阿部恭子のレビュー一覧
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加害者家族の受けている苦しみと支援を知ることができました。
今のメディアは被害者や被害者家族はもちろん加害者と家族に対してもこれでもかというほど追いかけまわします。
世間は被害者とその家族には同情するのに被害者家族にはむしろ背中を押す傾向にあります。
私もそうでした。
この本を読んで加害者も苦しんでいるんだということがわかりました。
確かに家族を加害者にしたかったわけでもなりたかったわけでもないんですよね・・・。
それでも私はもやもやしたものを抱えてしまいます。
犯罪者の中には親のしつけが行き過ぎていたりして家族との関係がよくない場合があります。
同情するわけではありませんがその批判を受 -
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加害者に人権などない。
罪を犯したものは、その罪を一生償え、死を持って償え、同じ苦しみを味わえ!
家族だって同罪だ、だってそんな奴を作り出したのだから。
そう思う人も一定数はいる。
凄惨な事件であれば、幼子が死ねば、その怒りの炎は鎮まらない。
しかし、だ。
家族、親族が同罪だ、というのはあまりに行き過ぎではないか。
それらは短絡的思考に他ならない。
自分だって、いつ、その立場になるか。
そもそも連座制を持ち出すなんて現在の法体系を否定するものだ。
村八分、非国民、そうやって私たちは誤った考えで大きな過ちを犯してきたではないか。
もちろん、中には家族そのもののあり方に大きな問題があることもあ -
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最近高齢者の交通加害事故の報道がある度に、『家族も出てきて謝れ』とか心ない反応を目にすることが多く、違和感を感じていた。家族は関係ないだろう、と。この本を手に取ったのもそんな違和感がベースにある。
予想通り加害者家族の壮絶な体験が綴られていて、日本社会の未熟さに改めて絶望的になった。唯一の救いは、こうした正義感の強い人が支援の手を差しのべてくれていることだ。特に交通加害については全く他人事ではないから、頭が下がる。
前半は脈絡もオチもない話が淡々と語られ、それが逆に妙なリアリズムを感じさせる。後半は加害者家族支援の背景とビジョンについて著者の迷いや決意がよく伝わってきた。 -
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書名にギョッとされた向きもあるかもしれません。
息子さんがいる親御さんなら、「何を縁起でもない」と眉を顰められた方もいるでしょう。
ただ、犯罪者は、一般に想像されるように崩壊した家庭からのみ生まれるのではありません。
むしろ、どこにでもあるような平凡な家庭から生まれるようです。
本書は、加害者家族支援に長年携わってきた著者による問題提起の書。
書店で何の気なく手に取って読み始めたところ、知らないことばかりで読み耽りました。
本書には、加害者家族の実例がいくつも載っています。
ある日突然、警察が自宅にやって来ます。
「息子さんのことで話があります」
親はそこで初めて、息子が殺人事件の犯人であるこ -
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わが子を殺人犯を育てようと思う親はいないはずです。
愛した配偶者や、血縁、知人を、わざわざ犯罪者にするために縁を結ぶひとも、おそらくいません。
なのに、凶悪犯の家族は、いつも、糾弾され、責められ、追いかけ回された挙げ句、忘れ去られていきます。
秋葉原事件の犯人の弟が自殺していること、それは、贖罪になるわけではない事実です。ある幸せな未来があったかもしれない若者を、死に追いやったことを、兄を持った責任というのは酷すぎると思います。
殺された人は被害者です。
身内が殺されて、怒りをぶつけるならどこかにぶつけなければ生きていけない苦しさも、想像に難くありません。
殺人事件の背景を分析ごっこしな -
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なかなか読んだことがない。認識したことがあまりない
視点でした。
きれいごとと思われる部分はあるかと
思いますが、逆にきれいごとで何が問題なのか?
加害者の子供が夜中の誰もいない小学校で
走ってお別れを言うっていうところは単に感傷的になる
だけではなく、心が痛む話でした。
自分の息子が犯罪者になる。自分が犯罪者になる。
となった場合に自分がどうなるのか?
自分は大丈夫なのか?自分の家族は大丈夫なのか?
ということに完全に自信を持てないところがあるのは
しょうがないかもしれませんが、そういうところから
考えることが意味があるのだと思いました。 -
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近親性交 阿部恭子 小学館
語られざる家族の闇
「販売たちまち重版」と宣伝されているが
この本は本当に問題提起なのか?
