田山花袋のレビュー一覧
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ネタバレおもしろかった。
「蒲団」の女弟子への恋を抱えながら、女弟子の他の男への恋をも保護することになってしまった主人公の身勝手さと寂寥がとてもよい。
「重右衛門の最後」は、村の迷惑者、アウトローたる重右衛門に向ける目が冷静ながらも優しくて、重右衛門のようにあまり社会に馴染めない自覚のある私としては、彼を「自然児」と見た視点がありがたく沁みた。こちらの方が、個人的に蒲団よりも好きだ。
重右衛門の「私なんざア、駄目でごす…」と涙をこぼしながら言う姿、どうしても共感せずにはいられなかった。唯一重右衛門を支援しようと言った貞七が「駄目なことがあるものか。私などもお前さんの様に、その時は駄目だと思った。けれど -
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えええ、なんだこれは、面白いんだけど笑・笑・笑
私にとって「自分を振り返りましょう小説」で『地下室の手記』と並んでトップツーだわ。これだけ赤裸々で、しかし小っ恥ずかしくならずに笑ってしまえる小説は作者の力量でしょうか。
漢字も今と違って興味深いです。渠で「かれ」とか。遭遇すで「でくわす」とか。
36歳の文筆家の竹中時雄は中年の憂鬱の時期に差し掛かっていた。妻はもはや自分の妻というより「3人子供の母」になって心が動かない。(←あなたの子供ですよ!)
通勤中にすれ違う美人とのあんなことやこんなことを妄想する日々。
そんな時雄のもとに熱烈なファンレターが届く。差出人は岡山県から神戸の女学院に寄宿し -
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ずっと読みたくて、でも大筋で話が分かるから情けなさすぎで読むのを躊躇っていたこの本。
読んでみると、まず主人公が思っていたよりずっと若く、今の自分と大して変わらない歳であることに驚く。
そして、女性の方からも何らかの思わせぶりな誘惑があったのかと思っていたのに、他に恋人を作って全く主人公を意識もしていないという。
ほんとに、全て主人公の妄想で、ただ結婚生活に飽きた男が若い娘にときめきたかっただけの話。
現在絶賛育児中のわたしからすれば、ふざけんなと言いたくなるけど、こういうのって男性も同じなんだとわかった。
そして、合わせて収録されてる話。
『蒲団』にしか興味なかったので、読まずに返そうかと -
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お前の罪じゃ無い、世の中の罪だ
(田山花袋「断流」より)
人生の不条理・社会の闇と真正面に向き合い描かれた「悲惨小説(深刻小説)」または「観念小説」と呼ばれる作品のアンソロジー。あまり聞き慣れぬ作家の、大手出版社の文庫本レーベルにもなかなかラインアップされない作品をたくさん味わえる貴重な一冊だと思う。
川上眉山「大さかずき」
泉 鏡花「夜行巡査」
前田曙山「蝗売り」
田山花袋「断流」
北田薄氷「乳母」
広津柳浪「亀さん」
徳田秋声「藪こうじ」
小栗風葉「寝白粉」
江見水蔭「女房殺し」
樋口一葉「にごりえ」
性別、生まれ、家庭の経済状況……。収録 -
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ネタバレ「蒲団」
昔の話なのに読みやすくて、おもしろかった。
主人公の男の自分勝手なこと!
この時代では普通なのかもしれないけど。
「夫の苦悶には我関せずで、子供さえ満足に育てばいいという細君に対して、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。…家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。」
「妻と子ー家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供のために生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか」
芳子が大学生に体を許したと分かった後は、
「どうせ 、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用し -
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田山花袋は自然主義派として有名で、その代表作品ということで「蒲団」がある。
自然主義というのは、そもそも日本と発祥の地のフランスでは異なっており、日本の場合には、「私小説」ということで良いのだろう。
ただ、現在、読む側からは、自然主義云々はあまり意味のないことで、作品自体をどう感じるか、ということに尽きる。
本著を読むモチベーションが、自然主義派を代表する作品だから、という消極的なものだったので、一抹の不安があったのだが、結果としては、とても面白い作品だった。
何が良かったか。
この作品が、近代日本における女性の立ち位置をうまく表現している、ということ。
当時は、特に若い女性は、女性の自立、 -
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「蒲団」
弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に
スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに
逃げられてしまう
それは理不尽なことには違いない
俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう
けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と
西洋文化に由来する、いわゆる近代的自我との板ばさみにあって
この時期の文化人は
自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない
つまりエゴイストになりたくてもなれないという
そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない
森鴎外とエリスの関係など見るに
けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ
しかしそういう、ある