阿部恭子のレビュー一覧
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加害者家族を支援している団体の方の著書。この方の「高学歴難民」という本は有名だと思う。あまりに衝撃的で直接的なタイトル。「加害者家族を支援する中で、あまりに多いインセストタブー」と確か帯に書かれていた。
読むと、私はたまたま、偶然まともな両親のもとに生まれ、特に何事もなく育ててもらえただけなのかもしれないと思った。
そういう事、親、家族に出会ってしまう人もいるだろう。
読んでいてなにしろ胸が痛かった。
支配と被支配。特に子どもと親なんて、どれだけの力の差か。
あまりに重たい現実。
想像するだけで、身体が重くなる気がする。
辛い現実に目を背けたくなるが、目を背けてはいけないのだろう。
あら -
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タイトル惚れの一冊。
だが読み進めていくに従って描き出される、現代日本における学歴社会の非情さと、うまく社会のレールに乗れなかった場合のセーフティネットの無さに暗澹とした気持ちになった。
学歴や就職にこだわり大学院に進んで、生活がたち行かなくなった人。 法曹界を目指し司法試験に挑むものの、高い壁に阻まれ社会人として再起が難しくなった人。そしてその周囲で当人を支える家族の苦悩と後悔。
就職氷河期世代にギリギリかぶる自分としては、ややもすれば紙一重で自分も歩んだかもしれない未来が、そこに描かれている。
就職氷河期世代も含め、もっと社会や国がすべき対策があるのではないだろうか?置き去りにされ -
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これ、読んだことがあるかもしれません。
それとも、何かの記事で、部分的に読んだことがあるのかもしれません。
切ないです。
でも、わかりますし、危惧しています。
私は、3流私立大学出身です。
両親は、地方の国立大学出身で、教員をしていました。
弟は、クラスで1〜2人しか大学に行かないような高校に通っていました。しかし、母が、大学に行った方が絶対に良いという思想のもと、進学を進めました。二浪して、専門学校に入って、もう一度受験して、地方の無名私立大学を卒業。就職は、大卒扱いではなく、高卒扱い。歳下の上司に教わるのが辛いと、何年かで退職し、実家へ。その後、実家で就職しましたが、事故で亡くなりまし -
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ネタバレ「加害者家族も被害者である」本書の中に出てくる言葉にそのとおりと頷くものの、今の日本ではそれはほぼ通用しないのが現実なのは確かだと思われます。著者の本にこれまでも興味はあったけれどもこの度初めて手に取り。
この人はどうして加害者家族支援という活動をしているのだろうか、という疑問も本書でわかった。支援活動に対する意欲というよりかは当初は極めて個人的感情から始まっているというのが興味深かった。でも何を始めるのもきっかけというのはそういうものかもしれないとも思う。
家族連帯責任という考え方について明治時代には法律で認められていたということに驚いた。「縁座」という言葉聞いたことある気がしました。明 -
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加害者家族とメディア報道についての基準が曖昧で、何のために報道されるのかその目的を明確にしたものはあるのか調べてみたい。
被害者支援も最近になってようやく制度の見直しが始まっているが、加害者家族支援は網の目からこぼれている。加害者家族には精神的支援はもちろんのこと、法的責任がともなっており、支援の仕組みが被害者や被害者家族とともに必要に感じるが、現状ない。民間団体や弁護士に頼っており、弁護士も加害者主体で関わるため、十分でない。
加害者家族を支援することで、再犯防止効果が期待されるのか、効果検証をし、国民の理解を得ることがなければ変わることはないのではないか。
欧米諸国は進んでいる。 -
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ネタバレ全体を通して、単純にケースを紹介しているようにも感じたが、最後のまとめ、筆者の経験から裏打ちされた持論が良かった。
男性の方が、犯罪者が多い。しかし、抑圧された末の爆発が精神的な病巣となっている例がよく見られることから、心の内を明かせない、弱さを見せられないといった、男性本位なマッチョな精神構造社会の犠牲になっているのは、男性自身にもいるという。女性はもちろん、男性にもマイナスなわけだ。
多様性が大事になっている世の中だからこそ、いろんな側面を受け入れられる世の中になっていくと、家族という地獄からも逃げ出しやすくなるのかもしれないですね……
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ネタバレ加害者家族の支援活動に携わる著者ならではの視点が新鮮。野田市児童虐待死事件についても詳しくレポート。犯人はなぜ家族に暴力を振るってはならないか、何が虐待か理解できないまま裁判、判決に至ったことが残念で、それでは再犯、または逮捕に至らないまでも類似の暴力を出所後起こす可能性が高いので、プログラムが必要と云う問題提起。そしてこの著書のテーマの家族間の事件では犯人家族が被害者家族でもあるので、犯人の妹の言葉も詳細に取り上げ、ネットでは自分を兄がいじめていたなんて書き立てられたが事実無根であるとのこと。この辺りは、私は信じてしまっていた、というよりどうせ他人事の野次馬の視点だと「そっちのほうがストーリ
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人は他人に対して、自分が受けてきたような対応しかできないのではないだろうか。
これは私の中では真実に近い言葉でした。
死刑囚の生育歴を読んだことがあるのですが、被害者の事を忘れてしまう程可哀想だと感じてしまいました。
そうしてこちらを見れば、苦しむ加害者家族の姿がありました。因果応報という言葉と、とばっちりという言葉が両方思い浮かびました。
一番印象的なのは、第六章の家族のために父を殺したお兄さんでしょうか。私にもアルコール依存症の似たような父親がいるので、気持ちがわかるような気がします。
殺人は犯罪なので褒められたものではありませんが、家族を守りたかったのですね。辛かったなぁ、と声をかけ -
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故意の犯罪でなく交通事故などでも、ある日突然加害者家族になってしまうことがある。
故意の犯罪でも家族は気づかないことが多く、普通に暮らしていたのにある日それが突然崩壊する。
被疑者となった家族とは面会はできても事件のことについて話すことは許されず、家族は原因がわからないまま世間にさらされる。
そしてその度合いはマスコミの報道によって変わってしまう。
被害者やその家族が守られるのは当然のことだ。しかしその中で取り残されてしまう加害者家族。
「誰も守ってくれない」「望み」など映画の題材となることも多い。
正直自分がその立場になったら、または周りの人がそうなってしまったらどうするのかはわからない。
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Posted by ブクログ
加害者家族を支援するための組織を主宰する著者が、その実態を紹介した本。
加害者自身に比べて、その家族は何か守られるものはない。特に大きな事件になると報道やネットによってさらされることになり、通常の生活が営めなくなり、引っ越しや転職を余儀なくされることもあるという。何かの事件が起きたときに、同じような事件で自分が加害者家族の立場に立たされる可能性を考えたことはあるだろうか。被害者家族の方であれば心情的にも寄り添えるのかもしれないが。
著者は、日本でも例のない加害者家族に対する支援というものにとまどい、ときに焦りを感じ、悩んでいることを隠さない。そして、支援を支援してくれる人への感謝を忘れない