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赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。
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Posted by ブクログ
えええ、なんだこれは、面白いんだけど笑・笑・笑 私にとって「自分を振り返りましょう小説」で『地下室の手記』と並んでトップツーだわ。これだけ赤裸々で、しかし小っ恥ずかしくならずに笑ってしまえる小説は作者の力量でしょうか。 漢字も今と違って興味深いです。渠で「かれ」とか。遭遇すで「でくわす」とか。 3...続きを読む6歳の文筆家の竹中時雄は中年の憂鬱の時期に差し掛かっていた。妻はもはや自分の妻というより「3人子供の母」になって心が動かない。(←あなたの子供ですよ!) 通勤中にすれ違う美人とのあんなことやこんなことを妄想する日々。 そんな時雄のもとに熱烈なファンレターが届く。差出人は岡山県から神戸の女学院に寄宿して文学を学ぶ19歳の横山芳子で「文学一筋に生きたいので弟子にしていただきたい」という内容だった。芳子の両親はクリスチャンで地元でも名家だが、時雄を東京の身元保証人として東京に出すことを承知した。 時雄は家の二階に芳子を預かり、東京での親代わり、監督役、文学の師匠として女塾に通わせることになった。 さあ!時雄の妄想が炸裂しますよ!時雄は「誰にも言っていないけどこの女は当然俺のもんだ」と決めつけて、読者に向けて醜態を晒して行くんです。 時雄は普段は「旧態の女性はダメだ。これからは新しい時代だ」と言いながら、芳子に対しては「預かったのだから」という口実の元行動を規制します。 芳子が京都の学生、田中秀夫と恋仲になったらもう大変。「君のため」と言いながらも恋人との仲を裂こうと一生懸命。俺こそ芳子に恋しているんだ、芳子は誰がどう見たって俺のものだろう!?(←違います。でもこういう考えの人いるよね) 男性のいう「時代遅れはダメ」ってつまり「世間に対しては淑女で、自分に対しては奔放であれ」って言ってるだけだからだなあ。 そして妻のことはつまらん、作家である俺の苦しみをわからない、所帯じみて(←あなたの子供たちです)みっともない、頭が悪い…などなどけちょんけちょん。 題名の『蒲団』に絡んだ最後の場面はもはや笑える… いやあよくここまで赤裸々に。 小説として楽しく、そして「うまいなあ」と思いながら読んだのですが、これは田山花袋と女性のお弟子さん、その恋人がモデルになっているとか。 お弟子さん本人に、先生は性欲の目で君を見ていたんだよって小説読ませちゃっていいの?作家にとっては恥はむしろネタなの? たしかに『蒲団』を読みながら「妻や、芳子はどう思ってるの?本当に時雄の気持ちに気がついていないの?」と思っていたんですが、作者が主人公であれば彼女たちの気持ちはわからないよね。 このような「自分の恥」を書く小説は色々ありますが、『蒲団』は身勝手ながらも客観的で小説としてとても楽しく読めまして。なんといってもこの力量は感心するばかり。いやあ、田山花袋いいなあ。 『重右兵衛の最後』 東京の学生の富山は、信州(長野)の山間の塩山村から出てきた山県、杉山、根本と知り合う。田舎モンだと思っていたが話してみると気が合うし漢文の趣味も合う。彼らは「東京で成功して故郷に錦を!」という夢を持って故郷を飛び出してきたのだ。富山は彼らの塩山村の話を聞くうちに、豊かな自然に囲まれた山間の素朴で静かな暮らしを想像する。 そして5年後。富山は彼らの故郷塩山村を訪ねに行くところだ。結局東京で成功した者は誰もいない。山県と根本は故郷に戻り(連れ戻され)、杉山は遊蕩に目覚めてから徴兵された。 道中の自然の大景といったらまるで絵巻物ようだ。山、木、雲、川…なにもが雄大で美しい。 塩山村に着き山県と根本との再会を喜ぶ。だが塩山村では今大変な騒動が起きているという火付けだ。下手人もわかっている。藤田重右兵衛という中老と、重右兵衛が何処かから連れてきた野生児少女だ。それでもどうしても火付けが止められない。確固たる証拠もないので警察も動けない。 