唱するその軸として、エコロジー思想や生命倫理にフォーカスをあてて新しい生命観を模索する意欲作。筆者自身も最後に書いているが、この本はそういった壮大なテーマに立ち向かうための準備体操としての位置付けであるため、繰り返しが若干多い。そのおかげでとてもわかりやすくなっている。読みながらそんな考え方があったのかと驚くと同時に、自分はデカルト哲学に端を発する近代文明に期せずしてどっぷりと浸かってしまっていたことに気づかされる。個人的にディープエコロジーをどうやって自分の中で処理するか苦しんでいたところ、この本と出会い、仏教的に話を展開する刺激的な論調に出会えて本当によかった。ぜひ生命学入門も読みたいと思う。