三浦佑之のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
古事記の上巻の内容をわかりやすく紹介しながら、そこにひそんでいるさまざまな問題をとりあげ、著者自身の解釈を織り交ぜて解説をおこなっている本です。
著者はすでに『古事記を読みなおす』(2010年、ちくま新書)など、古事記にかんする入門書をいくつか執筆していますが、本書は著者の講読の授業に似たスタイルで、古事記についての解説をおこなっているところに特色があります。
著者の古事記についての理解がどのようなものであるのかということを簡単に知るためには、上述の『古事記を読みなおす』などの著書にあたるほうが適切です。とりわけ古事記における「語り」の契機を重視する著者の古事記解釈の基本的なスタンスそのものについての説明が本書では割愛されており、本書の解説のどの部分が著者の独創的な見解であるのかということが読者にわかりにくいところがあるように思います。
とはいうものの、著者が古事記のさまざまな内容をどのように読み解くのかということがヴィヴィッドに記述されていて、たのしみながら読むことができました。 -
Posted by ブクログ
・三浦佑之「古事記の神々 付古事記神名辞典」(角川文庫)を読んだ。講談社から出た「出雲神話論」の前駆書であらうか。ここでも出雲神話 が大きく採り上げられてゐる。「出雲神話論」を読んでない私はこの点でまづ興味深かつた。何しろ私の古事記は好きでちよつとかじつた程度である。たかが知れてゐる。それ以上に、私は古事記と日本書紀を「別個の作品だと言いながら『記紀』という呪縛(マインド・コントロール)から完全に解き放たれていない」(10頁)人達の 古事記理解の中にあつた。しかし、これが普通の古事記理解のはずである。アマもプロも、歴史も文学も、記紀の片方と理解しながら古事記を理解してきた。「今考えると、『記紀』という併称は単なる略称ではなく、恣意的にどちらかを見せたり隠したりする時に、たいそう都合よく使える呼称 だった。」(9頁)私 はその文学的な側面を、つまり「物語のおもしろさは古事記のほうにあ」(8頁)るといふ考へで読んできた。ところが、かういふのは問題であるらしい。誤解 を恐れずに簡単に言つてしまへば、「西欧型の近代国家の構築を目指した明治政府は……古代律令国家の再現を夢見るかのように……その 幻想を保証するバイブ ルの役割を」(7頁)記紀に受け持たせたといふのである。例へば記紀の融合から古代の英雄ヤマトタケルが生まれた。これが「戦後に なっても変化することな く継続された。」(9頁)その結果、「ほんとうなら疑ってよい認識を無批判に受け入れてしま」(11頁)ふことになる。例へば古事記 「序」は本物か。昔か ら古事記偽書説はある。三浦氏は古事記「序」偽書説を唱へる。古事記本体は古いものだが、「『序』は、後世の偽作であるとみなすの」 (12頁)だといふ。 この古事記序文偽書説は目新しいものであつたかどうか。私には古事記は偽書であるといふ認識がないのである。あくまでも古事記は真書 でありその序文は正し い、この段階で思考停止しているのである。さういふ人間からすれば、本書は「はじめに 古事記を読みなおす」から新鮮である。いや、 衝撃的といふべきか。 私は三浦氏の著書を初めて読んだのである。2冊目、3冊目ならまだしも、初めての人間にはいささかきつい。それでも古事記をこのやう に見る立場があるのだ と知つた。
・個人的には、記紀の違ひに関して、書紀は律令国家の主張のための書であるのに対し、古事記は「古層の語りを主張し続ける」(18 頁)書だといふ指摘は正 しいと思ふ。書紀の政治性に対して、「音声の論理によって支配される『語り』の世界」(同前)が古事記にはあるといふのである。なの に、「ほかひびと(乞 食者)」がゐて物語を語り伝へた、例へば八千矛の神の一連の歌謡を見よ、といふ「研究史の流れを」(同前)現今の古事記、神話研究は 「無視し過ぎているの ではないか」(同前)といふ。これには大いに共感する。「語り」を無視しない研究者はゐた。しかし、圧倒的少数者であつたらう。万葉 集も歌はれた、語られ たと言つた。しかし、その言葉は無視されたのであらうか。上代文学研究は文字として残る資料を用ゐる。さうかもしれない。それでも、 上代文学に「語り」の 発想は必要である。簡単に言へば、字がないなら語り伝へるしかないのである。稗田阿礼はそんな人であつたかどうか。古事記はそんな語 りの世界の産物であ る。文字の時代になつてもそれは続いた。かういふことを忘れない研究者が今にゐて安心した。記紀の呼称と「語り」の問題は分かち難く 結びついてゐるはずで ある。そこに神の名称の問題も出てくる。出雲神話も出てくる。先は長い。次は「出雲神話論」を読まうと思ふ。 -