村人たちは「あいつさえいなければ…」という気持ちが高ぶっていて…。 重右兵衛は手のつけられない暴れ者で村中からの鼻つまみ物。それは彼が体の不具を持っていたためのもどかしさ、受けた虐め、劣等感から着ている。重右兵衛だってそれなりの扱いを受ければ穏やかな暮らしが送れたかもしれない。しかしこの旧態依然とした村で、何十年前のことも皆が覚えていて、不具を抱えているという劣等感が積もりに積もってしまっては、もはや暴れて暴れて暴れるしかない。 そこで富山が自分が美しいと感じた自然の本当の姿とはなんだろうと考える。人間は「自然」そのものには生きられない。 終盤の村人と重右兵衛のやり取りの緊迫感、ラストの火!火!火!の場面。自然とは、なんの制限も受けない残酷を含む荘厳。 そして封じられた人間が、神として祀られるってこういうことじゃないのって思えました。 あとがき解説が福田恆存なんですが、なんかかなり手厳しい(^_^;) 他の作家と比べて、田山花袋は外国文学から文学的なものを読み取り自分のものにしていないとか、小説の体現を徹底していないとかそんなかんじ。要するに田山花袋は素朴で初々しい。小説読んだだけでそこまでわかるのも凄いが。 <芸術作品を生むものを、われわれは芸術家と呼ぶのであって、芸術家というものがはじめから存在していて、かれが生んだものを芸術作品と呼ぶのではない。(P225)> 福田恆存も筋の通った人だなあ。
田山花袋を初めて読みましたが、プロフィールのところに自然文学とあり、読んでいて爽やかな描写が特に「重右衛門の最後」では感じました。 漢文を習っていたこともあり、当て字といいますか、所々にルビがあり放題で、この手の本が好きな私としては大変楽しめました。 なんとなく手に取った本ですが、読み始めるとぐいぐ...続きを読むい惹き込まれて一気読みでした。 「蒲団」というタイトルが気になりましたが、そこは読んでみてのお楽しみといったところでしょうか。 蒲団が好きな方は蒲団の中で読むのも、また醍醐味だと思います。
中島さんの作品の後に読むとなんとまあ、時雄の行動の幼稚なこと。全くもって私は「妻」の視点からでしか鑑賞できなくなっている。これはちょっと失敗。これから中島さんの『FUTON』を読まれる方花袋のを先に読む方がいいでしょう。いろいろ抜きにして純粋な感想。この小説「中年男が失恋後恋人の蒲団で泣く」という一...続きを読む文で表され、それでまかり通っているけれど、そんなことはない!なんてことはない。その通り。結果失恋して泣くんです。発表当時は女々しいとのお声もあったでしょうが、現代では無問題。時代が追いつきましたよ、花袋先生。
ずっと読みたくて、でも大筋で話が分かるから情けなさすぎで読むのを躊躇っていたこの本。 読んでみると、まず主人公が思っていたよりずっと若く、今の自分と大して変わらない歳であることに驚く。 そして、女性の方からも何らかの思わせぶりな誘惑があったのかと思っていたのに、他に恋人を作って全く主人公を意識もして...続きを読むいないという。 ほんとに、全て主人公の妄想で、ただ結婚生活に飽きた男が若い娘にときめきたかっただけの話。 現在絶賛育児中のわたしからすれば、ふざけんなと言いたくなるけど、こういうのって男性も同じなんだとわかった。 そして、合わせて収録されてる話。 『蒲団』にしか興味なかったので、読まずに返そうかとも思ったが、読んでみるとなかなか面白かった。 生まれつき通常の状態ではないということは不幸なことだと思うけど、自分で身上を持ち崩したのに反省もせず、周囲に迷惑ばかりかけている人間でも、亡くなった後はきちんと弔ってやらなければならないというのは理不尽だなと思う。 死ねば今生の罪は消えるということか。 それでは、あまりに釣り合わないと思ってしまう。 けれど、多くの人間から憎まれ恨まれることが、ある人物のエネルギーとなって迷惑行為をなすのなら、その原動力となる負の感情を持たないということが、実は一番平和への近道なのかもしれない。 すごく難しいことだけど。
青空文庫で蒲団のみ。 時雄の懊悩ひとつひとつが我が身を捻じるかの様で非常にのめり込んだ。 節操を汚した芳子の父親のなんと真っ当な物言い。さすが人の親。 細君がうまいこと緩衝材になって物語的にも読む側にとってもテンポを保ってくれた。 時雄がずっとあの調子で懊悩しまくってたらとてもじゃないけど息が詰まっ...続きを読むて読破不可能であった。 細君よ、ありがとう。
