森岡正博のレビュー一覧
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初めて反出生主義に触れた時、「感覚的にわかる気がする」と思った。現代の病理、はしかみたいなもの、誰もが生きてりゃ思うことをそれっぽく言ってみた露悪的なもの、と「見做したい」欲望を感じた。
が、反出生主義こそ逆説的に生を考える契機となっていることを評価しなければならない。優生思想然り、わたしたちは克服できるのか、人生にYESと言える言えるのか。
著者が指摘するまでもなく、原始仏教やユダヤ、キリスト教のように現世を超えた世界に理想を見る考え方は広義の反出生主義だ。
この意味で言えば、反出生主義は決して現代思想ではない。ただ、科学技術が進歩して人間が生命の在り方に介入できる余地がどんどん膨らんできたからこそ突きつけられた課題である。
本書は、これまでの哲学が積み上げてきた成果から反出生主義に挑むための武器を抽出してみせる。本書で答えは出ない。戦士自らが記した、旅のプロローグであり、同志に送るエールである。 -
Posted by ブクログ
哲学とありますが、エッセイのような文章がテーマごとにまとめられてあり、読みやすかったです。
題名の33個目の石の話は知りませんでした。アメリカの銃乱射事件(被害者32人)の犯人(自殺)の分も追悼の石を置こうとする人、それは認められないとして排除する公的機関。何だか考えさせられました。許すとはどういうことだろうか。。。
森岡先生はすごく誠実で素直な方なんだろうなぁ。自分より年上の男性でこういう思考をしている方はほとんどいない気がします。
最後の方の章で書かれてましたが、先生が哲学的思考をするとき、それは言葉で練り上げるというより色や形などのイメージを組み上げるらしいです。予想外でした。哲学とアートにてるんですね。 -
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反出生主義本が新聞で特集されていたので気になって。
生まれてこなければよかったと考えるのは確かにそうで、ベネターの著作によって反出生主義が注目されていることに対する考察本。
単に「生まれてこなければよかった」一言で片付けられてしまいがちだが、その思考をヨーロッパ哲学や仏教を紐解きながら整理していく。7章で言及されているように、「生まれてこなければよかった」という思想は綿密に紐解けるものであり、そもそも比較不能なものであり議論としては不完全なものである。(ここが肝なのだがちょっとその辺りの議論を理解するのに骨が折れて流し読みしてしまった…)
作者も述べているように、「生まれてこなければよかった」という思いには常に絡め取られ続ける。
個人的には、そう考える方が楽だし。
そうした考えを読み解き答え続けなければならないし、先人達もそうしてきた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ男の「不感症」「制服フェチ」「ロリコン」がテーマであり、これらを著者の実際と照らし合わせて考察する。したがい、答えではなくひとつの仮説である。
男の射精そのものは快感を感じずに空虚感を感じる(男は自らの射精を語りたがらない)。感じる女への復讐がポルノに反映される(実際には女もそれほど感じているわけではない)。ポルノでよく制服が用いられるのは、背後に学校(=洗脳)を感じるため。男の自分勝手な論理で女を内面的に支配し、セクシャリティの自閉世界を作り上げることに帰結する。精液はその架け橋である。
ロリコンというと一般的に初潮前後の少女を対象としたものであり、社会全体がロリコン化しつつある。感じない男は自らの体を肯定的に見られず、少女の体として生きてみたかった願望が、少女の体の中に乗り移るという形で現れる(そのため少女が女性になる初潮頃がターゲットとなる)。母親からの訣別はロリコンの形をとり、自己完結した世界に閉じこもることで、完全な自由を手に入れる。
男のセクシャリティに対する肯定感のなさから、女への支配(うまくいかないと、復讐し罰っしようとする)を強める。正面から向き合おうとせず、架空の女のイメージのほうが生身の女よりも大事だったりする。「生まれてきて本当に良かった」と感じることで、ひととひとが感情を分かち合いながら、よい関係を作り上げていける。男のセクシャリティはいくらでも変わりうる。 -