著者は1977年生まれ
特定非営利活動法人の理事長とある
ノンフィクションは兎も角
何を目的としたのかも曖昧だし
ここまでリアリティを持たせる必要があるだろうか?
著者の大きな写真を表紙の帯に載せた意味はどこにあるのだろうか?
読んだ結果
どう見ても福祉の切り口を装うセンセイショナルな読み物であり
売名行為に見えてしまう
もう少し現象面をおさえた表現であっても良かったのではないだろうか〜
日本社会のタブーだと言うがとんでもない
家族だけの問題でもなし
宗教や学校や合宿や軍隊 -
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日本で高学歴(大卒・大学院)で毎年多くの学生が世に放たれている。大きく分けて理系は研究職等の就職率がそれなりあり、人文系の学部や非正規雇用に流れることが多いことが傾向として示唆される。
さて、本著は高学歴難民という存在について紹介と解説と支援の必要性を訴える本である。高学歴難民とは最近の話ではなく歴史から見ても昔からいる。中には進学校の高校時代のプライドを拗らせた難民も中にはいる。高学歴難民は多くの要因や原因が考えられる。高学歴であれ低学歴であれ、学歴が無い人であれ、それは本質的には区別する意味はない。全員人であり得手不得手に出会い壁に直面した自然なことだ。
私は思う、高学歴というのは問題解決 -
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「学歴があるにもかかわらず、学歴に見合った社会的地位を得ることに失敗した高学歴難民」
とは、なんてつらい言葉なんだろう。
学歴に見合った社会的地位って‥。
学歴があったからといって人生がうまくいくわけではなく、そのコンプレックスがもとで犯罪を犯してしまったりすることすらある事例をいくつも見て、心が苦しくなりました。
では、どうしたらいいの?
人が幸せに生きるって難しいことなんだな。
『どうせおまえたちなんかに俺の価値はわかないだろう‥』と社会に背を向けている人を、誰が助けたいと思うでしょうか。幸せを手に入れた高学歴難民に共通することは、人との出会いを大切にし、行動し続けたことです。
自ら行 -
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中国では多くの高学歴者の就職先が見つからず、浪人、もしくは低所得者労働者になっていると言う。今後日本でも高学歴の大学卒でも思った就職先が見つからない、就職できないなど出てくることは間違いない。それは日本経済の低迷で追加人材を採用できない環境であり、高齢者の継続的労働と同じ仕事でも低賃金で働く環境となっているからである。ここにある、若手の必要性感じる職とは「専門職」「特殊技術職」「新たな職」となる、さもなければ他国への移住し探す方が早いと感じる。別の見方をすると、希望する職を得たとしても、思った企業・職ではないと感じ(がまん、辛抱する精神的ストレスに弱い)、すぐ転職する層が増える中で、今後は若い
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序章 犯罪者、1章 博士課程、2章 法曹、3章 海外留学、4章 家族の告白、5章 高学歴難民の孤立 という章立てで、高学歴だが将来の望みがなく生活に困っている人を描くという構想だったと思う。たしかに、序章と1章に描かれているのはまあ高学歴志向の犠牲になった人という感じがする。しかし、2章の法科大学院卒司法試験失敗組と3章の海外留学帰りの人は、それなりに楽しくやっているし、4章に書かれているモンスターは、高学歴の犠牲者というより学歴がなくてもモンスターになるタイプの人のように見える。
日本の文系の大学院への進学は、生活の役に立たない無駄遣いだ、ということを再確認させるという意味はある。 -
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ネタバレ加害者家族支援をされている阿部さんの本でありタイトルも「確かにそういう人増えてるな」と問題意識があったので手に取り。
しかし…事例が豊富で確かにそれは問題、大変…といろいろ知ることはできましたが、結局それでこの問題をどのように解決したり打開するのか、ということに全く触れられてなく。
だいたいの人は大学院進学が分岐点、というような分析箇所があり、確かにそうだなと思いましたが、そこから何もなくて進学した事自体が悪いかのような印象を持ってしまいます。
事例を知りそのような現実の人がいることを知ることはまず大切なのは確かですがうーん…本書の感じだと「困難な人生を歩んだ人もこんなにいるね」で終わってし