エックハルト・トールのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
・心に浮かぶ思考を、あまり真剣に受け止めないこと
→これは覚えておきたい。思考に占領されないように。過去に行ったり未来に行ったり、今ここにいれない時は
たいてい思考に支配されているなぁ
・「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。→知らないでいる状態をなんとかしたい、知りたい、という知的好奇心が私の原動力と思っていた。
ただの思考優位にするための、言い訳だったのかな。
知らない心地よさ、これは私の中になかった感覚だ。
・人間を不幸にしているのは他でもない自分自身の思考。出来事に対する解釈、自分に話聞かせている「わたしの物語」 -
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Posted by ブクログ
思考することによって、自分が存在すると思っていた。思考が自分のアイデンティティ だとさえ 考えていた。でも 実は 思考は本当の自分ではない。
過去は記憶にすぎず 未来は妄想にすぎない。 どちらも存在していないものであり、思考の中のものでしかない。
でも、人はついつい 過去の記憶や未来の妄想の中で生きてしまう。未来を夢見ることは悪いことではない。しかし、自分が存在しているのは今という瞬間だけだということをわすれてはいけない。
自分たちは本当に今を生きてるのだろうか。そんなことを考えさせてくれる一冊であった。
実態のない世界に生きていることで、現実の出来事に対しても無意識の反応で生きてしま -
Posted by ブクログ
ネタバレ仏教の悟りを民営化した素晴らしい本
ストア派哲学の苦しみの少ないことを選ぶのが賢者の生き方というがそれを探求したのが仏教
仏教は悟りを開くことで苦しみの少ない生を得ることに成功したがその技術を敢えて難解に書いたりとその技法を権威化し隠匿し習得が難解な如く教えた
オショーラジニーシやエックハルト・トールらの運動はその悟りの民営化そのものだ
この本の成果は西洋哲学を完全に殺し、仏教の権威的な悟りについての糞というほど難解な記述からの悟り学習を必要なくさせた
道元の生活禅についてもブッダの今を生きろというあまりに抽象的な言葉に対しこの本では具体的な説明が書かれている
それだけでもこの本の成果は高い
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Posted by ブクログ
ネタバレ導かれるようにして、本書を手にしました。
わたしの中のホンモノのわたしが喜んでいる、解放されたいと喜んでいるのを感じ、ワクワクしました。
しかし、読み進めるなか、リピートされる過去の出来事、妄想、などなど、これがわたしのエゴなんだ、と痛烈なパンチもお見舞いされましたが。
長年、パーソナル障害と思しき人との関係に苦しみ傷つきましたが、近年やっと、理性で接することができるようになりました。つまり、わたしの中に、俯瞰する冷静なわたしが、出現してくれたのです。
このタイミングで本書に出会えたことをとても嬉しく想います。
わたしには難しい内容もありましたが、『ほんとうの自分を見つける』べく -
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Posted by ブクログ
言葉の選び方、話の展開、どちらも体に優しく染み込んでくるので、これがお人柄か、と思わされる。
スピリチュアル系の本を立て続けに読んでいるが、多くは同じような事を言っているのだが、その表し方に差異がある。
本書は、文中にも多く出てくる言葉の、静謐さ、そのものである。
心静かに読むことが出来る。
私がエックハルト・トールを読むのは2冊目。
1札目では、
今に在る、という感覚が具体的にどういう事を指しているのだろうか?
という問いが残っていたのだか、本作ではかなり丁寧にそこが書かれていて、感覚的に自分の中に落とし込む事が出来た。
ざっくりと読んでも心に残る一冊。
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Posted by ブクログ
先日読み終えたラスハリスの書籍と、メッセージ性は共通していました。
スピリチュアルなんて信じないよ、という方はまずラスハリスの本を。
どちらもおすすめです。
今まで自分が思っていた自己、思考や感情についての感覚が一転する思考。
とてもシンプルで心地よく、自己肯定感を底上げしてくれるものです。
スピリチュアル系と言ってしまえばそれまでですが、宗教の教えも、スピリチュアルも、引き寄せの法則も、宇宙のパワー?のような話も、皆言っていることは同じくくりなのかなと。そちらの能力が無いので何とも言えませんが、霊感も第六感もスピリチュアル性もありませんが、広く大きく共通している部分を感じます。言ってし -
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Posted by ブクログ
ネタバレ「悟り」とはまったく別のレベルの存在への飛躍、そして何より大事なことに物資性の減少を意味する。
あらゆる生命体はすべての源であるひとつの「生命」、ひとつの「意識」が一時的に形となって現れたものである。
人間がある程度「いまに在る」という本質的な生き方ができるようになり、外界への静かで鋭敏な意識が芽生えると生命の聖なる本質、つまりあらゆる生命体に存在する意識あるいは魂を感じ取り、それが自分自身の本質でもあると気づいて愛せるようになる。
だがそれまではたいていは外形的な姿ばかりを見て、内なる本質になかなか気づかない。自分自身の本質がわからず、肉体的、心理的な形が自分であると信じ込む。
人間