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幅広い発言を続けている思想家、森岡先生のエッセイ。「あとがき」で触れられているが、著者の研究テーマである「生命学」の入門書ともいえる。「生命学」ときくと理系の自然科学分野の学問のような響きがあるが、その内容は実践哲学ともいえるもの。最近の特に若手の哲学研究者からは、哲学や思想を日常生活に活用しようという提唱がよく聞かれるが「生命学」もそうした試みの一つのように思う。
「自分を棚上げにしない」というある意味厳しい「教え」が頻繁に出てくるが、確かにこれを実践できれば「より良く」生きることに希望が垣間見えるような気がする。こうした考え方はともすると一時的なキャッチフレーズだけで終わってしまうような場合もあるが、仮に一つの言葉が消えてしまっても、次に出てくる新たな言葉と比べてみれば一つの「普遍」がチラチラと見えてくる。それを消さないためにも多くの思想家が多くの言葉を間髪入れずに発することが「思考スキル」を鍛えるのに有効な手段なのではないだろうか。
著者の森岡先生は、学者として確固たる地位を順調に築きつつあるように見えたが、実際には業界内においてかなりのご苦労をされているようで、本書においても愚痴や不満があちこちに散見される。本書に限らないが、力強い「言葉による抵抗」は他の場所で闘っている人達への頼もしいエールとなっているはずである。 -
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男の不感症、つまり「p51射精はそれほどの快感ではないかもしれない」ということは実感として分かる。射精後の空虚感を味わいたくない故に射精を先延ばしにしたことすらあるほどだ。ただ、それが「p71感じる能力をもった女に復讐しようとしたり、女よりも優位に立とうとする」ことに繋がるという部分はちょっと説得力に欠ける(制服フェチやロリコンのくだりも)。でも、男の性の様々な問題の出発点は森岡氏の言う「男の不感症」ではないか、確かにそんな風に思う。だって性行為が身体的に満足できるのであれば、敢えて制服なり少女なりに物語性を見出す必要もないのではないか?男はそもそも感じることができない(できても一瞬)であるから、快楽を精神的な部分に求めるのではないだろうか。
要は、男は自分が「感じられない」という事実を受け入れられず、あるいは自分の体に対する汚いというイメージを払拭できないために、制服姿の女性なりいたいけな少女なりに自分を投影するようになるのだと。
個人的には男の方こそ「状況」に欲情するんだと思う(一般には女の方がシュチュエーションを大切にすると言われるようだけど)。それは、男の生物学的な性的快楽が瞬間的なものであり、それを精神的な部分で補おうとするから、制服なり少女なりに支配を伴った物語性を見出すのではないだろうか?
ただ著者自身も指摘するように、性の問題を一般論に"逃げる"ことをせず、あくまで自身を主語として語り通した本というのは極めて少ないと思う。自分の性を文字にして語ることをする人なんて少数派なのだ(一般的には恥ずべきことだと思われているから)。客観性はないかもしれないけれど、だからこそ、それでは自分の性はどんなんだろう…と追及してみたくなる、そんな本だ。生きることとセクシャリティーは切り離せないのだから、それはより良く生きるためにも価値あることだと思う。そしてなにより面白い。 -
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「第六章 反脳死論を解読する」で展開されている梅原猛批判が刺激的だった。
梅原は90年論文において、デカルトの心身二元論とアメリカのプラグマティズム思想に根ざした西洋文明によって脳死と臓器移植が推し進められているということを指摘する。とりわけデカルト哲学は、「思惟」が人間の存在根拠となっているが、本来は人間というのは地球の発展の結果であり、「生命」の一派成形態でしかない。デカルト哲学には「生命」が無い。こう主張する。
これに森岡は一定程度の理解と含蓄を認めるが、一方で梅原が臓器移植には賛同している点に疑問を投げかける。
