國分功一郎のレビュー一覧
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遊びと利他を読んで、利他を、もう少し知りたくて。
後半になるにつれて、どう利他に関係するんだろうとかわかりづらくて飛ばし飛ばし読んでしまった。
数値的利他は、違和感を感じた
数値ですぐに結果がでない社会課題への支援や関心を廃れさせてしまうのかなぁと。、
利他というと何か押しつけがましく、意識高い系に思ってしまっているけど、
うつわ的利他、、、
自分のやったことをいいでしょ、ではなくて、
その結果自分に戻ってまた変化の可能性がある余白があるものとして捉えた方がよいのでは
ということかなぁと。この考えはしっくり来るし、自分のボランティアのスタンスと同じだなぁと思った。 -
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「利他」について様々な分野の方が論じた本。
ちょっと「利他」との結びつきがよく分からないとか取って付けたようとか思うところもあったが、それが利他という概念の広さや説明の難しさということか。
結論としては、利他とは「うつわ」とか「余白」であるということのようだ。
中動態についての話の中で「人間的因果性(=そ人が加害者として行う行為)」と「神的因果性(=運命の被害者としての行為)」は混じり合うが混同されない、というヴェルナンの定式が紹介されている。どういうことかというと、「人は加害者であり被害者であるという二律背反が肯定されている」ということ。被害者性をとらえることで、加害者性もとらえられるようになる。それにより「責任」という中動態的なものを感じる(応答する)ことができる。
(中動態とは、「能動⇔受動=する⇔される」ではなくて、「能動⇔中動」=主語の外で主語が完遂する⇔主語が過程の内部にある」というもの。たとえば「欲する」とか) -
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学生時代、ソ連の威光はだいぶ落ちていたが、レーニンは毀誉相半ばしており、ロシア革命への興味から、『国家と革命』も『何をなすべきか?』も読んだのだが、今回本書を読んでみて、いかに読めていなかったのかを痛感した。
著者は、この2つの著作を精緻に読み解くことによって、レーニンの思想、国家・革命についての考え方を丁寧に辿っていく。決して読みやすくはないが、著者は一つ一つ順を追って論を進めていくので、諦めることなく読み進めていけば、これまで思いもよらない新しい地平に連れて行かれる。
ただ、第3章、第4章ではフロイト思想との関係が論じられるのだが、抑圧されたもの、<死の欲動>についての議論は、正直良く分からなかった。 -
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四回の講義録+補論で構成される。
語句的にも難解なハイデガーに対するアプローチ、読み解き方を体験できたのはよかった。また第一講の1950年代における核技術に対する思想家の反応、日本の動きは知っておくと原発に対する見方が深まる内容で、第三講の最後部までは概ね星四以上に近いものだったと思う。
ただ他のレビューで言及されているように、原発推進派をナルシズムに結びつけるのはやや性急な感じが否めない。もちろん途中のアレントの指摘、つまり「人間の条件」からの脱出も相まって、原子力というものがある種の全能感を持って受け入れられたのは相応に当たっていると思う。
しかしそれは1950年代やそこらへんの原子力の神話が持続していたときのことであって、いまはやはり神話は崩壊していると思ってし、よって原発にも頼れるほどの全能感は共有されていないように思う。また自分が政治に疎いからか、いまは「原発推進派」より「反反原発派」、つまり原発によって得られた利益、あるいは秩序を、それが全能かどうかはかかわらず、確保しつづけようという人が大半な気がして、彼らの動機がナルシズムによるものかといえば、また別個に諸々の分析、引用が必要だったように思う。あるいは最終章における時代的な位置づけをはっきりしてもらえたら親切だったかもしれない。
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『暇と退屈の倫理学』の國分先生が、哲学の視点から人生について考察し、日常生活の中で湧き出てくる問いをわかりやすく解説する本。
恋愛、結婚、仕事、家族など相談内容は多岐に渡り、読者自身が考えを深めるためのヒントを提供してくれる。
「生きる意味」や「人生の目的」といった普遍的な問いについて考察されるが、わかりやすい平易な言葉で書かれているため、哲学に馴染みのない読者でも理解しやすい内容となっている。
ちょいちょい挿入される哲学者の下世話エピソードが結構おもしろい。
ーーーーーーー一以下、抜書きーーーーーーーー
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フィンガレットによれば、岐路に立った人間が自由意志で選択するのが決断であるという考えは、西洋思想が作り出したステレオタイプに過ぎません。私たちは時折、重大な選択を迫られます。それらは徐々に行われることもあれば、突然に行われることもありますが、いずれにせよ、常に意図せざる仕方で行われるとフィンガレットは言います。
