ジャック・ロンドンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ冒頭の雪山シーン(2名が犬ぞりで棺桶?を運ぶ)ですぐに引き込まれた。勿論、目の前数十センチしか見えない雪道を、いつ目的地に辿り着くか分からない苛立ちの中で歩いた経験はないが、自然に状況を想像することができた。
物語の大部分は元オオカミのホワイト・ファング視点で展開していき、その成長/適応を追体験することができる。オオカミとしての本能に根付く行動を行い、自然や人間からのFBを受けることで、犬?として適応していく過程は、大きな驚きはないものの、普遍性を持つテーマ/物語展開であると思う。テーマの普遍性故に何を学び取るか?は難しいが、1つ選ぶのであれば、それは「自身の本能/核はやはり変わらない」ということ。ホワイト・ファングも一定状況に適応しているものの、根幹の部分は幼少期に形成され、そこから大きな変化はないように読み取った。核を持ち、日々の生活の中で社会性を帯びていく。良し悪しではなく、そういうものだと、時間軸(本書は100年以上前)・主体軸(本書のテーマはヒトではなく犬)をずらしても尚通用する普遍性を教わった気がした。
特に印象に残った箇所は以下の通り
・その壁は前に経験したほかの壁とは違い、近づいていくにつれて、退いていくように思われた。ためしに柔らかい小さな鼻を突き出してみても、かたい表面にぶつからなかった。その壁の実質は、光のように、はいりこんでいけば形が変わるように思われた。しかも子オオカミの目には、それがちゃんとした壁に見えるのだから、その壁の中にはいっていった。そしてその壁を作っている実質に浴した(p.101)
・あの頃はほんの子オオカミで、生まれてまもないので、型にはまっていなかった。環境という親指が、いつでも細工できるようになっていた。だが、今は事情が違っていた。環境の親指が、細工を仕上げすぎてしまっているのだ。ホワイト・ファングは凶暴で執念ぶかく、冷たくて愛嬌のない「けんかオオカミ」という堅い型にはめられていた。この型を変えることは、生存の逆流に等しかった。というわけは、ホワイト・ファングはもう若さの適応性を持っていなかったからだ(p.288~289) -
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(01)
野生と人間との間にはいつも葛藤があって,それがこじれたり決裂したりすれば,殺し合いにもなる.人間が狼を見続けてきたように,狼もまた人間を見続けてきた.人が狼に畏敬の念を抱く可能性があるとすれば,狼もまた,人を神のように感じとる可能性も同時にありうる.
しかし,本書は人間が書いたものであって,狼や犬が書いたものではない.よって,狼の眼を通して,異種の人間と神と同族の狼や犬を見て,その体験を綴った小説といえる.そこに描かれているのは,狼でありつつ,狼的な人間や,人間のうちにある野生であり,神は,人間でありつつ,人間のうちにある神とその世界(*02)でもある.
白い牙,ことホワイト・ファングには野生が宿っているが,遠い犬の性質を通して,既に理性の芽生えがあり,その理性がいかに人間の手によって育成され,神に近づきうるかを,その半生と出生譚を通じて体現している.
暴力もあり,恐怖もある.心の寛さがあり,魂の飢えもある.狼は言葉をもたないが,持たないがゆえの豊潤で野生的な感覚と応対がある.
人間の魂が入ったような白い牙には,狼がのりうつったかのような著者の入魂を読み取ることができる.