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第一部「歴史叙述の方法」では、日本書紀と古事記という性格を異にする2つの歴史書において、歴史はどのように叙述されているかということを論じている。
日本書紀では、特に巻三以降の各天皇紀は、編年体により、天皇の時間によって整序されているため、つながりのある出来事でも分断されることとなる。
これに対し、古事記では、〈混沌→秩序〉のブロックが積み重ねられた伝承群から成り立っている、とされる。
第二部「歴史としての起源神話」では、起源神話の語り方について考察される。笑いとイケニヘ、そして人間の誕生を語る青人草。
第一部は、叙述の方法に関しての議論のため、その論理が比較的追い易かったが、第二部は、語に関する国文学的あるいは民俗学的素養がないと、理解が難しい。
全体の中では、第一部第四章の「母系残照」、第五章「天皇の役割」が面白かった。 -
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古事記に登場する主だった神々について、その成り立ちや性格、他の神々との関係等を論じたもの。
著者は、古事記の序は後世に付け加えられたものであり、日本書紀が国家的事業として、国家の正統的歴史書を作ろうとしたのに対し、古事記はそうではないと言う。特に出雲神話が書記にはほとんど取り上げられていないのに対し、古事記では、権力に抗い、敗れた敗者への共感があるのではないかとする。
そうした基本的立場から、オオクニヌシを始めとする神々について説明されるのだが、特に、出雲から越にかけての日本海側のつながりに着目する。
著者の見解について、その当否を述べる能力はないが、古事記を読み込んだ魅力ある仮説だと思えた。
なお、神々は似た名前が多いので、文庫版に付された神名辞典は大変便利である。
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紀記とまとめて考えられがちな古代の話を、古事記、日本書紀、出雲風土記など様々な一次資料を個別に参照し、先行研究によって凝り固まってしまった考え方を説き解しながら、出雲にまつわる神話を順を追って浮かび上がらせている。
面白いと思ったのは、考古学の発見も参照しているところ。文献だけでは得難い実感を伴って読むことができた。博物館で観た大量の銅剣や出雲大社の柱の基礎などが想起されて、神話と現実を行ったり来たりするような不思議な感覚。
読み進めるにつれ、万葉集や物部など歴史として知る単語が出てくるのも同様。
ついに次は古事記自体を読んでみようかと思います。いろんな神社にも行ってみたい。 -
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ネタバレ古事記は、律令国家の由緒を描く史書として読まれてきた。だが、こうした理解には根本的な誤りがある―。日本書紀には存在しない「出雲神話」が必要とされたのはなぜか。どうして権力にあらがい滅びた者たちに共感を寄せるのか。この作品の成り立ちを説く「序」は真実か…このような疑問を通じ本書は、「国家の歴史」以前から列島に底流する古層の語りとして、古事記をとらえ返す。それにより神話や伝承の生きた姿、魅力がよみがえる。古事記の世界を一望に収める入門書の決定版。(カバー)
入門書としては偏っているような…。
全編通して話が及んでいるのはうれしいところ。読みごたえがありました。 -
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著者は、古事記と日本書紀を「記紀神話」と一括し、両者をともに律令国家を支えるために編纂されたとする通説を批判し、古事記の「語り」に滅びゆく者へのレクイエムを聴きとろうとしています。
その際に著者がまず注目しているのが「出雲神話」にかんする叙述です。大和政権の正統性をあきらかにする意図で書かれた日本書紀には、古事記に含まれている出雲にかんする記事の多くが存在していないことを著者は指摘します。このことは、天皇家の歴史を叙述するためには出雲神話を無視してもさしつかえがないということを意味しており、それゆえ古事記における出雲神話に関する記事に、律令国家における正史として編纂された日本書紀とは異なる「語り」が響いていると論じられます。
古事記におけるポリフォニックな「語り」に焦点をあてた本で、スリリングなおもしろさがあります。ただし「あとがき」で、「わたしの古事記成立論に反論する人がいると、あなたの論理では古事記を国家に親和させるだけですよ、それでいいのですか、といささか挑発的に切り返すことにしている」ということばは、おそらくなかば冗談なのでしょうが、古事記のポリフォニーに「国譲り」に見られる日本民族の寛容性を見ようとする論者もいるくらいですから、あまりおもしろい冗談にも思えません。 -
本当は怖い世界の童話
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