田山花袋は自然主義派として有名で、その代表作品ということで「蒲団」がある。 自然主義というのは、そもそも日本と発祥の地のフランスでは異なっており、日本の場合には、「私小説」ということで良いのだろう。 ただ、現在、読む側からは、自然主義云々はあまり意味のないことで、作品自体をどう感じるか、ということに...続きを読む尽きる。 本著を読むモチベーションが、自然主義派を代表する作品だから、という消極的なものだったので、一抹の不安があったのだが、結果としては、とても面白い作品だった。 何が良かったか。 この作品が、近代日本における女性の立ち位置をうまく表現している、ということ。 当時は、特に若い女性は、女性の自立、自由についての希求が今よりも高く、純だったのだろう。 そして、主人公の竹中は、本音と建前のバランスを崩し、葛藤し、世の中の流れに乗り切れない。知識人でありながら。 そんな心理状態をうまく表現している。(芳子の心理状態を惹きたてる効果がある) 現在、ジェンダーのことが盛んに話題になっている中、同じような現象が起こっているわけで、その観点での普遍性についても面白いと感じたのだろう。 「重右衛問の最後」、も近代日本における地方コミュニティに関することが巧く表現されており、面白かった。批判的な側面もあるのだと思う。
蒲団 複雑な心境がよく描写されており、読みやすい。結末の主人公の様子は気持ち悪いと言われることが多く、実際に読んで「ああこれか(笑)」と思ったが、その人間らしさがまた作品として味わい深い。 重右衛門の最後 不遇な重右衛門に深く同情した。八つ墓村と重ねてしまうところがあったのは私だけ? 同じ自然主...続きを読む義の関連として島崎藤村、ゾラも読みたい。
「蒲団」 弟子にしてくれと押しかけてきた若い娘に スケベ心を抱きながらも、手を出す前から他の男のところに 逃げられてしまう それは理不尽なことには違いない 俺はおまえのパパじゃねえ、ぐらいのことは言いたくもなるだろう けれども旧来からつづく封建的・儒教的な価値観と 西洋文化に由来する、いわゆる近代的...続きを読む自我との板ばさみにあって この時期の文化人は 自由をとなえながらも、みずからは自由にふるまえない つまりエゴイストになりたくてもなれないという そんな苦しい立場、ダブル・バインド状態にあったのかもしれない 森鴎外とエリスの関係など見るに けして花袋ひとりの問題ではなかったはずだ しかしそういう、ある種の煮え切らなさ・女々しさは 現実と真正面から向き合って生じるものでもあるのだから それがそのまま 近代日本においては「男らしさ」と呼べるものでもあったのだ 男はつらいよ、ってそういうことですね 「重右衛門の最後」 さんざん甘やかされながらも よその子供から身体的特徴(でかい金玉)を馬鹿にされ 屈折して育った重右衛門は 祖父の期待を裏切って悪人になり 最終的には、村人の集団リンチで処刑されてしまうのだけど 日本では、悪人も死ねば許される風潮があるので なんか名誉回復もしたしよかったんじゃないの、という話 大江健三郎の「万延元年のフットボール」や 町田康の「告白」などに、今も受け継がれるテーマだ
表題『布団』が気になり手に取りました。 絶対に結ばれることのない、親子ほども年の離れた相手に対しての執着・自分勝手な所有欲は、他人から見ればみっともないの一言。とても人には知られたくないような男の欲を堂々と描いた作品は他になく、当時としては画期的なことだったようです。 蒲団に残るあの人の匂いが恋し...続きを読むーー女々しいような情けないような滑稽な描写は妙に人間臭くて、不思議と嫌いになれない。
もう、あのシーンはよ!はよ!という気持ちで読んでました。 それにしても主人公は嫌な男だ。停車場で綺麗なお姉さんを見て「妻の出産がうまくいかなくなって死んだらああいう綺麗な人と住めるかなー」とか考えたり、若い書生に惚れてうまくいかなくて細君に八つ当たりしたり。 頗る読みやすい文体だった。
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