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人は誰かと経験を重ねてから或る人とお付き合いするのではありません。いまそこにある相手との付き合いこそが経験になっていくのです。自分は女性との付き合いの経験値が低いと考えるのではなくて、いまその経験値を毎日高めているのだと考えてみてください。
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ガリ勉がいけないということではないのです。これをやっておけば自分の人生は大丈夫なのだという〝信仰〟に頼ってしまうことがまずいのです。
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哲学者のスラヴォイ・ジジェクが紹介しているこんな「下品なジョーク」があります。 「船が難破し、貧乏な田舎者がたとえばシンディ・クロフォードと一緒に無人島に漂着する。セックスの後、女は男に「どうだった?」と聞く。男は「すばらしかった」と答えるが、「ちょっとした願いを叶えてくれたら、満足が完璧になるんだが」と言い足す。頼むからズボンをはき、顔にヒゲを描いて、親友の役を演じて欲しいというのだ。「誤解しないでくれ、俺は変態じゃない。願いを叶えてくれれば、すぐに分かる」。女が男装すると、男は彼女に近づいて、横腹を突き、男どうしで秘密を打ち明け合うときの独特の流し目でこう言う。「何があったか分かるか?俺、シンディ・クロフォードと寝たんだぜ!」
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このディオゲネスという人はオナニーが大好きだったからなのです。彼は、オナニーは自分一人で、自由に、しかも簡単に快楽を得られるから、こんなにいいものはないと言っていました。しかも、さすが犬儒学派です。彼は、人が見ていようと、ところ構わず、どこでもオナニーをはじめたらしいのです。ある時、彼は広場でオナニーしながら、「ああ、お腹もこんなぐあいに、こすりさえすれば、ひもじくなくなるというのならいいのになぁ」と言っていたそうです。
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「未練」というのはなぜ感じるのでしょうか?それは自分が「支払いを受けていない」という感覚を持っているからです。自分はサービスを提供した。だから支払いを受けるべきである。しかしそれが未払いになっている。その感情( =勘定)のことを、世間では「未練」と呼んでいるのです。
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「プライドが高い」というのは、もちろん、言うまでもなく、「自信がある」の正反対です。自信がない。だから誰かを見下すことで自分のプライドを維持しようとする。
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人間の気持ちというのは心身の状態によって本当に簡単に一八〇度変わります。ちょっと話は逸れてしまうかもしれませんが、森岡正博さんが『感じない男』という隠れた名著の中で、いわゆるオナニーの「オカズ」として使われたポルノやグラビアは、射精が達成されると、突然目の前から消えて欲しいものになってしまう、と書いています。不思議です。それまでの数分間、想像力のポテンシャルを最大限に発揮しつつ、視覚の解像度を限りなく高めて凝視していた対象が、射精という一瞬の身体的変化を経ることで、全く無価値なものになってしまうのです。人間の気持ちなどそんなものなのです。心身の状態によって簡単に変化するのです。
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どんな悩み(問題)も一般的・抽象的である限りは解決しないのです。いかなる問題も個々の具体的状況の中にあります。そして個々の具体的状況を分析すると、必ず突破口が見えてくるのです。
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多くの場合、大人は疑わずに社会を眺め、子どもは疑いをもって社会を眺めます。自分をほとんど疑わない大人は、疑う子どものことが全く理解できませんので、子どもの疑いを押しつぶすことがあります。それは最悪です。子どもが反発してくるならいいのですが、反発してこない場合にはとてもよくないことが起こります。
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人生相談においてはとりわけ、言われていないことこそが重要である。人は本当に大切なことを言わないのであり、それを探り当てなければならない。 -
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この本をすめすめてくれた方への私のメールの一部を貼り付けて感想とします
「さっそく、まずは哲学者國分功一郎さん「来たるべき民主主義」を読みましたが、とても勉強になりました。年齢の割に世間知らずということでしょうが、主権者たる国民が政治に関われるのが立法府のみでこれを民主主義というのはおかしい。生活に密着する多くの決定は行政機関でなされる事が圧倒的に多い。行政が道路を決めたら反対するすべもない。住民に説明するだけでよい、了解をとる必要がない。というのです。
