中村計のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
スポーツノンフィクションやスポーツドキュメンタリーとは、トップアスリートの成功の裏側にある努力譚を記したり、かつて栄光に彩られた選手が困難の中にある様子を描いたりするものがほとんどだと思う。それはそれで興味深いし、読んでいて感動したり、刺激をうけたりするのだけれど、本書あとがきで高橋秀実が語るように、そうしたノンフィクションやドキュメンタリーは「『努力』を軸にした人生訓話」という側面が強く、時に説教めいたりもするので、読んでいて疲れたり、読むこと自体気が引けたりすることがある。
その点、本書『歓声から遠く離れて 悲運のアスリートたち』は、「人生訓話」めいてないので、ノンストレスですいすいと読むことができた。あらゆる不遇な状況に翻弄され、期待されながらも結果がだせなかったということを描く点にこそ、一般の読者としてリアリティを感じたのも読みやすかった理由の一つ。
「〈不運〉と決めつけられるのは決して気持ちのいいものではないかもしれませんが、そうした不遇を経験した人間にしかわからない知恵や、強さを描ければと思っております」と、本書の著者、中村計は書く。単なる訓話や悲劇の英雄譚にならぬよう、丹念に謙虚にアスリートを描こうとする中村計の筆致も一見の価値あり。 -
Posted by ブクログ
ノンフィクション。
日本が揺れた松井秀喜5打席敬遠のドキュメンタリー。
明徳が悪者扱いをされている印象が強かったが、関わった人達の話から明徳は悪者ではないと思えた。
勝つことに徹底したやり方が果たして悪いことなんだろうか?答えは多分出ないのかな…価値観の違いなのかもしれない。みんな純粋だった。野球にかけていた。それがすごく伝わってきた。
特に星稜の五番を打っていた月岩さんの話は心に残った。
やっはり試合の後はいろいろな葛藤や後悔があったようだ。(今でも?)葛藤の末の言葉であるだろうがこの言葉が印象的だった。
「あそこで打って、有頂天になっていると…将来のことを考えると、打てなかった方が良かったと思います。」
松井選手の夢の実現にはどうすればいいかという質問の答え
「…逃げないことじゃないですか。好きだと思えることからは。」
やっぱり努力してきた人は言葉の重みが違う。 -
Posted by ブクログ
5名の一流アスリートのその後(現役の方もいるが)を追跡し、「悲運」とくくられるゆえんを問う内容にしようとした本と見た。筆者の想定が強烈すぎて、それにそうように勝手に解釈を完成させようとしているのでは?という疑念がまず起きてしまい、途中、いらっとしてしまった。が、総じて客観的ではあるとは思い、特に水泳選手の記事には色々思うところもあり、最後まで通読できた。
まじめな人、感性が独特の人等スポーツという極めて厳しい世界で名を馳せた、馳せることがどんだけのものなのかということを少し感じ取ることができたのではないか、と思っている。いや、やっぱ究極であると思うことしきり。自分の日常にこのような状況はないので、今後どう咀嚼するかは課題になるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
類まれな才能に恵まれ一度は栄光を掴んだものの、その後消えてしまった「不運」のアスリート達を追ったスポーツノンフィクション。
不運なルール改定や、ちょっとしたタイミングの悪い小さな出来事、など「あの時あんなことさえなければ…」というのは結果言い訳に過ぎない。
その後のトップアスリート達の、張り詰めた糸がギリギリと音をたてるような精神状態を追いながら、五輪で金メダルを獲ったり、プロで一線であり続けるような頂点に立つ者は、場の雰囲気や全ての運を自分に引き寄せるメンタルを持った一握りの神に選ばれし者だということがヒシヒシと分かる。
そして類まれな才能に出会ってしまった指導者と選手の結びつき、確執、葛藤。
両者の思いのズレや温度差が人間臭くて、スポーツとは身体能力も当然ながらそれ以上にメンタルがどれだけ重要か。
一瞬の煌めきを放ったアスリート達のそれぞれの人生。ドラマ以上のドラマがここにある。 -
Posted by ブクログ
その試合の後で教え子たちにかけた監督の言葉に、ぎゅっと胸が詰まりました。
「星稜らしく、散ってしまったな。」
それは、監督自身が13年前の教え子と甲子園で経験した、簑島高校との延長18回の激闘の末の敗戦に重ね合わせて言った言葉。