(02)
狼はひたすらに純粋でもある.そのため,人間社会が奇妙に,さもしく,汚れた精神に彩られていることの対比が美しい.冒頭のヘンリの物語が,ぎりぎりの人間を,つまりは動物になり,肉になりつつある純粋な人間を現し,エピローグともいえる終盤の章では,それでも人間社会の希望を描こうとしている. -
Posted by ブクログ
主人公はホワイト・ファング(白い牙)と呼ばれる狼。舞台は、ゴールドラッシュに沸く北米の原野です。
厳しい自然界の掟を学んだホワイト・ファングは、人間と共に暮らすことになっても、生き延びるために野性の本性を研ぎ澄まし、本能の命ずるまま行動し、自分以外のすべてのものに激しく牙をむきます。彼は強く、狡賢く、凶暴で、情け容赦のない・・・・そして孤独な灰色狼です。けれど、ホワイト・ファングの血の四分の一は、犬のものでした。すぐれた順応性も併せ持っています。
この小説は凡そ100年前に書かれたものだそうですが、動物行動学者も顔負けの洞察力にはびっくりです。作者ジャック・ロンドンの生涯も、ホワイト・ファングに負けず劣らず波乱万丈だったようですが、その経験が作品にも大いに反映されているのでしょうネ。狼の目を通して世界を描き、しかも過度に擬人化せず、登場する人間のセリフに頼ることなく物語を進めながら、これほど読む者をひきつけるのですから、動物文学の傑作といわれるのにも納得です。犬好きの人にはたまらない1冊ですよぉ。 -
Posted by ブクログ
『野性の呼び声』が面白かったので、下高井戸の駅の本屋で平積みされていた本書も読むことにした。
『野性の呼び声』は飼犬が野性に呼ばれる話だが、『白い牙』はその逆で狼が人間のもとに下る物語である。
主人公が狼なので、三人称とはいえ一貫して狼の視点で書かれた小説である。狼がうろうろするだけの話をよくもこんなに面白く熱く語れるものだとジャック・ロンドンの筆力に大変感心した。
『野性の呼び声』に比べるとやや劣ると感じたのは、私が既に文明のなかにあって、呼ばれるとしたら野性からであり、呼び起こされるとしたら本能であるからだと思う。忠誠を尽くしたい人間や自分の力を捧げたい仕事を心のどこかで求めている獣に近いような人間であれば、『白い牙』の方が面白いのではと思った。 -
Posted by ブクログ
・ジャック・ロンドン「ザ・ロード アメリカ放浪記」(ちくま文庫)を読んだ。私はジャック・ロンドンを「野性の呼び声」と「白い牙」 でしか知らない。日本で有名な作品である。動物文学作家だと思つてゐた。しかしさうではないらしい。海外文学に対する無知である。作家といふもの、そんな単純なものではない。 ジャック・ロンドンは40年の生涯の「20年間に53冊の著書と200以上の短編小説を発表した。」(Wiki)さうである。結構な量である。この「ザ・ロード」もその1つ、かなり読まれたらしい。「ホーボーとしての経験が書かれたこの本は、その冒険物語があまりに魅力にあふれていたので、当時、彼の真似をしてホーボーになろうと家出する少年達が増えた。」(川本三郎「訳者解説」269頁)さうである。当然、ホーボーのことは書いてくれるなとも言はれた(同前)といふ。このホーボー、「決して社会的落伍者ではない。むしろ中世の吟遊詩人たちのような自由な放浪者という面が強い。」(266頁)とか、「移動性を重んじるアメリカ社会から生まれたひとつの文化英雄である。 決して社会から見捨てられた哀れな浮浪者ではない。」(267頁)と訳者は書いてゐる。「たとえ貧しくとも、社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きることが出来るアメリ カン・ヒーローである。あの山高帽にだぶだぶスボンというチャップリンの放浪者のイメー ジが云々」(同前)とくると、 チャップリンもまたそんなヒーローの1人であつたらしいと気づく。ホーボーはそれほど魅力的な存在であり、ロンドンはそれを更に魅力的に描いたのであつた。
・どれほど魅力的か、これは目次を見ればよく分かる。本書は全9章、「貨車のすきまに」「食卓の幸運」「鞭打ちの光景」「刑務所の生活」「作業所の囚人達」「最高の放浪者」「ロードキッドの社会学」「二千人の放浪者の行進」「デカの追跡」からなる。これからすると本当に「文化英雄」とか「ア メリカン・ヒーロー」とか言へるのかと思つてしまふ。「最高」や「社会学」「行進」を読んでも、他は当然として、魅力的ではあつても、私にはそこに英雄やヒーローがゐるとは思へない。Wikiには、「アメリ カで19世紀の終わりから20世紀初頭の世界的な不景気の時代、働きながら方々を渡り歩いた渡り鳥労働者のこと。ホームレスのサブカルチャーの一員。 」(「ホーボー」の項)とあるが、ホーボーは基本的に、訳者の言の如く、「社旗的束縛から解放されて自由気ままに生きる」者達であつたらしい。アメリカでは「旅すること、移動することは生活の一部になっている。」(266頁)のだが、 「一カ所に定住することを大事にする農耕民族の日本人」(同前)にはそれは理解し難いのかもしれない。それでも、現在の人間は、ホーボー生活は実に大変ではないかと思ふ。最後に「写真資料」(279頁〜)がある。いかにスピードが遅いとはいへ、貨車の下にもぐつたり、屋根の上を歩いたり、連結器上に登るなどといふのは危険である。私からすれば、命の危険を顧みずにするだけの価値があつたかどうか、甚だ疑問である。肉体的な危機以外にも危険は多い。「デカの追跡」には警官に浮浪者として追ひまくられるホーボーが描かれてゐる。自由気ままに生きる代償なのであらう。定住民に放浪者は目障りである。定住民たる私はそんな代償を払つてまでする生き方ではないと思ふ。ただ、それをかうも魅力的に描いた作者の筆の冴えは見事である。ヒーローかどうかはともかく、束縛の多い人間からすれば、そんな生活も良いと思はせる魅力があつた。 本書は一時期の米国の若者風俗素描であつた。