署名を集めても住民投票を議会は拒否できるし、住民投票までたどりついた小平市の事例は町長が後出しで投票率が50%を超えないと開票しないということにしてしまったそうで否決に至ります
こういう理不尽?は許せないのですが現在の政治、行政の仕組みではなんともし難いのですね
國分さんは住民投票に直接関わって、中沢新一さんや道路によって分断される雑木林の自然観察団体とも連携するなど、哲学者でありながら社会的な問題に関わっていらっしゃることがよくわかりました。社会学というのは、社会の仕組みを分析してよりよい方法を提言していくと自分は思っています。ここでは議会制民主主義は否定せずに住民投票制度を追加してよりよい民主主義を実現していく方法を提言していました。実現できればとてもすごいことです…」 -
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道具的で記号化してきた現在の言語。
実存主義、エビデンス主義、メタファー、心の闇、アレントやスピノザ、ハイデガーなど引用しながら國分功一郎さんと千葉雅也さんの言語に対する想いも含め、近年変化していく言語をどう取り戻すのか、そもそも言語とはなんなのか、そして言語無き人間とは存在するのか。
例えば「これは違反だ」とか「違法だからダメだよ」とテレビでモザイク入れて、悪い人を煽ることが当たり前ですが、その一つ一つの問題を法外まで考えている人は叩かれてしまう。
しかもその法外までを考えていくと、自分で考えて言語化しなければならないからめんどくさい。そうなると、もう法律がそうなんだからと言って、エビデンス主義が強くなってしまう。
本当は法外にこそ正義があるのかもしれないのに。
元々たくさんの言語によって法律ができたのに、その法律も記号のようになってしまった。
では今の言語ではない、人間らしい言語とはなんなのか、とても難しいかもしれませんが、とても大事なことなのかもしれません。
課題はあるようですが、もしかしたら中動態という概念が一般的になれば、社会が良くなる気もしてきました。
政治や公共的な問題を考えるには哲学が必要なのかもしれませんね。 -
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利他という言葉を最近になってラジオで耳にし興味を持つようになりました。なんとなく自分よりも相手や周りのために尽くす意味合いかと思っていましたが、利他にも色々あるらしいです。
本の内容は全体的に難しく感じましたが、利他について考える行為自体がとても大切な事なのだと感じた。何のための利他なのか、誰のための利他なのか。
一章 伊藤亜紗さんの
・利他は自分のためになる?
・数値化によって消える利他の感情
・他者のコントロール
・信頼と安心
が良かったです。
利他的な行為を行う上で自身が気をつけること、利他的な行為を相手から押し付けられた時の考え方等自分と相手の関わりの中で客観視するヒントを貰えたように思います。本の内容の中には心理学の返報性の原理やアドラーに結び付けられる箇所もあると感じました。
中島岳志さんの
・利他は私たちの中にはない
も良かったです。自分に置き換えて考えると分かりやすい。なるべく自然体でいたいですね。普段から気負わず背負いすぎず自分らしく過ごしていけば良いのだと思いました。 -
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伊藤亜紗の「利他」についての概論が一番よかった。
なぜ今、「利他」なのか、ということが、まず知りたかったので、ジャック・アタリの合理的利他主義や効果的利他主義についての説明がありがたかった。
中島岳志のいう「利他」は合理的利他主義とは違い、湧き起こるものであること、親鸞のいう若松英輔の「利他」は民藝の文脈からの「ウツワ」にその本質を見出すものであった。特に中島岳志に関しては、意外。ここだけではわかりにくいので、中島岳志の「思いがけず利他」もこの後読んでみようと思う。
國分功一郎の言う中動態がなぜ「利他」と繋がるのか興味があったが、なるほど「義」がそうであったか。つまりはやむに止まれぬ、湧き起こる気持ちとしての「利他」を語るには中動態で説明できるということだ。
これは腑に落ちた。
自分の中に訪れるものを受け取るということ。
中動態は依存症や同調圧力に屈するような、自分の意志を超えてしまうマイナスの面ももちろんあるが、こういったプラスの面ももちろんあるのだ。(中動態はプラスもマイナスも無いので当たり前なのだが)
「利他」の「意志」を中動態で捉えると、中島岳志のいう「利他」と相通じる。そう考えると、納得できる。
(でも、中動態の説明は難しかった…。)
磯崎憲一郎のいう「利他」は文学の書き手がいざなわれる「利他」について。
いずれも、人間は「ウツワ」であり、「意志」は自分が作るものでなく、向こうからやってくるものだ、というのが彼らの「利他」の考え方だ。
それぞれのアプローチで「利他」が書かれているが、読み終わってもなお、世に広めるのは、最初に紹介された合理的利他主義、効果的利他主義でいいじゃないかという気持ちは変わらないな。
まずは、それで動こうというコンセンサスをみんなが持つ。情けはなにより自分のため、でいいではないか。
そうでなければ、間に合わないくらい、今世界はのっぴきならない状態にあるんじゃないかと思うのだが…。
ジャック・アタリのいう合理的利他主義「情けは人の為ならず」でないと、現代社会に届かないと(私は)思う。
「利他」とはそうではない、という彼らの主張の方が正しいのか見極めたい。