野球にうとかったわたしでもその試合は鮮明に記憶しています。
いまも何かにつけ、甲子園の名勝負として紹介されることの多い試合です。
そして今回この本で取りあげている試合は、また違う形で星稜が甲子園の悲劇の象徴みたいになってしまった時のことです。
わたしの祖父と同じ根上町出身の松井秀喜選手は、それだけでとても身近で親しみを感じる相手。毎年夏に帰省すると、地元の寺井駅の構内の売店では「ゴジラ松井クッキー」を売っていたほど、地元では大ヒーローなのです。(その売店も、JRの合理化の波なのか、もう数年前になくなってしまったけれど。 )
メジャーリーグにまで飛び出してしまう「怪物」が、あの静かなほのぼのした町内からよく誕生したなあ、と思わずにはいられません。プロに入ってからの飄々としたインタビューの態度。言い終わったとき、下あごをぐっと噛み広げる独特の表情。ますます、おもしろい人だなあ、と思って、今もスポーツニュースに出てくるとつい注目してしまいます。
簑島高校との激闘から13年後の夏の甲子園。石川県代表として甲子園にやった来た星稜高校。
4番で主将の松井選手に対し、対戦相手の明徳義塾高校は全ての打席、5連続敬遠を選ぶのです。
大会前から「怪物」として名をはせていた高校生ばなれした強打者松井選手は、その試合、バットを1度も振ることなく、伝説になってしまうのです・・・
「高校野球らしく堂々と戦え」という明徳義塾の監督に対する非難、松井選手の次の打順を打つバッターに対する「お前が打っていれば勝てたのに」という無言の声。
この本は、当時の両校の選手や監督、そして、松井選手本人など当時のことを知っている人物にインタビューをして、当時の事実や選手の偽らざる心情をまとめています。
5打席連続敬遠なんて、松井選手はさぞかし悔しく甲子園を去ったことだろう
とか、
監督のサインにしたがって勝負から逃げるような球をミットに投げ込まなければならなかった投手だって、本当は松井と勝負したかったに違いない、
とか、
全て、ギャラリー側の視線にすぎないのかなぁ。
なんて、思いました。
スポーツ選手として、競技に取り組みながら考えていることは、同じ目標に向かっていても、そのやりかたとか、何を信じるか、とか、そんなものは自由なんだということを思い知らされました。
勝負事だから当然勝つことにこだわるのも信念。そのための戦術としてルールを越えなければ何も間違いではない。
特に高校での野球の場合、「甲子園」という明確な目標が描きやすいので、たんなる高校生のいち部活を超えている世界があるということは、なんとなく感じられるところではあったものの、そのそれぞれの毎日と人生は、壮絶なものがあるのだなあと。
(この印象もまた、ギャラリーとしての視線に過ぎないけれど)
この本の著者の方もまた高校では野球をやっていたそうで、自らのエラーで勝利を逃して現役生活の幕を閉じてしまった、という思い出があるそう。それで、同じ野球経験者として、彼らの気持ちがわかってやれるのでは、とこの取材を決意し、自力で当時の関係者にアタックし、インタビューをしたというところがおもしろいと思いました。
質問ひとつにしても、単なる、話題としての問いかけしかできない場合と、”こんな場面では、選手なら、監督ならこう考えるんじゃないか?”という前提のもとに話しかけができるというのは貴重だと思うから。
それでさえ、取材者が予想するのと全く違う種類の答えが当時の選手や関係者から帰ってくることがあって、つくづく、話は聞いてみないとわからないものだなあと感じました。
しかし、いくら「あの試合」から相当の年月が経過し、それぞれ大人になって当時の選手達が、「過去の思い出」として振り返った上で話してくれたとしても、あの暑すぎる甲子園のグランドに埋めてきて、絶対に、一生取り出さない想いも、あるんだろうなあ。
高校野球は「ひたむき」とか「さわやか」とかよく形容されますが、ぜったいそんなことだけではすまない。渦巻くいろんな世界がある。
選手の想い、監督の想い、そして甲子園という場所が象徴する一瞬のきらめきと重圧と運命のめぐりあわせ。この中で、ただ上手くなること、勝つことに向かって、それぞれのやりかたで、3年間を部活とともに生きている野球部員たち。甲子園はそんな人たちの舞台なんだな。あらためて重たく恐ろしい場所だ!
今年も地方大会が始まって、そして甲子園の幕が開ける。この時期にこの本を読んでよかったと思いました。