梅原の臓器移植肯定論のポイントは、臓器移植が菩薩行であるという点にある。しかし森岡はこれを批判する。菩薩行であるという主張だけでは、梅原が批判するデカルト哲学を否定しきれず、むしろ肯定することになるという。
私の理解では、自己決定権に基づく愚行権の行使と菩薩行の客観的差異が生まれず、結果としてデカルト哲学を推進する方向へ働くということだと考えている。
梅原の以前の論文(89年論文)では「覚悟」という言葉で、原始仏教にあるような「執着を滅する」ということと関連するような、臓器移植を受ける側への訓示もあったにも関わらず、90年論文ではなぜかそこが削除されている。
脳死、臓器移植論の文明論的批判を行うには、梅原のこの路線を推し進める必要がある、というのが森岡による梅原批判の骨子だと理解している。
以前、『無痛文明論』を読んだ時、「捕食」という概念が出てきた。当時はその意味がよくわからなかったのだが、今は少し分かる気がする。
他者(他人や地球環境など)を利用し自らの糧とする欲望は、決して現代の病理などではなく「生命」の根幹にあるものだという。この点に森岡の「生命学」のオリジナリティがあるのだろうし、ロマン主義的に「調和」や「共生」という言葉を用いて生命倫理や環境倫理を説く人間との違いがあるのだろう。
「捕食」は、この「生命」とはいったいいかなる構造を持つのかを理解し、その根幹にある「生命の欲望」を認識した上で、他者を利用していくことにあるのだと思う。 -
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ネタバレP25
宗教を全面に打ち出せない現代社会の中で、「生きる意味」をどこに見出せばいいのか、「人を殺してはいけない理由」をどう説明すればいいのか。この対談では、こうした難問中の難問に、神や仏に頼らずに、どこまで追っていけるかを考えたいと思います。
目次
はじめに
第1章 「殺すな」の思想を問う
ある少年の問い/「殺すな」の思想と近代/「三種還元の方法」の限界/誰もが加害者でもある/少年の問いにどう答えるか/「比較地獄」の時代/「無常」の三原則/ロゴスの力
第2章 魂、そして死について
「一人」という問題/親鸞の「一人」/デカルトのコギト論/ヨーロッパ的人間観との違い/集団主義による「いじめ」/鎮魂について/「信ずる宗教」と「感ずる宗教」/「心」をめぐる探究の系譜/浄土と無常/宮沢賢治の信仰心/「写真葬」と化した現代の葬儀/死のイメージ・トレーニング/無神論について/死んだらどうなるのか?/理想の死に方
第3章 限りある命をどう生きるか
命のイメージ/手を合わせる理由/限りある命をどう生きるか/「誕生肯定」と「消滅肯定」/絶望と欲望からの解放/命をめぐるアメリカでの論争/ハンス・ヨナスの思想/悪の問題/菊池寛の小説と赦し
第4章 「個人の幸福」と「全体の幸福」
宮沢賢治の幸福論/「なめとこ山の熊」の二つの死/赦しとしての死/「やまなし」に描かれた二つの世界/『銀河鉄道の夜』の思想/若い世代の生きるキツさ/二つの手立て/すべての魂に誕生肯定はあり得るか
第5章 救いとは何か
「人は死んでも消えてしまわない」/天地万物に命が宿る/「命を大切に」という標語/「ハーバード白熱教室」の欺瞞/功利主義的哲学への批判/「サバイバル戦略」と「無常戦略」/命の生まれ変わり/原発事故をどう受け止めるか/救いの最終的な根拠とは?
おわりに -
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[ 内容 ]
環境破壊から脳死問題まで、現代社会はきわめて深刻な事態に直面している。
このような現代の危機を生み出したのは、近代テクロジーと高度資本主義のシステムであり、我々の外部に敵があるのだという主張がある。
生命と自然にかかわる諸問題に鋭いメスを入れ、あくなき欲望の充足を追求する現代システムに生きる私たち自身の内部の生命観を問いなおす。
生命と現代文明を考える読者のためのやさしいガイドブック。
[ 目次 ]
序章 環境倫理と生命倫理
第1章 生命テクノロジーの甘い罠
第2章 エコ・ナショナリズムの誘惑
第3章 リサイクル文明の逆説
第4章 ディープエコロジーと生命主義
第5章 専門の囲いの中で―脳死身体の実験利用の現実
第6章 反脳死論を解読する
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]